パンダの海外「セレブ生活」(その1)

生後100日目におこなわれた命名式で、ブリジット・マクロン仏大統領夫人と初対面したとき、「圓夢(ユエンモン)」はまだ灰色の巻き毛の、子犬ほどの大きさの赤ちゃんだった。「圓夢」が癇癪を起こしたように吠え続けたため、名付け親のブリジット夫人は驚いて、撫でようと伸ばした手を引っ込めてしまった。

2018年8月4日、フランス・サンテニャン市のボーヴァル動物園にて、フランス生まれの第一号のパンダ「圓夢」の第一歳の誕生イベントが行われた。写真/視覚中国

「圓夢」はフランスで生まれ、なおかつ現在も生存している初めてのジャイアントパンダだ。

「圓夢」が生まれてからの5年あまり、ボーヴァル動物園を訪れる客は、「圓夢」の一挙手一投足を夢中になって眺めていたものだ。よちよち歩きで母親のそばにぴったり寄り添い、安心したように竹を食べ、気持ちよさそうに池で水浴びをし、のそのそと木登りをする。最近は、「圓夢」がふくよかになるにつれ、木の枝がその重さを支えきれず、「圓夢」が無念にも地面に転がってしまうこともしばしばで、そのたびに、見物客からは悲鳴に似た声が上がるのだった。

「圓夢」はとっくに白黒がはっきりし、赤ちゃん特有のフワフワ毛も落ち着いていた。体重だって120キロを超えている。他の海外生まれのパンダ同様、「圓夢」の所有権も中国にあるため、時期を見計らって中国に返還され、故郷の四川省でパートナーを探し、子孫を残すというのが既定路線だ。そしてついに「圓夢」の帰国がカウントダウンに入った。

大勢のフランス国民が次々と「圓夢」に別れを告げにやって来た。そのなかには、ブリジット夫人の姿もあった。ブリジット夫人は、「圓夢」の姿を見ればいつも心が落ち着いた、と振り返り、名付けた子との別れを非常に寂しがった。メディアの統計によれば、現在海外で暮らしているパンダは、フランス、アメリカ、日本、フィンランド、カタールなど20の国および地域で60頭を超えるという。フサフサの毛のかわいいパンダが出向いた国では、必ずといっていいほど「パンダ旋風」が巻き起こる。パンダが西洋に知られるようになってまだ100年ほどしか経っていないが、人里離れた山奥でひっそり生息していたパンダが、これほど短い間に、世界中の動物園のアイドルへと登りつめた理由は一体何か。彼らは異国でどのような暮らしをしているのだろうか。

パンダレンタルの申請はオリンピック並み

パンダが初めて西洋に認識されたのは、1869年のことだ。フランスのカトリック宣教師で博物学者のアルマン・ダヴィドが、四川省宝興県で採集した「白黒熊」の標本をパリに運び博物館で展示したところ、大きな反響を呼んだ。この珍しい動物の存在が世に知られたことで、なんとかその標本を手に入れようと、猟銃を背負った探検家達が中国南西部の密林に押し寄せた。竹林に出没するパンダが、世界の野生動物保護運動のシンボルになって久しい。くわえていまや、フランス中部の小さな町・サンテニャンのスター住人だ。毎年、100万人を超える観光客が、ボーヴァル動物園の回転ドアをぞろぞろと通り抜け、「中国之巔」という漢字4文字が書かれた中国風のアーチをくぐり、緑の木々に映える中国式宮廷庭園にやって来る。この場所の「領主」は、フランスに貸し出されているパンダの「圓仔(ユエンザイ)」(オス)、「歓歓(ホアンホアン)」(メス)、それに彼らの3頭の子どもたち――長男の「圓夢」とメスの双子「歓黎黎(ホワンリーリー)」「圓嘟嘟(ユエンドゥドゥ)」だ。
1970年代に中国政府からの贈り物としてフランスに贈られた先代の「黎黎(リーリー)」「燕燕(イエンイエン)」とは異なり、「圓仔」と「歓歓」は研究交流大使としてフランスにやって来た。

新中国成立後、パンダの「出国」には、贈り物、商業用貸出、学術レンタルなど、いくつかのレベルがあった。

1990年代中盤以降からは、「繁殖、保護、研究」を目的としたレンタルのみが可能となり、中国側はそれにより取得した資金を、パンダの保護活動に充てることを相手国に約束した。レンタルされるパンダは、出発前に遺伝学、行動学、心理学など一連の評価を受け、海を渡った後は、10年から15年ほどの長期にわたる合同研究に貢献する。ボーヴァル動物園は、1980年の開園時には、鳥類公園だった。時を経て、いまではフランス最大の動物園となり、繁殖学と獣医学分野では、ヨーロッパ最高水準を誇る。そのボーヴァル動物園のロドルフ・ドロー園長は、パンダをフランスに誘致するため、2006年から大統領官邸や官僚、国会議員らの支持を取り付けるべくロビー活動に奔走し始めた。その間、政府もシラク政権からサルコジ政権へとバトンタッチした。ただ、ドロー園長曰く、「より重要だったのは、成都パンダ繁殖研究基地からの信頼を得たことでした」

「パンダ舎」では、すでに親離れして独立した生活を送っている「圓夢」が、周囲の人だかりをものともせず、草の上で竹を食べていた。パンダは哺乳綱食肉目に属してはいるものの、食べ物の99%を新鮮な竹に頼っている、極度に偏食で食いしん坊なベジタリアンだ。竹はカロリーと栄養素密度が低いことから、栄養面での「黒字」化を図るため、パンダは1日のかなりの時間を食事に費やす。ドロー園長によれば、ボーヴァル動物園のパンダは1頭あたり1日40㎏の竹を食べる。パンダがフランスに到着する前、動物園はヨーロッパ中から20品種あまりの竹をかき集めてきて、パンダに好みのものを選ばせた。最近では10ヘクタールほどの土地に、5000本の竹を植えて育てている。

海外の動物園がパンダをレンタルしたいと考えた場合、パンダに十分な食事を与えられることを証明するだけでなく、パンダの住環境も整えなければならない。

動物園内には、パンダの生息地である中国南西部山岳地帯の気候と地形を模した、パンダの生活習慣に適したパンダ園を設けることが必須条件。寝室、分娩室、室内活動室の他、広い屋外活動場と、パンダ専用の厨房も必要だ。そのため、海外でのパンダの居住地はどこも広々としていて、かなり高額の建設費がかかっている。

2021年8月8日、ベルギー・ブリュージュレットのペリダイザ動物公園にて、ぬいぐるみを手にしたパンダの「宝弟」(バオディ)「宝妹」(バオメイ)の2歳の誕生日を祝う少女。写真/視覚中国

「『モナ・リザ』を古びた汚い額に収めるわけにはいかないですよね」と話すのは、デンマーク・コペンハーゲン動物園のベンクト・ホルスト園長だ。この動物園の「パンダ舎」は工費1830万ドル〔約27億円〕、敷地面積2450平米で、パンダの独居習性に合わせ、太極図からヒントを得た陰・陽2つの独立空間を備えている。タイのチェンマイ動物園は、パンダが通年マイナス6~7℃の環境で、涼みながら雪を鑑賞できるよう、広さ600平米の雪景園を建設した。また、灼熱の砂漠の国・カタールは、初めて中東に足を踏み入れるパンダのつがいを迎えるため、4944万ドルもの工費をかけ、12万平米に及ぶ世界最大かつ最高額の、恒温・通年換気のパンダ舎をつくり、さらに毎週四川省から竹80㎏を空輸するという厚遇ぶりだ。
「パンダをレンタルしたいと考える外国の動物園や政府にとって、実際にパンダを迎えるまでのプロセスは、さながらオリンピック招致のようだ」。英『フィナンシャル・タイムズ』紙はかつてそう論じた。

パンダの飼育は非常に金のかかる事業だ。それなのになぜ、各国の動物園や政府はこれほどの「金食い虫」に群がるのだろうか。

考えられる最大の要因は、パンダの集客力だ。世界にパンダ「マニア」は一体どれくらいいるのかについては、正確に統計を取るのが難しいが、「iPandaパンダチャンネル」の登録者数が1つの参考になるだろう。このチャンネルは、パンダのライブ配信とパンダに関する情報の発信がメインで、Twitterのフォロワー数が160万人、YouTubeの登録者数が129万人を数える。「歓歓」と「圓仔」がやって来てからというもの、ボーヴァル動物園の入場者数は年間60万人から200万人に急増した。「収支はなんとかプラマイゼロを保てています」とドロー園長は言う。

2015年12月14日、アメリカ・スミソニアン国立動物園「パンダ舎」の管制室

イギリスのエディンバラ動物園では、「陽光(ヤングアン)」〔サンシャイン〕と「甜甜(ティエンティエン)」〔スウィーティー〕がやって来てから、入場者数が51%増加し、経営は赤字から黒字に転換した。また東京の上野動物園は、2008年に「リンリン」〔陵陵〕が死んだ後、3年間パンダのいない時期を経験し、パンダの威力を実感した。上野観光連盟の二木忠男名誉会長は、「あの時期、アメ横商店街の売上は3割減になりました。それほど、上野の街にはパンダが不可欠の存在だったのです」と語った。

「パンダを見に来ることが毎日の生きがいさ」と語るのは、70代のジャン・ピエール・ゴベール。頭にはパンダのピンバッジがぎっしりとめてあるキャップをかぶっていて、「パンダマニア」なのは一目瞭然だ。ゴベール氏は冬の閉園期間を除き、ほぼ毎日、ベルギーのペリダイザ動物公園をパンダの観察と写真撮影のために訪れ、その成果をSNSに投稿している。パンダに会いに行きやすいよう、動物公園の近くに引っ越しもした。「動物公園は私のもう1つの家。パンダ担当の飼育員さんとも全員顔見知りだよ。毎日パンダに会えるなんて、人生最高の贈り物さ」

だが、全ての動物園が思い描いたような入場者数と売上高を得られているわけではない。「通常、動物園はパンダを飼育しているだけで赤字になります」と説明するのは、アメリカのサンディエゴ動物園のパンダ専門家で、国際自然保護連合〔IUCN〕パンダ専門家グループ主席のロアン・スウィグドだ。「パンダのレンタル料、エサ代、パンダ舎、それに日々の管理コストを合わせると、彼らのもたらす収益を超えてしまうのが一般的です」

米『ニューヨーク・タイムズ』紙が2006年に掲載した記事によると、アメリカの四大動物園のパンダ関連の累計赤字は3300万ドルに達するという。パンダをレンタルしても、最初の3年間は客足が伸びるが、それ以降は減少に転じてしまい、つがいに子どもが生まれるまで回復は望めない。オーストラリアのアデレード動物園の場合、パンダとの「蜜月」はわずか1年しかもたず、翌年から来場者数はパンダを迎える前の水準に落ち込んでしまった。コロナ禍で経営困難に陥ったフィンランドのアフタリ動物園は、今年、レンタル期限の終了を待たずに2匹のパンダを返還する予定だと伝えられている。

オックスフォード大学の研究によれば、近年締結された複数のパンダレンタル協定は、いずれも中国とレンタルした国との間で重大提携事業が締結されたタイミングと重なるという。例えば、2011年にスコットランドがパンダのつがいを借り受けたのと同時に、中国との間で、漁業、自動車関連、石油化学工業、再生可能エネルギー技術などを含む、総額26億ポンドに上る契約が交わされている。また、フランスは2012年、中国に原子力技術を譲渡することに同意後、パンダを迎えている。中国にとって、パンダという希少動物の飼育チャンスを与えることは、パンダの受け入れ国との間に長期的な信頼関係を結ぶ用意があるという意思表示である、と同研究は指摘している。

一方、ロドルフ・ドロー園長は、パンダレンタルの理由は至極単純だと語る。「パンダは2つの面で象徴的意義を有しています。友好の象徴であると同時に、地球上で絶滅の危機に瀕した希少動物の象徴でもあります」。南オーストラリア王立動物協会〔ZooSA〕の研究者ジリアン・ライアンとカーラ・リッチフィールドも、パンダを飼育することは、金銭面を上回るリターンがあると論文で述べている。例えば、海外の動物園と長期レンタル契約を結ぶことで、中国の野生および飼育下のパンダに潤沢な保護基金がもたらされ、パンダを絶滅の危機から救う一助となった。また、動物園のパンダは、子どもや大人と自然とを結びつける存在でもある。「このように、自然というのは、一種の商品であるだけでなく、私たちの生存にとって極めて重要なものなのだ」

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