新疆で出現した最古の『中国』という二文字はどのような文化的アイデンティティーを内包しているのか

 1995年、新疆ウイグル自治区ホータン地区ニヤ県のニヤ遺跡から漢代〈紀元前206年~紀元後220年〉の錦織りの護臂〈肘当て〉が出土した。これは表面に「五星出東方利中国」という8文字の篆書体の漢字が織り込まれており、これまでに新疆で出土したものとしては最古の「中国」という文字である。「五星出東方利中国」が織り込まれた漢代の錦織りの護臂(別名「五星錦」)は国の第一級の文化財であり、20世紀中国考古学における最も偉大な発見の一つと称され、現在は新疆博物館に収蔵され、同館の「最も優れた宝物」の一つとなっている。

 この錦織りはいつ、何のためにつくられたのか。「五星出東方利中国」とはどういう意味なのか。どのような文化的アイデンティティーを内包しているのか。近日、「五星錦」の考古学発掘調査に直接参加した新疆文博院党組メンバー兼副院長で新疆博物館館長の于志勇氏がこれについて中国新聞社のコーナー「東西問」のインタビューに答えた。

 以下はインタビューの要旨である。

 中新社記者:新疆で見つかった最古の「中国」という二文字はどこから来たものか。またどのようにして発見されたのか。

 于志勇:1995年10月、新疆ウイグル自治区ホータン地区ニヤ県に位置するニヤ遺跡の考古学調査で重大な発見があった。中日ニヤ遺跡学術考察隊は同遺跡にある重要墓地の考古学発掘調査を行っている最中に、「五星出東方利中国」と織り込まれた漢代の錦織りの護臂を発見した。これはこれまでに新疆地区で見つかったものとしては最古の「中国」という二文字であり、今から2000年余り前の漢代につくられたものだった。

 ニヤ遺跡はシルクロード南道の交通の要衝に位置しており、古代において東西の文化が交流・融合する場所だった。「五星錦」は二人の合葬墓から見つかったもので、その他の副葬品の弓矢、箙、短剣の鞘などと一緒に置かれていた。当時、現場の作業員は墓内の男性埋葬者の右側にある織物の中から砂の中でひときわ目を引く色鮮やかな錦織りがあるのを見つけた。そっと開いてみると、錦織りはゆっくりと青、白、赤、黄、緑の色鮮やかな花の文様を見せるだけでなく、織り込まれた漢字の「国」、「東方」、「五星」などの文字が徐々に現れてきた。最終的に現れた完全な文章は「五星出東方利中国」で、その場にいた全員を大いに驚かせた。

 中新社記者:「五星錦」とはどのような文化財なのか。なぜ20世紀中国考古学における最も偉大な発見の一つと称されているのか。

 于志勇:「五星錦」は丸角の長方形で、長さ18・5センチ、幅12・5センチ、生地が錦織りで、白い絹糸で縁取りをし、二つの長辺の上にはそれぞれ長さ約21センチ・幅1・5センチの白い絹帯が織り込まれ(そのうち3本は残欠)、篆書体で「五星出東方利中国」という8文字の漢字が織り込まれていた。

 繊維考古学の専門家の分析と鑑定により、「五星錦」は5組の横糸と1組の縦糸で織られた五重平織り錦であることが分かった。横糸の密度は1センチ当たり220本、縦糸の密度は1センチ当たり48本だった。五重平織りは漢の時代の錦織物としては比較的複雑なものであるとともに、きわめて貴重なものでもある。文様の題材は鳳凰、鸞〈伝説上の鳥〉、麒麟、白虎などの瑞獣と祥雲瑞草といった一風変わったもので、さらに幸運を祈願する「五星出東方利中国」という文字がその中に巧みに配置されている。

 「五星錦」は凝ったつくりになっており、精巧な技術が使われ、色彩が華やかで、比類がないほど精致であり、漢代の錦織り技術を代表する傑作である。こうした様式と題材を持つ錦織りは出土文化財の中ではきわめてまれに見るもので、貴重な芸術品である。なおかつ含蓄の奥が深く、豊かな内容を持っており、国の第一級の文化財であり、中国の第一陣の海外展示禁止文化財64点の一つであり、新疆博物館の「最も優れた宝物」でもあり、20世紀中国考古学における最も偉大な発見の一つと称されている。

 中新社記者:錦織りに織り込まれた「五星出東方利中国」とはどういう意味か。どのような中華文化を内包しているのか。なぜこの漢代の錦織りが西域地区の中華文化のアイデンティティーを反映しているのか。

 于志勇:考証により、「五星出東方利中国」は中国古代の占星術の用語であることが分かった。五星とは水・火・木・金・土の五大惑星を指し、「東方」とは中国古代占星術においては天空における特定の位置を指している。「中国」とは、秦以前の時代〈紀元前221年以前〉においては周の天子が住む洛邑地域を指す言葉であり、秦漢時代においては中央政府の郡県統轄管理地域のことだった。古代天文学の用語としては地理的、政治的な概念で、天下が統一され、多民族統一国家が形成され、発展するのに伴い、徐々に儒家文化を核心とする文化的、政治的概念になっていった。

 「五星出東方」とは五つの惑星が同時に東方の天空に出現することを意味しており、これを「五星連珠」または「五星聚会」現象という。「五星出東方利中国」とは、五星が東方の空に出現する天体現象が中国に利するという意味である。

 「五星錦」は天文学、史実、古代人の陰陽五行観念などを巧妙に融合するとともに、中原から遠く離れたニヤ遺跡から出現している。これは国家による西域の統治と運営、西域の開発と建設の歴史を裏付けており、漢王朝による西域開拓後のシルクロードの経済的、文化的繁栄の歴史的コンテクストを深く示しており、当時の西域の中原文化に対するアイデンティティーとあこがれを示しており、中原文化の影響力を実証しており、一面では各民族が2000年前から深く交流、融合していたことを示しており、また中華文明の豊かな内容と特別な魅力を生き生きと示している。

 中新社記者:歴史上、漢代の中央政権はいかにして西域に対する効果的な管轄とガバナンスを実現したのか。漢代の「五星出東方利中国」の錦織りはなぜ現在の新疆ホータン地区ニヤ県で出現したのか。その背後にはどのような民族の融合と文化の交流があるのか。

 于志勇:漢代の中央政権は統一後の西域を管理するため、烏壘城(現在の新疆ブグル県)に西域都護府を設置し、正式に西域に官職を設置し、軍を駐屯させ、政令を施行し、国家主権を行使し始めた。

 「五星錦」が出土したニヤ遺跡は前漢期に精絶国があった場所で、精絶国は漢代の西域三十六国の一つで、西域都護府によって統轄されていた。史料に基づき、「五星錦」は西域都護府が設置された神爵2年〈紀元前60年〉に精絶国に下賜されたもので、西域都護府の設置を裏付けるものであると推測する歴史学者もいる。

 張騫によって西域への道が開拓された後、漢代の中央政権と西域諸国は「馳命走驛、不絶于時月、商胡販客、日款于塞下」〈駅伝制が昼夜を問わず稼働し、商人や西域の人々が辺境の砦の近くで歓待を受ける〉という状態になり、「シルクロード」の輝かしい歴史が始まった。これは中華文明の西伝を促し、漢代の中央政権と西域各国の経済、文化交流がより直接的になった。一方で、西域文化も徐々に中原に伝わった。漢王朝が西域を統一した後、各民族は交流と融合が進み、共同で広大な辺境の土地を開拓し、悠久の中国の歴史を築き、絢爛たる中華文化を記し、偉大な民族精神を育てた。

 中新社記者:「五星出東方利中国」という言葉には2000年前の人々のどのような願いが込められているのか。こんにちにおいてこれをどう見るか。

 于志勇:「五星出東方利中国」とは吉祥と瑞祥を祈願する言葉であり、良好な期待と願いを示している。「五星錦」と一緒に「討南羌」という文字が織り込まれた錦織りの残片も出土している。比較対照により、これは「五星錦」と同じ生地から裁断された一部であることがわかった。

 具体的な史実に対する研究と図案のつづり合わせに対する分析により、これらの文章は「五星出東方利中国討南羌……」〈五星が東方に出現したことは中国が南羌を討伐するのに有利である〉というひとつながりのものである可能性があることが分かった。この錦織りの文章は間違いなく漢王朝による「羌」〈中国西北辺境の山岳地帯に散在するチベット系遊牧民〉の討伐という政治的・軍事的大事業の無事を祈願するものである。

 歴史研究が絶えず深まるのに伴い、「五星錦」が持つ歴史と文化に対する認識と理解もさらに深まり、全面的になっている。例えば「五星錦」を題材とする舞踊劇「五星出東方」は、西域のオアシスとシルクロード古道の歴史の一幕を芸術的に表現し、中華文化の歴史の長さと奥の深さ、広さを示し、各民族人民が「ザクロのタネのように一つにまとまり」、中華民族共同体を構成しているというテーマを説明している。舞踊劇は公演開始から1年余りが経ち、全国各地の30余りの会場で上演され、熱心な反響があり、2022年9月に第17回中国文化芸術政府賞文華大賞を獲得した。(完)

同博物館館長インタビュー

 (中国通信=東京)ウルムチ11日発中国新聞社電は、「新疆で出現した最古の『中国』という二文字はどのような文化的アイデンティティーを内包しているのか 新疆文博院党グループメンバー兼副院長、新疆博物館の于志勇館長インタビュー」と題する次のような記事を配信した。

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