「歴史の終わり」の終わり 中国モデルとは何か 中央党学校の蔡之兵氏に聞く
北京1月16日発中国新聞社電は、中国共産党中央党学校(国家行政学院)経済学教育研究部の蔡之兵副教授の「『歴史の終わり』の終わり 中国モデルとは何か」と題する次のような論文を配信した。
1989年夏、米国の学者フランシス・フクヤマ氏が「歴史の終わり」と題する論文を発表し、人類の歴史の進歩とイデオロギー間の闘争が終わりに向かおうとしており、西側の自由民主制度が人類にとって政府の最終的な形式になると公言し、その後ベルリンの壁崩壊やソ連解体といった事件によって多くの人がこうした論断を正論であると信奉した。しかし、その後の中国の数十年におよぶ輝かしい発展の成果は「歴史の終わり」という論断をはっきりと終わらせたとともに、100年間なかった変局を背景として、あらためて全世界に中国と西側の発展モデルに関する比較研究ブームを巻き起こしている。
◇発展モデルに高低と優劣はない
必ず一貫して冷静に意識するべきなのは、中西の発展モデルの比較にせよ、あるいはその他のいかなる国家間の発展モデルの比較にせよ、その目的は異なる発展モデルの間の長所をとり短所を補うことを実現することにあり、異なる国家発展モデルに対し高低や優劣をつけるためではないということだ。直観的なロジックから見れば、どの国の発展モデルもそれぞれの国の地理・歴史・気候・環境などの属性から生まれたものである。これは現実に存在する国家発展モデルはどのようなものであってもそれが存在するだけの理由があるということを意味している。そのため、この世界にはただ一つの「最も優れた国家発展モデル」があるという謬論はなんとしても打破しなければならないし、それ以上にあるモデルに依拠して軽々しく他の国家発展モデルをあれこれ論ってはならない。
実際のところ、どのようなタイプの発展モデルであっても自身の問題を抱えており、合理的な発展モデルであれば発展のプロセスの中でこれらの難題を解決し、国家の長期的安寧、人民の幸福と健康、民族の自立自彊という最終的な目標を実現できる。一方、不合理な発展モデルはこれらの難題を解決することができないため、徐々に衰退し、さらには消え去っていく。そのため、ある国家の発展モデルを評価するには、必ずその発展モデルがその国の発展プロセスにおけるさまざまな問題を絶えず解決できるのかどうかという視点に立脚しなければならない。
◇中西の発展モデルの本質は何か
表面的に見ると、中西の発展モデルの比較とは、中国の特色ある社会主義市場経済制度と資本主義市場経済制度の違いに要約できる。
西洋経済学の基礎を築いた人物の一人であるアダム・スミスは「国富論」の中で、資本主義市場経済制度の輪郭を「政府と市場がそれぞれの役割を分担する二元構造のイメージ」として描き出した。しかし一見境界がはっきりと分かれたこうした二元構造は一種の虚像に過ぎず、こうした二元構造の背後にある絶対的支配者、すなわち資本は市場という広大な経済学の概念の中に完全に隠されていた。言い換えれば、資本主義市場経済制度は一見政府と市場の二元構造のように見えるが、実際には資本が絶対的に主導する一元構造であり、政府と市場とを問わず、どちらも資本の絶対的支配を受けているのだ。
資本の利潤追求という天性は、資本が市場の規模を絶えず創造し拡大することを決定づけている。これは市場に関してはもとより言うまでもないことだが、相対的に隠れているのは資本が絶え間ない利潤規模拡大の目標を実現するために、政府の意思決定にも深く参入し、深く影響を与え、ひいては直接的にこれを支配しているということだ。これは西側の政党がさまざまな資本集団の利潤を代表することしかできず、金権政治現象の出現をもたらす根本的な原因にもなっている。
そのため、資本主義市場経済制度は実際のところは資本が利潤最大化の原則に基づいて構築した制度であり、資本はその中で絶対的な統治権を有している。一方、マルクスの「資本論」、あるいはピケティの「21世紀の資本」では、資本要素の利潤追求性と資本要素の無制約性により、資本主義市場経済制度においては生産・分配・交換・消費などのすべての段階で解決できない内生的難題が出現する可能性があることを明らかにしている。例えば、生産手段の社会化の程度が高まるとともに生産財の個人占有度が高まる矛盾、消費の成長と供給の成長のアンバランスの矛盾、労働要素と資本要素の所得格差の絶え間ない拡大の矛盾などだ。そのため、資本は資本主義市場経済制度下ではあらゆることを統治し、ひいてはそれを改造することができるが、こうした制度そのものに埋め込まれた先天的矛盾により、資本は最終的にすべてを破壊することになる。
さらに分析を進めよう。資本主義市場経済制度が続いているのは、第一に、資本主義先進国が過去数百年の発展の蓄積によって形成された産業技術の先発優位性をたのみに、グローバル産業分業体系の中でその他の後発国の余剰価値を継続的にかすめ取っているからだ。第二に、これらの国の内部のさまざまな資本集団の間でも一定の相互けん制が形成される。しかし、これらの資本は経済的利潤を獲得するという目標が高度に統一されているため、長期的に見るとこれらの資本がより多くの経済的利潤を獲得できなくなった場合や非経済分野でなんらかの打撃が突如出現した場合、資本間のけん制作用は顕著に弱まり、それが国家の安定と安全保障の発展に影響を与えることが決定づけられている。前者は一部の西側の先進国の周期的な経済危機ならびに2007年の米国のサブプライムローン危機勃発後に西側先進国内部で国家債務と信用危機、社会集団の分断、政党の悪性の競争などのさまざまな混乱が大規模に発生したことに表れており、後者は少なくない先進国の新型コロナへの対応の非効率性と無力さに表れている。
これに比べ、中国の特色ある社会主義市場経済制度も「政府と市場の二分構造」を有しているが、中国共産党が存在することにより、資本要素は資本主義市場経済制度下における市場と政府に対する影響力を持っておらず、それ以上に政府を支配・改造する能力を持っていない。これは中国共産党が一貫して人民の立場と人民の利益という単一の指向性を堅持しているからである。
またまさしくこうした特質により、中国共産党は政府と市場をリード・制約するとともに、より正しく、より有效な役割を果たすことができるのである。これは政府と市場という2大主体が中国共産党の指導下では実際のところ「二者合一」であることを意味している。
政府としての役割を発揮する面では、中国の特色ある社会主義市場経済制度の導きの下、政府はより低コスト・高效率により大規模な市場をつくることができる。例えば、中国は1980年代に最初の高速道路を建設してから、わずか30年余りの間に米国が80年余りかけて建設した高速道路よりも長い距離の高速道路網を築き、中国の地域経済の高度の接続と一体化発展を大きく促進した。これだけでなく、その他の鉄道、空港、国家送配電網、光ファイバーネットワーク、5G〈第5世代通信規格〉基地局の建設などにおいても、中国政府は巨大な「プラットフォーム」づくりの役割を発揮し、企業の高速成長のための堅実な基礎を築き、経済の飛躍と急速な追走を有効に促進した。
市場が正しい役割を発揮するようリードする面では、中国共産党の指導により、政府は資本の無秩序な拡大と悪意ある独占などの行為を主体的に抑制し、コレラの行為にもたらされた市場経済の盲目性、タイムラグ性、さらには自発性によって引き起こされる一連の経済危機勃発の可能性を除去することができるだけでなく、例えば、数年前にインターネットファイナンスの過度の拡大を抑制し、最近では少数のインターネットトップ企業による「二者択一」の悪意ある競争行為や国家の情報データセキュリティーに危害をもたらす行為を有效に監督管理するとともに、資本の生産要素としてのポジティブな役割を発揮させ、そのネガティブな役割を抑制すべきであることを明確に提起している。これと同時に、党の自己監督によって政府が「人民の立場」と「人民の利益至上」の原則に基づいて運営されるよう制約し、それによって資本の政府に対する侵食に有効に対処し、政府が資本のしもべとなることを回避している。
さらに重要なのは、中国共産党の絶対的な核心としての地位と人民の利益が直接的に関連しているため、中国の民衆の党と政府に対する信頼度が他国とは比べ物にならないことだ。これにより、中国の発展モデルは経済発展において巨大な優位性を有するだけでなく、非経済分野における打撃への対応においてもしばしば際立ったパフォーマンスを示している。例えばこのたびの新型コロナへの対応における中国の優れたパフォーマンスは人民の生命の安全を保障するという点における中国の発展モデルの巨大な優位性を疑問の余地なく証明している。
◇中西の発展モデル、それぞれの進化のカギ
文明と国家間の開放と相互参照こそ文明と国家の繁栄と隆盛の前提であることはすでに歴史的に証明されている。近代において独走状態となった西洋文明は東洋文明の滋養や後押しと切り離せない関係にあり、また中国の発展モデルがここ数十年声高らかに勇ましく前進しているのも西洋の発展モデルの有益な経験を十分に吸収・導入したことと密接に関係している。
カギとなるのはやはり、中国が一貫して冷静さを保ち、自身の発展モデルの不足を意識することができるかどうかである。いかにして党の理論を刷新して現実の問題の変化に一貫して追いついていくか、いかにしてより多くのリーダーシップのある産業と技術を生み出すか、いかにして政府の市場に対する過度の影響を回避するか、いかにして政府の運営コストを引き下げるかなどの難題において、中国共産党は内部の改革の全面的深化と政党の自己革命によってこれを解決することを強調するとともに、対外開放の基本的国策を堅持しており、引き続き全世界の国と共に発展の道筋を模索し、ウィンウィンの発展の目標を実現しようとしている。
これに比べ、一部の西側先進国は正常な国家競争を恐れ、かたくなに「隣国を自国の洪水のはけ口にする」ような発展戦略を選択し、自身の問題の内的原因を顧みず、その咎を外部の要素に帰すことに固執し、内部の長期的な矛盾を解決する勇気と知恵を失い、シーソーゲーム式の茶番劇に陥っている。(中国通信=東京)