何懐宏 私たちが望む人類文明とは

執筆者 何懐宏(中国鄭州大学哲学学院特別招へい主席教授)

 人類の始まりと現代を比較すると、確かに現代において人類は、特に物質面、科学技術面で想像を絶する偉大なことを成し遂げている。しかし、根本的で困難な問題もある。物質文明は基盤であり、それは実際に優先的に満たされなければならず、不可欠なものである。しかし現代ではこの基盤が上部構造であり、最高の価値目標となっている。まるで、すべての成果は物質的利益により測る必要があり、人間のあらゆる知性は物質的成果の促進に投入されなければならないかのようである。人々の物事を制御する能力と物質的な生活レベルを高めることが最高目標またはすべてになるとすれば、人間とは何か、人間を動物と区別するものは何か、さらには人間を文明化以前の原始人と区別するものは何だろうか。つまり、文明にとって文明とは何なのか。

 文明とは何か

 文明の概念については、中国と西洋の間で本来の意味の初期理解に大きな違いはなく、ある種の文明が開けた状態で、すなわち野蛮や未開な状態から脱却した物質的繁栄、知識の普及、政治的秩序と精神的形成の状態を指している。

 中国古代の賢人たちは早くから「文明」の豊かな意味に貢献してきた。『易経』の場合、『大有』卦の彖には「その徳剛健にして文明」とあり、『明夷』卦の彖には「内文明にして外柔順、もって大難を蒙る。文王これをもってせり」とあり、『同人』卦の彖には「文明にしてもって健、中正にして応ず、君子の正なり」とある。これは個人の徳という意味での文明である。そして同時にこの徳を進化させ、教化し、世の中に広めるという意味もある。例えば、『革』卦の彖には「文明にしてもって説び、大いに享りてもって正し」とあり、『乾』の文言には「見竜田にありとは、天下文明なるなり」とあり、『賁』卦の彖には「柔軟交錯するは天文なり。文明にして止まるは人文なり。天文を観てもって時変を察し、人文を観てもって天下を化成す」とある。

 これはすでに今日の「文明」「開化」の意味をかなり示唆しているが、長い歴史を持つ中国の伝統的な思想では、文明の核心は主に人文精神と徳行の普及と変革であり、物質および政治的文明とは直接関係ないものであった。つまり文明とは、物質文明、政治文明、精神文明も包括したものでなければならない。人類文明の創成期における歴史的変化も、物質的基盤から政治秩序へ、さらに精神的創造へと、大まかにこのような過程とリズムを踏襲している。

江蘇省南京市の夫子廟小学校の新入生が行った礼式=中新社提供 泱波記者撮影

 文明の現代の一端から見ると、地理的な大発見以降、特に産業革命と交流の円滑化以降、人類全体がグローバル化した文明の時代に入った。そのなかには一部の原始的部族が含まれ、他の非西洋文明も経済と技術を優先する現代文明の方向性にほぼ同調するようになった。

 現代の工業文明、特に今日のハイテク文明の段階に入ると、物事を制御する能力や生活水準は大きく向上したものの、精神的、道徳的な自己コントロール能力はそれに応じて高まっておらず、大きく向上させ継続的に改善することは人間にとって困難であるといえる。しかし、人間は考え反省することができ、自己の価値の追求や行動様式を調整することができる。

 そもそも私が『文明の両端』という本を書いた理由もここにある。現在世界的危機に直面し、人類は深い反省が必要な時を迎えている。反省のための適切な視点、文明の二つの端、すなわち文明が始まった一端と現代の一端である。始まりは文明世界に入った後、物質的基盤、政治的秩序、精神文明の形態の基本的に確立した時期、すなわち主要文明の根本的価値観が乖離し始める時期を指す。現代の一端とは、人類が思想的啓蒙と工業文明以降の時代、特にハイテクが急速に発展した時代を指す。

 文明の両端

 人類の歴史は数百万年と比較的長いが、人類文明の歴史はそれほど長くなく1万年程度です。人類の一部の集団が期せずして世界の大河の流域で耕作や家畜の飼育を始め、農耕文明を特徴とする物質文明に入ったのは、1万年余り前になってからだと言える。今から5千年以上前に、人類は政治文明に突入した。今から約2500~3000年前に、また偶然にもそれぞれの精神文明の価値体系が形成された。

 文明の始まりから8000年以上の歴史の中で、人類のそれぞれの文明は基本的に別々であるが、物質的基盤の重視、神の信仰、武力の崇拝など多くの共通点をもっていた。しかし、ドイツの思想家カール・ヤスパースが「軸の時代」(紀元前500年頃に中国、西洋、インドなどの地域で同時に現れた人類文明的ブレークスルー現象)とよんだ時代には、精神的な創造が主要文明に影響をあたえる主導的価値となるにつれ、古代ギリシャの混合政体と卓越した中道、中国の賢人政治と道徳的ヒューマニズム、中東のユダヤ教とキリスト教がもたらした一神教、インドのヒンズー教や仏教などのように異なる文明間に明らかな違いが現れて東西文明がはっきりと分かれた。近代になると、各文明が大規模に出会い相互の衝突や衝撃があった。このように、人類文明のすべての歴史は、「同−異−同」の分離と統合のプロセスを経てきたことがわかる。その背後にある動因は、「物質が基盤であり、価値が主導であり、政治が鍵である」という。

孔子博物館で孔子のホログラフィックを鑑賞する来館者=中新社提供 郭志華撮影

 人類の文明の両端には、主導的価値観において人間の物事を制御する能力の発展と社会的物質生活の向上に非常に気を配っているという「共通」の側面がある。近代以降、人類世界には梁漱溟が述べた「東西は異なる路線」から「西も東も問わない」への変化があった。すなわち東洋西洋に関わらず、ほとんどの国家は経済発展を中心に据えテクのロジーが経済を牽引してきた。特に改革開放の数十年にわたる中国の経済発展の奇跡は、このような主導的価値観の変化、数千年にわたって培われてきた中国人の勤勉、節約、教育重視や学習に長じているといった美徳のおかげである。民意の尊重は民間の「小さな伝統」を社会的な「大きな伝統」へと変えていった。

 しかし、文明の両端には多くの違いがあり、最大の違いは、文明の初期には主に基盤構築の役割を果たした物質的な追及が、現代では主要または至上の追求になっているように見える。さらに文明の中間部分も無視することができない。主要な文明は、独自の自己価値の追求を実践する2、3千年の歴史を有し、独自の特殊な文化伝統を形成してきた。すなわち、近代化という価値目標は同じでも、目的を達成する道筋は全く異なる。繁栄へ至る道筋は一つではない。

 人類文明の歴史的過程の中で、中華文明は非常に早い時期からその特有の大規模性と連続性を持って独自の道を歩み始めた。人類史上最大の人口集団として、物質文明―政治文明―精神文明の発展過程において一歩も譲らず、世界をリードする存在にさえなっている。三千年前から始まった「周文王」から「漢代の制度」に至る中国の、精神的および政治制度の進化は、「世襲社会」から「古代選挙社会」へと安定した道を切り開いた。(詳細は拙著『世襲社会』『選挙社会』参照)。

 「文明」の全容

 現代文明は、科学技術と経済の奇跡を生み出したが、文明が物欲によって終わってしまうのではないかという隠れた懸念をもたらし、人々に不安を抱かせた。物質的な達成や物質的生活の改善を喜ぶ一方で、物質的欲望が流行し功利主義的になり、価値の追及のみとなった。精神的に貧しくなり、手に入れた物質的な豊かさやそれによってもたらされた自由な余暇時間を精神や芸術の発達のために使われないことがしばしば見られるようになった。精神と知恵によって動物界から脱却した人間が、物を追うためだけの動物的追求に回帰してしまったのである。

 このような価値追求は、人間固有の精神的価値の具現化を妨げるだけでなく、環境汚染や気候変動による外的問題、人工知能や遺伝子操作による内的問題など、多くの現実的な危険と課題を突きつけている。人は根本的に変わってしまうのか、あるいは入れ替わってしまうのか。ハイテク機能や大量殺りく兵器による戦争の影は、常に人類の前に立ちはだかるのだろうか。これも拙著『人類に未来はあるか』で憂慮していることである。

第4回世界人工知能製品応用博覧会で人工知能搭載ロボットのパフォーマンスを見学する来場者=中新社提供 翟彗勇撮影

 人類は早急に反省しなければならない時を迎えている。反省はまず問いかけることなので、『文明の両端』では、テクノロジーの飛躍的な発展やこの発展が常に文明の促進につながると確信し喜ぶ人たちに問い続けた。「『文明』という概念の意味を完全に明らかにする必要があるのか。私たちはどのような文明を望んでいるのか。単なる物質文明や技術、経済のたゆまぬ発展だけなのか。人類は動物界から脱却して、動物や外界のものに対する支配力を究極まで高めたいというのだろうか。技術の進歩は文明全体の繁栄に貢献するのか、それとも危機をもたらすのか。文明史の後端にある人類の未来と進むべき道は何か。マックス・ウエーバーの言うところの、物欲と物事を制御する能力からなる「鉄の檻」からどうやって抜け出せばいいのか。文明の端緒において、古代の人々が生存と発展の基本的な需要を満たすために、物質的エネルギーの獲得に全力を尽くさなければならなかったとしたら、現代の人々は物事を制御する能力と物質的生活の向上のためにやはり全力を尽くす必要があるのか。これはどのような危険をもたらすのか」

 これらの問題をきっかけに、広く深く人類文明の方向性や人類の価値追求体系、自己制御力や規範体系を考え、さらに私たちの行動や生活スタイルを調整できるよう、人々が関心を持ち覚醒するよう願っている。(完)

何懐宏教授略歴

 1954年生まれ。北京大学哲学科教授、博士課程指導教官を経て、現在、鄭州大学哲学学院特別招へい主席教授。研究対象分野は、主に広義の倫理学(政治哲学、人生哲学を含む)および中国社会史と現代中国。西洋の古典の紹介者であり中国倫理道徳の再構築の基礎を確立。第9回および第17回中国国立図書館「文津図書賞」受賞、第1回正則思想学術賞受賞。代表的著書は『世襲社会』、『被選挙権社会』、『良心論』、『現世限り』、『人類に未来はあるか』など、主な訳書に『正義論』(共訳)、『瞑想録』、『無政府  国家とユートピア』などがある。

【編集 黄鈺涵】

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