中華伝統文化には人権思想の遺伝子が含まれているとなぜ言えるのか

劉進田 西北政法大学人権研究センター研究員

人権の概念は西洋文化の中で最初に現れたが、中華文化の中にもその萌芽、遺伝子と言えるものがあった。「人は最も天下の貴たるなり」「仁者は人を愛す」……中華文化の中で歴史の長いこれらの人文主義の伝統思想は、中国の人権思想の貴重な遺伝子である。


人権の本質は、すべての人間に対する普遍的な愛及び平等に与えられる保護であり、人類の普遍性を備えたものである。普遍的な人権は、文化や文明形態によって異なる現れ方をする。人権の普遍性と特殊性は弁証法的に統一されたものであるため、人類の普遍性人権思想をもって民族文化の特殊性を否定したり、民族文化の特殊性をもって人権の人類普遍性を否定したりしてはならず、普遍性と特殊性の相互適応と相互解釈の中で人権価値の具体的なものにし、理解と実践を推進すべきである。

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人権思想の歴史文化的背景と主体根拠
人権思想は人文主義の歴史文化形態に基づいている。人文を超える神本主義文化でも、非人文的な物本主義文化のもとでも、人権思想は形成し難い。中国文化はすでに殷周時代に、神本主義文化に別れを告げ、人文主義文化を形成した。価値の主体を神から人に転換し、人間自身の価値を肯定し、人の禍福吉凶善悪の価値はすべて人が自ら創造し、神が定めるのではないとした。「天命常靡し」「惟だ徳を是れ輔く」、天命は永遠のものではなく、人の徳のみが助けとなる。従って、「徳を以て天に配す」「徳を敬し民を保する」、徳を天命と対等のものと見、徳を敬い、民の安寧を確保せねばならならない。『尚書・泰誓』には、「天の視るは我が民の視るに自(したが)い、天の聴くは我が民の聴くに自う」と記された。人・民が天・神に代わって価値の主体となり、人を重視し、人を愛することが新たな価値観となった。


中国の伝統的人文主義は、人が主体であり、人が本体であり、人が根本であることを強調している。これは人権思想にしかるべき主体、即ち人を提供している。中国文化の人文主義精神では、価値は人間そのものであり、神や物ではない。これは、人を愛するということの前提であり、人権思想の前提と根拠でもある。

中国の伝統的人文主義には人権思想の観念、内容と主張が含まれている

中国の伝統的人文主義は人を価値の主体とするため、万事万物の中で、人の価値が最も高く、最も貴いと認める。これは人権思想と完全に一致している。


中国の人文主義文化の主幹は儒家文化であり、儒家文化の創立者である孔子は人とその価値を非常に重視している。『論語』には、「廐焚けたり。子、朝より退く。曰く、人を傷えるかと。馬を問わず」と記されている。荀子は「人には気あり生あり知ありて亦た且お義あり、故に最も天下の貴たるなり」と肯定している。張岱年は、「『貴い』とは、我々が現在言うところの『価値』である」と述べた。「人は最も天下の貴たるなり」ということは、人が天下で最も価値のある存在だということである。人間以外にも貴重で価値のあるものがあるとされるが、それらはすべて人間のためになるからこそ「価値あり」とされるのであり、そうでなければ、価値の有無を云々すらされない、ただの存在にすぎないのである。


人文主義的な価値観から見れば、「価値」は人によってなり、人によって存在し、人によって異なり、人によって変わる。つまり「人」から離れる「価値」はないのである。財産などに価値があるのは、人のためになるからである。「人は最も天下の貴たるなり」という重要な価値観は、人権思想の根本観念である。


人権思想は人を肯定し、人を愛し、人を大切にし、人を尊重することを主張している。中国文化の人文主義的伝統、特に儒家思想における核心的価値は、まさに「人を愛す」、つまり「仁」である。孔子は、「仁者は人を愛す」と述べたが、「仁」は儒教で提唱される様々な徳目を総括する「徳」であり、その意味は「人を愛す」ということである。儒家の核心的価値観である「仁」は、人を愛する人権の概念と合致している。
「人を愛す」の意を内包する「仁」の具体的な表れとして「恕」と「忠」の二つの面がある。「恕」とは「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」、人を傷つけないことである。「忠」とは「己立たんと欲して人を立てる」、つまり、人を助けることである。人を傷つけないことは、人権思想が要求するところのものであり、人を助けることも同様である。儒家の人文主義、仁学思想が人権思想と合致していることは明らかである。

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中国の伝統的人文主義は、人が最も貴いのだと主張したが、その第一義は、人の生命の価値が最も貴重であるということを指す。一般的に「人命関天(人命は天にかかわる)」「殺人償命(命を奪った罪は己の命でしか償えない)」とよく言われるのは、人の命を大切にしていることの表れである。今、私たちが人の「生命至上(命が最も大切だ)」と言っているのも、人の生命の価値を重視していることの表れである。


「天地君親師」は、中国文化の信仰である。天地は植物や作物に日光と雨露を与え、作物は成長し成熟し、人に食物を与え、人の生命がそれによって存続してきた。君親師は、人に社会的生命と精神的生命を与えるものである。天地君親師が中国人の信仰になったのは、これが人の命を全うする資源であり条件だからである。人権の中で最も基本的な内容は人間の生命権、生存権であり、これこそ生命至上の価値観の表れである。中国文化の人文主義の信仰は、人権思想と相通ずるものであることがわかる。

中国の伝統的人文主義は人権思想の根拠と資源が含まれている

孔子は「仁を為すは己に由る」という自由思想を打ち出し、人間の本質を根本的に規定した。「仁を為すは己に由る」とは、人が仁であるか、仁でないかは、すべて自身が决めることであり、他人や他力で决めるものではないということである。つまり、人間は選択の自由がある。これは人間の本質的な特徴である。孔子が「仁を為すは己に由る」と主張したのは、人間の本質が自由であることを強調したからである。


人権思想は人を重視し、人を愛し守ることを主張しているが、その根本には人の「自由」は重視し保護すべきだという考えがある。自由があるからこそ、人は人間としての本質を獲得し、尊厳を持つようになるというものだ。中国文化の人文主義の伝統が、自由によって人間の本質を規定するのは非常に重要かつ根本的な人権思想である。もちろん中国文化が主張する自由は主に積極的自由であり、自由主義が主張する消極的自由ではない。積極的自由が消極的自由の哲学形而上の根拠であることは認めるべきである。


人権思想が扱うべき主要な問題の一つは、公民権と国家権力との関係の問題である。孟子は「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す」と述べた。君は国家権力の代表であり、「民を貴しと為し、君を軽しと為す」、言わば国家権力を制限し、個人の権利を損なわないようにすることを主張するものである。これは人権思想による政治への要求である。

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中国文化の人文主義の伝統の中では、主流ではないにせよ、このような声が絶えない。この貴重な思想は価値理念に過ぎないが、依然として現代の人権思想の重要な伝統的価値の源であり、国家権力と個人権利との関係を調整し、個人の権利を保護し、国家権力を発揮するのに有利である。

中国の伝統的人文主義の人権思想の弁証法的特徴

人権は社会的特徴があるとされ、それは社会関係の中で人を保護し、人を尊重するという価値理念、および理念に準ずる制度設計である。人間の社会的関係における価値は「正義」である。「正義」は、人と人の間で互いを害さないという関係を指すが、これは二つの方面を含んでいる。一つは自身が他人を害さないこと、もう一方は他人が自身を害さないこと、或いは自身が他人に害されないことである。他人を害さないことは義務であり、他人に害されないことは権利である。


西洋文化は他人に害されないこと、つまり権利を強調しているが、中国文化は他人を害さないこと、即ち義務を強調している。両者が結びついてこそ完全な正義であり、人に対する真の保護である。中国の人文主義文化の弁証法性は、他人を害さない義務と他人に害されない権利の二つの面の弁証法的統一を要求し、人の権利と責任の弁証法的統一を強調している。


そのため、中国文化の人文主義の伝統が要求する人権というのは、全て揃えれば「人の権利」、そして「責任」なのである。権利観念と制度は人を保護するものであり、義務観念と制度も人を保護するものである。二つの面が結びついてこそ、より良く、より完全に人を保護することができる。


われわれは中華文化の人文主義の伝統と、西洋の啓蒙文化を融合させ、中国の特色ある社会主義の実践の過程でより合理的な人権観をつくり出すべきである。このような人権観は人間の権責観と呼ぶことができる。(翻訳:華僑大学外国語学院)

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