中国武術の背後に広がる広くて深いものとは―専門家が体験踏まえて説く
中国武術と言えば、映画作品なども数多く制作されてきたので、深くは知らなくても何となくイメージが湧く人が多いのではなかろうか。欧米でも中国武術が注目されるようになり、学ぶ人も増えているという。中国体育大学で中国武術を30年に渡り指導してきた武冬主任とイタリア武術連合会責任者のギノルフィ・アルト氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中国武術についての考え方を紹介した。両氏が用いた言い回しは異なるが、自分自身の経歴紹介などを除けばほぼ同じ内容だ。そこで本稿では、主にアルト氏の表現を土台にして、若干の説明を追加するなどで再構成してご紹介する。
■武術を学ぶことで「世界ともっとうまくつきあう」ことが可能に
中国武術が西洋で広く普及したのは、1970年代からのブルース・リーやジャッキー・チェン、ジェット・リーなどが主演した映画作品、いわゆるカンフー映画の影響が大きい。そして西洋人は中国武術に備わる、人と自然を尊重しつつ修練によって自らを高める文化にも魅了された。中国武術を学べば、その過程で多くの人生の問題の答えを見出せるということにも、気付いてきた。
私は幼いころからさまざまなスポーツをやってきた。重量挙げではイタリアのジュニア・チャンピオンになったこともある。柔道や空手、インド武術も学んだ。私は中国の伝統文化が好きだった。そこで、中国人の師匠について中国武術を学び始めた。私はイタリアで中国太極拳クラブを設立した。多くのイタリア人の中国武術家を育成し、中国武術の世界選手権大会に出場して、よい成績を何度も獲得した。
私は中国武術を研究していて、武術が私に人生の意味を教えてくれることに気付いた。中国武術は、「天と人は一つにつながる」という「天人合一」を尊び、人と自然の調和する共存を重んじる。私は武術を通じて、この世界ともっとうまく付き合うことを学んだ。もちろん中国武術は、健康状態をよくしてくれる価値を持つ。
中国武術の価値は、弟子を指導していてもよく分かる。ある弟子は私に、「武術を習うことで、自分自身が努力し他者を尊重するようになった。忍耐や平常心を保つ力も向上した。生活にしっかりと向き合うこともできるようなった」と言った。このようなケースは多い。
■西洋と中国の武術の根底は同じだが、中国武術はより包括的
西洋にも武術はある。武術の歴史は複雑であり、発展してきた地域の状況や文化、習慣、伝統、考え方、生活習慣などの影響を受けて、それぞれ違いが生じる。しかし中国武術であれ西洋武術であれ、それを学べば自分の限界についての認識を得ることができ、健康状態を改善することができる。だから私は、中国武術と西洋武術の根底の部分に違いはないと考える。どちらも、すばらしい生活を追求するためのものだ。
ただ、中国武術の場合には、単なるスポーツではない。人の体のあり方を認識する「医理」や、平和や調和の探求を真に理解させ、実現することを学ばせる「哲理」も包括した体系という特徴がある。
まさに中国の古人である老子が説いた「上善は水のごとし。水はよく万物を利して争わず。水は衆人の悪(にく)む場所にあり。故に道にちかし」の考えだ。老子はさらに「いる場所は地がよい。心は深いのがよい。人に与えるのは仁(いつくしみ)がよい。言葉は偽りなきがよい。政治は平安無事がよい。事をなすには有能であるのがよい」と続けている。これも中国武術に通じる考えだ。
■武術をやってきたこれまでの人生すべてに感謝する
私はこれまでの人生を振り返って、感謝の念を持つ。武術を数十年にわたり学ぶことで、異なる文化や異なる宗教に触れることができた。私は自分にもたらされたすべてに感謝し、中国の武術と文化を学ぶ機会に恵まれたことを感謝する。私に中国武術の手ほどきをしてくださった師匠は、私によく無門慧開禅師(1183-1260年)の言葉を語った。それは、「春に花あり、秋に月あり。夏に涼風あり、冬に月あり。心がわずらわされねば、人の世はよい時期なり」だ。私自身、弟子に対して、この「観自在の人生の悟り」をしばしば伝えている。
中国武術を世界に伝える点については、より多くの若者に武術の背後にある文化を理解し習得してもらうことが重要で、是非とも必要と考える。
中国武術の神髄は攻撃ではなく守りだ。中国武術には、中国人の生命観が含まれている。この生命観を含む中国文化は、人類に新たな思考を与えることができる。しかもその思考は、他者に押し付けるものではなく、自然に共有するようになると信じる。(翻訳:Record China)