Author: aptpress

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日中国交正常化50周年記念活動を盛り上げよう!

 ――時宜を得た山口代表の「アジア安保機構創設」提案  昨年10月8日に行われた日中首脳会談で、岸田文雄首相は「日中国交正常化50周年である来年を契機に、建設的かつ安定的な関係をともに構築していかなければならない」と語り、習近平国家主席もそれに賛意を表した。しかしながら、米中関係が対立する中、日本の対中世論は依然として厳しく、大きな進展を見ることなく現在に至っている。それゆえ、50周年記念活動は不発に終わるのではないかと危惧する悲観的空気が漂っている。が、果たしてそうなるであろうか?私は「否」と叫びたい。理由は次の通りである。  先ず日中関係に大きな影響を及ぼす米中対立の行方を見てみよう。米国のなりふり構わぬ対中圧力は行き詰まりを見せている。新疆ウイグル問題での所謂「ジェノサイド」は客観的事実に乏しく今以上の広がりは難しい。北京冬季オリンピック「外交ボイコット」も掛け声はすさまじかったが勇み足のままだ。中国ロシアを対象とした「民主主義サミット」も、混乱と分離を招いただけであった。また、中国の軍事的脅威論を説いても、実体のある対抗策を組むことができず、対中包囲網を目指すクアッドもオーカスも前途は多難だ。1月3日、米国、ロシア、中国、フランス、英国の核保有5か国が核戦争の防止と核軍拡競争の回避に関する共同声明を発表するに至った。今回の声明発表は中国とロシアがイニシアティブをとったようであり、米国がそれに同調したことは、新年早々、緊張緩和を示す朗報と見てよいであろう。  もちろん、米中対立関係はイデオロギー及び構造的要因によるもので、総体的にみて米国がまだ絶対的優位に立つ今後10年は厳しい米中関係が続くことであろう。だが、昨年のような、赤裸々な対中圧力が本年も続くとは思えない。一年間にわたる対中強硬策によって、バイデン政権は結局何も得るものがなく、却って己の基盤の弱化を招いてしまったからである。米国国民の支持を得るには、何よりも先ず国民生活を改善させることであり、中国をはじめ諸外国とよい関係を築くことが求められる。トランプは対中国フェイクニュースで名を揚げたが、バイデンはそれを引き継いで窮地に立たされることとなった。「真実は雄弁に勝る」で、結局、コロナ感染に打ち勝ち、目覚ましい発展を遂げている中国の現実を抹殺することはできなかったのである。  次に日本の厳しい対中世論の行方はどうであろうか。確かに中国の軍事費は増大しているが、それは経済の成長に伴うものであり、決して急膨張しているわけではない。国防費の対GDP比率は1.2%台で、米国の3%台、ロシアの3-4%台、英国の2%前後、フランスの2%台、インドの2%台後半よりもずっと低い。絶対値で見ると、2020年における軍事費は米国が7000億ドル超に対し中国は約2500億ドル、米国の約3分の一である。中国のGDPは米国の約70%であり、軍事費の割合が米国よりもずっと低いことが分かる。一人あたりについてみれば、中国軍事費は米国の十数分の一である。米国の膨大な軍事費を問題にせず、中国の正常な増加を殊更に問題視するのは偏見そのものである。中国軍事力膨張論は、事実に合わない虚構論議であり、そのうちに収束していこう。  ここ数カ月、「台湾有事即日本有事」論が言われるようになり、日中関係は一気に緊張度を増してきた。50年前の国交正常化の際、最も大きな難題は台湾問題であった。国際法的には台湾は中国の一部であることは明白であり、日本が台湾を防衛する論調などは、日中共同声明と日中平和条約を根本から覆すものだ。当然、中国の世論を刺激し、日本軍国主義復活論が盛り上がっている。また、日本でのこのような論調は、対中世論を一層悪化させ、岸田政権の対中対話姿勢をけん制する結果を招いている。とは言え、このような論調はバイデン政権の台湾カード政策に便乗したものであり、米国の対中強硬姿勢後退と共に萎んでいく運命にある。安全保障重視の論客が対中抑止力強化を謳い、日米同盟強化と防衛力強化を強調するが、台湾問題は中国の内政問題であり、何ら影響を受けることはなく、机上の空論でしかないのである。  第三に中国側の対応と行方を見てみよう。新型コロナ対策、順調な経済発展、目覚ましい科学技術の発展、更なる対外経済開放政策、統合作戦軍事改革など、すべての分野で安定的な発展を遂げている。このような実態は日本のマスコミには殆ど報道されず、米国や英国から発せられるフェイクニュースが溢れ、対中世論形成の糧となっている。それは日本の一部政治勢力の反中姿勢とマスコミの偏見によるところ大だが、中国側の対応の仕方にも問題がある。昨年5月、習主席は国際的な発信の取り組みを強化・改善する必要性を語っており、今後は徐々に改善されていこう。肝心なのは、新聞報道をより開放し、「実事求是」の精神で外国人記者に良きことも悪しきことも自由に報道させることだ。マイナス面が報道されたら、それを糧にして改善すればよいし、虚偽報道であったら、事実で以ってそれを正せばよい。  米国や欧米の対中強硬姿勢に対して、目下のところ中国は柔軟な姿勢は見せず、真っ向から対決するため、「戦狼外交」と揶揄されるが、その実、中国外交は国際条約や規則を守り、相手国の状況を配慮する柔軟な姿勢をとるのが常である。しかしながら、米国の国際条約や国際慣例を無視した理不尽な強圧的態度に対しては、断固とした対抗措置をとっている。一昨年と昨年は正にこのような状態が続いた。ここにきて、米国が態度を改め、平等互恵、相互尊重の姿勢を見せれば、中国も柔軟な態度をとるようになろう。日中関係についても、もし日本が四つの政治文書を守り、台湾問題について誤解を招くような言動を改めれば、中国の対応はより融和的な姿勢に変わっていくであろう。昨今の日本は、対中抑止力強化論(対話時期尚早論)と対中対話重視論の二派に分かれているように見える。後者こそが日本がとるべき対応策であると考える。  以上に見るが如く、米国、日本、中国の実態を分析すると、米中関係と日中関係の現実が厳しい悪循環状態に陥っているように見えるが、それは表層的現象に過ぎず、何等かを契機として好循環に向かう必然性があることも認識すべきだ。ここで特に強調したいのは、新年早々公明党の山口那津男代表が、アジア地域での軍事衝突などの不測の事態を防ぐために、米国や中国、アジア各国が参加する常設の対話の枠組み(全欧安保協力機構のようなアジア安保機構)を、日本が主導して創設すべきだとの提案をしたことである。これは仮想敵国を持たない真の安全保障構築につながるものである。  また山口代表は、1月4日、米露英仏中の核保有5大国が核戦争の回避に関する共同声明を出したことを高く評価し、日本は「核保有国、非保有国の橋渡しをする」役割を果たすべきだと述べた。この共同声明は、五カ国の相互信頼を醸成するものであり、山口代表のアジア安保機構創設に通ずるものだ。従って、山口代表の安保機構提案と核問題での態度表明は、当面の緊張緩和を促す重要な発言であり、日本の世論と雰囲気を変えるきっかけになる可能性がある。広くPRして日中対話の世論を促し、50周年記念イベントの準備加速化の環境づくりに資することを目指したい。  私が山口代表の提案をかくも重視するのは、日中間の相互不信を招いた三つの政治的難題を解消出来る、或いは少なくとも緩和し得ると思うからである。  一つは尖閣領土問題。事の発端は「係争棚上げ、共同開発」の口約束が否定され、日中双方が固有領土論に拘るようになったことにある。領土主権を争うのは19世紀20世紀型の取り組みであり、21世紀においてはよりグローバルな視点に立って知恵を出すべきである。新安保機構はこのような知恵を出し合う場となるであろう。  二つ目は台湾問題。中国は台湾の平和統一を目指してきた。ところが、台湾の独立志向勢力と外部の干渉勢力が結びつき妨害されていると中国は反発する。「台湾有事即日本有事」論は、地政学的な台湾の戦略的価値を出発点としているが、相互信頼が醸成されていけば自然に消えていく。時間はかかるであろうが、平和的統一は間違いなく実現される。  三つ目は南シナ海問題。南シナ海の主権を巡る問題について、尖閣問題と同じく、中国は「係争棚上げ、共同開発」で解決しようとした。ところが外部勢力が関与することによって問題が複雑化したと見る。もし新安保機構が発足すれば、所謂人工島の問題についても、その国際的公共財としての役割が議論されるようになろう。  もちろん、新安保機構ができたとしても、すぐに効果的な機能を発揮するとは限らない。現に全欧安保協力機構がうまく機能しているとは言えないし、ASEAN地域フォーラム(ARF)も20数年の歴史を有するが、期待されるような役割を発揮してはいない。しかし、新しい歴史的条件の下で、もし日本が米国と中国及び関連諸国の意見をよく聞き入れ、公正な立場でリーダーシップを発揮するのであれば、成功する可能性があり、少なくとも緊張緩和に大きく貢献するであろう。  米国は「世界の憲兵にならない」と宣言し、もはや覇権的地位を維持できないと自覚しつつある。そして中国は覇権を求めないし、永遠に(世界一になっても)変わらないと宣言している。今後10年は、中国が米国を追い越そうとし、米国は欧日と共に中国を押さえ込もうとする、という危険な過渡期にあるとされ、トゥキディデスの罠に陥ることが懸念されている。が、国家間の相互依存関係は深まっており、五大核保有国が人類を破滅させる核戦争を起こしてはならないと宣言した今こそ、国連の安全保障体制を真に実現するチャンスであると見ることもできる。日本がアジア安保機構創設にリーダーシップを発揮する可能性と価値は十分にあると考える。  米国も中国も、日本のこのような提案にすぐには乗ってこないであろう。しかし、岸田政権が本気になって取り組めば、まずアジア諸国から賛同を得ることができ、米中両国も動かざるを得なくなるであろう。アジア安保機構創設運動を展開しつつ、日中国交正常化50周年記念活動を盛り上げていこう!(作者:日中科学技術文化センター顧問、福井県立大学名誉教授 凌星光。本稿は日中科学技術文化センター機関誌「きずな」冬季号に掲載されるが、許可を得て転載している。2022年1月5日。)

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【東西文明比較互鑑】戦国時代とギリシャ(1)東西文明の起源と相違

今日、東洋と西洋は再び相互理解の岐路に立っている。 似通った歴史的状況で異なる結果 今日、東洋と西洋は再び相互理解の岐路に立っている。 現代文明の中には古代文明の精神的な遺伝子が含まれている。欧米と古代ギリシャ・ローマ文明、イスラム世界とアラブ文明、イランとペルシャ文明、ロシアと東方正教会文明、イスラエルとユダヤ文明、東アジア国家と中華文明のように、さまざまな関係がさまざまな遺伝子をつなぎ合わせ、さまざまな道に変化してきた。 現代の欧米文明は自分たちの政治秩序について、古代ギリシャ・ローマ文明、キリスト教文明、工業文明のエッセンスを一体化させたものだと考えている。このうち最大の源は古代ギリシャ文明だ。一方、中日韓を代表とする東アジア文明は中華文明の遺産の上に打ち立てられている。中華文明の強固な形態は秦・漢で確立し、変化の鍵は戦国時代にあった。 紀元前5~前3世紀、中国の戦国時代と古代ギリシャは似通った歴史的状況に直面していた。共に内部で甚だしい戦乱に陥り、戦乱の中で統一の動きが現れた。また、統一運動の積極的な勢力は共に中心的国家ではなく、軍事的に強大な周辺国だった。多くの知識人が統一運動のために奔走し、大量の哲学、政治、道徳の命題を提起した。 しかし、統一運動の結果は異なっていた。ギリシャではアレクサンドロス大王の帝国が成立し、わずか7年で分裂した。その後、3大後継者が王国内で100年間争い、一つずつローマにのみ込まれた。一方、中国の戦国時代は「大一統」の秦王朝を形成した。14年後に崩壊したが、すぐにまた大一統の漢王朝が興った。秦漢の制度は歴代王朝に受け継がれ、2000年余り続いた。 似通った歴史的条件の下で異なる結果が現れたのは、文明の本質的な性質が異なっていたからだ。 「天下」全体にこだわる中国 湖北省雲夢県で1975年12月、秦代の法律を記した竹簡群「睡虎地秦簡」が出土した。法家の竹簡の山からは意外にも儒家精神のあふれた官吏養成教材「為吏之道」が見つかった。「寛俗にして忠信、悔過して重ぬることなく、和平にして怨みなく、下を慈みて陵すことなかれ。上を敬して犯すことなく、諌を聴きて塞ぐことなかれ」。これは決して特別な例ではない。王家台秦簡、岳麓書院蔵秦簡、北京大学蔵秦簡にも似通った文言があり、秦朝後期にはもう完全に儒家を排斥していなかったことを示している。 睡虎地秦簡など古代の文献に記載されている内容には、東アジア文明の遺伝子が含まれている(写真提供:潘岳) 秦国だけでなく、ほかの六国も同様だった。秦国に限られていたと一般的に考えられている法家制度と丁寧な農業は、実際には魏国の発明だった。自由でまとまりがなかったと一般的に考えられている楚国は、秦国より早く「県制度」を実行していた。商業が発達していたと一般的に考えられている斉国は、その宰相・管仲の著書と伝えられる『管子』の中に秦と似通った「保甲〔行政の末端組織〕の連座」の要素も含んでいた。 儒家と法家を織り交ぜ、刑罰と徳化を共に用いることが戦国時代末期の全体的な潮流だったことが分かる。各国の政治観念の基準線は「一つの天下」だった。誰も小さな地域を分けて統治することに甘んじず、完全な天下を奪取しようとした。統一が必要なのかどうかを争ったのではなく、誰が統一するかを争った。「天下」全体に対する執着は、中国の歴代政治家集団の最も独特な部分だ。 思想家たちもそうだった。人々は百家争鳴の「争」だけを重視し、往々にしてその「融」を軽視する。数十年にわたって次々と出土してきた戦国時代の竹簡と帛書〔絹に書かれた文書〕は、「諸家雑糅〔入り交じる〕」だった史実を証明している。郭店楚墓竹簡からは儒家と道家を同列に扱っていたことが見て取れる。上海博物館蔵戦国楚竹書からは儒家と墨家を同列に扱っていたことが見て取れる。馬王堆帛書からは道家と法家を同列に扱っていたことが見て取れる。「徳」は孔子と孟子の独占ではなく、「道」は老子と荘子の専有ではなく、「法」は商鞅と韓非の独り占めではなかった。諸子百家の思想的融合の根本理念とは「統一的な秩序」の確立だ。儒家は「一に定まる」という礼楽〔社会秩序を保つ礼と人心を感化する楽〕の道徳秩序を強調し、法家は「同文同軌〔文字と車輪の幅の統一〕」の権力・法律秩序を強調し、墨家は「尚同〔人々が一つの価値基準に従うことで社会を繁栄させる〕」「一を執る」という社会階層秩序を強調した。極端に自由を強調する道家も同じで、老子の「小国寡民」の上には「天下」と「天下王」もある。荘子も「万物多しと雖も其の治は一なり」と強調した。 戦国時代は思想・制度の鍛錬の場になっていた。秦国の法家は大一統の基礎となる政権で貢献した。魯国の儒家は大一統の道徳秩序で貢献した。楚国の道家は自由な精神で貢献した。斉国は道家と法家を結び付け、無為にして治まる「黄老の術」と、市場によって富を調節する「管子の学」を生み出した。魏・韓は合従連衡外交の戦略学で貢献した。趙・燕は騎兵と歩兵を合わせた軍事制度で貢献した。最終的な結果こそが漢朝だ。 大一統は秦が天下を併呑したのではなく、天下が秦を吸収したのだ。 ※本記事は、「東西文明比較互鑑 秦―南北時代編」購入はこちらの「戦国時代とギリシャ(1)東西文明の起源と相違」から転載したものです。 ■筆者プロフィール:潘 岳 1960年4月、江蘇省南京生まれ。歴史学博士。国務院僑務弁公室主任(大臣クラス)。中国共産党第17、19回全国代表大会代表、中国共産党第19期中央委員会候補委員。

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1971年の決着、中国が国連安保常任理事国になった日(その二)

謀殺事件  年に一度のクリスマス。国連総会が閉幕を迎える時期だ。  12月22日、第26回国連総会は〔オーストリアのクルト・〕ワルトハイムを新事務総長に選出し、閉幕した。国連は「シーズンオフ」に入り、各国の大使らは国に帰り、クリスマスや休假を過ごす。  NYでの42日間の任務を終え、喬冠華率いる中国代表団の一部は帰国した。残った40人あまりで、中国国連常駐代表団の結団と日常業務を進めた。黄華が中国国連大使に、陳楚が国連次席大使に任命された。  代表団が借り切っているルーズベルトホテル14階(実際の階は13階)には70を超える部屋があるが、いまは空き部屋が多くがらんとしている。中国代表団のメンバーは皆、大部分の時間をホテルの部屋で過ごしていた。街へ出てもショーウインドウを眺めることしかできず、日々の生活は無味乾燥で寂しいものだった。  だが、そんな慎ましやかな日々が打ち破られる出来事が起こった。  施燕華の仕事の1つは、代表団内の英語の分からない幹部数人に、毎朝新聞を読んで聞かせることだった。1972年初頭、NYのあるタブロイド紙の片隅に「ニクソン訪中阻止を目論み、中国代表団に手を下そうという計画がある」との記事が掲載された。代表団の幹部はこれに敏感に反応し、安全対策として、中国代表団は国連会議に出席するとき以外は外出禁止とした。しかし、それでも悲劇は起こってしまった。  それは春節前の日曜日の朝のことだった。二等書記官・がいつものように英語学習会を開くため代表団に招集をかけたところ、事務員のが現れない。部屋に電話をかけても誰も出ない。ドアをノックしても反応なし。ホテルのマスターキーを借りてドアを開け、ドアチェーンを蹴破って部屋に入ってみると、王錫昌はベッドに横たわったまま、既に息絶えていた。  前の日の夜、皆で映画鑑賞をするため奔走していた若者の突然の死に皆が動揺した。医師は、若い人の突然死には様々な原因があり、今回は何らかの急性疾患で亡くなったと考えられると繰り返し説明したが、中国側はまったく信じなかった。  周恩来は代表団幹部に対し、ニクソン大統領の訪中を間近に控え、米中関係が改善の兆しを見せる中、アメリカ側には事件の解明に当然の責任があることを指摘してアメリカ側と交渉するよう指示し、併せて事実が明らかになるまでは遺体を火葬してはならないと指示した。黄華はすぐさまアメリカ国連代表団に手紙を書き、アメリカ当局による徹底的な捜査を要求した。  NY市警は詳細に鑑識をおこない、病院では検死も実施されたが、死因は判明しなかった。王錫昌の遺体は当面、冷凍庫に保管されることになった。代表団はアメリカ側に、事件の早期解決を求め続けた。  事件から2カ月あまり過ぎたころ、NY市病院からようやく連絡があった。王錫昌の胃を調べたところ、濃縮されたニコチンが含まれた水を飲んだことが原因で神経中枢の麻痺を引き起こし、死に至ったことが判明したという。代表団は王錫昌の胃液を少量引き取り、彼の部屋に置かれていたポットの中の水と一緒に中国に送った。中国での検査結果も、アメリカ側の検査結果と一致した。  アメリカにはお湯を入れた魔法瓶を部屋に置いておく習慣はなく、彼の部屋にあったのは、代表団が香港で買ってきたコーヒーポットだった。当時、NY市警は14階のエレベーターホールに少人数の警備隊を24時間体制で常駐させていた。だが、王錫昌の部屋は貨物用エレベーターのすぐ近くで、警備隊からは死角になっていた。  この事件以降、代表団メンバーは、外出したあとは必ずポットのお湯をすべて捨てるようにした。施燕華は水道水を飲むようになった。事件は何年経っても解決の知らせはなく、結局迷宮入りしてしまった。  事件を受け、代表団は拠点購入計画を前倒しした。  物件探しの任務はに任された。代表団は弁護士を雇い、一緒に物件を見に行かせた。NYのウエストサイドは、かつては治安が悪いと敬遠されていたが、この時はかなり治安が改善していて、リンカーン・センターでは年中オペラなどの催し物を開催しており、客層もよく、周辺は開発の余地がかなりある。それゆえ弁護士は、このエリアで物件を探すことを提案してきた。しかし、小さすぎたり、設備が整っていなかったりとなかなか納得できる物件が見つからなかった。そんなとき、あるイタリア人留学生がリンカーンスクエア・モーテルを紹介してきた。  リンカーンスクエア・モーテルはブロードウェイと66番街が交差する場所にあり、すぐ向かいにはリンカーン・センターやジュリアード音楽院があった。モーテルの敷地は2000㎡以上あり、建物は10階建て、部屋数270で、300人以上が一度に食事できる大ホールや巨大冷蔵庫も完備され、さらに巨大な地下駐車場には、170台の車を停めることができた。  本国に報告を入れると、周恩来はすぐさま485万ドルの現金を用意した。4月のことだった。代表団は現金一括払いでモーテルを土地ごと購入した。物件を紹介してくれたイタリア人留学生には1・5%のマージンを支払った。留学生は天にも昇るほど舞い上がり、さっそくそのお金で中国旅行に旅立っていった。  物件の引き渡しは二度延期された。引き渡し前、NY市警は警察犬を導入して1部屋ずつ不審物の検査をしたが、一部の部屋のベッドのマットレスの下から『プレイボーイ』『プレイガール』『ペントハウス』といった雑誌が出てきた他は、危険物や爆発物は特に発見されなかった。  無事物件の引き渡しが終わり、改修工事が完了すると、代表団は喜び勇んで引っ越した。中国国内で丹精込めて作られた銅製の表札も到着し、「中華人民共和国国連常駐代表団」が正式に発足した。  その後すぐ中国国内から派遣されてきた技術者らが新拠点を徹底的に調査し、部屋の暖房器具の中などから盗聴器をいくつも取り除いた。  このホテルを買い上げる決め手となったのは、広い地下駐車場だった。部屋で話をすると、声の微振動がガラス窓に伝わり、外に設置されているであろう専用設備に会話が傍受される恐れがあったため、重要な会議は駐車場でおこなった。後に、窓も通風設備もない機密室を増設した。重要な書類を書く際などはこの中で作業をするのだが、1、2時間ほどいると全身汗びっしょりになるほどだった。

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中国コスメ、タイコスメに続く、マレーシア発ハラルコスメを『CosmeISM(コスメイズム)』で販売開始

東南アジア発エシカルコスメ16ブランド取扱いへ 株式会社CosmeISM(本社:日本 東京/CEO:サシナン・アルマンド)は、2021年12月27日(月)オンラインコスメストア『CosmeISM(コスメイズム)』で新たにマレーシア発コスメブランドの取扱いを開始しました。世界が注目するハラルコスメとその中心地マレーシア。人気の新興3ブランド「Breena Beauty(ブリーナビューティー)」、「Simplysiti(シンプリシティ)」、「Velvet Vanity(ベルベットバニティ)」からおよそ50商品をご購入いただけます。 CosmeISM公式サイト:https://cosmeism.com/ CosmeISM公式サイトBreena Beautyページ:https://cosmeism.com/collections/breena-beauty/ CosmeISM公式サイトSimplysitiページ:https://cosmeism.com/collections/simplysiti/ CosmeISM公式サイトVelvet Vanityページ:https://cosmeism.com/collections/velvet-vanity/ ハラルコスメとマレーシア2030年には世界一の宗教人口になるムスリム向け「ハラルコスメ」への期待値の高さから、今マレーシアコスメは世界中から注目されています。多くのグローバル企業がマレーシア政府ハラル認証機関(JAKIM)からハラル認証を受けて、ムスリム市場へと参入しています。一方で、マレーシア国内の若い起業家が手掛けるコスメはムスリム向けにとどまらず民族や国境を越えてグローバルで存在感を放っています。 Breena Beauty(ブリーナビューティー) 2014年、Sabrina Tajudin氏が立ちあげたブランドです。リキッドファンデーションとメイクブラシに定評があり、人気美容ブロガー発ブランドらしくSNS中心に使い方の情報発信をしています。現在はInstagramフォロワー6万人以上、ムスリムだけでなくナチュラルコスメ支持層にも人気のブランドです。 CosmeISM公式サイトBreena Beautyページ:https://cosmeism.com/collections/breena-beauty/ Breena Beauty公式Instagram :https://www.instagram.com/breenabeauty/ Healthy Glow Serum Infused Liquid Foundation (ヘルシーグロウセラムインフューズドリキッドファンデーション)  3,300円 Simplysiti(シンプリシティ) 2010年、Siti Nurhaliza氏が31歳で立ちあげたブランドです。人気歌手である創設者自身が広告出演やPRを行うことで人気を獲得しました。現在はInstagramフォロワー19万人、10-40代まで幅広い年齢層に人気のブランドです。 CosmeISM公式サイトSimplysitiページ:https://cosmeism.com/collections/simplysiti/ Simplysiti公式Instagram...

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1971年の決着、中国が国連安保常任理事国になった日(その一)

50年前、中華人民共和国代表団は初めて世界にその姿をあらわした。 当時の先見の明がある人々はイデオロギーの大きな違いを脇に置き、長期的な利益に目を向け、中国の国際社会への復帰を促進し、その後の長きにわたる変化と発展をもたらした。 中国の国際社会の仲間入り、中国に対する国際社会の理解はまだ始まったばかりだった。 中国の国連安保理常任理事国入り イースト川のほとりの序盤戦。 1971年11月15日午前。横に長い国連会議場ビルはニューヨーク〔以下、NY〕のイースト川に面しており、通称「マッチ箱」と呼ばれる薄型で背の高い事務局ビルの隣に鎮座している。 この日は、中華人民共和国代表団が初めてその姿を世界にお披露目する特別な日だった。 これより前、「五大国」という言葉は国連で使われていなかったが、今や四大国は五大国へと回帰した。 インド元国防相メノンの名言「アメリカとソ連の意見が一致するなら、国連は必要ない。しかし一旦意見が割れれば、国連は何もできない」。 そしてこれからは、米・ソ・中の「三極化」の時代だ。 新しい勢力図が、イースト川のほとりで誕生しようとしていた。 『中国新聞週刊』記者/黄衛 鮑安琪 翻訳/江瑞 初お目見え  「早くこうなるべきだった。今日は実に愉快だ」。11月15日午前10時32分、中国代表団団長、副団長、事務局長、代表、、通訳が胸を張って総会議場に入場してきた。揃いの濃色の人民服(海外メディアは「マオカラースーツ」と呼んだ)は、スーツが優勢の国際社会ではすこぶる人目を引いた。記者に「『CHINA』と書かれた座席に座った感想は?」と聞かれた喬冠華は、冒頭の回答を放ち、高笑いをした。  この日は、日程上は国連軍縮会議の通常開催日となっていた。しかし実際には、中国代表団の到着を待つため、軍縮会議は何日も休止になっていた。いまや中国抜きの議論や交渉は意味がないというのが、全会一致の意見だった。  この日再開された軍縮会議では、中国に対する歓迎の意を示すため、まず半日ほどの時間を、各地域グループ(西ヨーロッパグループや東南アジアグループなど)代表あいさつに当てていた。だが、その場で発言を求める代表が相次いだため、予定時間はすぐにオーバーしてしまった。  中国代表団は、時折手にした代表名簿を眺めながら、各国代表の発言をただ静かに聞いていた。ドイツ通信社は「中国人はどこにいても真面目で冷静な姿勢を崩さない。彼らはいま、ゆっくりと慎重に国連で歩むべき道を模索しているのだ」と報じた。  会議は午後まで続き、55カ国の代表が登壇して歓迎の辞を述べた。しかし、あっという間に日没がやってきてしまい、発言の順番が回ってこなかった代表のあいさつは後ほど事務局がプリントして配布するより他はなかった。  午後6時40分、ダークグレーの人民服に身を包み、眼鏡をかけた喬冠華は、嵐のような拍手の中、演壇に向かった。  喬冠華のスピーチは45分にも及んだ。この発言のために毛沢東が定めていた基本路線は次のようなものだった。第一に雪辱を果たす。これほど長期にわたり中国を国連から締め出していたことに対する雪辱を果たすため、アメリカと日本を名指しで批判する。第二に世界情勢を語る。国家は独立し、民族は解放され、人民は革命を起こさなければならないというのは、すでに抗えない時代の流れになっていることを指摘する。第三に国際問題に対する中国の基本姿勢を語る。霸権主義に反対し、平和五原則をアピールする。とにかく、「旗幟を鮮明に、上手をとり、破竹の勢いで」語ることが重要だった。  スピーチ原稿は前日の夜にやっと最終チェックを経て、中国国内で審議の上ゴーサインが出されたものだった。通訳チームは中国語の原文を何度も英語とフランス語に訳す作業に追われた。と夫のは共に通訳チーム所属で、施燕華が英語の通訳、呉建民はフランス語の通訳だった。外交部翻訳室責任者のはかつて「英仏連合軍がNYに侵攻する」と冗談めかして語ったことがある。スピーチ原稿には、途中「アルバニア決議」〔用語解説P62〕を提案した23カ国に感謝を述べるくだりがあり、1つとして落とさないように、また順序(アルファベット順)も間違えないように、念入りに校正が重ねられた。深夜を回り、英語原稿300部とフランス語原稿100部をダンボールに詰め終え、皆やっと安心して部屋に戻って寝ることができた。  131の加盟国に記者の分を加えても、本来なら300部あれば十分余裕があるはずだった。しかし、喬冠華が登壇して数分も経たないうちに原稿はきれいになくなってしまった。事務員は慌ててホテルに電話をし、大至急追加で100部を持ってこさせた。  総会議場の中は終始静まり返っていた。両側の通路に立っている人は同時通訳のイヤホンがないため、手元の翻訳原稿を見ながらスピーチに耳を傾けていた。  喬冠華のスピーチは、インドシナ3国の対米戦争、朝鮮半島の平和的統一、アラブ諸国の反シオニズム、アフリカ諸国の反植民地主義、南米諸国の200海里制の主張〔用語解説P62、後に「200海里経済水域」と呼ばれる〕、搾取に対するOPECの戦いのいずれにも明確な声援を送るものだった。「他人より上だと思い上がり、他人の頭上で霸を唱える」超大国を痛烈に批判した。最後は高ぶりを抑えきれないように「いかなる国も、自国のことはその国の国民が決定すべし。世界のことは世界各国で決定すべし。国連のことは、国連に加盟するすべての国が共同で決定し、超大国によるコントロールと独占を許してはならない」と断じた。  喬冠華がスピーチを終えると、数十の友好国家の代表は祝福の言葉をかけ握手を求めるために押し寄せ、通路には長い行列ができた。通訳チームのリーダー・は祝賀にやってきた国の名前を記録しておくよう命じられ、群衆にもみくちゃにされながら、なんとか踏ん張っていた。施燕華はこの任務を命じられたのが自分でなくてほっとしていた。さもなくば、きっと「歴史の舞台」からはじき出されていたことだろう。  ロイター通信社やUPI通信社などのメディアは、「中国がこの夜、国連の舞台に初登場し、激しい言葉で語った政策演説は、国連総会に衝撃を与え、多くの外交評論家の予想を裏切った。なぜなら評論家らは、中国代表団が最初に発する言葉は、国連で彼らを迎えてくれた各国に対する謝意を手短にまとめたものだろうと予測していたからだ」と述べた。ドイツ通信社は、喬冠華のスピーチについて、中国が自らを「中小国家の代弁者にして支持者」となっていくことを表明したものだと指摘した。  喬冠華のスピーチが終わった後、米国連大使ジョージ・〔H・W・〕ブッシュ、ソ連国連大使ヤコフ・マリク、イスラエル国連大使ヨセフ・テコアは拍手をしていなかったことに触れた記事もあった。

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第7回中日企業家及び元政府高官対話 コロナ後の交流と協力の積極的推進で一致

 中国国際経済交流センター(CCIEE)と日本経済団体連合会(経団連)の共同主催による、第7回中日企業家及び元政府高官対話が21日、オンラインで開かれました。両国の企業家や元政府高官、学者ら40人余りが、新型コロナウイルスが中日経済への影響、地域経済協力の推進などの議題をめぐって交流しました。双方は、コロナ後の二国間交流と協力を積極的に推進し、両国関係の発展に新たな原動力を絶えず注ぎ込むべきだとの認識で一致しました。  CCIEEの曾培炎理事長はあいさつで、感染症の影響を受けたにもかかわらず、中日両国の経済貿易交流は逆境の中でも拡大する勢いを見せたのは、両国の経済貿易交流の強じん性と活力を示しているとしたうえで、今後の更なる深まりと広がりに期待を示しました。さらに、「中日両国の経済は相互補完性が極めて高く、共通の利益が多く、貿易・投資、先端製造、デジタル経済、グリーン・低炭素、医療・介護、第三国市場などの面において協力の潜在力は大きい」と述べました。  日本の岸田文雄首相はあいさつで、日中両国間の互恵協力の構図は変わっておらず、両国の経済には依然として強い相互補完性があるとして、「ポストコロナ時代」に日中双方は気候変動を含む各種課題に共に立ち向かうべきだとの考えを示しました。  対話後、CCIEEと経団連は共同声明を発表し、「来年迎える中日国交正常化50周年に際し、次の50年に向け、新たな時代にふさわしい建設的かつ安定的な中日関係の構築に然るべき貢献をしていくこと」を呼びかけました。(CRI ヒガシ、浅野)

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華字メディアが文春掲載の「戦狼批判」に反論、「頼まれてもないのに米国の代弁」

日本情報に特化した華字メディアの「日本頭条」は17日、文芸春秋に掲載された中国の「戦狼外交官」を批判する記事に反論する論説を発表した。論説中に筆者名は挙げなかったが、文芸春秋1月号に掲載された、ジャーナリストの安田峰俊氏による中国の薛剣大阪総領事のツイッターへの投稿を批判する記事を対象にしたものだ。 安田氏は、薛総領事による「『ハエがウンコに飛びつこうとする西側子分政治家』〔11・21〕(五輪ボイコットに言及した国民民主党の玉木雄一郎代表を指して)」など過激なツイートを複数紹介し、日本の外交関係者から「『接受国(=日本)の国民に嫌われないこと』は、職務上の最も基本的な常識」、「はっきり言って不快ですよ」などと批判の見方が出ていると紹介した。以下は「日本頭条」による反論の抄訳だ。 ■利害対立はあるが、食い違いを「憎しみの原動力」にしてはならない 中国は日本の隣人であり、中国が自ら発展することで日本に競争という圧力がもたらされたのは事実だが、国と国の地理的関係や政治環境の違いをもって、競争の圧力を憎しみに転化する「原動力」にしては、絶対にならない。 (文芸春秋記事の)筆者は薛総領事に、「中国に好感を持つ日本人はわずか10%。これをどう思いますか」と質問した。このような記者は多い。これは「自分の子は隣のXさんが大嫌いだ」という問題と似ている。実際には親(の考えや姿勢)から出た悪印象だ。なぜ日本人が中国を好まないのかという問題は、日本のメディアや世論に影響する機関に投げかけるべきかもしれない。 別の問いかけもできる。今年年頭に中国の民衆の日本に対する好感度が45%だったのはなぜか。同じメディア関係者として私は、自分側の悪い結果について他人に質問する記者をとうてい理解できないことがある。この筆者による悪意に満ちた記事は、日本国民の中国に対する否定的な見方を促進する。 ■中国におけるウイグル族の立場知らずに中国を批判 日本と中国の距離は航空機でわずか3、4時間だが、中国を理解している、あるいは中国に行ったことのある人は少ない。この文章の作者は大学生時代に中国の深セン大学との交換留学生になった経験という、中国とのわずかなつながりだけを、日本で書いた中国を中傷する多くの書籍の取材源にしているようだ。 日本は米国という強大かつあいまいなパートナーに従うしかないようだ。米国やそのアングロ・サクソンの同胞が中国の新疆、香港、チベットについての問題でいささか面白くないと考える時、日本の一部の人は楽しそうに記事を繰り返し書きつづける。米国が言い方を変えようと考え始めた時にも、その言い方を維持しつづける。 新疆に行ったりウイグル人と会ったことのある日本人はどれだけいるのだろう。少なくとも日本には大量のイスラム教徒がいるのに、イスラム教徒のために特設された飲食店は見たことがない。それに対して中国では、イスラム教徒用飲食店で、さまざまな民族の人が一緒に食事をしている光景を見ることができる。 米国など一部の国に「民族虐殺」の地とされる新疆で、2010年の人口調査では1017万1500人だった(ウイグル族の)人口は、2018年には1271万8400人になった。さらに古い時代の清朝期だった1908年の「新疆図志」によれば、当時のウイグル族人口はわずか157万人だった。 ■日本でもアイヌの人々の「差別反対」の声聞こえる 中国人は昔から「自分の目で見たことを事実とする」ことで問題を解決する。最近になり日本からの中国新疆を訪問したいとの申請が700人分を超えた。中国政府は「行きたいところに行きなさい」との意見だ。さらに、自分の旅費が足りないなら助成を申請することもできる。 バイデン政権下の米国では、人種間の対立が深まっている。一方で、56の民族を抱える中国は、人種対立をほぼ完ぺきに解決した。中国に住むどの民族の人も、「自分は社会において他の民族より低い地位に立つのではないか」と心配した経験は、全くない。 このような状況は、日本のようなほぼ単一民族の国の人にとっては理解が難しいかもしれない。しかし、北海道のアイヌ民族の人々からは時おり、人種差別反対の声が聞こえてくる。 ■「戦狼外交」是か非か、偽りの非難されても「優雅」必要なのか 中国からの反論を受けるたびに、日本の一部メディアは「戦狼外交」の言葉で反発する。「戦狼外交」の言い方で、中国の覇道の邪悪さを見せつけているようでもある。 しかし「新型コロナウイルスは中国が作った」、「虐殺をしている」、「台湾の独立を阻止した」などと吐き気がするほどの偽りで中国を非難する人がいた場合、優雅さこそが最善の反撃の武器なのだろうか。 欧米国家はかつての侵略成功の喜びに浸っていて、弱かった東洋の古国が真に台頭することを受け入れられないだけなのかもしれない。しかし悲しいことに、東洋の国の一員である日本が、何百年も何千年も付き合ってきた隣人に悪口を浴びせ、欧米国家よりさらに過激になることもいとわない。 日本が中国と同様の問題に直面したら、どうなるだろう。沖縄の人が琉球王国に戻りたいと主張したら、(反中国を叫ぶ)日本人はそのような人を「香港人権団体」と同じように論じるのだろうか。 ■政府の官員が自国政府を擁護するのは当然 薛総領事は個人のツイッターのアカウントでいつも、中国文化や旅行、米国の反中政策に対する中国の態度を書き込んでいる。日本の一部の人やメディアが薛総領事の書き込みを「不快な発言」と思うならば、彼らは米国の動きをさらにしっかりと見る必要があるのではないか。特に在日米軍のために日本に2100億円の負担を求めている。彼らがツイッターでどんなことをつぶやいているのか、真剣に見なければならないのではないか。 薛総領事は中国政府が大阪に派遣した官員であり、自らのツイッターで自国を擁護することは誤ったことではない。またソーシャルメディアのプラットフォームなのだから、さまざまな発言の中で好まないものがあれば、見ないという選択をすることもできる。ただし識者には、薛総領事の「フォロワー」になることをお勧めする。 ■日本に欠けているのは独立と自信、まるで米国に綱を引かれているよう さらによい提案がある。日本の一部の人はもっと自分の意見を持つべきだ。米国が要求もしていないのに、米国の「口」になるべきではない。第二次世界大戦後、日本は経済発展では欠ける部分がなくなった。真に欠けているのは独立と自信だ。中国の外交戦略を適切に学ぶことで、日本人はより多くの民族的自信を得られるかもしれない。 ということで、本稿の冒頭で振れた文芸春秋記事の筆者に提案しよう。彼に言いたいことは「米国に縄を引かれているのではない。あなたは実際のところ、付き従う必要はないのだよ」だ。(翻訳・編集/如月隼人) レコードチャイナより 2021年12月18日

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東西問・「外交ボイコット」は3つのマイナス効果をもたらす

 いわゆる「外交ボイコット」は、北京冬季オリンピックに実質的なダメージを与えることなく、かえって、少なくとも3つのマイナス効果をもたらすだろう。 第一に、「外交ボイコット」はオリンピックを政治化させることであり、国際オリンピック精神を損ねる。 国際オリンピック委員会が策定したオリンピック運動に関する最高文書である「オリンピック憲章」は何度も改正されたが、オリンピックが政治化されるべきではないという重要な精神は維持され、平和かつよりよい世界をつくるという呼びかけを繰り返して行ってきた。今年7月、国際オリンピック委員会は、100年間続いたオリンピックのモットーを「より速く、より高く、より強く、共に」に更新することを承認した。パンデミックが世界規模の大変化と重なる時代背景において、「共に」の重要性は前例のないものだった。  アメリカはスポーツ大国であり、国際オリンピックファミリーの一員であり、もともと「共に」の擁護者であり、オリンピック憲章の実践者であるべきである。今のところ、発言はオリンピックのモットーにそぐわず、その行動は憲章の規定に反しており、オリンピック精神に与える損害ははかり知れない。 第二に、いわゆる「外交ボイコット」は、北京冬季オリンピックの国際的影響力を損なわないが、米国の国際的イメージを弱めるだろう。 国際オリンピック委員会(IOC)の元副会長であるディック・パウンド氏は、いわゆる「外交ボイコット」に反応し、「これが中国に影響を与えるかどうかは、臆測するしかないが、私は、基本的にないと思う」と述べた。「現在、北京冬季オリンピックの準備は秒読み段階に入り、IOCを含む国際社会は準備作業を高く評価しており、多くの外国人選手が中国に来て参加することを熱望しており、このスポーツイベントの実質的な価値は、特定の国の「ボイコット」によって実質的に影響を受けない。 中国の著名なオリンピック研究専門家の易剣東氏が言うとおりで、オリンピックスポーツを受け入れ、尊重する国であれば、世界はいかなる状況においても、オリンピックをボイコットすべきではない。  第三に、「外交的ボイコット」は、目的が達成されないだけでなく、副作用が生じやすい。 1980年のモスクワ・オリンピックでは、ソ連がアフガニスタンに侵攻したという理由だが、1984年には、ソ連及び東欧諸国がロサンゼルス・オリンピックをボイコットした。ボイコットと報復が目的を果たさなかっただけでなく、新たな憎悪をかき立てたことは歴史が証明している。 冬季オリンピックは、政治ショーや政治運動の舞台ではない。アメリカの政治家が何の招待も受けていない状況において、繰り返し北京冬季オリンピックの「外交ボイコット」を大々的に宣伝することは、中国人民への無礼であり、国際的なスポーツと平和を愛する人々を失望させる。    中国は、アメリカに対する強い不満と断固たる反対を表明し、既にアメリカには厳正に抗議し、断固たる対抗措置をとると明言している。中国外務省の趙立堅報道官が言うとおり、「米国の政治的陰謀は、大衆の支持を得られず、失敗に終わる運命にある」のだ。 〔中新網/東西問 2021年12月8日〕

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中国経済が世界の経済・貿易協力に広い空間提供=CCG報告書

 中国のシンクタンク「全球化智庫(CCG:Center for China and Globalization)」は21日に北京で、「新たな発展の構図における中国の国際経済・貿易協力と展望」と題した報告書を発表し、「世界はデジタル経済、グリーン経済、インフラ整備、サービス貿易の面で幅広い協力の可能性があり、中国経済は世界の経済・貿易協力に幅広い余地を提供する」と指摘しました。  同報告書は経済・貿易分野における中国の国際協力にフォーカスし、多国籍企業の中国での発展、国際貿易協定、国際貨物とサービス貿易、対外開放と協力プラットフォームなどの分野について、包括的、多面的、立体的に分析しています。国際経済・貿易分野を包括的に整理することによって、中外経済・貿易協力に関する新たな考え方、パラダイムと今後のチャンスを提起しています。また、中国が国際経済・貿易協力に深く参画することをめぐり、将来を見据えた視点から建設的な提言を打ち出しています。  報告書は、「コロナ後において、中国経済は地域経済統合、デジタル経済、継続的な人材確保という三つのドライビングフォースを有しているとともに、多国籍企業にとって、効率、市場、資源、資産の面でも大きな魅力がある」と指摘しています。(玉華、坂下)

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貧困解消へ女子校の校長に 教育で資質と能力向上図る

 張桂梅さん(63)の一日の仕事は朝5時半から始まる。拡声器を持って校内を回り、生徒たちを起こすのだ。この高校では、生徒たちは5時半に起き、1時間の昼休みを挟んだ午前5時限と午後3時限の授業の他、夜間3時限の自習をし、11時半~12時に消灯し、月曜から土曜日まで毎日このようにする。生徒たちは勉強の他、余った時間が可能な限り圧縮され、食事も15分を超えてはならない。  このような光景は、中国の多くの経済が立ち遅れ、教育資源が欠乏している地域では珍しくない。ここの生徒はみな、このようなペースで自分のほぼ全てのエネルギーを勉強とテストに注ぎ込み、大学入試に合格して自身と家族の運命が変わることを願っている。  中でも張桂梅さんが設立した華坪女子高校は非常に成功し、非常に特殊でもある。成功というのは、同校が2008年の開校から昨年までの12年間で1804人の女子生徒を山から送り出し、大学に入学させたからだ。昨年の同校の受験生159人のうち、150人が大学本科の合格ラインを突破した。これは素晴らしい成果だ。特殊な点について、地元の貧困家庭の子どものみ受け入れる同校は、成績を入学のハードルにしないだけでなく、生徒の校内での勉強と生活に対し完全無償化を実施している。 女性の資質向上で貧困問題解決へ  張さんは1974年に姉について東北部から雲南省に渡り、辺境地域の開発を支援した。その後、彼女は西南部辺境の貧困地域にある山間部の教育事業に人生をささげた。96年に夫を亡くすと、張さんは同省大理市の良い労働環境を捨て、同省麗江市で深刻な貧困地域にある山間部の華坪県への異動願いを出し、県内で最も教師が不足し、環境が最も立ち遅れた民族中学校の教師となった。授業を行う中で、彼女はクラスにもともと多くない女子生徒のうち、学校に来なくなる生徒がいつもいることに気付いた。家庭訪問をすると、彼女たちの中途退学の理由がさまざまなことに気付いた。弟を学校に通わせるために両親から家で農作業をするか出稼ぎに行くよう頼まれた生徒もいれば、両親が結納金をもらって近いうちに嫁ぎに行く生徒もいた。  「1人の女の子を育てるということは、少なくとも3世代に影響を与えられます。教養があり責任感のある母親を育てられれば、山間部に住む子どもが中退することはなくなるでしょう。山間部の貧困問題を解決するには、女性の資質向上から着手しなければなりません」と張さんは話す。これにより、無償の女子校を設立するというアイデアが芽生えた。これに対し、張さんは自分なりの考えがあった。ある家を訪問した時のこと、そこの息子は中学2年生で都市部に行って補習クラスに参加できるのに、その姉は高校3年生なのに親に農作業の手伝いをさせられていたことに気付いた。彼女はその時、どんなに困難があっても女の子たちに学業を修めさせなければならないとやるせない気持ちになった。  彼女は2002年から、実現不可能にしか見えない夢のために駆けずり回った。資金調達の道のりは想像以上に困難を極め、5年間の夏休みと冬休みの期間を利用してようやく集まったのは1万元余りのみ。すでに希望を抱かなくなっていた頃、彼女は07年に中国共産党第17回全国代表大会(17大)の代表に選ばれた。北京で17大に参加した時、記者が彼女の取り組みを報道し、彼女の「女子校設立の夢」が人々に知られるようになった。その翌年、現地政府や各界の篤志家の支援の下、華坪女子高校は正式に設立された。 強く、人助けができる女性へ  開校から今に至るまで、同校の学校総合ランクは10年連続で麗江市のトップで、生徒たちの優れた入試結果は同校の高い評価につながった。しかし昨年、寄付金拒否のニュースで張さんと同校は世論の矢面に立たされた。  その年、同校の卒業生が、卒業して何年後かに夫と子どもを連れて寄付しようと母校を訪れた。しかし張さんはこの女性が専業主婦になったことを知ると、彼女の寄付を断り、「あなたのお金は受け取りません。当時、あれほど貧しい家のあなたを学校はなんとかして卒業まで支えました。それが今は専業主婦になっているなんて」と言った。  この話は社会で大きな論争を引き起こした。女性の生きがいに対する張さんの認識が狭量で一面的に過ぎると批判する人もいたが、山から出て運命を変えたいと切実に思っている多数の貧困女性にとって、「家庭に戻る」ことは良い手本とはいえないと同意する人もいた。中国の多くの立ち遅れている地域と同様、華坪の伝統的な観念も女の子は小さい頃に家の手伝いをし、大きくなったら嫁に行けば良いと考えている。まさにこのような女子教育を軽視した状況と意識を変えるために、張さんは華坪女子校を開校したのだ。この視点から見ると、彼女の態度は理解できる。  同校での生徒たちの時間は分刻みだ。朝5分以内に顔を洗い、10分間の早朝読書をし、体操するまで1分以内に整列する。講義棟へ出入りする際も、食堂へ行く際も、寮に戻る際もほぼ走る。そして張さんは生徒たちよりも早起きし、生徒がランニングしている時はいつも列のそばに張り付き、拡声器を手に「ついてきて、ついてきて、列から脱落しないで」と叫ぶ。  なぜ生徒の在校時間をこんなに隙間なく割り当てるのか。これについて張さんは、生徒は入学時に基礎力がほとんど不足しており、高校で新しい知識を学ぶだけではなく、受けなかった授業を補塡しなければならないと語る。そのため、生徒たちが素質を一刻も早く高め、さらに大きな世界を迎え、それに適応できるように一分も無駄にしてはならない。  同校の生徒は髪を長く伸ばしたり化粧をしたりすることが禁止されている。「彼女たちに、この社会の男女は平等であり、女の子は自分の才能で生きるべきだと知ってもらいたいのです。彼女たちには、見た目を派手に着飾るのではなく、落ち着きと自信の中から美しさやはつらつさを表せられるようにしてほしいです」  同校は毎年の大学進学率などを含む総合ランクが麗江市のトップだが、張さんはまだ納得しない。彼女の目標は、在校生徒全員が大学に入学し、うち約10%が全国の重点大学(政府に権威ある大学と認定された大学)に入り、さらに1人か2人が清華大学や北京大学(いずれも名門大学)に上り詰められることだ。「子どもたちの将来の人生が苦しいものであってほしくありません。彼女たちが社会進出する前に、彼女たちの能力が少しでも向上するのを助けられれば、その後の人生はいくらか順調になります。彼女たちが今後ますます強くなり、助けを必要とする人たちを助けられる能力を備えられることを願っています」  そのため、育てた生徒たちが医者、教師、警察官などの職業を選択し、または在学中や仕事の中でボランティア活動や貧困救済プロジェクトに積極的に参加したり、辺ぴで貧しい、その上危険な地域の開発に身を投じたりすることを知るたびに、張さんは心からうれしいと感じるのだ。(高原=文  新華社=写真) (人民中国 2021年1月28日)