「民主主義」と中国古来の「民本主義」は相通じる部分があるのか―中国専門家が解説 

中国には古くから、「民は国の本(もと)」とみなす民本という考え方があった。孟子も民本を強調した思想家の一人だ。写真は山東省・鄒城市内の孟廟孟府。 

 中国メディアは論説などで、西側の民主主義、とりわけ米国の民主主義を批判している。政治家は実際には党派争いに終始しており、また選挙結果は大資本に支配されるメディアの論調に容易に左右されるといった主張だ。全面的に受け入れるかどうかは別にして、「一理ある」とは言えるかもしれない。中国は一方で、自国は人民の意志を的確に反映する制度を整えている、すなわち真の民主制度を実現させたとも主張している。たしかにいかなる体制であれ、民意に大きく離反したのは国家運営は不可能だ。国民の全体的意志を反映する政治が行われているならば、西側の方式とは違うが「中国式民主」が成立していると言ってよいだろう。

 ところで中国には古くから「民本」という考え方があった。国の基盤は「民」であり、「民」の現実的要望を満足させる政治を行わねばならないとする政治思想だ。西洋由来の民主と中国伝統の民本は、何が同じで何が違うのか。民本の理念は現代中国の政治にも生かされているのか。西北政法大学政治・公共管理学院の張師偉教授はこのほど中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、「民本」や「民主」について解説した。以下は張教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

 ■孟子も強調した「民本」、すべては民のためという伝統思想

 中国古来の民本主義とは、「民を国の本(もと)とする」という考えだ。国の存亡を決定するのは民と考え、民を恐れ、民の声を聞くべきと考える。国政担当者は私利を目的とせず、民のために政治せねばならない。民本主義は西周(紀元前1100年ごろ-同771年)時代には他の政治的思想と融合して、中国の伝統的政治思想の重要な一部になった。中国では民本思想をはじめとして、人間本位の政治実践が行われるようになった。

 孟子(紀元前372年ごろ-同289年ごろ)は、夏(か)の桀王と殷の紂王が国を失ったのは民の心を失ったためだと説いた。さらに、為政者が民の心を得るためには、民が望むことを行い、民が嫌うことをしないことが必要であり、民がそのような仁政に帰服するのは「水が低きに流れる」ように自然な現象だと論じた(「孟子・離婁上」)。

 中国では、大切にせねばならないのは民の一部ではないと考えられた。民全体が共存共生するようにせねばならないのだ。つまりだれもが納得する利益の配分は、民本の中でも重要な部分だ。また民を大切にするのは形式ではなく、徳を持って人を愛し、礼をもって愛を示さねばならないと考えられた。これらが中国の政治の基本原則になった。

 ■現実の政治で「民本」の効果は限定的だった

 「民本」は中国の歴史上、一貫して「良いもの」とされたが、政治理念としては影響力を持ち続けたが、民本を「確実に作動」させるための制度は構築されなかった。一方の西洋では、歴史の早い時期に「民主主義」が出現したが、その後は長期に渡り、社会の上層部から「良いもの」とは見なされなかった。社会を混乱させ、「多数による圧政」をもたらすと考えられたからだ。しかし制度面での影響は絶えることがなかった。

 「民本」も「民主」も、政治の目的は民にあると考えた。政治は社会共有の公器であり、「公」を利用して私腹を肥やすことは非難されるのが当然と考えられたのも同様だ。しかし、民意が政治上の決定に反映されるシステムは違っていた。民本の基本は「為政者は民の声を聞く」だった。 つまり、民意が政治を決定するのではなかった。民本の機能は「統治者の公の心を引き出す」ことに限定されていた。

 ■西洋式の「民主」にも問題がつきまとった

 西洋の「民主」は、歴史の流れにともない制度面における堅固な保障が構築されることが比較的多かった。ただし西洋の「民主」の国家統治は、社会の中の一部の人を代表し、政治を利益ゲームにする傾向が発生しがちだった。またそれぞれの人、あるいはそれぞれのグループが政治を通じて利益を得ようとすれば、「公の利益の実現」や「公の害の除去」も実現されないことになりかねない側面もあった。

 「効果的統治」の視点から見れば、西洋でブルジョア階級が出現してから彼らが進めた「民主」には、先進的な面があった。だからこそ西洋の列強は全世界に進出した。しかしその結果として、非西洋地域の植民地化が進んだ。そして、東洋が西洋に屈する不平等な国際構造がもたらされた。

 中国の支配階級は祖国が屈辱的状態になったことを受け、外来の「民主」を受け入れる決心をした。しかし彼らには民本の概念がしみついていた。そのため、民本という「中華の魂」に民主という「西洋の技」を接ぎ木して融合させようという状況になった。

 ■「民本」の考え方に西洋由来の民主を融合させるなどで「全過程の民主」を実現

 実際に、中国伝統の民本と西洋由来の民主は、「政治は人民のため」という出発点は共通している。つまり両者を結合させることは可能だ。中国では西洋の民主が近代中国を形成する足掛かりとなった。それは中国における現代民主思想と民主建設の出発点でもあった。

 また中国の伝統である民本の考え方は、「民全体の利益」を重視するものだった。中国にはこのような感覚が残っているので、社会おける複数のグループの「利益ゲーム」に堕しやすい西側の民主が抱える問題をある程度矯正することになった。

 また、西側の民主主義では「選挙の時だけ機能する」という弊害が発生しがちだ。中国で、民主は政治の各段階、各方面を貫徹させねばならないと考えられていることは、伝統的な民本思想の影響を受けている。中国で「全過程人民民主」と呼ばれている政治形態だ。

 もちろん、「全過程人民民主」は伝統的な民本と同じではない。全く新しい民主形態と言わねばならない。全過程の人民民主の理論と実践は中国で形成された。伝統的な「民本」の精神を受け継いでいるが、一方では全く新しい民主の理論と実践との面を持つ。つまり「民本」をそのまま延長したのではなく、批判的に分析して、その精華を現代中国に適合するものにした。豊富で深い伝統的な考え方を現代社会に適合するものにすることは、中国の知恵だ。この中国の知恵の実践の成果は全人類に示される。参考にする価値は大いにあるはずだ。中国は中国の知恵をもって、全人類に貢献している。

(構成 / 如月隼人)

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