「敦煌の物語」を外国人読者に紹介、翻訳者が語る秘められた工夫と努力
敦煌莫高窟と言えば、世界的に有名な仏教遺跡だ。それだけでなく、敦煌周辺には古くから多くの物語が言い伝えられてきた。それらを紹介する中国国内で出版された書籍の英訳に挑戦した人物がいる。天津理工大学工商学院の院長などを歴任した李桂山氏だ。李氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、翻訳にまつわるさまざまな状況を説明した。以下は李氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
■敦煌関連書籍を英訳しようと志したが遅々として進まず
私は1970年代に国費留学生としてカナダのマギル大学に留学することができた。出国前に20人ほどで敦煌莫高窟に旅した。これが私と敦煌の出会いだった。敦煌には美しい物語が多く伝わっている。私は世界に敦煌芸術を世界に紹介するために、これらの物語をいつかは英訳したいと思った。
帰国後は、チベット支援教師としてラサに赴任することになった。私はラサに向かう途中、敦煌に立ち寄って壁画についてのさまざまな資料を収集した。そしてチベットでは仕事のかたわら、一部の文章の英訳を始めた。しかし難しくて、なかなか進まなかった。
チベットでの勤務を終え天津に戻ってから、私は翻訳作業を系統的に始めた。その時に訳したのは「敦煌の伝説物語」、「敦煌壁画物語集」、「敦煌壁画物語大観」だ。
文化圏が異なれば、表現方式や、宗教、価値観、伝統文化概念、生活方式、連想の仕方などがすべて異なる。原語を正確に訳しただけでは、異なる文化圏の読者が読んだ場合、本来とは異なる理解をする場合が多い。翻訳の難しさはそこにある。
■カナダ人教授との共同作業、確実に伝えるためにさまざまな工夫
そこで私は、原文を英文に直訳してから、二次訳を作成することにした。まず私が直訳してから、カナダのブリティッシュコロンビア大学で人類学を専門とするナオミ・マクファーソン教授の協力を得て、二次訳を作っていくことにしたのだ。すなわち私とマクファーソン教授による共訳の作業をしたわけだ。
正確な翻訳が不可能な場合もある。翻訳先の言語に、原文言語に対応する言語形式がない場合や、原語が示す内容が翻訳先の言語に存在しない場合だ。極北には、雪を状態に応じて何種類もの別の言葉で表す民族が生活しているというが、彼らの物語を熱帯に住む民族の言葉に正確に翻訳しようとしても、不可能なのではないだろうか。
私とマクファーソン教授は、原文の書き方をそのまま使ったり、その上で注釈を加えたり、原文の書き方を変更したり、他の表現に置き換えたり、省略したりした。比較的良好に処理できたと思う。
中国では仏教用語が中国語化されていることも、訳出を難しくした原因の一つだった。英語圏では、古代インドのサンスクリット語由来のローマ字表記が用いられているからだ。例えば魔訶菩薩は「Mahabodhi」(マハ―・ボーディ)とせねばならない。これらの用語を正確に訳すために、専門家や研究機関に問い合わせをして、関連資料を調べもした。
個別の単語は対応しているのに、そのままは訳せない場合もある。例えば、「九色鹿(九色の鹿)」という物語にある、毛色の素晴らしさを表現する「艶鮮」を「sparkling」(スパークリング)と訳した人がいる。単語の対応としては間違いでない。しかし英語を母語とする人の感覚では、毛色を形容するのに「sparkling」の語をつかうと、とても不自然になる。だから別の言葉を選ばねばならない。
その他のテクニックもある。例えば「増訳法」と言えるやり方だ。これは原文では暗示されているだけの内容を、訳出文でははっきりと書く方法だ。原文を使っている文化圏ならば直接には書かなくても読者が察する部分も、違う文化圏に属する読者が気づくとは限らない。その場合には、言葉として明示した方がよい。
「分訳法」というものもある。中国語は文意の切れ目を「,」で区切るが、「,」が延々と続く長い文も多い。英語としてもそのまま一文にしたのでは、分かりにくくなってしまう。そこで、適当な場所で分離して、別文にするわけだ。
また、英語では因果関係など論理性を明確に示す表現を中国語よりも多用する。中国語から訳出する場合には、そのような表現を補ってやる。翻訳とは言葉を単純に取り換えるのではない。文化を伝達し、文化を記録し、文化を構築することだ。
■共同翻訳したカナダ人学者も、敦煌の素晴らしさに感激
マクファーソン教授は翻訳の仕事の課程で、中国の古人の非凡な画法と審美眼に心を打たれたと何度も言った。東洋の美を西側に伝える仕事ができたのは光栄だとも語った。
マクファーソン教授は、口述の伝統は脆弱(ぜいじゃく)と考えている。伝承者が途絶えれば、歴史の流れから消えてしまうからだ。私が翻訳した書物の原作者である陳●先生は(●はかねへんに「玉」)、敦煌の人々と何十年も共にいて、彼らの口述を整理した。陳はさらに、物語を敦煌の壁画と照らし合わせて、古代史と人類の関わりを表現した。陳先生の著述を翻訳することは文明、つまり歴史上の人々の生活や思考や行動を広めることだ。
校正作業はカナダ人言語学者であるアテム・ローレンスキー氏に担当していただいた。共同作業者一同は敦煌での現地調査も行った。荒涼たるゴビ、三危山の聖域、莫高窟の威厳、鳴沙山の重厚さ、月牙泉の優美さ、玉門関の寂寞たる姿に、皆が感銘を受けた。ローレンスキー氏は「敦煌の春夏秋冬、草木の1本1本までもが、すべてが霊感の源だ」と言った。
世界に敦煌の美しさを知らせることは、中国文明にとっても世界文明にとっても極めて重要だ。それは、中国の文化的ソフトパワーを示すことでもあり、真の中国、包括的な中国の姿を世界に示す効果的な方法でもある。(翻訳:Record China)