中国の伝統思想が現代社会に教えてくれるものとは―中国の専門家が具体的に紹介

一神教が思想を支配した西洋やイスラム圏、極度に抽象的な哲学が発達したインドなどと異なり、中国の文化文明には「現実の人と社会」を中心に考える発想が強かったとされる。中国国家イノベーションと発展戦略研究会の下部組織である「中国文明と中国の道研究センター」の謝茂松主任はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中国文化を理解するキーワードは「民本と天下」などと説明した。以下は、謝主任の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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■西洋中世とは異なり、中国では社会階層に流動性が存在した

文明史の観点からは、中国は孔子の出現以来、平民の時代に入ったと言える。唐代(618-907年)までは名家一族、すなわち貴族と称することができる家柄があったが、宋代(960-1279年)にはほぼ消滅した。社会は士大夫及び農・工・商で構成されるようになった。士大夫は科挙に合格することで社会の支配層に加われた。そして農・工・商、特に農民が生産を担った。しかし、エリート層だった士大夫も元をたどれば農民の家の出身であることが大多数だった。
2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展

そして中国では「民をもって本位となす」との考えが出現した。この考えかたには二つの意味が込められている。まず士大夫には、国を治め管理し「社会を優先」することが望まれた。そして一般大衆は、「道徳を自覚する」ことが求められた。

「道徳」は本来、士大夫に求められたものだったが、明代(1368-1644年)ごろからは民衆にも強く求められるようになった。例えば、王陽明(1472-1529年)が樹立した心学は、人として「良知に至る」ことを主張した。そしてだれでも「良知に至る」ことは可能であり、それができた人は「聖賢」と説いた。

西洋では中世と呼ばれる時代、国王、領主、騎士といった身分はすべて世襲制だった。そして文化面は全てキリスト教の神職者が担った。庶民である農民や農奴は社会の最下層だった。中国のように、庶民の家から「聖賢」が出現する可能性が残される社会とは、本質的に異なっていた。
2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展

■「運命共同体」構想は西洋式の「勝者が総取り」を超越する試み

士大夫は順列がある官僚組織に組み込まれたわけだが、その上にはさらに天・君・臣・民という順列があった。君すなわち皇帝は「民を本位」に政治を行わねばならないが、君も臣も民も「天」の制約を受ける。そこで「天命」や「天の理」といった概念が重視されるようになった。「天下」という言葉で分かるように、天という上位の存在があって、全ての存在は天の摂理に従うという考え方だ。

現代中国社会において、かつての「天」と同様なのが、人や自然による「運命共同体」の考えだ。中国が世界に向けて提唱している「人類運命共同体」は、中国の伝統的な天下観と見事に合致している。また、社会主義国家である中国が人民全体の利益を優先することも、儒家などが説いてきた中華文明の特徴に合致する。

現在の「一帯一路」イニシアティブや「人と自然の共同体」は、中華の伝統精神の延長線にある。我々は「共同富裕(皆が共に裕福になる)」を目指し、それを全世界に拡大しようと考えている。これは西洋文化にある「勝者が総取り」の発想を最終的に超越しようとする試みでもある。
2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展。

■中国の伝統的発想で「国際関係のあるべき姿」が見えてくる

中国では世界で唯一の、「原初の文明」が現在まで連続して発展した国だ。中国文明の普遍性は極めて強い。西洋文明にも普遍性はあるが、中国文明には西洋文明をさらに内包できる普遍性がある。

中国文明の普遍性を知ることができる言葉として、例えば論語の「君子は人の美をなさしむ(君子は他人の美点に着目し、それを達成させる)」という、大きな器量を求めるとする言葉がある。同じ論語には「己の欲せざるところを、人に施すことなかれ」という言葉もある。これは、「他者と平等につき合い、謙虚さを忘れるな」との考え方による主張と理解できる。
2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展

一方で、「君子は自ら強めてやまず」や「己が達せんと欲して人を達す」、つまり「自分自身は努力を怠らない」と同時に「自分が達成したいと願っていることは、他人も達成したいと願っているのだから協力の手を差し伸べよ」という言葉もある。これらの考えかたは、現在の国際関係を認識する上でも、極めて有益であるはずだ。(翻訳/ RecordChina)

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