私たちはなぜパンダを愛してやまないのか?(その2)

文化としてのパンダ

 パンダはずっと前から文化現象の1つになっている。パンダをモチーフにしたマスコット、アニメ、デザインや、アーティスト・趙半狄の十数年にわたるパンダ縛りのパフォーマンスアート、それにパンダの要素を取り入れた創作物、関連商品などなど。繁殖基地や動物園の「国宝」が人気を博せば、必ずこうした「パンダもの」が派生し、同様に人気を集めるのが常になっている。

 北京2022冬季オリンピックのマスコット「ビンドゥンドゥン」は最近最もヒットしたパンダキャラクターだ。パンダはすでに1990年の北京アジア競技大会および北京オリンピック2008のマスコットに採用されていたため、北京冬季オリンピックのマスコットが発表される前は、さすがに今回もパンダを「担ぎ出す」ことはしないだろうとの見方が大勢だったものの、ふたを開けてみれば、オリンピックのマスコットはまたしてもパンダだった。

ビンドゥンドゥンは間違いなくマスコットとして成功したキャラクターだった。

 オリンピックの会期中、ビンドゥンドゥンはしばしばバズり、常に検索ワードランキング上位にいた。ビンドゥンドゥンの着ぐるみは、そのまんまるな体型ゆえ、よちよち歩きしかできず、頻繁にドアに引っかかったり、転んだりして、そのたびにショート動画の再生回数が伸びていった。フィギュアスケートの最終日におこなわれたエキシビションで、ビンドゥンドゥンは世界の錚々たるフィギュアスケーターの中に混ざろうとするものの、案の定氷の上でスッテンコロリンとひっくり返ってしまい、羽生結弦をはじめとする選手たちが爆笑しながら助け起こしにいくという珍事を巻き起こした。このシーンは、北京冬季オリンピックの心温まる思い出として、人々の心に強烈な印象を残した。

 この瞬間から、ビンドゥンドゥンのぬいぐるみは、大会組織委員会の予想をはるかに上回るペースで売れ始め、用意した在庫が不足するほどの「爆売れ」を記録した。人々がようやくビンドゥンドゥンを手にしたときには、冬季オリンピック閉幕からかなりの時間が経っていた。

 広州美術学院教授で博士課程指導教官の曹雪(ツァオ・シュエ)は、ビンドゥンドゥンデザインチームの統括だ。パンダをベースにしたマスコットのデザインを手掛けるに当たって、パンダは世界中に知られていることから、国際社会にアピールする「コミュニケーションコスト」が最低限で済むとチームは考えた。だが、問題はそこからだった。パンダのデザインはすでに世界中にあふれ返っていたため、デザインの難易度は極めて高かった。

 1990年の北京アジア競技大会のときは、脚長パンダのマスコット「盼盼」が、テレビ中継とともに中国全土のお茶の間に広まった。テレビの影響力を借りて、パンダが国民的人気を得ていったのもこの頃からだ。ちなみに、パンダのマスコットで最も早く登場したのは、1985年の国際サッカー連盟(FIFA)U–16世界選手権の「華華(ホワホワ)」だ。

 以後、中国が大型のスポーツイベントを開催するたびに、パンダはマスコットに選出された。耳に赤いリボンをつけたパンダは、2000年の第6回中国全国大学生運動会のマスコットになった。頭に緑の蓮の花をつけた「晶晶(ジンジン)」は、北京オリンピック2008の5人組マスコット「福娃(フーワー)」の1人だ。赤いベストを着た「熊熊(シオンシオン)」は2021年の第14回全国運動会のマスコットに選ばれ、透明なシリコンスーツを身にまとった「ビンドゥンドゥン」は、2022年北京冬季オリンピックのマスコットに就任した。さらに、トーチを掲げた「蓉宝(ロンバオ)」が、2023年のFISU夏季ワールドユニバーシティゲーム成都大会のマスコットを務めている。スポーツの祭典の他、2018年から始まった中国国際輸入博覧会からも、「進宝(ジンバオ)」というパンダマスコットが生まれた。こうしたマスコットが世に出るたび、パンダは脚光を浴びた。世界中の注目が集まる瞬間には常に「パンダ」がそこにいて、パンダをスターダムに押し上げていった。

 曹雪はデザイン理論でビンドゥンドゥンのサクセスストーリーを説明する。それによれば、よいデザインというのは、「イメージ」と、「キャラクター性」との融合である。ビンドゥンドゥンはデザインそのものでいい「イメージ」を表現しているし、「キャラクター性」は、一般大衆とオフィシャルとのコミュニケーションの過程で形成され、その「キャラクター性」がビンドゥンドゥンに命を吹き込んだ。「デザインの母体は脚本です。ストーリーがあってこそ、キャラクターが成り立つのです。ただし、脚本は最初から完成されているとは限らず、キャラクターが普及していく過程で新たなストーリーが生まれることも当然あり得るのです」

 実は、このことはパンダのライブ配信やショート動画が人気になった背景と類似している。それは、受け手である視聴者たちが自ら「イメージ」に「キャラクター性」を添えたという点だ。パンダ同士で起こる本能むき出しの行動や、多くのさして意味のない動作が、画面の向こうの視聴者たちによって擬人化して解釈され、ストーリーの一部として、感情や意味を与えられていく。パンダの擬人化は、いまや広く受けいれられているありふれたことだ。人はパンダに感情移入することで、そのパンダを愛でる気持ちが芽生えていくのだ。

 1980~1990年代以降、パンダは大型のスポーツ大会やイベントのマスコット役を担ったことで、自然から文化の領域へとそのイメージを広げていった。2008年にはハリウッドが、パンダとカンフーという最も典型的な中国的要素を結びつける先見の明で、巨大な商業的成功を収めつつ、パンダ文化の国際化を強力に推し進めた。映画『カンフー・パンダ』シリーズは、重要性を増す中国市場に大きく寄せたことで、いまなお史上最も成功したコンテンツの1つであり続けている。

 振り返ってみれば、2008年はもはや「パンダ・イヤー」と言ってよいほど、パンダ関連のビッグイベントが続いた年だった。その年の年末には、中国全土から名前が募集されたパンダの「団団(トゥワントゥワン)」と「圓圓(ユエンユエン)」が台湾に渡り、さらなるパンダブームを巻き起こした。

遊びに夢中な北京動物園のパンダ。写真/IC

※月刊中国Newsより転載

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