Tagged: 写真

0

中日平和友好条約締結45周年記念 中国航空写真展+パンダ絵画展示会@大阪多元文化センター 開幕式のご案内

本年は日中平和友好条約締結45周年という節目の年であり、日中両国の文化交流を促進するために、中華人民共和国駐大阪総領事館、星球研究所が共同主催、株式会社アジア太平洋観光社が協力団体として「中日平和友好条約締結45周年記念中国航空写真展+パンダ絵画展示会@大阪多元文化センター」を11月20日(月)から12月15日(金)まで開催する運びとなりました。ドローンを活用し、中国国内にある多数の自然資源や中国の経済発展を反映する貴重な作品を展示します。中国の魅力や悠久の歴史を、写真展という形からより多くの日本の友人に向けて発信することができればと考えています。
また11月20日(月)には開幕式を開催する予定です。
ご多忙中大変恐縮ですが、何卒ご出席賜りますようお願い申し上げます。
・開催日時:2023年11月20日(月)10:00-11:10
・場  所:大阪多元文化センター(〒556-0017 大阪府大阪市浪速区湊町1-4−1 OCATビル 3階 )

世界第二の経済大国・中国の劇的な変化を記録した「写真で比べる中国大都市の近現代」シリーズ 0

世界第二の経済大国・中国の劇的な変化を記録した「写真で比べる中国大都市の近現代」シリーズが遂に完結。

株式会社創元社(所在地:大阪府大阪市、代表取締役社長:矢部敬一)は、『香港今昔』を2023年2月22日(水)に発売いたしました。「写真で比べる中国大都市の近現代シリーズ」は『香港今昔』の刊行をもって完結となります。  本シリーズは、2016年から2017年にイギリスで出版された、「Then and Now」シリーズ中国編の日本語版。 都市景観を写した主に20世紀前半の古写真と、同じ場所で撮り下ろしたごく最近の写真を比較することで、世界第二の経済大国・中国の劇的な変化を記録した、見て読んで楽しめる、史料としても貴重な大判写真図説シリーズです。  『上海今昔』 東洋のパリとうたわれた英米仏租界の昔と今  1978年より鄧小平主導の改革開放政策で市場経済への移行が図られ、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となった中国。その経済発展の中心のひとつが上海です。英米仏の植民地都市として租界が形成され、「東洋のパリ」とも呼ばれた上海は、後の日本の侵略、共産党支配、文化大革命と激しい歴史の波に洗われてきました。『上海今昔』は、その建築物や都市景観を写した主に20世紀前半の古写真と、同じ場所で撮り下ろしたごく最近の写真を比較することで、中国現代史を象徴する劇的な都市の変化を視覚的に検証し鑑賞できる、大判写真資料です。  『上海今昔』P28-29 ブロードウェイマンション 『上海今昔』P138-139 浦東を一望する 『北京今昔』 世界の首都へと発展する大都市の昔と今の姿   1978年より鄧小平主導の改革開放政策で市場経済への移行が図られ、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となった中国。その首都である北京は、今や世界政治の中心としても急速に発展しつつある一方で、明清帝国時代の都市計画や建築が今でも数多く残されている歴史都市でもあります。北京の建築物や都市景観を写した主にごく初期の写真を含む19世紀後半から20世紀前半の古写真と、同じ場所で撮り下ろしたごく最近の写真を比較することで、都市の爆発的な拡大の中でも、変わるものと変わらぬものがあることが理解できます。  『北京今昔』P70-71 鼓楼 『北京今昔』P86-87 崇文門からの外城の眺め ​ 『香港今昔』 貿易・金融拠点として繁栄する都市の今と昔  19世紀後半にイギリスに割譲され、その後アジアと欧州をつなぐ貿易・金融拠点として、特異な発展を遂げ、1997年ついに中国に主権が返還されたのちは、一国二制度の歴史を刻んできた香港。独自のコロニアルな景観を形成した香港・マカオの建築物や都市景観を写した古写真と、同じ場所で撮り下ろしたごく最近の写真を比較することで、その変遷を知ることができます。  『香港今昔』P10-11 香港中環 『香港今昔』P74-75 ヴィクトリアピークから見おろす九龍と新界 シリーズ情報 シリーズ名:写真で比べる中国大都市の近現代シリーズ各巻判型:B4判変型(縦24.4×横27.9cm)各巻頁数:144頁各巻定価:6,050円(税込)発行所:株式会社創元社シリーズ詳細ページ:https://www.sogensha.co.jp/special/chuugokudaitoshishi/  創元社 1892年創業。大阪は御堂筋の近く、本町と淀屋橋の間にある出版社。東京支店は神保町。C・G・ユングや河合隼雄などの心理学書、自己啓発書の原点と言われるD・カーネギー『人を動かす』、マニアック図鑑の先駆けである『世界で一番美しい元素図鑑』、世界一ユニークな単語集『翻訳できない世界のことば』など、人文書から自然科学系まで幅広いジャンルで出版活動を行う。   会社概要 商号:株式会社創元社創立:1925年(大正14年)代表者:代表取締役社長 矢部敬一資本金:1,800万円事業内容:出版事業、セミナー事業、学会事務局運営、書籍販売所在地:〈本社〉〒541-0047 大阪市中央区淡路町4丁目3-6〈東京支店〉〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-2 田辺ビル URL:https://www.sogensha.co.jp/

0

写真界の次世代を担う若手を応援する 第25回写真「1_WALL」展

株式会社リクルートホールディングス(本社:東京都千代田区、代表取締役社長 兼 CEO:出木場 久征)が運営するギャラリー、ガーディアン・ガーデンでは、個展開催の権利をかけた公募展、第25回写真「1_WALL」展を開催します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――第25回写真「1_WALL」展について――――――――――――――――――――――――――――――――――ポートフォリオ審査による一次審査と、一対一で審査員と対話をする二次審査を通過したファイナリスト5名が、一人一壁面を使って作品を発表するグループ展です。会期中に開かれる公開最終審査会で、ファイナリストによるプレゼンテーションの後、審査員による議論を経て、グランプリが決定します。グランプリ受賞者には、1年後の個展開催の権利と、個展制作費30万円が贈られます。建て替え予定の実家を舞台に、空間の喪失と忘却への抵抗を映像にした阿部修一郎。生まれ育った和歌山の村の文化や姿と向き合い撮影する事で、社会の在るべき姿を問いかける岡崎ひなた。自身が暮らす三重の山神信仰と風景の関係性を、聞き取りと撮影によって探る荻野良樹。地元中国北西部の急速な経済発展により形成された、都市と砂漠の矛盾を孕んだ景観を捉える昝家祺。社会との感覚の揺らぎに着目し、何気ない日常の細部に現れる自己の一面をポートレートで記録する本吉映理。以上5名による展示です。なお、2009年よりこれまで開催してきた「1_WALL」は、本展の第25回をもって終了いたします。最後の「1_WALL」展、ぜひ会場に足をお運びいただければ幸いです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――審査員 五十音順・敬称略――――――――――――――――――――――――――――――――――  小原真史(キュレーター)IZU PHOTO MUSEUM 研究員として荒木経惟展、宮崎学展、増山たづ子展などを担当。そのほか「イッツ・ア・スモールワールド 帝国の祭典と人間の展示」展がある。監督作に「カメラになった男 写真家中平卓馬」。重森弘淹写真評論賞、日本写真協会賞学芸賞などを受賞。東京工芸大学准教授、神奈川大学ほか非常勤講師。   須山悠里(デザイナー)1983年生れ。主な仕事に、エレン・フライス『エレンの日記』(アダチプレス)、鈴木理策『知覚の感光板』(赤々舎)、「長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館)、「マーク・マンダース―マーク・マンダースの不在」(東京都現代美術館)など。   高橋朗(PGIギャラリーディレクター)1976年千葉県生まれ。平木収氏に師事。在学中、東川町国際写真フェスティバルにボランティアとして参加。2003年から2010年まで同フェスティバル現場制作指導/アシスタントディレクターを務める。1998年からPGIにて写真の保存・展示業務に携わる。現在PGIのディレクターとして展覧会の企画運営を担当。   津田直(写真家)1976年神戸生まれ。世界を旅し、ファインダーを通して古代より綿々と続く、人と自然との関わりを翻訳し続けている。 2001年より国内外で多数の展覧会を中心に活動。 作品集に『SMOKE LINE』、『Storm Last Night』(共に赤々舎)、 『Elnias Forest』、『やがて、鹿は人となる/やがて、人は鹿となる』(共にhandpicked)など。大阪芸術大学客員教授。   野口里佳(写真家) 1971年生まれ。さいたま市出身。那覇市在住。1992年より写真作品の制作を始め、以来国内外で展覧会を中心に活動。近年は現代美術の国際展にも数多く参加している。東京国立近代美術館、国立国際美術館、グッゲンハイム美術館、ポンピドゥセンターなどに作品がコレクションされている。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――出品作家 五十音順・敬称略――――――――――――――――――――――――――――――――――  阿部修一郎 Shuichiro Abe1996年生まれ。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。「Hear...

0

<日中100人 生の声>分断の時代に自分の力で世界を思い描く―竹田武史 写真家

新型コロナウイルス感染症が世界中にまん延して、もうすぐ2年が経とうとしています。その間、私たちの暮らしで大きく変化したことといえば、マスク越しにしか人と会話しなくなった、海外旅行へ行けなくなった、楽しみにしていた盆や正月の里帰りすら億劫になった…。コロナ禍の行動制限によって変わってしまった生活習慣や生活様式を挙げれば、きりがありません。ですが今、私が強く感じているのは、ウイルスと共に世の中にまん延しつつある、すべてを〝分断〟しようとする力そのものについてです。コロナ禍がもたらしたこの奇妙な現象を薄気味悪く感じているのは、きっと私だけではないでしょう。 思えば、この謎のウイルスへの対応を巡っては、火事場の対立が余りに目立ちました。ダイヤモンド・プリンセス号の乗客への対応、PCR検査の拡充、全国小学校の休校措置、緊急事態宣言の発令など、すべての施策に賛否両論、さまざまな意見が飛び交いました。今年に入ってからは、政府と一部の利権者たちが、ごり押しで東京オリンピック・パラリンピック開催に漕ぎつけようとしたために、「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」の連発、休業補償、ワクチン接種のあり方を巡っても様々な対立が生じました。政府の場当たり的な対応が、今まで明るみに出なかったいびつな社会構造を浮き彫りにし、異なる境遇、価値観に生きる人々の対立をかえって煽る結果となってしまっているようです。 ところで、私は東京在住の写真家です。ライフワークとして中国への旅を20年以上続けてきました。そんな私が、昨年以来のコロナ禍で最も思い悩んだこと、それは中国との関係を今後どうするか、という問題でした。都市封鎖された武漢市の病院から送られてくる生々しいニュース映像を初めて目にしたのは、昨年1月に中国・杭州市での撮影取材から帰国した1週間後のことでした。その直後には、謎のウイルスの危険性をSNS上で注意喚起しようとした医師・李文亮さんがクローズアップされました。政府当局者たちが李さんを処分し、隠蔽している間にウイルスはどんどん広まり、李さん本人も感染し、亡くなられたとのことでした。中国政府はいつまでたってもWHOの現地査察を受け入れず、ウイルスに関する情報を提供しませんでした。中国の一部の人たちが防疫対策と世界との協調を怠ったために世界中にウイルスがまん延してしまった、というのが一連の報道から私が理解したことでした。 いったい、なんという傲慢な国だろう…。私は、こんな国に、これまで20年以上も魅了され、夢を追い続けてきたのかと思うと、とても悲しく、恥ずかしい気持ちになりました。もちろん、中国という国のあり様が、日本や欧米諸国と大きく異なることは肌身で感じてきましたが、20年以上も付き合っていると、どちらが良い悪いとは、そう簡単には結論できなくなるものです。とりわけ近年、世界を席巻する新自由主義的な政治・経済のあり方に憂鬱を感じていた私は、曲がりなりにも共産主義思想に基づく政策が実施されていて、地方へ行けばアジア的共同体ともいえる営みがまだまだ健在する中国のような国に、学ぶべきこと、一緒に取り組めることは多々あると考えていたほどでした。ところが、今回のコロナ禍を巡る一連の報道は、これまでの中国への憧憬と親しみをいっきに失望へと変えました。日本人として、これ以上、中国に深く関わることはできない。私的な未練は残しても、社会人としてけじめをつけなければならない。当初、私はそこまで思い詰めていました。 夏頃まで仕事は完全にストップしていて、その間はテレビやネットで情報を収集し、親しい友人たちとも情報交換をしながら、自分なりに今後の対応策を真剣に考えている〝つもり〟でいました。ところが、しばらく経つと、テレビやネットに溢れる断片的な情報にはどこかリアリティが欠如していると感じるようになりました。謎のウイルスについても、専門家と呼ばれる人たちは、実は何も確かなことは分かっていないらしく、結局のところ、おしゃべり好きな人たちが、場当たり的に適当なことをしゃべり続けているとしか思えません。そのような情報から何かを判断し、自分の意思を持つことなどできるはずがありません。以来、テレビやネットで情報収集するのをきっぱりと止めることにしました。 では、自分にとってよりリアルな真実の世界とは…。そう考えた時、これまで20年以上、自分の足で歩き、身体で感じてきた中国に思いを馳せました。そして、次の日から、これまで撮り続けてきた中国の旅の写真の整理を始めました。一枚、一枚の写真と静かに向き合っていると、山や川や田畑や市場の匂い、出会った人たちとの会話、食べ物の味、当時考えていたことまでが鮮明に蘇ってきました。そこには、私自身が体験した、ありのままの中国が息づいていました。どうやら私は、謎のウイルスへの恐怖から平常心を失い、情報の洪水に押し流されて、自分の力で世界を思い描くことをすっかり忘れてしまっていたようです。これでは写真家=真実を写し出す者として失格です…。私は自分を深く反省することで、ようやく心の落ち着きを取り戻しました。 そして今冬、初めてのモノクローム写真作品集『長江六千三百公里をゆく』が完成します。目に見えないウイルスへの恐怖と、情報の洪水によって、人と人、国と国との〝分断〟が加速する時代に、一石を投じることができれば幸いです。2021年12月に発売した写真作品集 ※本記事は、『和華』第31号「日中100人 生の声」から転載したものです。また掲載内容は発刊当時のものとなります。 ■筆者プロフィール:竹田武史(たけだたけし) 写真家。1974年、京都生まれ。1996年に初訪中。翌年から5年間、日中共同研究プロジェクト「長江文明の探求」(国際日本文化研究センター主催)の記録カメラマンとして中国各地を取材。以来、20年以上にわたり中国各地の生活文化を記録する。『大長江~アジアの原風景を求めて』『茶馬古道~中国のティーロードを訪ねて』など著書多数。