雍際春 なぜ、伏羲は世界中で中華系の人々の精神的絆になったのか

中新社記者 丁思 李亜竜

 中国甘粛省天水市は、伏羲の出生地であり、伏羲文化の発祥の地であり、世界中の中華系の人々のルーツを祀っている地でもあります。2022年に開催された中華人文の始祖である伏羲を祀る式典では、「伏羲文化の発揚、中華文明の継承」という趣旨のもと、「伏羲の八卦の発明物語、鋳牢中華民族共同体意識」をテーマとして国内外の中華系の子どもたちが対面とオンラインとで祖先に拝礼し敬意を表しました。

 なぜ、伏羲が世界中で中華系の人々の精神的な絆となっているのか。伏羲一族の神話伝説の符号は、民族の精神的意味合いからどのように解き明かせるのか。今日の中華民族復興と中華文明発展にどのようなヒントを与えるのか。甘粛省天水師範学院歴史文化学院教授で、甘粛省高等教育人文社会重点研究基地隴右文化研究センター主任の雍際春氏に先ごろ独占インタビューを行い、深く読み解いてもらった。

 インタビューの概要は以下のとおり:

 中新社記者:伏羲の神話や伝説は、どのように生まれて発展していったのでしょうか。その神話や伝説は、どのような経路で、地理的にはどのような範囲に広がったのでしょうか。

 雍際春:歴史上では、伏羲の母は華胥氏で、雷沢の地で巨人の足跡を踏んで妊娠し、12年後に伏羲が生まれたと伝えられています。伏羲の出生地であるとされる現在の甘粛省天水市秦安県には、伏羲と女媧およびその部族の活動に関する遺跡や伝説が残されています。主な遺跡は、卦台山、竜馬洞、女媧祠、風台、風谷、風瑩等があります。主な伝説は、洪水神話、天地創造、兄妹婚、女媧人を造る、女媧天を補うなどです。

 秦の時代以前から、伏羲と女媧は、その独特な地位と並外れた貢献により、中国民族代々の伝説や歴史の記録となり、尊敬、謳歌、祭祀、信仰、民族のルーツ探求の対象になったのです。過去の賢哲や支配階級は、伏羲と女媧の活躍とその文化的創造を礎として、繰り返し手が加えられて、さらに民間の伝説の伝播、民間信仰の崇拝と風俗習慣の浸透により、次第に長い歴史を持った奥深く豊かな伏羲文化が形成されていきました。

2022年(壬寅)に故郷の甘粛省天水市伏羲廟の広場で開催された中華人文の始祖である伏羲の大典=甘粛省天水市共産党委員会宣伝部提供

 伏羲の部族は中原へ東進し、陳(現在の河南省淮陽市)に都を構えました。そして黄河流域にその子孫を広げました。西から東への移動に伴い、伏羲の部族と他の部族が融合し、人口規模と活動範囲を拡大していきました。北は現在の内モンゴル高原、南は長江流域、西南の雲貴高原へと移動していったのです。

 そのため伏羲はモンゴル族、満洲族、ミャオ族、ヤオ族、イ族、チベット族、チワン族、リー族などの各民族が信奉する始祖となりました。一時期伏羲と女媧の伝説は西南地区に由来すると考える学者もいましたが、これは文化の起源と流れの関係の問題であり、両者を本末転倒にしてはなりません。確かなことは、上古の民族萌芽の時代には、ほとんどの民族群に伏羲が認識されていたことです。

 甘粛省天水市での伏羲を祀る式典は長い歴史があり踏襲されてきました。2005年からは甘粛省人民政府が主催し、毎年6月22日に行われる伏羲を祀る式典となりました。今年は、甘粛省人民政府が初めて組織した「56の民族」の代表が伏羲を祀る式典に参加し、伏羲が中華民族の共通の祖先として崇拝されていることが改めて示されました。

 中新社記者:伏羲の氏族の文化創造は現在どのような形で反映されているのでしょうか。なぜ、中国の子どもたちはみんな「竜の後継者」なのでしょうか。

 雍際春:中国の人文的始祖である伏羲とその一族は、文明の草創期に、多方面で礎を固める文化的貢献をしました。主要なものは、八卦の発明、文字づくり、漁網の発明、火種をとる、家畜の飼育、甲暦の制作、婚姻の制度を制定、礼楽の創始、九種類の鍼灸針の制作、占い、九部の創設、竜をもって官吏を律すなどです。これらの発明や創造は、物質文化の多方面にわたり、精神的社会的生活の重要な領域や文化制度の萌芽となりました。

 例えば、「八卦の初引き」は世界の陰陽の二分法と変化の法則を発見し一般化したもので、それを抽象化して記号として表現したものである。書契は文字の最初の創造で、結縄によって政を記録した時代の終結と文字で記録する時代の幕開けを告げたものです。

 歴史上では、伏羲と女媧は頭が人間で体が蛇と言われたことから、伏羲の部族は最初蛇をトーテムとしていたことがわかります。移動と部族間の交流に伴い、伏羲族は征服し同盟を結んだ各部族のトーテムを部分的に蛇のトーテムに取り込み、蛇の体をベースに牛耳と馬の歯、鹿の角と海老のひげ、魚鱗と蛇の体、ライオンの鼻と虎の爪などを加えた複数のトーテムを組み合わせた竜のトーテムを形成しました。

北京で開催された「衆生を描く−河西肖像レンガに描かれた古代の生活」展で、『唐人伏羲女媧像軸』(左)『伏羲女媧の漢画拓本』(右)を観賞する来場者=2021年5月 中新社提供 石芸媛撮影

 竜のトーテムは、生物の蛇と想像上の竜を合成したもので、強大な文明を目指した伏羲の部族がさまざまな部族を征服し融合させた上古のトーテム崇拝を典型的に体現したものです。これは、違いを尊重しながら共通点を探り、多様性を認め、調和と大同の精神の追求と価値を具現化したものです。

 何千年もの間、竜のトーテム崇拝と竜文化の習俗習慣が代々受け継がれ、人々の心に深く根差しました。中国の子どもたちは皆「竜の後継者」で、竜は中華民族の文化的な識別、心の絆、精神的シンボルに昇華されました。

 中新社記者:伏羲の始祖としての文化は中華民族の歴史文化や人類の文化の形成と発展にどのような影響を与えたのでしょうか。

 雍際春:中華文明の起源は、数多くの新石器時代の文化遺物や歴史的記録と民間に伝承されてきた伝説によって証明されています。民族によって伏羲の生涯や伝説の内容に違いがあっても、中華民族に共通する歴史的記憶や文化的伝承の中では、伏羲は創世の英雄であり民族の始祖であるだけでなく、中華文化の創始者でもあります。

 伏羲とその文化によって築かれたヒューマニズムの精神は、主に天地探索の精神、何も恐れない創造の精神、自己研鑽の精神、適応の精神、寛容と調和の精神に表れています。

 特に、伏羲が発明した八卦は、記号や図形であると同時に、数値や情報のコードでもあり、客観的なものごとを抽象的な記号で思考し、表現する方法なのです。中国の伝統文化の原点は、周易や八卦にあることが多いです。八卦とその易学の体系は、陰陽の変化、論理的類推、陰陽二気相和などの知恵を輝かせ、中華民族の思考方法や文化のプロセスに深く影響しています。

2021(辛丑)年に甘粛省天水市の伏羲廟の広場で行われた中華人文の始祖伏羲を祀る大典=中新社提供 高展撮影

 伏羲文化における特に陰陽の変化、剛柔臨機応変な精神は、何千年にもわたり中国の伝統文化の形成と発展、そして中華民族の精神的成長、精神形成、人格形成、価値観、思考モデルに大きな影響を与えました。

 中新社記者:なぜ、伏羲が世界中で中華系の人々の精神的絆になっているのでしょうか。中華民族と中華文明の復興と発展には、どのような教えがあるのでしょうか。

 雍際春:古代から現代に至るまで、祖先崇拝は中華民族の繁栄により伝承された旺盛な生命力を有する重要な精神的遺伝子です。まさに中国で毎年行われる春節の帰省や清明節の墓参りは、祖先崇拝の典型的な例です。

 祖国から遠く離れた海外の華僑や華人は、自分たちが「竜の後継者」であることを認識し、祖先のルーツを辿りたいと考えています。彼らの中では伏羲が中国の人文的始祖と認識されるようになりました。ルーツを辿り祖先を拝むことは、彼らの精神性や帰属意識にとって差し迫った必要性があります。海外に住む華僑や華人の子どもたちは中国語が話せなくても、親は子どもたちに「ルーツは中国」と話すに違いありません。

 伏羲の時代は遠い過去となりましたが、伏羲の築いた中華文明とその精神的財産は、中華文化と民族精神の糧となり、今もその恩恵を受けています。

 新しい時代では、伏羲文化のさらなる振興と継承、伏羲文化やその精神的な意味合いの研究を強化する必要があるのです。情報化時代の到来により、若者たちが興味を持つようなデジタルの表現形式も模索し、「伏羲と女媧」の物語を普及させ、幼少期から敬愛の心を育むことも可能です。

 これらすべては、遺伝子のように続いている中華民族の一貫した開放性や寛容性を反映しており、さらに強い吸引力、影響力、団結力を持っています。この精神的な強さは、伏羲族が常に大きな支えとなり、中華民族の心の奥底に根ざした不撓不屈の精神的パワーの源となっています。

 中新社記者:東洋の伏羲と女媧、西洋のアダムとイブの存在は、人類の起源を明らかにする上でどのような意味を持つのでしょうか。

 雍際春:世界中の古代民族はみな、それぞれの創造神話を持っていますが、中国も例外ではありません。創世神話は、真っ先に宇宙と人がどのように生まれたかという問いに答えています。東洋の伏羲と女媧、西洋のアダムとイブの物語は、東洋と西洋の異なる文化的雰囲気とそれぞれ創造の文化的タイプの下でつくられた祖先のイメージであり、人類の起源についての異なる推論でありロマンチックな表現です。

新疆ウイグル自治区の福海県にある「女媧天を補う」の彫像=中新社提供 金煒撮影

 数多くの寓話、神話伝説、古代の伝説の中に、一部の研究者もこのようなパターンを見出しました。西洋初期の非凡な人々や神々の多くは、さまざまな困難に遭遇すると、最終的には神に頼って解決しました。しかし、中国人はそうではなくて、女媧補天、精衛鎮海、羿射九日、愚公山を移すなどの物語のように、どんな困難にあっても、自らの力で困難を克服し、解決していったのです。これこそ、伏羲の時代の先人から受け継がれた恐れを知らない創造と忍耐の精神なのです。

 伏羲とその一族が切り開いたヒューマニズムの精神は、中華民族を形づくり、中華民族、中華文明と中華文化を成長させ続け、困難や試練を乗り越えて復興し、生命力に満ちた遺伝暗号と力の源泉となったのです。

 未来へ向かう、復興や人類の運命共同体の構築への道程の中で、伏羲が築いた古代中華文明や優れた伝統文化とヒューマニズムの精神は、鋳牢中華民族共同体意識、中華民族の偉大な復興と素晴らしい未来を築く文化的な資源や精神的な源泉となるのは間違いありません。重要な時代的価値と現実的な意義があり、発掘、継承、大いに発揚するに値するものです。

雍際春教授略歴

雍際春教授=本人提供

 漢族、甘粛省天水市清水県出身。天水師範学院二級教授、修士課程指導教官。甘粛省軒轅文化研究会および省秦文化研究会副会長を兼任。中国国務院特別手当専門家、甘粛省第一級指導人材および「飛翔する学者」特別招へい教授。主な研究領域は、中国の歴史地理、隴右文化等、著書は『秦早期歴史研究』『天水放馬灘木版地図研究』『シルクロード史沿革』等の専門書および共著20部以上、発表論文は150編を超え、そのうちいくつかは『新華ダイジェスト』『中国社会科学ダイジェスト』等の雑誌に掲載されている。国家社会科学基金の3つのプロジェクトリーダーをつとめ完成させた。教育部全国大学人文社会科学優秀成果三等賞、甘粛省社会科学優秀成果一等賞、二等賞、甘粛省教育成果二等賞等、20以上の賞を受賞、甘粛省教学名師の栄誉に浴する。

【編集 劉歓】

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