「人間の苦悩」から「人間の価値」まで、なぜ『人世間』は中国人を感動させたのか
茅盾文学賞受賞作品を脚色したテレビドラマ『人世間』(A Lifelong Journey)は、2022年1月末から中国中央電視台(CCTV)で放送され、8年ぶりに最高視聴率を更新した。ドラマのヒットにより原作も注目を浴びている。
小説『人世間』(全3巻)は、中国の作家梁暁声が8年の歳月をかけて書き上げたもので、新中国建国以後の東北地方の庶民の生活の軌跡を115万字で綴り、時代と家族と国の関係を反映させながら、無名の人々の人生の浮き沈みの中で中国人の「心情」や「希望」を語っている。『人世間』の著者梁暁声氏が中新社の独占インタビューに応じ、「人間の苦悩」から「人間の価値」まで、なぜ『人世間』は中国人の心を動かしたのかについて語ってくれた。
インタビューの内容は以下のとおり。
中新社記者:『人世間』がこれほど注目され熱狂的に受け入れられると思いましたか。
梁暁声:思いませんでした。小説を書いたとき、テレビドラマになる日が来るとは思ってもいませんでした。長い間、このような内容の作品は、テレビでも映画でもめったになかったので、視聴者に受け入れられるかどうか確信はありませんでした。結果的には評判がよかったので、『人世間』という作品を気に入ってもらえたことは、とてもうれしくてホッとしています。
中新社記者:『人世間』の中で、どの登場人物が好きでしたか。理由は?
梁暁声:私が自分で登場人物一人ひとりに名前、性格そしてストーリーを授けたので、どの人物も好きです。でも一番好きな人物を選べといわれたら、周三兄妹でしょうね。
周秉坤の友情に厚く義理堅いところが好きです。黒竜江省の北大荒での私の知識青年時代のように友情を大切にする性格の持ち主です。これが友人のあるべき姿だと思います。
秉義の人物像が好きなんです。秉義は、実は、さまざまな文学の影響を受けた人間味あふれた80年代の新しい知識人であり、現在大学に入学してくる知識人とは全く違います。豊かな文化的素養によって、物事を大局的に考えることができるキャラクターです。
周蓉は女性として自立しているところと国家の命運を案じるところも好きです。
中新社記者:先生の多くの作品が脚色されて映像化されています。『年輪』から『人世間』まで中国社会と人情の機微を描いた著作が読者から高い評価を得ている理由はなんでしょうか。30年前と現在の視聴者の違いは何でしょうか。
梁暁声:これには3つの側面が含まれています。まず、原作と映像化の関係です。個人的には、テレビドラマ自体は、原作を尊重した上で大きく再創作されているので、原作とは別の作品として見てほしいと思っています。原作の内容をさまざまな素材に分解して、それらの素材を新たに織り込んで独立した作品に仕上げているのです。
小説の創作は、テレビドラマづくりに比べてゆとりがあります。『人世間』この作品については、もっと詳しく書いて、4巻本にしてもよかったと思っています。しかし、テレビドラマのエピソード数には制限があります。
ご指摘の視聴者の変化についてですが、たくさんの若者たちが追っかけて視聴してくれるとは本当に思いませんでした。小説が出版されたとき、編集者に「この作品を読んでくれる人はいるだろうか」と何度も尋ねました。年齢を重ねて、多くのことを経験したせいか、逆にかえってあまりにも保守的になったのかもしれません。
『人世間』のヒットは、いまの中国で時代の変化を描いた作品が求められていることを実証しています。これほど多くの若い視聴者や読者がこの作品を見てくれることは、「文化への自信」においてめざましい進歩をとげていることを証明しています。年齢を問わず、冷静に時代の変化に向き合える、このような「文化への自信」を持ちたいものです。
中新社記者:先生の作品に登場する人物は、かつて先生が知識青年時代に経験されたことを思い起こさせますね。これらの登場人物と先生の人生は、なんらかの形で交差しているのでしょうか。ご自身の青春時代はなつかしいですか。
梁暁声:まず強調しておきたいのは、作品はフィクションだということです。当然原作の中で、私の経験と重なる部分はあります。たとえば、周秉坤の知識青年の生活と私の人生が重なっている部分があります。父も「大三線建設」(1960から1970年代の工業体制建設)に参加し、弟は醤油工場で働いたことを含めて、創作の源になっています。知識青年時代を描いた作品は、現実主義の創作です。これは、失われた歴史を取り戻すためのものです。なつかしさというより一種の回想です。
中新社記者:『人世間』は、人間の苦悩を感じさせると同時に人間の価値も感じさせます。苦難と生活の関係についてどのように考えますか。苦難の後に楽な生活がやってくることを信じますか。
梁暁声:著作という意味では、ほぼ二千数百万字書いてきましたが、「苦難」の2字についてはほとんど使いませんし、この2つの文字の使い方については非常に慎重になっています。
『人世間』この作品では、苦難がずっと生活の中につきまとっていると考えます。たとえば、郝冬梅の家族も馬守常と彼の妻の曲秀貞も苦難を経験しました。1980年代以降、彼らの家族は次第に苦難を脱していきました。しかし、リストラや転職等の問題に伴ってこの長屋住まいの人々に苦難は再び訪れ、生存にかかわる大きな問題となっていきます。時を経て、この長屋住まいの大多数の人々は、自分なりの方法で苦難を抜け出したのです。
私はよく苦難を経験したことのない民族や国はあるのだろうかと考えます。人類の歴史を300年ごとに切り取って観察してみると、そこにはすべて困難、戦争や災害が伴っています。文明と進歩の程度の違いにより、ある時期には富が少数の人々に集中していたと考えられます。それで「朱門には酒肉臭れるに、路には凍死の骨あり」という詩が詠まれたのでしょう。
しかし、再び歴史を結びつけて対比してみると、人類社会は、確かに進歩しています。したがって、「困難の後に楽な生活がやってくる」というのは民族や国家がすばらしい生活の未来図に思いをはせることと合致しています。これも私が最初に本を書きそして監督がそれをテレビドラマにしたいと考えた理由です。
先ほど触れた作品中の苦難は、現代生活との対比です。対比がなければ、今日の中国の発展がもたらした変化について人々は無関心でしょう。このようにリアリズム風の文学を通じて、過去の一部が再現されると、私たちは過去のことをより深く理解することができます。だれの人生もそうであるように、その浮き沈みの中に希望が満ちているのです。
中新社記者:『人世間』には、時代の大きな変化の中での中国の普通の家庭の生活史が描かれています。「家国文化」(家族は国の基盤である)は一人ひとりの血に流れていると感じています。海外の華僑や華人はこのドラマの中に自分の家族の姿をみることができます。東洋と西洋、世代によって、「核家族」と「大家族」の認識の違いがあると考える人もいます。これについては、どのように考えますか。
梁暁声:家族と国の関係については、個人的には世界中どこも同じだと思いますし、このような関係を強調しているのは中国だけではありません。いわゆる、「国がなければ家族も存在しない」「ひっくり返った巣の下には無傷の卵はない」ということです。
しかし、中国文化は、家族と国の関係について比較的はっきり述べられているのは確かです。これは家族と国の関係について考えている偉大な賢人たちによるものです。このような「家国文化」は私たちだけのもののように思えますが、実は全世界にも当てはまるものです。
同様に、西洋でも、英国のオスカー・ワイルドやギリシャのソクラテス、プラトン、アリストテレスの「哲学の三賢人」までもが、家族と国の関係を語った論考が多くあります。
中新社記者:先生の考えでは、「家国文化」は共通しているとのことですが、中国と西洋の文化には多くの違いがあります。文化の違いをどのように理解していますか。また、文化の交流や融合をどのように促進すべきでしょうか。
梁暁声:西洋文化における文学の創作は、当初個人を研究することから始まり、心理学的観点から個人が直面する現実的な心理活動を分析しました。たとえば、ギリシャ神話のメディア、新約聖書の中のサロメ、のちにシェイクスピアによって書かれた『ハムレット』もすべて人間の内面を研究しているのです。
一方、中国文化の影響下にある文学作品は、かなりの期間、道徳的範疇から人物を描いてきました。作品の多くは人と人の関係、人と社会の関係などの関係性を描写しています。これは、中国と西洋の文化の影響下における初期の文学作品の最大の違いです。
この点からも、文化の融合は簡単なことではないことがわかります。難しいけれど、自ずと起こります。中国と西洋の文化が融合するとき、「文化への自信」が重要だと考えています。なぜなら、文化は実は自国の中で民族の時代に合わせた発展の促進に重要な役割を果たしているからです。
自国の文化を守りつつ、いかに互いに交流融合を実現するか、その最も中核になるのは、異文化の異なる声について「気にする」「気にしない」のバランスをとることです。これには知恵が必要だと考えています。(完)
梁暁声略歴
作家、中国作家協会会員、影響力のある小説、散文、随筆および映画・テレビ作品を多数執筆する、知識青年文学で有名になった現代中国を代表する作家の一人である。2019年7月第2回呉承恩長編小説賞受賞、8月16日『人世間』で第10回茅盾文学賞受賞。2022年テレビドラマ『人世間』のヒットにより、原作小説『人世間』もブームを巻き起こした。
【編集:黄鈺涵】