水中考古学の大成果「南海1号」を20年かけて引き上げ―すべてを知る専門家が証言

海底や湖底に眠っていた文化財を引き上げて研究する水中考古学という学問分野がある。中国での水中考古学の最大級の成果とされるのが、1987年に発見されて約20年後の2007年に船体の引き上げに成功した宋代の沈没船「南海1号」だ。その全過程を知る広東省文物考古研究員の崔勇副院長がこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、「南海1号」にまつわるさまざまなエピソードを披露した。以下は、崔副院長の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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■「海の盗掘者」にしてやられたことが、水中考古学に取り組むきっかけに

かつて、欧米人の「海の盗掘者」が南シナ海海域で沈没船から清代康熙年間(1661-1722年)の陶磁器を多く引き上げ、オークションにかけて飛び切りの高値で売りさばく事件があった。このことが中国の考古学界や政府を刺激した。

1987年には中国国家博物館水中考古学研究センターが発足した。ちょうどその時期に、英国の海洋探査・サルベージ会社と当時の広州サルベージ局が、広東省陽江市沖合いの南シナ海で沈船を発見した。その際に引き上げられた247点の中には、金のネックレスや銀塊もあった。

英国の会社は、その海域で沈没した東インド会社所属の商船を探していたのだが、海底から引き上げられたものはその商船の積み荷リストとは違っていた。そこで中国側は英国側に引き上げを中止させた。発見された大型商船は「南海1号」と名付けられた。
広東海のシルクロード博物館

■まずは日本に教えてもらった、次に小さなプロジェクトで実力錬成

「南海1号」を調査し引き上げるために、中国水中考古学界は多くを「学習」せねばならなかった。まず若手研究者をオランダと日本に派遣して水中考古学を学ばせた。日本からは専門家を招いて講義などをしていただいた。

1989年には国家文物局とオーストラリアのアデレード大学が共同で、中国初の水中考古学訓練班を組織した。全国から11人が選ばれて訓練を受けたが、私もその一人だ。

1989年11月には日本と共同調査隊を結成して南海1号の初の全面調査を行った。しかしその結果、「南海1号」の引き上げなどの条件はまだ整っていないと結論づけざるをえなかった。もっと小さなプロジェクトから始めるべきとの判断だった。

その後、遼寧省葫蘆島市の沖合いで元代(1279-1368年)の沈船が見つかったり、西沙諸島でも沈船が見つかった。それらの調査研究に取り組むことで、中国の水中考古学の実力は次第に向上していった。

■困難を乗り越えて船体の引き上げに成功、発見した積み荷は18万点以上

改めて「南海1号」の引き上げに着手するまで、学習や経験のための約10年を費やしたことになる。調査再開の手始めに、まずGPSを利用して正確な位置を特定した。そして4年をかけて、調査と試掘を繰り返した。その結果、船全体の保存状態は良好で、積み荷も多いことが分かった。

しかし一方で、船体の上に泥が分厚く堆積していることが分かった。海底で活動すれば周囲の水はひどく濁る。水中考古学の調査にとってかなり劣悪な環境だ。

船の積み荷も文化財だが、それらを引き上げるだけではだめだ。それでは水中考古学の進歩の芽を摘んでしまう。南海1号が泥に半ば埋まった形で横たわる海底は、水深約25メートルだった。最終的に広州サルベージ局の技術者の呉建成氏が、ケーソンという巨大な箱を使って沈船全体を引き上げる方法を考案した。これが突破口だった。

しかし実際には大きな困難が伴った。ケーソンは長さが33メートル、幅は14メートルもあり、500トン以上の重量だ。正確な位置に沈めるのは実に難しかった。いったん水中に沈めたら、位置の調整はほとんど困難だ。とにかく正確な位置におろさねばならない。しかし最後には、一気に成功させることができた。

「南海1号」の船体引き揚げが行われたのは2007年だった。同時に、広東省陽江市内では広東海のシルクロード博物館が建設された。「南海1号」は同博物館の水晶宮と呼ばれる施設に安置された。
広東海のシルクロード博物館

「南海1号」については3Dレーザーなど最新の技術を使って、大きさについてはミリ単位まで計測された。水中から発見された文化財は18万点を超えた。酒が入った大量の壺、アヒルの卵の塩漬け、羊の頭、ナッツ類、ヤマモモ、穀物類も見つかっている。これらは、水中でないと残らないものだ。

また、船室にあった泥からは、絹たんぱくが検出された。「南海1号」は量としてはあまり多くなかったかもしれないが、絹製品も積んでいたと考えられる。
広東海のシルクロード博物館

さまざまな情報を総合して、「南海1号」が沈没したのは1183年前後と特定できた。考古学においては、文化財の年代を判断するには他の文化財との比較に頼る場合が多いが、正確な年代の判別が極めて難しい場合が多い。「南海1号」の積み荷は、他の出土品などにとって、年代判断の基準を与えてくれたことになる。(翻訳編集 /レコードチャイナ)

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