中国民間説唱芸術の「生きた文化」に心動かされて―大阪音楽大学教授・井口淳子氏インタビュー

中国と諸外国との交流のなかでは、経済・社会の全面的な発展が人々の幅広い関心を呼ぶのみならず、豊かで多元的な中華の伝統文化もますます注目を集めている。日本の民族音楽学者・大阪音楽大学教授の井口淳子氏は、中国の民間説唱芸術に長期にわたって関心を注いでいる外国人研究者である。

記者:中国の民間説唱〔語り物〕芸術という「ニッチ」な分野に、どんなきっかけで興味を持ったのですか?

井口:1987年、大阪大学の民族音楽学専攻の大学院生だったとき、中国には300種以上の地方大衆演芸のジャンルがあるのに、日本ではたった数種類の古典説唱芸術しかないことを知りました。こうした多くのジャンルはどのように発展してきたのか? それぞれどんな特徴と共通点があるのか? 私はたちまち多くの疑問を持ちました。


 中国の民間説唱芸術の研究のため、1988~95年の間に中国で通算5回のフィールドワークをおこないました。河北省の楽亭県・灤南県に伝わる「楽亭大鼓」〔「大鼓」は演者がカスタネットと小太鼓を打ち、三弦の演奏に合わせて歌う演芸〕という説唱ジャンルを研究対象とし、説唱を含む農村の口承文化を探求しました。1993~94年にかけては、北京を本拠地として9カ月の文献資料調査をおこないました。

井口淳子著『中国北方農村的口承文化』〔中国語版。2003年、厦門大学出版社〕

 私は『中国北方農村の口承文化 ―― 語り物の書・テキスト・パフォーマンス』〔日本語版は1999年、風響社〕のなかで、楽亭大鼓の長篇歌詞「淌水」に詳細な分析をおこないました。「生きた芸術」という点でいえば、この「淌水」とよばれる、演唱者の自由なアレンジを取り入れたテキストには、固定的な部分と流動的な部分の区別が明確にあります。

記者:中国の民間説唱文化の「生きた」面とはどういったことを指すのでしょうか?

井口:上演の場は都会的な雰囲気のある演芸場か農村の広場か、公演は1日限りか何日も続くのか、聴衆はどのような人々か、現場の反応はどうか。こういった様々な要素に応じて、語り手の最終的な表現が大きく変わる、という部分です。

記者:長年の中国でのフィールドワークを通して、もっとも心に残ったのはどんなことですか?

井口:中国の農村には、生活経験が豊富で極めて才能や情感が豊かな「作家」が数多くいて、それぞれの人の経歴が力強い表現をもたらします。たとえば私がフィールドワークの期間に出会った張建国(ジャン・ジエングオ)さん(1939~2018年)は、楽亭県の影絵芝居・大鼓・評劇〔華北や東北地方で行われる地方劇〕という3つの民間芸術に精通するのみならず、自ら脚本を創作していました。


 また、中国農村で調査研究をはじめた当初は修士課程の大学院生だったため、手元にあまり資金がなく、取材先の人々に対して何か具体的な謝礼をするというまでには至りませんでした。ところが現地の農民の皆さんは、私たちのために一切を整えて下さったのです。日本に戻ってから、自分が当時調査をした河北省東部地域は、戦争中に日本からの深刻な被害を受けたことを知りました。

河南省許昌県にて。許昌県杜寨の演芸会場で語る民間説唱芸人。 撮影/中国新聞社 牛書培

記者:中国と日本の民間口承文化には、どんな違いがありますか。

井口:日本の口承文化と比べて、中国各地には方言によって様々な大衆演芸のジャンルがあり、言葉と音楽が強く結びついています。中国の民間説唱の題目も常に新しく創作されています。日本では古典作品を尊重しすぎる雰囲気が社会にあるため、新たな脚本が生まれにくいのです。

記者:歴史上の中日両国の音楽交流と、それが文化の往来に与えた影響をどう評価されますか。

井口:中日間の文化交流は、まず中華文化が日本に伝わり、日本では影響を受けると同時に本土化が進みました。古琴の楽譜を例に取ると、日本はまるで中国文物の保管倉庫のようなものです。古い楽譜や正倉院の楽器などをいまでも見ることができ、伝統音楽の交流は両国の往来の重要な一部となっています。今後、より多くの中国人が日本の音楽を、より多くの日本人が中国の音楽を研究することを心から期待しています。

『送別の餃子 ―― 中国・都市と農村の肖像画』

記者:2022年は、中日国交正常化50周年です。 ご自身の研究を出発点として、両国の民間文化交流について感じておられることをお話いただけますか?

井口:民間交流レベルで、「等身大」の相手を知ることがとても重要だと思います。私の新刊『送別の餃子――中国・都市と農村の肖像画』(2021年、京都・灯光舎)では、中国での30年にわたる フィールドワークで出会った忘れがたい人々のことを書き、河北・寧波・厦門・湖南など各地の人々との出会いと別れについて綴りました。
 民間交流の強化、相互理解の深化を続けていくことは、両国が人と人との友情を深め、より良い未来に向かう助けになると考えています。

【プロフィール】

井口淳子(いぐちじゅんこ)
大阪音楽大学音楽学部教授(音楽学・民族音楽学 )、文学博士、大阪大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。主な研究テーマに「中国音楽・芸能研究」「近代アジア洋楽史」がある。主要著作:『中国北方農村の口承文化――語り物の書・テキスト・パフォーマン ス 』(1999年 、 風響社)、『上海租界与蘭心大戯院――東西芸術融合交匯的劇場空間』(2015年、上海人民出版社)『亡命者たちの上海楽 団――租界の音楽とバレエ』(2019年、音楽之友社)、『送別の餃子――中国・都市と農村の肖像画』(2021年、京都・灯光舎)。

中国新聞社・記者/高凱 翻訳/舩山明音

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1件の返信

  1. 家合映子 より:

    井口淳子様

    いかがお過ごしでしょうか?
    以前ネットで検索して、井口さんの文章を楽しく、興味深く読ませて頂いておりましたが、ここ数ヶ月読めなくなり、井口さんの文章からは暫く離れていました。今日またひとつ、最近の文章を見つけましたので、ここからコメントさせて頂きます。
    私は長く、教会音楽の学びをする中で、言葉と音楽との関係にとても関心があります。
    またいつか、お話しが出来れば嬉しいです。井口さんのお話しも聴かせて頂きたいし。
    この(先の)9月、10日間ほどかけて実家に帰り、母と過ごす機会に恵まれました。故郷に帰っても、なかなかお会いする機会をつくるのは難しいと思いますが、またいつかよろしくお願いいたします。
    そして、ご健康が守られますように、と、お祈りしていますね。

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