米国における中華料理は50年前の「ニクソン・ショック」で大変貌―現地研究者が回顧

日本には「日本化」した中華料理も多い。その一方で、「本格中華」などと称される店も珍しくない。では、米国における中華料理の状況はどうなのか。中国からの移民3世のデイビット・R.チャン氏は米国内の中華料店7850軒で食事をして記録を残すなどで、米国における中華料理の研究を長年にわたり続けている。チャン氏はこのたび、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、米国内の中華料理の変遷を説明した。以下は、チャン氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

乾杯するニクソン大統領と周恩来首相。このニクソン訪中時の晩餐会が、米国における中華料理の状況を大きく変えた。二人が酌み交わしているのは「中国酒の最高峰」とされるマオタイ酒だ。

■華人の親はわが子を米国社会に馴染ませるため、中華料理を食べさせなかった

私は1948年の生まれだが、子どものころに中華料理を食べたことはほとんどない。箸も使えなかった。当時の米国には、華人に対する深刻な人種差別があった。そこで私のような米国生まれの華人は家庭において完全に米国化するようしつけられた。私の場合には両親が、とにかく流ちょうな英語を話せるようにと、中国語の勉強もさせてもらえなかった。

しかし私は次第に、在米華人の在り方に興味を持つようになった。カリフォルニア大学ロサンゼルス分校在学中の1960年代には、同校がアジア系研究コースを開設したので、そこに所属して中国系米国人を深く研究することにした。その後、研究と執筆活動は一時中断したが、できるだけ多くの中華料理店で食事をし、米国の華人コミュニティーを訪問し、その文化を探求しつづけてきた。私は1980年代から米国内の中華料理店7850軒で食事をして、その記録を残している。

■広東省の台山料理が原点だった米国の中華料理、台湾系移民の到来で大変化

19世紀半ばには、多くの中国人が米国に渡った。私の家も含めて、その大部分が広東省台山地区からの人だった。しかし、中国からの移民は低賃金で仕事をしたので、「米国人が職を奪われている」とする反発が発生した。そして1882年には「中国人排斥法」が成立して、米国は中国からの移民労働者を受け入れなくなった。

そのため米国では当初、純粋な広東料理、特に台山料理が保存されることになった。しかし20世紀になって、中華系以外の米国人が中華料理店に訪れるようになると、中華料理は客の好みに合わせて変化した。米国人が好む炒め物、焼きそば、チャーハン、卵料理が登場した。

一方で、米国人も中華料理の味になじむようになった。鶏肉、牛肉、アヒル肉の中華式調理法による味が受け入れられた。1920年代になると、この米中折衷式の「プーセド・カントニーズ・フード」、すなわち「ニセ広東食」が米国各地で流行するようになった。この「ニセ広東食」が、米国式中華料理の原型だ。

米国は1960年代半ばに、中国人の移民を再び受け入れるようになった。まずは主に香港と台湾から移民がやってきた。中には、飲食店を経営するようになった人もいた。香港からの移民が開いた飲食店は、やはり広東料理が主なメニューだったが、それまでの台山料理に新たな活力を注ぐことになった。

台湾からの移民は、米国における中華料理を大きく変化させた。彼らは中国からの初めての、非広東系の移民だった。また彼らが、先祖代々の台湾住人だったとは限らない。国民党に従って台湾に渡り、次に米国に移った人もいたからだ。そのため米国では、例えば酸辣湯(スワンラータン、辛みと酸味のあるスープ)や宮保鶏丁(ゴンバオ・ジーディン、鶏やナッツの辛み炒め)など、四川系の料理も登場することになった。

■米国の中華料理に「ニクソン・ショック」、その後の留学生急増で再び大変化

米国における中華料理の運命を決定づけたのが、1972年2月のニクソン大統領の訪中だった。中国の周恩来首相らと共に臨んだ晩餐会の画像や映像で、米国人はそれまで知らなかった中華料理を目にした。北京ダックやその他の、まさに中国を代表する正統的な料理だった。

米国人は、本場の中華料理を求めるようになった。ニクソン訪中から3カ月後、ニューヨークのマンハッタンに「湖南レストラン」がオープンして、テレビのトップニュースにもなった。

ニクソン・周恩来の晩餐会が重要だったことには、もう一つの事情が関係している。米国では1940年代末ごろに、「赤狩り」とも言われた極端な反共運動であるマッカーシズムが発生した。赤狩りは1955年までには終わったが、反中の雰囲気は残った。ベトナム戦争がエスカレートして、米中が直接に交戦する可能性もあり、反中感情は根強かった。

米国二大政党の共和党も民主党も、中国に対しては強硬姿勢だった。ところが、中国に対して特に厳しい姿勢だった共和党のニクソン大統領が方針を大転換させ、両国関係正常化への道を切り開いた。

そのことで、それまで中華料理をあざ笑っていた米国人も開放的で寛容な気持ちになって、中国の食文化を受け入れるようになった。

近年における中国の中産階級の拡大と大陸からの渡来者の増大が米国の中華料理に与えた影響は、1960年代の中国からの移民再開に匹敵するほど大きかった。多くの中国人が米国に留学するようになったことで、中国人留学生が多い米国の大学の近くには中華料理店がひしめき合うようになった。

そのため、本格的な中華料理に触れたことのない多くの米国人が、中国の食文化を体験するすることになった。中国人コミュニティーの飲食店で食事をする非中国系の客がますます多くなった。彼らが賞味しているのは「米国式中華料理」ではなく、本格的な中華料理だ。(翻訳:Record China)

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