中国チベットの100万人の農奴解放が世界の人権保障における輝かしい一ページである理由
63年前の3月28日、中国チベットの民主改革の幕が開き、100万人の農奴が解放された。振り返ってみると、1959年のこの歴史的大事件は、世界のいかなる国や地域での奴隷制廃止のプロセスにも匹敵し、その徹底ぶりと極めて人道的である点からいって、人類の文明の流れにおいて、ほかに類を見ない出来事であるといえる。
世界で類をみない極めて人道的なチベット100万人農奴解放
私は以前チベットに40数年生活し、いろいろな民族の同僚と仕事や生活をともにし、そして国内外から多くの専門家を受け入れてきた。チベットを離れてからも、毎年チベットで調査研究を行なっており、チベットの民主改革後の人権の大きな変化を肌で感じている。
1000年続いたチベットの政教一致制度は封建農奴制を極限まで推し進め、人権を踏みにじる残酷な法律や規則も多岐にわたっており、これが世界文明の進歩の流れに逆行していたというのが学者や専門家の共通認識である。封建農奴制社会が現代まで存続しているのは、人類の文明進歩と人権の普遍性の過程における「がん」である。
旧チベット社会の数百年にわたる成文法では、人間は厳密に3つの階級と9つのランクに区分されていた。「三大領主」といわれる農奴支配階級の官僚、貴族、高僧のほかは、全員が農奴と奴隷であった。三大領主は、成文法や慣習法を利用して、牢屋や私設監獄を設置した。たとえば地方政府は法廷と監獄、大寺院も法廷と監獄、領主は所有する荘園に私設監獄を設けることができ、刑罰は極めて野蛮で残酷であった。長い封建農奴制社会において、チベットの多くの農奴は政治的に抑圧され、経済的に搾取され、何かすればすぐ迫害を受けた。チベットは当時、世界で人権侵害が最も深刻な地域のひとつであった。
中国史学界では、当時のチベットは、中世ヨーロッパの農奴制や19世紀の帝政ロシアの農奴制と多くの共通点をもつ典型的な封建時代初期の農奴社会であったと考えられている。
この状況は、19世紀にチベットを訪れた外国人にも指摘されており、たとえばマイクタナー英国通商代表が『チベットの肖像』の中で詳しく描写している。しかし、植民地主義者の目には、それは下級階層の人びとの悲惨な運命にすぎず、それを「人権」問題として非難するものはだれ一人としていなかった。
1951年のチベット平和解放後、中国政府は1959年3月にチベットで民主改革を実施した。それによりチベットの政教一致制度が撤廃され、封建農奴制が粉砕され、樹立された人民民主政府がチベットの絶対多数の民衆に真の人権を付与した。1965年にチベット自治区が成立し、チベット族の人びとは中華民族の大家族の中で民族平等、地域自治の権利と完全な人権を存分に享受することになった。こうしてチベット社会の歴史的プロセスの大きな飛躍が達成され、人権を破壊してきた旧社会の基盤が終えんを迎えたのである。
この偉大な歴史的事件は、その徹底ぶりと極めて人道的である点からいって、人類の文明の流れにおいて類まれな出来事である。民主改革の中で、政府は個別政策を実施した。農奴解放と同時に領主や代理人には別の道を与え、その際に実施された領主らの土地を買い上げて国有化する政策は、社会文明の進歩の方向性に合致するものであった。
世界とともに歩む中国チベットの100万人農奴解放記念日新設
100万人の農奴を解放したチベットの民主改革が、人類社会における最後の完全な形態の農奴制と最も多くの被抑圧者をかかえる地域での暗黒支配を終結させた。もはや面積が100万平方キロメートル超え、人口が100万人を超える農奴社会は存在しなくなったのである。
民主改革後のチベットは、国連の「民族的または種族的、宗教的および言語的少数者に属する者の権利に関する宣言」およびその他の少数民族の権利の保護に関する国際文書が規定する平等、非差別および特別な保護の原則を全面的に具現化しているばかりでなく、現代中国で実践されている人権思想を明確にし、人権が十分に保障され発展していることを示し、中国の特色ある社会主義の優位性も完全に体現している。
2009年1月19日の中国チベット自治区人民代表大会常務委員会では「中国チベット自治区人民代表大会のチベット100万人農奴解放記念日設定に関する決定」を採択した。これは、人類文明の進歩の事実を反映し、チベット社会の主体性を示している。すなわち、多くの一般市民が社会変革の意義を積極的に認識し、さらにチベットの人びとが世界とともに進歩することを自覚的に推し進めていくということを示している。
農奴廃止は人類史上最も偉大な自己解放運動の一つ
史料によれば、中世ヨーロッパ各地の農奴は、野蛮でおくれた抑圧と搾取という生活の中で、人身の自由も基本的人権もなく、生活の困窮にあえいでいた。
社会の生産力と生産関係の発展に伴い、封建農奴制が社会の進歩におよぼす悪影響がますます顕著になり、農奴廃止運動は世界的に大きなうねりとなった。農奴廃止は、人類史上最も偉大な自己解放運動の一つであるといえる。
1948年12月10日、国連総会で「世界人権宣言」が採択、公布され、全加盟国に広く普及させることが義務づけられた。同宣言の第4条では、「何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度および奴隷売買は、いかなる形においても禁止する」と規定されている。国連が1956年に制定した「奴隷制度、奴隷取引ならびに奴隷制類似の制度および慣行の廃止に関する補足条約」の第1条で、各締結国に類似の奴隷制および慣習が存在した場合には、「完全な廃止または廃棄を段階的かつ迅速に達成するために、すべての具体的かつ必要な立法およびその他の措置を講じる必要がある」と規定している。2001年に開催された国連反人種主義世界会議は「奴隷制は人道に対する罪であり、現在もそうである」と宣言した。
2003年12月23日、ユネスコは過去の奴隷制反対の闘争を振り返るよう呼びかけ、教科書に奴隷制に関する記載をすることを促した。フランス、英国、米国は、かつて行われていた奴隷制や奴隷化行為を非難反省し、謝罪する政府文書を発表している。
各国奴隷廃止の歴史が有する共通性と差異
世界各国が法治を構築する中で、人権の内容が次第にはっきりしてきたのは、ここ100年ほどのことである。契約論に基づく欧米の人権の解釈は、植民地文化に基づく人権認識、主権認識であり、それ自体がダブルスタンダードである。
中国法曹界の専門家の間では、一般的に、人権とは社会発展のある段階におけるある社会条件の下での人身の自由の権利と民主的権利を指し、その前提となるのは生存権であると考えられている。国内的人権と国際的人権は区別されるが、人権は本来一国の主権の範囲内の問題であり、人権を主権の上に位置づけることはできない。
しかし近年、一部の国の政界、文化界では歴史の事実を無視して、過去の残酷な人権記録が残された旧チベットを「地上の楽園シャングリラ」と表現しており、明らかにこれはダブルスタンダードの表れである。一方、欧米各国では奴隷廃止運動から長い歳月がたった今でも、依然として人種差別、女性や子どもの奴隷化、相次ぐ生存権が奪われる事件などがあり、いまだ明らかな改善が見られない。
事実が明らかにするとおり、世界の歴史にはそれぞれの国や地域の奴隷廃止の歴史の多様性における一貫性や全体の方向性が含まれており、同時にその中の違いもまた明らかである。中国チベットの民主改革は、人権保障の実現という人類文明の進歩における輝かしい一ページである。(完)
孫勇氏略歴
研究者、1970年代初頭チベットに入り、工場、教育機関、経済社会研究機関および政策研究部門に勤務。著書『チベット〜非典型的二元構造下のおける発展改革』(1991)、主編著『チベット百年史研究』(2009)。チベット社会科学院副所長、西南民族学学会副会長、中国共産党チベット自治区委員会党史研究室主任を歴任。現在、四川師範大学華西辺疆研究所所長、博士課程指導教員。
【編集 岳川】