服の中で遊ぶ唐子たち:伝統図柄「百子図」を用いた衣装【百子衣】③
「百子図」に描かれる子供たちの遊びの場面は、現実生活の描写と象徴的な意味を持つ図案に分けられます。古代の子供たちの遊びは多種多様で、大人の世界への憧れを表すものとして獅子舞や竹馬遊びなどがあり、友達同士の遊びとして猜拳(じゃんけん)や捉迷蔵(かくれんぼ)などがありました。また、観賞を楽しむ活動として鳥や魚を眺めるもの、さらには季節ごとの遊びも存在しました。
「百子図」に描かれる子供たちの遊びの場面は、現実生活の描写と象徴的な意味を持つ図案に分けられます。古代の子供たちの遊びは多種多様で、大人の世界への憧れを表すものとして獅子舞や竹馬遊びなどがあり、友達同士の遊びとして猜拳(じゃんけん)や捉迷蔵(かくれんぼ)などがありました。また、観賞を楽しむ活動として鳥や魚を眺めるもの、さらには季節ごとの遊びも存在しました。
世界最大規模の撮影地「横店影視城」
横店影視城は世界最大規模の撮影基地であり「中国のハリウッド」と呼ばれ、国内の映画・ドラマのほとんどがここで撮影有れている。またここは映画・ドラマの世界への没入体験を楽しめる巨大リゾート地でもある。
中国には広大な土地に街ごとセットをつくりドラマや映画の撮影を行う巨大撮影基地があり、「影視城」と呼ばれている。特徴的なのはただ撮影するだけでなく一般の人もセットの建物や店がある中を散策でき、コスプレ体験やアフレコ体験ができたり飲食スペースや土産コーナーがあるなど、テーマパークのような観光スポットになっている点だ。とにかく広大な敷地内はエリアに分かれており、それぞれが本物の街のようだ。ここでは最も有名な横店影視城はじめ3つの「影視城」と5つの有名なロケ地をご紹介する。
『宮廷の諍い女』『璎珞~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』(以下、『璎珞』)『夢華録』 ……。 これら日本の観客を魅了する中国古装ドラマの中で、耽美なシーン、華やかな衣装、個性に溢れる人物 ……。 すべての舞台裏には「服化道」(服装、化粧/髪型、道具)を精巧に作る仕事人がいた。
『瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜』(以下、『瓔珞』)、『尚食~美味なる恋は紫禁城で~』(以下、『尚食』)など中国ドラマのヒット作は国内外で人気があり、常に「中国風ドラマ」ブームを巻き起こしている。これらの作品を生み出したのが、東陽歓娯影視文化有限公司である。同社にドラマ制作に対する独自の美学についてお話を伺った。
今回の特集は西遊記をテーマとしています。また、2024年8月20日に中国初のAAA級ゲーム「黒神話:悟空」が登場。世界のプレイヤーに中国伝統文化の魅力をゲームを通じて発信できるきっかけともなりました。
エンタメ・ファッション / 国際・日中関係 / 文化・科学 / 日中民間交流 / 映画
by sugi · Published 2024年4月9日 · Last modified 2024年6月26日
1989年に日本へ留学し経済学を学んだ仲氏は、日本に残りコンピュータ関係の上場企業に就職してマーケティング関連業務を担当した。90年代に入り、日本市場で取り扱われる中国映画の数が非常に少ないことに気づいた仲氏は、市場参入の可能性を感じ、社内で配給など関連業務の立ち上げを提案した。
『活きる』『初恋のきた道』『妻への家路』など数多くのチャン・イーモウ監督作品をはじめ、最近では『THE CROSSING~香港と大陸をまたぐ少女~』や『薬の神じゃない!』、『白蛇:縁起』といった話題作を翻訳されている字幕翻訳家の水野衛子先生。監督との交流や中国映画・ドラマ、字幕についてたっぷりお話をうかがった。
会社がなくなった。 2020年11月16日15時、『地球の歩き方』を制作、発行していたダイヤモンド・ビッグ社は事業譲渡を発表、同年12月をもって社員全員を解雇し、清算することとなった。 第一報は出先の武蔵浦和駅で受けたメールだった。「【重要】社員説明会の開催について」と題されたメールには「15時より大会議室にて、当社の重要事項に関する社員説明会を開催いたします」と簡素な文章が綴られていた。15時まであと4分という間際の時間に送られてきたこのメールを見た瞬間、わたしは「潰れたか、売られたか」と直感した。 思い起こせば、2020年の1月下旬に、『地球の歩き方D08チベット』の打ち合わせを行って取材航空券を押さえたものの、現地観光局がすべての観光事業の停止を決定、都市間の移動制限や施設の閉鎖を発表したことを受けてキャンセル。『D08チベット』改訂版の発行は見送りとなった。続いて、既に制作を始めていた『D01中国』の改訂も延期。数日内には中国関連の歩き方すべての発行を無期延期とする会社の判断が下された。 同年3月にモンゴルとミャンマーの改訂作業を終えたわたしは、担当する中国全土と、ここ10年以上政情不安定で塩漬けになっているパキスタンを含めてすべてのガイドブック改訂業務を失ったため、4月に編集部から編集部付けの管理部門へと異動になった。編集部全体を改組せずわたしだけを外したのは、会社はまだこのときダメなのは中国だけで、それ以外のエリアへの渡航までがすべて不可能になるとは考えていなかったからだろう。しかしその見立ては甘く、先進国と呼ばれる国々が思いのほか感染症に脆いことがはっきりしたときには、もう出版部門全体の売上は激減し、毎年改訂を重ねていくために必要な取材へ出ることもできなくなっていた。 再販制度に守られる出版業界は、本を取次に預ければ、預けた時点で現金が入ってくる仕組みになっている。売れずに戻ってきたら返金するにせよ、本を刷り続けてさえいれば当面の現金は入ってくる。この業界が自転車操業と言われる所以だが、取材に行けず改訂版を出せないとなると、ペダルを漕ごうにも漕ぐ自転車が存在しない。現金がショートすれば即倒産なので、そうなる前に買い手を見つけて売ったのだ。 売られてしまったものは致し方ない。これまでビッグ社を支えてくださっていた外部スタッフのみなさんに対する申し訳ないという思いはあるものの、自分自身はもう隠居でいいと思った。落語に出てくる長屋のご隠居、あれいいじゃないの。根が楽観的で助かった。 ただ、このときのわたしには、簡単に手を離すわけにはいかない請負仕事が残っていた。北海道の人気旅番組をガイドブック風に編み直した小冊子を2冊作る約束で動いていたのだ。1冊目が出たところで会社がなくなり、事業の買い取り先である新会社に2冊目をやる気があるのかないのか判然としないため、不透明になってしまったのだ。コラボ先には迷惑をかけたくない。滞りなく出してから手を離さないと寝覚めが悪い。わたしは新会社の「新入社員」募集の場へ赴き、2冊目の面倒を見させてほしいと依頼した。結果、業務委託として無事に納品を済ませることができた。意を汲んで関わらせてくれた関係者のみなさまには、この場を借りて感謝を申し上げたい。 このように、中国をきっかけとして自らを取り巻く環境が一変したのは、わたしが初めて中国の地を踏んだ1995年からちょうど25年目だった。その当時は25年にわたってなんらかの形で関わるとは思っていなかったたわけで、縁を感じざるを得ない。これからもおそらく関わりは続くだろう。そのとおり今も、以前より親交のあったイベント運営事務局からはポストコロナを睨んだ中国大陸での日中文化交流イベントの、中国からのインバウンド旅行をおもに手がけていた会社の社長からはオンラインによる越境医療サービスやツアー造成の、それぞれお手伝いをするお話しをいただいて関わりが続いている。 並行して、かつてガイドブック制作でお世話になった編集プロダクションさんからは新しく立ち上げるウェブ事業、フリーペーパーを作り続けている友人からは誌面の校正、とあるイベント会場で会った広告会社の社長からは自社の営業や進行管理、制作全般となぜかポップコーンの移動販売、さらに今話題のワクチン接種について集団接種会場の運営――とそれぞれのお手伝いをさせていただき、就職活動も合わせてなかなか多岐にわたる日々を送るようになった。 無職になったら長らく積んでいた本でも読んで、久しぶりにギターでも触って、親の実家の片付けでもしながら、昨年秋に颯爽と登場した孫と戯れつつのんびり過ごすものと思っていたのだが、むしろ自分のことに割く時間はほとんどない。 会社がなくなったときには、定年まであと数年を残して急にリタイアが前倒しになった気分だったが、実際にはそうでもなかった。今は、お声掛けをいただける間、それをありがたく受け取って、もう少しこの地での「出稼ぎ」を続けようという気持ちでいる。 環境に言うことはない。何ができるか、何をするか、ただそれだけなのだ。 ※本記事は、『和華』第31号「日中100人 生の声」から転載したものです。また掲載内容は発刊当時のものとなります。 ■筆者プロフィール:高島正人(たかしままさと) 元『地球の歩き方』プロデューサー。1964年、大阪生まれ。1987年株式会社ダイヤモンド・ビッグ社大阪支社に入社、1997年東京本社へ異動、『地球の歩き方』編集部に配属。2020年12月31日をもって離職。2021年7月現在、ワクチン接種の予約が取れないまま人生2回目の東京オリンピック・パラリンピック(初回記憶なし)を傍観中。
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