神の領域に踏み込んだ賀建奎(その2)
貧しい家庭からの逆襲
報道によると、賀建奎は湖南省最大の国家級貧困県である婁底市新化県の出身。両親は農業を営んでおり、幼少期は家が貧しかった。中学校を卒業すると、高校は1898年創立の、新化県で一番レベルの高い新化一中に進んだ。今日、生物分野で話題を独占している賀建奎だが、大学時代は中国科学技術大学で近代物理学を専攻していた。2006年に同大を卒業するが、「年齢とともに将来の方向性や稼いで食べていくということについて考えざるを得なかった。そんなとき、ふと物理学の黄金時代は過ぎ去り、これからは生物学が大きな可能性を秘めていることに気づいた」という。2010年、賀建奎は米ライス大学で生物物理学の博士号を取得。その後2年にわたり米スタンフォード大学にポスドクとして在籍していた間、DNA分析用マイクロ流体チップの開発者であるスティーブン・クエーク教授に師事し、DNAシーケンサー研究、CRISPRを用いたゲノム編集、バイオインフォマティクスなどの分野で研究成果を挙げた。
このときの経験が、賀建奎に研究者に対する新たな認識を植えつけた。賀建奎は2016年の『深圳商報』のインタビューで、「スタンフォードで人生観が180度変わった」と語っている。それまで彼は、学者たるもの清貧を貫かねば学術的成果を挙げることはできないと考えていた。だが、スタンフォード大学での指導教官スティーブン・クエーク教授は、「全米アカデミーズ」の会員である一方、企業十数社のトップも務めていた。いつもジーンズに身を包み、自転車で移動しているこの教授が、実は上場企業3社の支配権を持つ億万長者だったと知り、賀建奎は衝撃を受けた。2012年、賀建奎は帰国し、深圳にある「中国高等教育の実験校」南方科技大学に就職する。国際社会と同様の研究成果序列や教員評価システムを採用している南方科技大学で、賀建奎は肩書きとしては准教授であったものの、すでに終身雇用が約束されていた。
企業や経営者の信用調査ができるアプリ「天眼査」のデータによると、賀建奎は現在7社に資本参加しており、6社の法人代表を務め、4社で経営陣に名を連ねている。このうち、深圳市南科生命科技有限公司の株主には、大株主の賀建奎(持株比率45・5%)の他、深圳市ハイテク産業パークサービスセンター(持株比率30%)と深圳市南科大経営管理有限公司(持株比率24・5%)の名が並ぶが、後者は南方科技大学の100%出資企業である。
賀建奎が大学教員でありながらビジネスに全力投球できるのは、ひとえに南方科技大学の制度のおかげだ。設立間もない若い大学である南方科技大学は、開校当初はカリフォルニア工科大学、現在は「シリコンバレーの頭脳」スタンフォード大学をベンチマークとしている。南方科技大学は研究と産業及び実業の連携を重視している。この目標を実現するため、大学側は管理体制を刷新し、開かれた起業奨励策を採っており、教授が週に1日、学外で研究成果の実用化に従事すること、また、教職員が職務発明の成果や技術対価で企業に資本参加し、実用化に伴う収益の70%を得ることが認められている。
賀建奎は以前の取材時、大学側の支援で2年間の無給休暇を取得したと語っていた。これは、給与を支給されないかわりに、授業をおこなわず、学内外の各種会議にも出席しないが、研究室は維持し、学生も募集してよいという制度だ。賀建奎は現在も南方科技大学でポスドク4名の指導に当たりつつビジネスを展開しており、研究に割く時間は30%ほどになっている。
実際、南方科技大学の起業奨励の雰囲気のなか、賀建奎のように会社を設立している教員は少なくない。2018年半ばの時点で、南方科技大学はハイテク関連の企業25社を設立しており、教員との共同起業を通じて、8億元近い科学技術成果を実用化している。賀建奎の研究室のHP上には、ゲノム編集プロジェクトに関する同意書2通が掲載されている。その内容から2通とも、議論渦巻く「世界初のHIV耐性を持つデザイナーベビー」関連のものだと分かる。同意書の冒頭には、プロジェクトの資金は南方科技大学の提供とある。だが、大学側は11月26日夕方に声明を発表し、賀建奎は大学及び所属する生物学部に報告をおこなっておらず、大学も生物学部もこのプロジェクトとは無関係であると主張した。また、直ちに同分野の権威による独立委員会を設置し、詳細な調査をおこなったのち、その結果を公表するとも述べた。
実は、南方科技大学は深圳市の全面的支援により、1人あたりの科研費が大学の中で全国トップとなっている。同大のある教授は、「資金が潤沢なため、大体の人は外部の基金やプロジェクトに応募しなくても研究ができる」と教えてくれた。また、学術研究における教員の自主権もかなり認められている。
資金調達の道
資金調達に関しても、賀建奎は南方科技大学の支援を得ていた。彼は以前、正威集団が大学に寄付した200万元を研究に利用したと話していた。正威集団で医療事業への投資を担当している責任者は林志通(リン・ジートン)という人物だ。深圳正威(集団)有限公司は2011年9月2日に設立された。法定代表者は王文銀。事業内容は、金属及び非金属の新素材技術の開発と販売、並びにその他の国内取引だ。正威集団傘下の正威健康産業投資有限公司は、林志通が株式の10%を、正威集団が90%を所有している。
また、今回のデザイナーベビー実験で賀建奎に協力したとされている深圳和美婦児科医院は、関連企業である貴陽和美婦産科医院有限公司が92%を、残りの8%は個人が所有しているが、その個人というのがまさに正威の株主の1人、林志通だ。2018年11月26日、AP通信は賀建奎への独占インタビューを配信し、世界初のデザイナーベビーが誕生したことを伝えた。その中で、和美医院の管理者である林志通は、「我々としては倫理道徳に則ったやり方であると考えている」と述べている。個人メディアの「叩叩財訊(コウコウツァイシュン)」は、林と賀の関係は非常に親密で、かたや凄腕医療投資家、かたや成果の商業化に貪欲な研究者、2人は相互補完的コンビだったと分析している。
林志通に電話をしてみたところ、いまは話せない、明日(11月28日)賀建奎の報告が終わるまで待ってほしいという返事が返ってきた。2018年11月27日、第2回ヒトゲノム編集に関する国際会議が香港で開催された。近年、急速な発展を見せているヒトゲノム編集の科学的・技術的応用、倫理及び管理といった問題を話し合うため、世界各地から総勢500名のヒトゲノム編集の権威やステークホルダーが出席した。
「世界初のデザイナーベビーの生みの父」
前日に中国で受精卵にゲノム編集を施された双子が誕生したとの情報を知らされた組織委員会は、中国でこの双子を出生に至らせた臨床試験が関連基準を満たしていたかどうかについては、検討を要するとの声明を発表した。声明は、全米科学・工学・医学アカデミー(NASEM)が2017年に発表した報告の内容を引用し、「このような研究は、慎重な態度を保つと同時に、広く社会に意見や提案を求め、なおかつ関連部門が有効な管理監督手段(研究の基準や体系など)を制定した上で進めなければ、真に有意義で科学的なものとはならない」と強調した。
瀚海基因のある技術責任者は、「瀚海基因はこの研究に関与していない。研究開発責任者の私が保証するが、人材も資源もまったくこの研究に投じていない」と話す。この責任者は、経営者である賀建奎が新生児のゲノム編集をおこなっていたことを、11月26日にニュースを見て初めて知ったという。会社では事の経緯を把握するため、責任者数名が徹夜で報道記事を読み漁り、世論の焦点が事件そのものから、瀚海基因を含む賀建奎が設立した企業数社に移ってきていることに気づいた。
実は、資金調達において、賀建奎はこれまで順風満帆というわけではなかった。2014年のはじめ、第3世代DNAシーケンサーの開発資金として、深圳市海外ハイレベル人材イノベーション起業特別資金「孔雀団体」の資金援助5000万元を獲得するため、アメリカの専門家も含めたチームを結成した。しかし、結果は落選。このとき賀建奎は、中国科学技術大学時代の同級生2人と既に瀚海基因を設立しており、後には引けない状態だった。そのとき手を差し伸べてくれたのが、退職して深圳に移住していた年上の友人、元河南省焦作市副市長の謝世安で、彼がエンジェル投資家として100万元を提供してくれたおかげで、DNAシーケンサーの開発はようやく始動にこぎつけることができたのだった。その後、2016年にようやく「孔雀団体」の4000万元を獲得し、さらに2018年4月には、シリーズAとして2億1800万元の資金調達を完了した。
取材をした際、賀建奎は感慨深げにこう語った。当初、アメリカの専門家は、数百万元で第3世代DNAシーケンサーが作れると言っていた。だが、最初のプロトタイプを作ってみて、ここから試行錯誤を重ねてベータ版、製品版と作っていくためには、少なくとも5年の歳月と5億元の資金、そして200人から300人の従業員がいなければ実現できないと悟った。
賀建奎はかつて、やや自慢げにこう語っていたことがある。中国科学技術大学時代の同級生のうち、30人あまりがアメリカに残っていたが、彼が帰国を決めたとき、全員が反対した。だがいま、うまくいっているのは自分1人だ。「彼らはアメリカでただ雇われて働いているだけだ」。アメリカの起業天国スタンフォードから「中国のスタンフォード」南方科技大学に戻るという選択は正しかった、と賀建奎は感じていた。
そしていま。この80年代生まれのチャレンジャーに、「世界初のデザイナーベビーの生みの父」という肩書きが加わった。今後彼を待ち受けているのは、世界中のメディアからの注目に加え、人々の尽きることのない疑問の声、業界からの厳しい非難、それから各部門からの調査と責任追及であることは間違いないだろう。