「農業文化遺産」にとって大切なのは何か―中国人専門家がブドウや茶を例に解説 

 国連食糧農業機関(FAS)は「世界重要農業文化遺産システム」の選定作業を行っている。登録のために必要な条件とは何なのだろうか。中国中央にあって政策提言などを行う全国政治協商会議の委員(議員)であり同会議の農業農村委員会の委員でもある閻慶文氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社に対してブドウや茶を例に、「世界重要農業文化遺産」について説明する文章を寄稿した。以下は閻委員の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

 ■中国で栽培されているブドウは「土着ブドウ」の子孫ではない

 FASは2022年になり、「世界重要農業文化遺産システム」として、中国では内モンゴル自治区のアルホルチン草原の「遊牧システム」、福建省安渓県の「古代の茶(鉄観音茶)の生産」、河北省渉県の「乾地石棚システム」を追加した。中国人は改めて「世界の重要農業文化遺産」への関心を高めた。

 ある場所が世界的に重要な農業文化遺産に登録されているということは、その場所が「原産地」であることが条件なのだろうか。そうではない。

 ブドウを考えてみよう。果物として生産量でも栽培面積でも世界で上位の作物だ。ブドウの原産地は北米や欧州中南部、アジア北部だ。世界のブドウは全て、これらの土地に生えていたブドウから派生した。そして大陸分離や氷河の影響で離れた地域間での遺伝子の交換がなくなったことで、各地のブドウが異なる特徴を示すようになった。ブドウは現在、ユーラシア種群、アメリカ種群、東アジア種群に大きく分類されている。

 中国では、今とは異なる名称だが、紀元前11世紀から同7世紀の詩を集めた「詩経」の作品にブドウが登場する。野生のブドウ、つまり山ブドウで、北は陝西省から南は雲南省までの広い範囲に分布していた。人々は酒づくりに用いた。滋養強壮の薬にもした。

 しかし、今の中国人が日常的に利用しているブドウは、「詩経」に登場したブドウの子孫ではない。中国で栽培されているブドウは、漢の武帝(在位:紀元前141年-同87年)の時代に張騫が西域から持ち帰った品種に由来する。

 ■外来種の栽培で「世界重要農業文化遺産システム」に登録された事例

 考古学の研究成果によると、世界で最初にブドウが栽培された地域は、カスピ海と黒海の間とその南岸地域だった。約7000年前には南コーカサス、中アジア、シリア、エジプト、イラクなどでもブドウの栽培が始まった。古代エジプトの壁画には、ブドウ採集やワイン醸造の様子が描かれている。

 張騫が西域に赴いたのは紀元前139年で、ブドウ、ゴマ、クルミ、ニンニク、アルファルファなど食用にも薬にもなる植物を中国に多く持ち帰った。

 「葡萄」という漢字は何を意味するのか。16世紀に編纂された「本草綱目」という書物がある。現代風に言えば薬草百科事典で、同類の書物の中では分量が最も多く内容も最も充実している。「本草綱目」は、皆で集まるという意味の「酺」という文字が「葡」に転じ、「泥酔」を表す「醄」という文字が「萄」に転じたと説明している。

 「ブドウ」という音は現在のキルギスタンやウズベキスタンで使われていた「ブドウ」を意味する「budaw」に由来したとされているが、重要なのは「本草綱目」が、ブドウは昔から「酒」に関係していたとの認識を示していることだ。

 ブドウは食べれば栄養が豊富であり、ワインにすれば長期保存ができて、飲む人の心をリフレッシュしてくれる。だから中国でもブドウの栽培や醸造の技術が広まった。

 2000年以上を経て、中国ではブドウの「現地化改良」が完成されたと言える。主要な産地は新疆、河北、陝西、山東、雲南、河南などだが、河北省・宣化のブドウ栽培は特別だ。宣化は歴史上、漢民族と北方少数民族が共に暮らす場所であり、中国中央部と辺境地域の交易の場所でもあった。多くの民族の文化が溶け合い輝かしい文化が創造された土地でもある。ブドウ文化もその一つだ。

 毎年旧暦8月15日の中秋節の前後になれば、宣化の街ではブドウの香りが漂う。透き通ったブドウの房が連なっている様子は、各地から訪れる観光客を魅了する。宣化市の伝統的ブドウ園は2013年、国連食糧農業機関によって世界重要農業文化遺産システムとして登録された。現在も世界で唯一の都市部にある世界の重要農業文化遺産だ。外来品種のブドウの栽培や関連する文化が定着して、世界的に見ても重要な「農業文化遺産」であると国際機関であるFASに認定されたわけだ。

 ■中国から日本や韓国に伝わった茶も「世界重要農業文化遺産」として登録

 中国の、もう一つの世界重要農業文化遺産についても語ろう。14年に登録された福建省福州市の「ジャスミンと茶文化システム」だ。ジャスミンは前漢時代(紀元前202年-紀元8年)にインドから伝わった。福州は中国国内における重要な産地になった。緑茶は東晋時代(317-420年)に福州の重要な作物になった。面白いことに、福州の人が両者を結び付けてジャスミン茶を考案したのは北宋(960-1127年)になってからだった。

 茶文化は間違いなく、中国の農耕文化と食文化の中国外への伝播の典型例だ。早くも隋代(589-618年)や唐代(618-907年)には、朝鮮や日本から来た多くの僧侶が、茶の栽培方法と飲茶の習慣を自国に伝えた。茶に関連しては、中国から伝わった先の日本の静岡の「伝統的な茶草場農法」が13年に、韓国の花開面の「伝統的な河東茶栽培システム」が17年に世界重要農業文化遺産システムに登録された。

 世界各地では、さまざまな作物についてのさまざまな農法が工夫されてきた。そして農業や農作物に関連して、いろいろな文化が発展してきた。ここまで紹介した例により、FASが特定作物の原産地であることを「農業遺産」としての評価に関係させていないことは一目瞭然だろう。

 長い歴史の中で、農耕文化の交流は中国と外国の文化交流の重要な一部分だった。シルクロード、すなわち「絹の道」だけではなく、「茶の道」「稲と米の道」「ブドウの道」など、さまざまな道が存在した。農業文明は常に交流し、互いに参考にし合ってきた。

 シルクロードを「ブドウ」に例えた人がいる。さまざまな支線を伴ってユーラシア大陸の各地を結ぶ道をブドウの木の枝に、沿線の街や村落をたわわに実ったブドウの房に見立てた。人類は農業文化の多彩な交流を通じて、世界各地に人々が集まって暮らす場所としての「ブドウの房」を無数に出現させてきた。

 (構成 / 如月隼人)

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