Tagged: 蘇州

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「ジャスミンの香りが千里に漂い、水の趣が日本で人気を博す」、江蘇省の文化観光が二つの都市で輝く

秋はすべてが美しい。江蘇省独特の文化観光の魅力は、国際的な大都市である日本の東京と大阪で輝きを放った。「ツーリズムEXPOジャパン2024」と「大阪中秋明月祭」に連続で登場し、日本の人々に「水の趣 江蘇」の無限の魅力を近くで感じてもらうとともに、国際舞台で中国文化の奥深さを見事に披露することができた。

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144時間ノービザ滞在特典を利用して中国・蘇州市を観光する外国人観光客が97.9%増加 蘇州市が発表

観光業の世界的な回復と中国市場の開放に伴い、蘇州市はその卓越したパフォーマンスにより、「144時間トランジットビザ免除、団体旅行ビザ免除」の人気目的地になった。今年1~7月、蘇州市に宿泊した観光客は49万5000人に達し、前年同期比で97.9%増加した。この数字はインバウンド市場の活力を示すだけでなく、観光の回復が加速していることも示している。「次の海外旅行は蘇州へ」と蘇州市は144時間滞在で時間以上の魅力あふれる都市として蘇州をアピールしている。

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中国・蘇州が東京にやってきたー「水の辺りにある芸術の都」プロモーションイベントで日本人の蘇州への憧れを呼び起こす

世界で最もにぎやかな交差点である東京・渋谷では、毎日百万人以上の人々が行き交っています。そんな東京の街に、蘇州が出現したとき、素晴らしい出会いが生まれました。蘇州市文化広電・観光局は11月25日から27日の期間中に、東京・渋谷ストリーム前の稲荷橋広場と金王橋広場で「水の辺りにある芸術の都」蘇州(東京)文化観光プロモーションウィークイベントを開催しました。

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江南文化の再構築②

伝統と革新  2011年、卒業を間近に控えていた大学4年生のさん(男性)は、金融系企業からのオファーとイギリスの大学の合格通知の両方を受け取っていたにもかかわらず、周囲を驚かせる決断をした。故郷の蘇州に戻り、母親の刺繍技能を継承することにしたのである。  母親のさんは蘇州刺繡という無形文化遺産の代表的な継承者であり、蘇州の一世代前の手工芸職人のなかでも最も昔気質の職人だ。蘇州刺繍の重要な発祥地である鎮湖の生まれで、幼いときから紡織機の傍らで育ち、やがて国営刺繍工場で働くようになった。国営企業の改革を機に、薛金娣さんは刺繍技術の高い女工たちを引き連れて自宅の工房で受注生産をおこなっている。作品はロシアやアメリカに販売され、通常、生地一面に描かれた牡丹の図案のように、ふんだんに刺繍を施し、ステッチが複雑になればなるほど顧客から好評である。  徐々に一人前になってきた張雪さんは、間もなく母親との考え方の違いに気づいた。1980年代生まれの張雪さんは古代の詩歌や山水画の影響を受け、ミニマルで余白のあるスタイルを好む。一方、母親の薛さんは、刺繍は手工芸の技能を反映させるべきで、余白が多すぎるのは顧客に受け入れられるだろうかと首をかしげている。  実は、これは江南文化が現代に継承されるなかで直面している核心的な問題である。昆曲や刺繍といった無形文化遺産は、江南文化の最高の美学をある程度表している。この美学が時代の発展によって変わってもよいのだろうか。現代の市場のニーズに迎合する必要があるだろうか。  昆山当代昆劇院共産党支部書記の氏も同じ問題に気づいていた。中国で8番目の昆劇院として、設立当初に「当代昆劇院」と命名されたのは、伝統に立脚しつつ現代に目を向けるという意味が込められている。しかし、繊細で優美な昆曲と現代人との結合はやはり難問に直面した。  1つは言葉〔せりふや歌詞〕であり、昆曲の言葉は厳格な曲調の形式を踏襲しているため、言語環境がすでに変化した現在では、観客は直接聞いても字幕を見ても理解できないという問題が存在する。なかには、英語の字幕のほうが原文の字幕よりも理解しやすいと言う若い観客までいる。もう1つは昆曲が誇りとする「水磨調」である。転がるように滑らかで悠々と響き渡り、石臼で米を挽くようにゆったりとした節回しで、この水磨調が世に出るや、たちどころに明代の演劇ファンに熱烈に支持された。だが、生活リズムが速い現代では、観客が映画を1本見るのにかけられる時間はわずか2時間しかなく、ゆっくりとしたテンポの昆曲はどうすれば観客をつなぎ留めることができ、限られた上演時間のなかで水磨調を残したうえで、物語を生き生きと筋が通ったものにできるのだろうか。  蘇州市文化広電観光局無形文化遺産工芸美術処の処長は、無形文化遺産という概念の出現がやや遅かったので、学科の設立が立ち遅れて多くの理論が確立されておらず、まだ模索している段階だと説明する。無形文化遺産は初めからずっと変わらないものであるべきで、師匠が伝えるものは何であれ、弟子はことごとく受け継いで伝えていかなければならないと考える専門家もいる。もちろん、無形文化遺産は古代から現在まで受け継がれ、もはや誕生した当初の姿ではなくなり、発展と変化を遂げてきたとより多くの人が考えている。現代からさらに後世へ継承するなかで、核心部分には背かないという前提で改善し、現代人の美的ニーズにより合致させることも認めるべきである。  蘇州では、「継承しつつ革新」が一段と主流の方法になっているが、当然、革新には周到かつ慎重な検討を要する。昆山当代昆劇院は設立から6年で、40幕の古典昆曲の折子戯〔演目の中から独立して上演される一幕〕が受け継がれ、これらを元にして5本の新しい演目につくり変えた。現代を題材にした新演目では、現代語を組み合わせたせりふの創作を試み、観客からは、今回は字幕を見なくても聞き取ることができたという反響が寄せられた。昆山市文化体育広電観光局の副局長は「昆劇院は若者の劇場離れを食い止め、昆曲の美意識を『幼いころから養う』ことを望んでおり、数年後にはこうした若者たちが昆曲の忠実なファンとなり、昆曲の継承に大いに役立つでしょう」と述べた。  張雪さんの「革新」も認められ、ミニマル風の刺繍を堅持して独自のスタイルを確固たるものとし、専門家や市場の注目を集めている。その作品の1つは、細長い小机に置かれた香炉と線香からゆらゆらと立ち昇る煙が四方に広がり「佛」の文字を浮かび上がらせている様子だけを刺繍したものだ。第8回江蘇省芸術博覧会の銀針杯刺繍作品コンテストで、この作品は金賞を受賞し、自由で、奥深く、あか抜けていて、秀逸であり、その境地が余白のなかに体現されていると評価された。その後、この独特なスタイルの刺繍継承者の元にネットイースゲームズ、映画『名探偵ピカチュウ』、テンセントQQショーなどから続々と異業種コラボレーションのオファーが来ている。  李紅処長は、すべての革新は市場を志向し、市場は「足による投票〔自分の好みを行動で表すこと〕」で答えを出すだろうとみている。一方、瞿琪霞書記は、答えが十分に明確にならないうちは、誰もが慎重に論証し、考えながら実践していると指摘する。この慎重さは、世界遺産に登録されている有名な拙政園の市場志向の試みによりはっきり表れている。  2020年11月、拙政園は総面積72ムー〔1ムーは約666・7㎡〕のうち12ムーを開放し、光投影技術〔プロジェクションマッピングなど〕を駆使したナイトツアープログラム「拙政問雅」を制作した。これは、昼間の観光とはまるで違う体験で、園林の不思議な夜といった感じに近い。広間に飾られている山水画が現実のようになり、水が山あいをさらさらと流れ落ち、道端の低い斜面に目を遣ると、3匹の鹿が広々とした中庭を気の向くままに歩いている。聴雨軒〔雨音を楽しむための窓に囲まれた小屋〕の外の芭蕉の葉が風に揺れ、マイク付きヘッドホンから風と雨と雷の音が聞こえてくると、その瞬間に観光客は拙政園を我が物としているかのように、芭蕉の葉をたたく雨音にゆったりと耳を傾ける。  「拙政問雅」は息をのむような美しさで披露されたが、蘇州園林博物館の館長は、拙政園はナイトツアープログラムの論証に1年も費やしたと明かした。園林は脆弱な生命体であり、年中無休の状態で毎日さらに数時間のナイトツアーが加わった場合、園林の自己修復能力は十分機能するだろうか。2020年5月、拙政園はまず閉園時間を1時間半繰り下げて影響を観察することにした。5カ月後、十分な評価を経てナイトツアープログラム「拙政問雅」がようやく正式に公開された。あずまやなどの建物や名木・古木を傷めないために、ナイトツアーに使用する投影装置はすべて取り外し可能なものとなっている。5時半に閉園すると作業員が大至急装置を設置し、ナイトツアー終了後に再びすべてを跡形もなく撤去して倉庫に収納するのである。 江南から世界へ  上海の国家展覧コンベンションセンター〔NECC〕は建物総面積150万㎡超の巨大な「四葉のクローバー」をかたどった施設で、そのうちの1200㎡が蘇州市に割り当てられている。2021年5月、「蘇作館」が同センター内にオープンし、蘇州刺繍、緙絲、核彫〔果物の種に彫刻を施したもの〕、明清朝様式の家具など12分野の蘇州製工芸品が展示された。  蘇州市が江南文化ブランドを全面的に展開するには、海外進出は不可欠なステップだ。蘇州文化観光集団文化発展有限公司の総経理は、蘇作館の位置づけは非常に明確であり、国内外に向けて蘇州の伝統工芸品や製品を集中的に展示販売するブランド旗艦店だと説明する。  ここにも蘇州が「江南文化」を再構築するために直面しなければならないもう1つの核心的な問題が現れている。蘇州市が対外的に紹介している、小さな石橋と水路、白塗りの壁と青黒い瓦屋根、昆曲と園林、蘇州の伝統工芸品と製品の繊細さと優美さに加えて、「江南文化」の構成要素をさらに充実させることは可能だろうか。今日まで発展するなかで、「江南文化」は現代的な表現を身につけただろうか。  GDPが2兆元を超える大都市であるにもかかわらず、これまで蘇州市の文化産業の発展にはいくらか弱点が存在していた。蘇州市文化広電観光局は、蘇州市の文化産業には「大きいが強くない」という特徴があると指摘する。例えば、文化産業は付加価値が高いがGDPに占める割合は低く、文化商品に関わる製造業の貢献率は高いが文化芸術関連サービス業の割合は低い。また、文化産業の事業者数は多いが全国的に影響力を持つ企業やブランドは少なく、文化産業の従事者は多いがハイレベルな文化的人材は少ない。  それゆえ、蘇州市はこれらの弱点を補うために多方面で尽力している。財政資金が逼迫しているなかで、第14次五カ年計画期間〔2021~2025年〕に市全体の各レベルの財政計画で計上する文化産業特別支援資金の規模を第13次五カ年計画期間〔2016~2020年〕の年間1億5000万元から3億元に倍増する。  蘇州市は江南文化の遺伝子をうまく活用する方法を模索し、より多くの江南文化の構成要素を製品に付加し、文化資源の利点を産業発展の利点に転換するよう努力しつつ、その一方で、江南文化の現代性の足掛かりや突破口も探している。蘇州新時代グループ董事長で共産党グループ書記の氏はこう話す。「新型コロナ流行前に蘇州市は年間延べ1億3000万人の観光客を受け入れていました。蘇州に来た観光客は、旧市街地や園林を訪れ、昆曲や評弾を鑑賞する以外に何かできないでしょうか。これは早急に解決すべき蘇州の課題です」   「江南文化」が現代化してしまったら、ガラリと変わってしまうのか、それでも純粋に江南と言えるのか、という困惑の声もあがっている。蘇州の歴史をみると、「江南文化」には驚くべき生命力があり、過度の浸食や変化を心配する必要はないと王堯主任は述べ、こう続けた。「江南文化は自信を持ち、大いに他の文化を受け入れるべきです。都市が十分に現代化し、さらには国際化したとき、1つの文化が導き手となって、混じり合った多様な文化を持つようになります」  王堯主任の見解では、ましてや、その他の多くの都市および都市の文化とは異なり、蘇州の「江南文化」はすでに世俗的な生活と緊密に融合している。それは平凡な日々を包み込む詩情であり、舞台・書画・蘇州製品・文学の間を縫って流れ、あらゆる世代に満ちあふれている。蘇州を訪れるどの観光客も街の至るところで昔ながらの蘇州の味わいを見つけることができ、また、蘇州が打ち明けたいと思っている新しい物語も読み取ることができるのである。 『中国新聞週刊』記者/徐天 翻訳/吉田祥子

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江南文化の再構築①

伝統文化に対する中国人の郷愁は、 実際は「江南の夢」〔風光明媚な長江下流南岸の地に開花した文化への憧憬〕であって、 それは人文と山水が共存する「詩と遠くの地」に対するものだ。 そして、蘇州はまさにこの美意識が集大成した場所なのである。 『中国新聞週刊』記者/徐天 翻訳/吉田祥子 日はすでに暮れ、滄浪亭の外を流れる水路を一艘の小舟がゆったりと進んでいく。白い長衣を身にまとった書生が船首に立ち、月光が行く手を照らす。岸に上がると、書生は昆曲〔昆劇とも呼ばれる中国伝統劇〕のせりふを朗読しつつ、観客を滄浪亭の中へと誘導し、同時にとその妻・の物語の世界に引き込んだ。昆曲『浮生六記』〔清代の文人・沈復が亡き妻との思い出を綴った自叙伝〕が2018年に蘇州最古の園林〔中国庭園〕である滄浪亭で初演されて以来、「昆曲+園林」をコンセプトに制作されたこの園林版没入型昆曲は若い演劇ファンを中心に人気が広がった。  蘇州市が実景を舞台にしたこの昆曲をプロデュースできたのは、特に意外なことではない。2500年余りの歴史がある同市は、園林と大運河を含む2件の世界遺産と61カ所の全国重点文物保護単位〔国宝・重要文化財に相当〕、昆曲・刺繡・〔日本のに相当する文様織の一種〕を含む6項目のユネスコ無形文化遺産および33項目の国家級無形文化遺産など、実に多くの文化的IP〔知的財産権〕を所有している。  文化産業ブームが到来するなかで、これらのIPがどのように構成要素を拡大し、その現代性を創造し、蘇州市の中核的競争力となることができるかは、目下の重要な課題である。  2021年初めに発表された「『江南文化』ブランド構築3年行動計画」によると、同市は江南文化の発掘と研究、展示と発表、変革と発展、普及と拡大について尽力し、蘇州を「江南文化」の中心的な語り手・伝え手・導き手にすべく努めている。当時、江蘇省党委員会常任委員で蘇州市党委員会書記だった氏は「私たちにとって、『メイドイン蘇州』が『最も強固なコア』だとすれば、『江南文化』は『最も輝かしい名刺』です」と述べ、蘇州は「江南文化」ブランドを全面的に展開し、江南文化の核心的地位を再構築するだろうとみている。 郷愁と江南の夢  『浮生六記』の上演は、ナイトツアー主催者側に考えがあったからだ。外部からの観光客が蘇州に一泊だけ滞在できるとしたら、江南文化のどの側面を最も体験したいだろうか。彼らが出した答えは、世界遺産の園林と無形文化遺産の昆曲だった。  江南文化は確かに構成要素が豊富だが、ある程度はすでに中国人に対する「ステレオタイプ」になっている。それは、水辺に暮らす人々の家並みや白塗りの壁に青黒い瓦屋根が続く路地、横町から聞こえてくる昆曲やおじさんが何気なく口ずさんでいる〔日本の講談や浪曲にあたる伝統芸能〕、初夏の手作りの三蝦麺〔エビの卵と身とエビミソを絡めた麺〕や晩秋の肥えて柔らかな上海ガニといったものだ。  しかし、蘇州大学学術委員会の主任は、江南文化はいまだに明確に定義されていないと指摘する。蘇州市だけでなく、上海市・江蘇省南京市・浙江省杭州市も地元の立場から江南文化を解釈し、中心的な発言権を掌握したがっている。  復旦大学特別教授で上海社会科学院研究員の氏はこう説明する。「これら4つの都市は江南地域の歴史に相次いで存在した4つの文化的中心地で、南京と杭州は政治的地位の向上によって、蘇州と上海は主に経済的地位の向上によって、それぞれ文化的中心地になったのです」  一方、王堯主任は、南京と杭州はかつて歴史上の首都として政治的な影響を強く受けていたため、その江南文化は完全に純粋なものだとは言えず、上海は20世紀初めに発展し、国際化という特徴により、文化が上海スタイルに変化しているため、蘇州だけが古代から現在まで受け継がれてきた文脈を一貫して保持していると考えている。  だが実際には、蘇州の江南文化も徐々に構築されたものである。  西晋末期の衣冠南渡〔311年の永嘉の乱により漢族が長江を渡って南下し中原の文化や知識を江南にもたらした〕以前は、江南では武力が重んじられていた。世に残っている春秋戦国時代の名剣は、その多くが呉越の地〔呉と越の国があった地域、現代の江蘇省・浙江省のあたり〕で製造されたものである。『漢書』〔前漢の歴史を記した史書〕には「呉越の君主はいずれも勇猛で、それゆえその民もいまに至るまで剣をよく使い、軽々しく死にやすい」と記されている。権力の中心と門閥貴族が南に移動したのに伴い、呉越の地は国の政治・経済・文化の中心となり、江南の気風も徐々に文治と礼儀を重んじるように変化した。熊月之教授によると、六朝時代には江南の雰囲気は前漢のころとは大きく異なり、儒学者は往々にしてゆったりした衣に幅の広い帯を締め、文化的で優雅であることを重んじ、さらには衣に香を焚き、顔を剃り、おしろいを塗り、紅を差していたという。  蘇州の文脈は唐・宋においてさらに発展した。唐代の詩人、・・が相次いで蘇州〔地方官〕に任じられ、文化的影響を及ぼした。宋代の政治家で文学者のもかつて蘇州の知事を務め、蘇州府学を設立した。これは宋で最初の州府立学校で、以来、学生の往来が絶えず、明清時代に蘇州で「江南文化」が繁栄を極めるのを後押しした。  やら「呉門四家」〔明代の呉派文人画の四大家〕が一世を風靡し、編の短編小説集「三言」〔『喩世明言』『警世通言』『醒世恒言』の総称〕は中国古典短編白話小説の最高峰となった。蘇州の昆山一帯で誕生した昆曲は、明代に「水磨調」と呼ばれる節回しを生み出し、戯曲の主流となった。蘇州製の工芸品は康熙~雍正年間には50種類以上にのぼり、専門的で精巧である。故宮の180万点余りの収蔵品のうち、蘇州の伝統工芸品や製品に関するものが10分野にわたり約31万7000点にのぼり、北京以外では、蘇州が故宮との関係が最も緊密な都市である。  明清時代に、蘇州を中心都市とする「江南文化」は最盛期を迎えた。フィリップ・キューン〔ハーバード大学教授〕は著書『中国近世の霊魂泥棒〔原題:Soulstealers: The Chinese Sorcery Scare of 1768〕』でこう分析している。――清朝の統治者は江南の傲岸不遜な学界上層部に対する政治的支配をなんとか確立できないかと頭を痛めていた。学者たちがひたすら探究していたのは、科挙を首席で合格することや高官の手厚い報酬を得ることだけではない。満州族に無骨なよそ者だと自覚させることができれば、その人こそ江南の文人だとみなされたのである。  王堯主任は、伝統文化に対する中国人の郷愁は、実際は「江南の夢」であって、それは人文と山水が共存する「詩と遠くの地」に対するものだと説明する。そして、蘇州はまさにこの美意識が集大成した場所だという。