中国の服飾文化は古代から西洋のファッションに影響を与え続けた―専門家が解説

古代中国の服飾文化とその技術は、西洋の水準をはるかに上回っていた。西洋では18世紀になっても「中国風」へのあこがれが続いた。その後の西洋では「中国風」の人気が衰退したり、改めて注目されたりと、状況は二転三転した。そして現在では、中国が主体性を持ってファッションを世界に向け発信するようになったという。服飾史などに造詣が深い清華大学美術学院の賈璽増教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の求めに応じて、中国の服飾文化と西洋の関係の歴史を解説した。以下は賈教授言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

中国の服飾文化と西洋のファッションは遠い昔から現在まで続く意外なほど複雑な交流史があった。写真は四川成都博物館で開催されたシルクロードの特別展。

■古代中国から西洋に伝わった服飾関連のハイテクは「絹」だけでなかった

中国の服飾文化の西洋への影響は、絹を抜きして語れない。桑を栽培し蚕を飼育するところから始める絹づくりは、中華民族の偉大な発明だ。古代ギリシャ人も、はるか東に絹を生産する国があることを知っていた。古代ギリシャ人はその国をセリカ、その民をセレスと呼んだ。セレスは絹を示す言葉でもあった。中国とは「絹の国」ということだった。

ギリシャの次に勃興したローマ人は中国を「サイリス」と呼んだ。古代ローマには綿がなく、衣服の素材は獣毛や麻だった。軽くて柔らかい中国の絹を知ったローマ人は熱狂した。絹は富貴と牽制のシンボルだった。また古代ギリシャ人やローマ人は絹を崇拝した。有名な女神像がまとっている衣服は絹の特徴をはっきりと示している。

西洋のファッションに対する中国の影響と言えば、機織り機も重要だ。中国では機織り機がすでに春秋時代(紀元前771年-同453年)には相当に成熟していた。古い時代の西洋の機織り技術では、華やかで複雑な模様の織物を作れなかった。中国の機織り機の技術が西洋に伝わったのは6世紀から7世紀にかけてだ。中国から伝わった機織り機はその後、フランスでさらに改良されて世界に広がることになった。

■「中国風」に大いに憧れた18世紀の西洋人

18世紀の欧州では、ロココ様式やアールデコといった芸術や工芸の動きが発生した。この動きは中国へのあこがれを反映したものでもあった。この動きは欧州の庭園、家具、磁器、織物などの生活用品に広く広がった。欧州人は中国の文化や中国の情景を想像し、直接または間接的に模倣して、一つのスタイルを作った。

なぜ中国を「想像」したのか。その原因は欧州と中国が隔絶した位置関係にあり、風習の違いも大きかったからだ。だから、欧州で出現した「中国風」は往々にして伝聞や想像に頼るものだった。より正確に言えば、当時の欧州の「中国風」は真の「中国風」でも西洋の伝統に基づくものでもなかった。さまざまな要素が混ぜ合った、東西文化の衝突によって発生した文化だった。

しかし当時の西洋人が中国を崇拝したことは事実だ。最もモダンなフランス人は中国の生活様式を模倣することを誇りにした。その結果、欧州では中国製品の需要が急増した。1730年代から40年代にかけての欧州では、中国から大量の絹布が輸入されてていた。欧州の業者は竜や鳳凰、花といった中国伝統の図案で布を染め、「中国製」と表示して売っていた。

18世紀末に発生した芸術運動は、過剰な装飾性を排除した。また、実際に中国を訪れる欧州人が増えるにつて、現実の中国は想像により理想化された中国とは違うことが知られるようになった。こうして「中国風」を尊ぶ雰囲気は冷めていった。

■現実の中国文化との出会い、そして「中国発のファッション」の確立

19世紀末から20世紀初頭には、ビジネスや観光を目的に中国を訪れる欧米人が増えた。また、8カ国連合軍の略奪などにより、大量の芸術品や服飾が中国から欧州に流入した。英国のロンドンでは1935年に、第1回中国芸術品国際展覧会が開催された。これらにより、欧州の芸術家やデザイナーは中国の芸術に直接触れることになった。中国芸術に対する認識と研究が新たな段階に入ったわけだ。

カペル・シャネルやクリスチャン・ディオールなど有名ファッションデザイナーがデザインや生地、加工法などで中国の方法を導入した。例えばフランスのシャネルは1930年に中国の皇族の衣装のデザインを女性用ジャケットに取り入れた。その他にも、明代の稲作農民の衣装が当時のファッションに反映された事例もある。

中国人女性のファッションを代表する、いわゆるチャイナドレスは清朝末期から中華民国期の初期にかけて中国の沿海都市で発生した。原型は清朝の支配民族だった満族女性の衣装だ。上衣が長く横にスリットが入っていた。本来ならばズボンも穿いていたのだが、上衣を洋服のスカートのように扱うようになった。

初期のチャイナドレスは、いわゆるロングドレスで、エリザベス・テーラーやグレース・ケリーのようなハリウッド女優も着用した。裁断法はさらに洋風になり、袖やスカートは短くなって女優のスタイルを際立たせた。

フランスの巨匠ファッションデザイナーのイブ・サンローランは中国文学や映画、芸術品にインスピレーションを得て1977年に中国風のコレクションを発表した。現代の中国風ファッションの幕開けだった。

中国側の動きとしては、2000年以降の中国の経済高度成長が大きく関係している。中国では漢服と言われる古い漢族の衣装の系譜を踏襲するファッションが大きな人気を得た。すなわち「西洋の文脈で形成された中国風ファッション」の領域から脱却し、中国人の視線で作られたファッションだ。そこには中国伝統の美学や思想なども盛り込まれている。

裕福になった中国は同時に、高級品の売り上げも期待できる巨大市場でもある。世界への影響力も格段に大きくなった。中国のファッションは今や、中国が主体性を持ち世界に発信する文化になった。(翻訳:Record China)

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