東西問|朱漢民 民本思想が中国に及ぼした影響とは

執筆者 朱漢民氏 中国湖南大学傑出教授 国際儒学連合会副理事長

 中国文化が悠久の歴史をもつのは、中国文化に強い生命力を与えてきた一連の独特な思想的要素と精神的暗号を含んでいるからです。民本思想は、中国文明の核となる政治的理念であり、中国の伝統的政治思想の形成に重要な役割を果たしただけでなく、中国の伝統的政治実践に深い歴史的影響を及ぼした。中国と西洋文化の交流と融合の観点から、民本思想は中国の政治文化の近代化への転換と中国の民主主義のたゆまぬ探求に大きな影響を与えてきた。

 民本思想の起源

 民本思想の起源は、主に二つの側面がある。第一は、「六経」体系の民本思想である。『尚書・五子之歌』には「民は惟れ邦の本、本固ければ、邦寧し」とあり、中国古代の民本思想概念の端緒である。その後、周王が殷の統治者を討伐し、「民意」こそが「天命」を体現し代表するものであると強調し、殷商の天への宗教信仰を民本主義の政治概念へと転換させた。『尚書・泰誓』には、「民の欲する所は、天必ず之に従う」「天の視るは我が民の視るにより、天の聴くは我が民の聴くによる」書かれている。これは、周の王たちが国家統治における民衆の力を認識していたことを体現しており、上古の時代における統治集団は民本主義の重要性を最高レベルまでに高めたのである。

中国河南省安陽市湯陰県羑里城にある周文王の石像=中新社提供 鄭巧記者撮影

 第二は、春秋・戦国時代の儒学者たちの民本思想である。この時期、民本思想は重要な発展を遂げ、中国の伝統的民本思想の基礎が築かれた。儒学者たちは西周の王たちの民本思想を取り入れたが、同時に「天の神」への宗教的信仰を薄め、体系的な民本主義の政治教義を構築した。まず、初期の儒教では、国家権力は民衆から生まれると提起した。儒教では、君主の権力は民衆に由来することを強調している。孔子の弟子である子游が書いた『礼記・礼運』では、「故に百姓、君に則り以て自ら治め、君を養いて以て自ら安んじ、君に事えて以て自ら顕わす」と提唱している。この一節は初期の儒教の民衆観を表現しており、民衆が君主に仕え服従する目的は、民衆自身の「自治」「自安」「自顕」に基づいている。孟子は尭舜の禅譲問題を論じる際にも、君主の政治権力の源は「民衆の力」であり、民衆から得た権力を君主が勝手に他人に譲ることができないとの考えを示した。さらに孟子は、国家体制の基盤はあくまでも民衆であり、統治者は民衆の支持を得て初めて天下を制することができると指摘した。「天下を得るに道あり、其の民を得れば、斯に天下を得。其の民を得るに道有り、其の心を得れば、斯に民を得」(《孟子・離婁上》)。荀子は「天の民に生ずるは君のためにするに非ざるなり、天の君を立つるは以て民の為にするなり」(《荀子・大略》)と指摘し、君主の権力は民衆から生まれるという考えを示した。

孟子の経典を集団で朗読する子どもたち=中新社提供 武俊杰記者撮影

 儒学者たちは政治権力が民衆のためにあることを提唱し、すべての政治権力は民衆の利益と幸福を目的にしなければならないと主張した。子貢はかつて師に「如し博く民に施して、能く衆を済うもの有らば如何。仁と謂う可きか」と質問した。孔子は「何ぞ仁を事とせん必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸を病めるか」(《論語・雍也》)と答えた。つまり、民衆によい暮らしをさせることができる者は、尭や舜よりも優れた君主である。儒教では民衆によい生活をさせることは、統治者としての執政における目標であると主張している。孟子は「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す。是の故に丘民に得られて天子と為る」(《孟子・尽心下》)と、民衆を重んじることが重要な思想であると提唱した。孟子は、政治目標の重要性、政治的価値の階層的系列を民衆が第一、土地神と穀物の神(国家)が第二で、さらに君主個人がその次という明確な序列を打ち出した。

 民本思想と中国の伝統的政治

 以上述べたのは、中国の伝統的民本思想の主要な二つの起源である。これらの思想の理念は、二千年以上にわたる政治制度の進化や政治的実践の過程に大きな影響を及ぼしてきた。秦は権勢崇拝の君主政治を行い、わずか15年で国家を崩壊させた。その後現れた「漢と唐の繁栄」は、中国古代史および世界史においても、最も強い国の一つであった。漢・唐代の繁栄には多くの理由があるが、それはこの時代の統治者が民本思想を受け入れたことと密接に関係している。秦が瞬く間に滅亡したことを教訓に、漢代の統治者が民本思想を早々に受け入れた。たとえば、前漢の初頭に賈誼は、「政は聞くことなり、民は本にならざることなし」と忠告した。董仲舒は漢の武帝に「天は王のために民を生ぜず、天はや民のために王を立てる也。故に其の徳が民を慰めに足る者は天が与え、其の悪が民に災いをもたらすに足る者は天が奪う」(《春秋繁露・堯舜不擅移湯武不専殺》)と民衆を第一とすることを建議した。これらの思想は、漢の歴代皇帝の民本意識を強化し、民衆の生活を重視した経済制度や政策を打ち出し、漢が富民強国となるのに重要な役割を果たした。唐代の統治者も同様で、太宗皇帝は、「人君は国に依り、国は民に依る。民を刻して以て人君に奉ずるは、猶お肉を割きて以て腹に充すがごとし。腹飽きて身斃れ、人君冨みて国亡ぶ。人君の患いは外より来ず、常に身より出づ。それは盛世を欲すれば出費がかさむ、出費がかさめば賦役が重くなる、賦役が重くなれば民が憂い、民が憂えれば国危うくなり、国が危うくなれば人君失うなり」(《資治通鑑》第192巻)という意識を持っていた。民意を尊重することは、統治集団は民衆の利益を重視しなければならず、さもなければ民衆の支持を失うことを李世民が指摘した。このような民意を重視する思想により、唐代に進歩的な政治が行われ、忠告を受け入れ徳のある人を登用し、統治者と民衆の間に調和の取れた関係が築かれた。そして、歴史上有名な「貞観の治」となったのである。

2018年に西安市で開催された第一回華清宮唐宮ランタンフェスティバル=中新社提供 張遠記者撮影

 秦以前の民本思想は、その後二千年以上にわたって中国の政治思想の発展変化に大きな影響を及ぼした。漢・唐代の経学や宋明理学により構築された思想体系は、民本思想をその学術体系の中核的概念としていたのである。特に明代末期や清代初頭になると、民本思想の発展が秦以前の思想家の思想レベルを突破したのである。たとえば黄宗羲は、「蓋し天下の治乱たるや一姓の興亡に非ずして万人の憂楽に在るのである」(《明夷待訪録・原臣》)と強調しただけでなく、さらに「古えは天下を以て主と為し、人君を以て客と為した、人君が挙世の力を揮いつつ経営するものは偏に天下のためである」(《明夷待訪録・原君》)とも強調した。つまり民衆が主体であることは、政治体制における民衆の主体的地位を肯定していることを意味する。また、黄宗羲は政治制度における権力の制約方法を民衆本位の観点から考えており、秦以前の儒学者の民本思想を超越していたことがわかる。

 民本思想と中国政治文化の転換

 中国と西洋の文化を比較検討すると、中国伝統の民本思想と西洋の近代的民主主義思想には共通点があることがわかる。古代ギリシャに端を発した初期の民主主義思想と制度は、近代ヨーロッパや米国で徐々に成熟していった。西洋の政治家は、かつてこの民主主義思想と制度を「The government of the people,by the people,for the people(人民の、人民による、人民のための政治)」と要約し、孫文がこの一節を「民有、民治、民享」と訳すことを主張したことがあった。中国の伝統的民本思想は、国家権力は民衆に由来することを是認し、これは近代民主主義思想の「民有」(人民の・of the people)に非常に近い。一方、民本思想は民衆の幸福な生活を執政の目標にしているので、これは近代民主主義思想の「民享」(人民のため・for the people)に非常に近いと言える。中国の伝統的民本思想は、すでに近代民主主義思想と一致する2つの重要な要素を有していることがわかる。一部の人が中国の伝統的民本主義と西洋の近代的民主主義を対立させ、中国の伝統的民本思想を軽んじながら近代民主主義の価値を誇張するのは不当なことである。当然、中国の伝統的民本思想には、「民治」(人民による・by the people)という概念や制度は含まれていない。したがって、伝統的民本思想から近代民主主義への転換を真に完成させるためには、民本思想に関連する思想や制度が補充される必要があるのである。

 したがって、維新運動や辛亥革命に始まる近代中国の民主革命は、数千年続いた専制政治を打倒し、「民治」(人民による・by the people)政治を打ち立てるためであった。政治改革の志士である康有為、梁啓超、譚嗣同にしても、辛亥革命の指導者である孫文、黄興にしても、いずれも近代中国の民主化を推進すると同時に、中国の伝統的民本思想を近代中国の民主化運動の思想的資源として高く評価している。五四新文化運動以降、中国共産党が主導した民主革命は、「民治」の実現と人民共和国を樹立のための新民主主義革命であった。中国共産党は、マルクス主義の中国化を推進する過程で、中国の伝統的民本思想を思想的資源にしようと努めた。例えば、毛沢東が提唱した「人民に奉仕する」というのも、民本思想におけるすべての政治権力が人民の利益と幸福を目的にしなければならない(人民のため・for the people)という意味の表現である。

2019年10月1日に中国北京の天安門前広場で開催された中華人民共和国成立70周年の祝賀行事=中新社提供 盛佳鵬記者撮影

 現代中国の民主政治を構築しようとするとき、中国の伝統的民本思想をよりよく継承してこそ、悠久の中国文明の堅固な基盤の上に現代中国の民主政治を構築することができる。古代中国を貫く中国の伝統的民本思想は、中国の伝統的政治の下支えであり、古代政治文明の最高の具現化であると言える。そして深い影響を与え、伝統的政治の安定と社会発展に積極的な役割を果たしてきた。同時に、現代民主主義の要素も含んでおり、現代中国における民主主義思想の発展や制度構築に今後もその役割を果たすことができるだろう。(完)

 朱漢民教授略歴

朱漢民教授=本人提供

 中国湖南大学傑出教授、湖南大学学術委員会副主任、国際儒学連合会副理事長、湖南省政府歴史文化研究館館員を務めている。国家的重点学術文化プロジェクト『新編 中国通史・中国思想史』主編者、国家社会科学基金重点プロジェクト『宋学源流』主席専門家。

【編集 黄鈺涵】

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