Category: 論説・主張

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香港は国の発展戦略における優位性を如何に発揮させるのか?

中国返還から25年、香港は世界が注目に値する成果を収めた。一方、数々の試練も経験してきた。では、未来の香港は何を拠り所に成り立ち、発展するのか。国家発展戦略の中での香港の独自の機能が残るのか、という点に関心が寄せられている。

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何懐宏 私たちが望む人類文明とは

人類の始まりと現代を比較すると、確かに現代において人類は、特に物質面、科学技術面で想像を絶する偉大なことを成し遂げている。しかし、根本的で困難な問題もある。物質文明は基盤であり、それは実際に優先的に満たされなければならず、不可欠なものである。しかし現代ではこの基盤が上部構造であり、最高の価値目標となっている。まるで、すべての成果は物質的利益により測る必要があり、人間のあらゆる知性は物質的成果の促進に投入されなければならないかのようである。人々の物事を制御する能力と物質的な生活レベルを高めることが最高目標またはすべてになるとすれば、人間とは何か、人間を動物と区別するものは何か、さらには人間を文明化以前の原始人と区別するものは何だろうか。つまり、文明にとって文明とは何なのか。

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袁剣 中央アジアと中国との文明交流のあり方〜理解と相互学習〜

世界の一部としての中国と世界の関係は、私たち自身の歴史的地位と将来の役割を理解する上で不可欠な部分を形成している。世界の大国である中国の広大な国境に接する周辺部、およびこの周辺部にある多くの国や地域は、周辺部や域外、特にグローバルガバナンスにおける周辺地帯を理解するための重要な思想史的な基盤に大きく影響している。

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中国は革新に最良の試験場 ヘルマン・シモン氏

ドイツなど欧州の国は多くの「隠れたチャンピオン」企業を育ててきた。こうした企業は市場占有率がトップクラスだがあまり有名ではない。これに比べ、中国企業は往々にして規模の拡大と最終的な上場を夢見ている。これは中国と欧州のビジネススタイルのどのような違いを反映しているのだろうか。「隠れたチャンピオン」は中国企業に何らかの啓示をもたらすのだろうか。中国はドイツの「隠れたチャンピオン」にとっての最も強大なライバルになりうるのだろうか。

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日中国交正常化から50年。戦前、中国で馬賊王と呼ばれた男の人生を描く『小説 小日向白朗 熱河に駆ける蹄痕』(織江耕太郎・著)刊行のお知らせ

任侠精神を貫き「捕虜」から中国全土の「正統馬賊総頭目」にまで上り詰めた日本人馬賊の物語 小説のモデルである小日向白朗は1900年(明治33年)に新潟県三条市に生まれました。単身中国大陸に渡って中国全土馬賊の総頭目になり、その生き様をモデルにした小説や漫画は多数あります。また戦後は日中・日米・米中を股にかけ、アメリカへは厚木基地からパスポートなしに飛び立ち、ニクソンやキッシンジャーと交渉し、その足で中国の蔣介石と面会するなど、日中国交正常化の裏で暗躍しました。本書では主に小日向白朗の戦前戦中の人生を描いています。著者は、『百年の轍』などの社会派ミステリーで評価が高く、旅情ミステリーの第一人者である内田康夫氏との共著もある、織江耕太郎氏。渡り合う馬賊同士の決闘、凄惨を極める復讐戦の大虐殺、大草原を移動する狼狗の群れ、儚い恋のロマンス、戦乱の中国大陸を舞台に展開する大馬賊の“栄光と悲惨”などが、迫真の筆致で描かれています。日中国交正常化50年の節目である本年に、両国の歴史や関係を見直すきっかけとしても読んでいただける一冊です。 【あらすじ】十六歳で単身日本を脱出し、中国大陸にわたり満洲を目指した小日向白朗。誰かが通ったルートを辿るのではなく、未踏の地を歩くことを決意し、奉天で坂西利八郎閣下を紹介される。その後、白朗は「軍事探偵」の命を受け、意気揚々と北京を出発する。しかし、万里の長城を越え、シラムレン川に差し掛かったとき馬賊に急襲される! その馬賊とは、北京から北西四〇〇キロほどの下窪を本拠とする楊青山総攬把という男が率いる集団であった……。 【書誌情報】定価:本体1,800円+税ISBN:978-4-394-99012-3 C0093発売日:2022年8月31日 判型:四六判並製 本文312ページhttps://www.shunyodo.co.jp/shopdetail/000000000813/ 【著者紹介】 織江耕太郎(おりえ・こうたろう)1950年福岡県生まれ。福岡県立筑紫丘高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業。作家。第一回北区内田康夫ミステリー文学賞受賞。第十七回浦安文学賞受賞。主な著書に『キアロスクーロ』(2013年)、『エコテロリストの遺書』(2017年)、『浅見光彦と七人の探偵たち』(2018年 内田康夫らとの共著)、『記憶の固執』(2018年)、『暗殺の森』(2019年)、『星降る夜、アルル』(2019年)、『百年の轍』(2020年)などがある。

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山西省の特異な遺跡「晋陽古城」が示す文化の歴史とは―専門家が解説 

晋の都は現在の山西省の省都である太原市の郊外にあった晋陽だった。晋が分裂した後も、晋陽は重要な都市であり続けた。晋陽は長安、洛陽に次ぐ黄河流域の第3の都市だった。唐朝(618-907年)を樹立した李淵は晋陽で挙兵して隋(589-618年)を滅ぼした。晋陽は北宋時代(960-1127年)に廃棄され、都市機能は太原に移った。かつての晋陽は、現在では晋陽古城と呼ばれている。都市考古学などを専門とする山西省湖建築彩色壁画保護研究院の韓炳華副院長はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、晋陽古城にまつわるさまざまな状況を紹介した。

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韓国人は中国を過不足なく認識すべきだ―「チャンケ主義の誕生」の著者が説く 

米中関係の東アジアに対する影響などを研究する韓国の光云大学の金希教(キム・フイギョ)教授は中国に留学した経歴もあるなどで、専門家としても現地での生活経験者としても中国を極めてよく知る。韓国で出版された金教授の「チャンケ主義の誕生」は、韓国社会の中国観についての問題提起だ。チャンケの本来の意味は「(店など)の主人」であり、理由については諸説があるが、韓国では中国人に対する蔑称(べっしょう)として用いられている。金教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、韓国における対中観についての持説を改めて紹介した。

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   90歳にして大動脈弁置換術を受ける 

 ――ニューハート・ワタナベ国際病院での体験記――  福井県立大学名誉教授 凌星光  今年5月27日から6月4日迄の8日間、ニューハート・ワタナベ国際病院に入院し、精密検査を経て、6月28日に再入院。7月1日午後、「大動脈弁閉鎖不全症」治療のため、「小切開」による「大動脈弁置換術」を受けた。わが一命に係る大手術であり、一抹の不安は消えていなかったが、幸い手術は成功し、7月15日無事退院することができた。下記は私のニューハート・ワタナベ国際病院への感謝状でもある。  一、 浮間中央病院への急診  5月に入ってから上が200mmHg前後の高血圧が続いたが、自覚症状は普段通りであったため、余り重視しなかった。だが、5月6日呼吸困難になり始め、身体に異常を感じるようになった。翌7日からは横になると呼吸が苦しく、上体を起こして仮眠を取らざるを得なくなった。これ以上放置するわけにはいかぬと思い、9日午後、タクシーを呼んで通院先の浮間中央病院に向かい受診すると、鬱血性心不全と診断され即入院となった。薬物療法を経たお蔭で、約一週間後に諸数値は正常となり、21 日には退院できた。だが、副院長の中山清和医師からは、私の場合心不全の原因は「大動脈弁閉鎖不全症」にあり、それを根治せねば再発するのは時間の問題、心臓血管外科のある大病院か専門病院で診て貰うようにと勧められた。そして、高齢者にはこのような手術は難しいので一般には施術しないが、私は元気だから手術を受けられるかもしれないと言われ、紹介状を書いてくれることとなった。  二、心臓大手術の是非:自然死か寿命延長か  統計によれば、一度心不全を患った者は その半分が5 年以内に亡くなっているという。つまり私の寿命は残り2、3 年ということになる。常日頃、妻とは自然死について話し合っている。私は現在満89 歳、妻82 歳。この年まで生きてこられたのだから、延命策など取らずに自然死でいこうと言うことだ。私はまだ呆けては居らず、視力、聴力、言語力及び思考力等全てが正常範囲にあり、大動脈弁だけが病巣だとすれば、置換術を受けて寿命を10 年(?)延ばすことも重要な選択の一つだ。更には、近年来、心臓手術の技術進歩は目覚ましく、平均成功率は98%に達すると聞く。妻や身内の者と話し合って、手術をすることに決めた。「人生百年」を目指して、病魔と闘う決心をしたのである。「大動脈弁置換術」と言った一命に関わる大手術を受けるには、少なからぬ覚悟を要したが、決心した以上は動揺することなく突き進むのみである。 三、ニューハート・ワタナベ国際病院の選択   入院先を決めるに当たり、総合病院か専門病院かを考えた。総合病院は併発病が起きた際に対応し易いというメリットがある。専門病院中、特にニューハート・ワタナベ国際病院は心臓病治療のための専門病院で、病院の建設、各施設の配置など全てが理想的に組み合わされている。その上、成功率99.5%という世界一のレベルが魅力的だ。渡辺剛院長の素晴らしい業績、パイオニア精神、患者の反応などを妻はじめ身内の者がいろいろと資料を集めてくれた。私自身も調べてみて、渡辺院長が金沢大学医学部出身であることに親近感を覚え、一命をこの病院に託すこととした。私は1990年から92年にかけて、金沢大学経済学部の教授を担ったことがあり、渡辺院長が2014年に東京に進出した意気込みに感銘を受けた。また、妻が、私がまだ浮間中央病院に入院中の5月19日21時過ぎ、PCで該病院の受診要望欄を見つけて早速私の病状と受診要望を書き込んでメールを送信したところ、翌午前11時、院長から「渡辺剛です。メールありがとうございます。了解いたしました。ぜひ拝見させていただきたいと思います。・・・」という丁寧なお返事が即座に届いたことに私も妻も大いに感動し、勇気づけられた。  四、瀬口主治医による手術可能の知らせ  私の担当医療チームは渡辺剛院長、瀬口龍太(血管外科)副部長、小圷徹医3名で構成され、瀬口医師が主治医を務められた。瀬口医師も院長と同じく金沢大学医学部出身であり、院長の愛弟子である。今年38歳の若さだが、年間執刀回数は300回余にも及ぶという。検査結果後「小切開」による手術を行うことができると瀬口医師から知らされた時は「あゝ、よかった!」と心底安堵した。引き受けてくれる以上成功させる自信があるからで、患者としては一安心だ。「しかし」と瀬口医師は続ける。渡辺院長の日程が詰まっており、手術は早くて7月1日、でなければそれ以降になるという。では、最速の7月1日でお願いしますと伝えて手術日が決まった。病名は「大動脈弁閉鎖不全症」で、「胸腔鏡下大動脈弁置換術」を7月1日に行うこととなった。因みに、置換するのは牛制生体弁である。  五、心臓大手術の実体験  7月1日13時過ぎに妻に見送られて病室を離れ、13時10分頃手術室に運ばれた。間もなく全身麻酔で眠りに着く。―――――「無事終了しました、体の血を拭いてから集中治療室に運ばれるので、今から20分後に会いに行って下さい」と、待ち受けていた妻に瀬口医師が伝えたのは18時20分頃だと言う。瀬口医師は赤ら顔で疲れ切った様子だったそうだ。翌朝7時半ごろ、集中治療室で麻酔が解けて、意識が戻り、手術の成功を実感した。そして自力で数分間息をした後、7時50分、人工呼吸器が外された。だが、集中治療室での2日間と病室に移ってからの数日間は「悪戦苦闘」の日々であった。咳をして痰を出す都度傷口が痛んだ。またどうしたことか全身に蕁麻疹のような症状が出て痒くてたまらず、眠れぬ日が続いた。だが病状は着実に快方に向かっており、蛸の足のように張り巡らされたチューブは一本一本外されていき、7月7日に最後の管ドレインが瀬口医師によって取り外された。この時、彼は看護師の手を借りることなく、実に動作素早く一人で処理し終えた。それを目にした私は、彼は渡辺院長に次ぐ神業医師ではと思うに至った。後日、私の手術は、心臓膜が老化により切れ切れになっていたため、3時間の手術予定が1時間延びて、結局4時間も要したことを知らされた。手術室での瀬口医師の神業ぶりが想像できる。術後一週間の苦闘とチューブ外しの中で、私の手術が大掛りな大手術であったことを改めて実感した。  六、世界一流のニューハート・ワタナベ国際病院  ニューハート・ワタナベ国際病院では、精密検査の8日間、心臓手術の18日間、計26日間の入院生活を送った。そこでは、確かに世界一流の病院であることを体験することができた。優れた心臓外科医師と必需の先端設備、施設を擁しており、病棟はすべて個室である。更に各医療技師の責任感や看護師の患者への思いやりは身にしみて感じられた。全身の皮膚が赤くなった時には、看護師がすぐに気が付き、アイスノンを持ってきて痒みを抑えてくれた。また尿道管を外した時には出血するかも知れないと事前に教えてくれ、常に患者の精神的負担を軽くするよう心掛けてくれた。私が今回当院でお世話になった看護師達は、全部で30数名に達する。総体で感じたことは、スタッフ各々が渡辺院長の求めている「自覚と誇り」に応えていることだ。一つの病院を経営するのは並大抵なことではないと言われる。渡辺院長の医療技術と病院経営両面での才能の発揮に敬意と賛辞を捧げたい。  人生の終わりに近づいた今日、世界一流のニューハート・ワタナベ国際病院で心臓の大手術を受けられたこと、日中両国の友人に見舞われて大手術を受けられたこと、身内の者に見守られて大手術を受けられたことは、何と幸せであったことだろう!今後10年(?)、自分の立ち位置を十分にわきまえ、余生を静かに且つ有意義に送りたいと思っている。  渡辺剛院長はじめ瀬口龍太医師、小圷徹医師ほか病院スタッフの皆様に心からの感謝の念を伝えたい。同時に 日中両国の友人各位の友情と励ましに深謝すると共に、妻はじめ身内の皆が我儘な私を愛情をもって支えてくれたことに心から感謝したい。  (7月29日執筆8月19日脱稿)   

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韓中はなぜ抗日戦争の歴史を共同で記念するべきか—韓国独立記念館館長にインタビュー

8月15日は日本の敗戦、無条件降伏宣言記念日であり、朝鮮半島の光復〈独立回復〉77周年記念日でもある。この間の抗日の歴史に記録された、中韓両国が共同でファシスト侵略者に立ち向かった物語は、歴史の真相を語り、後世の人にとって忘れられないものだ。先ごろ、韓国檀国大学歴史学部名誉教授で韓国独立記念館館長の韓詩俊氏が中国新聞社「東西問」コーナーの独占インタビューに応じ、韓中共同の抗日戦争史を振り返り、この間の歴史を記念することの現実的な意義について語った。