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中国の1人当たりGDPが1万2500ドルに、「高所得国」までの距離は?―中国メディア

このほど発表された国民経済・社会発展統計公報によると、2021年の中国の1人当たり国内総生産(GDP)は前年比8.0%増の8万976元(約145万7500円)に上り、年平均レートでドル換算すると1万2500ドルとなり、世界平均を上回った。経済日報が伝えた。 世界銀行が20年に打ち出した基準に基づいて計算すると、1人当たり国民総所得(GNI)が1万2696ドルに達すると、高所得国の仲間入りになるという。21年の中国の1人当たりGNIは約1万2400ドルで、高所得国の入り口に近づいた。 1人当たりGDPと1人当たりGNIの高さは、一般的にその国の経済発展レベルを反映するものとされる。1人当たりGDPが世界平均を超えたことも、1人当たりGNIが高所得国のレベルに近づいたことも、中国が新発展理念の指導の下で経済の質の高い発展を遂げた成果を十分に示しており、中国経済の安定成長の底力と実力を明らかにしたといえる。 ただ1人当たりGDP・GNIと人々の1人当たり所得とは異なる概念で、現実生活の中ではしばしば混同される。経済規模が拡大すれば、1人当たりGDPもそれに応じて上昇するものの、社会の富は複数回にわたりさまざまなルートで分配されるため、1人当たり所得も増えるかどうかは必ずしも明確ではない。これは経済成長と個人の実感との間に「温度差」が生じる重要な原因の1つでもある。 ある国の発展レベルを客観的に評価しようとする時は、ただ1人当たりGDP/GNIを見るだけでなく、国民の生活レベルや所得分配メカニズムの公平性・合理性などに関する指標をみなければならない。現在、中国は一部の指標が高所得国の入り口に近づいたが、1人当たりGDPはまだ高所得国の標準の下限に到達しておらず、先進国の平均レベルとの開きはなお大きい。これは今の中国が上位中所得国にとどまっていることを意味し、私たちはこの事実を冷静に認識しなければならない。 実際、中国は人口の基数が大きく、領土が広大であるという国情によって、地域間や都市部・農村部の間のアンバランスや協調の難しさという特徴が際立つ。統計によると、現時点で1人当たりGDPが全国平均を上回る省・自治区・直轄市は北京市、上海市、江蘇省など11カ所だけで、他の大多数の省・区・市は平均値の下にとどまっている。さらに言えば、この11カ所の中でも、GDPが全国平均を下回る地級市(省と県の中間にある行政単位)が多数存在する。例えば20年に広東省の地級市21カ所で1人当たりGDPが全国平均を超えたところは5カ所だけ、山東省も16地級市のうち全国平均以上は6カ所しかなかった。 1人当たりGDP1万2500ドルという「パイ」を今どのように注意深く細かく切り分けても、人々の高所得への願いを叶えられないことは明らかだ。この状況に対して、一方では引き続き「パイ」を大きくし、供給側構造改革を深化させることで、経済の循環をスムーズにし、テクノロジー・イノベーションによって、経済の潜在的な成長力を発掘し活性化させ、産業の基礎の高度化と産業チェーンの近代化を推進し、ひいては構造の最適化、質の改善、効率の向上を実現する必要がある。他方では、「パイ」をより科学的に分配し、所得分配制度を改善することを通じて、引き続き所得格差を縮め、よりバランスが取れた、より包摂的な、より質の高い発展によって、共同富裕がさらに大きな進展を遂げるようサポートすることが必要だ。(提供/人民網日本語版・編集/KS)

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日本のアニメ黄金時代はもう過去のものか?―中国メディア

1980年代から90年代末にかけて、日本のアニメ生産量はそれ以前を大きく上回り、その中には質の高い名作とされるオリジナル作品も大量に含まれていた。作風は極めて豊富になり多様化し、産業規模や協業レベルもこの時期は世界の他国を大きく引き離していた。 日本のアニメと言えば、宮崎駿氏の存在を真っ先に思い浮かべる人が多い。「天空の城ラピュタ」から「風立ちぬ」まで、宮崎作品には心を癒やす力がある。 宮崎氏は日本で今存命のアニメーターの中で最もキャリアの長い先達の一人であり、日本のアニメ映画の歴史における代表的な人物であり、戦後日本アニメの一里塚となる作品に多く関わったか監督を務めており、日本のみならず世界の大衆文化に幅広い影響を与えてきた。宮崎作品の魅力は娯楽性の高さにあるだけでなく、社会的責任の意識や時代に対する鋭い洞察を含むところも魅力だ。 宮崎作品はただ華やかな外面的効果を重視するだけでなく、かすかな心の内の変化も大切にし、見る人は年齢に関係なく、創造された時空の中に引き込まれ、キャラクターに共感しリアルな感情を体験することができる。 共感とは観客が物語のキャラクターに投影する感情である一方で、現実とは私たちの人生における予測不可能性のリアルな描写だ。宮崎氏の紡ぐストーリーの核心には必ず現実的な意味が含まれており、神や妖怪・伝説といったファンタジー要素を取り払った人間性の一面こそが、宮崎作品が常に一番大切にしてきたことだ。 宮崎氏のほかに巨匠はいないのだろうか。実は他にも高畑勲氏、押井守氏、富野由悠季氏、大友克洋氏、安彦良和氏、かわぐちかいじ氏などの世界レベルの影響力を持つ巨匠がいる。1960年代から70年代に青春期を過ごし、戦後の社会運動ブームを経験した世代で、日本のアニメ産業に共に身を投じて、日本アニメの黄金時代を作り上げた人々だ。 ここ数年、日本のアニメ産業は高度に市場化、商業化、大規模化しており、この属性がストーリーモデルが市場化する方向性を強く決定づけた。 「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」、「王様ランキング」などの大人気作品が登場はしたが、同質化が激しい、題材が徐々に狭く小さくなっているという問題点が目立つことは否定できない。 押井氏は以前に「鬼滅」について語った中で、原作漫画の人気はもちろんすごいし、絵も非常に精密で細かいが、設定、キャラクター、ストーリー自体に新鮮味はないとの見方を示した。 草の根から立ち上がる定番ストーリーが直面するのは、広い範囲にいる普通の人々であり、市場の淘汰をくぐり抜けて、低コストで迅速に精神的な満足を得られる定型を見つけることだ。市場を前に、人気が出て集金能力が高いストーリー設定が何度もコピーされ繰り返され、同じような題材がいくつも並び、ストーリーの定型化やキャラクターの定番化は避けられない。 アートかビジネスか。芸術に関わる産業が究極的に直面する問題であり、両者のバランスをどう取るかを人々は追い求めており、それがこれからのアニメ産業発展のカギでもある。(提供/人民網日本語版・編集/KS)

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第22回中国音楽コンクール ~音楽は国境を越える~の参加者を募集しています

「音楽コンクール参加者募集」ー第22回中国音楽コンクール 参加者募集ー応募期間:2022/3/1(火)~4/15(金)予選動画4月25日(月)必着応募方法:ハイライトのURLをご覧ください賞:金、銀、銅、特等賞(賞状、トロフィー、賞金)主催:特定非営利活動法人国際音楽協会協賛:一般社団法人中華會舘協力:日本臓器製薬株式会社後援:中華人民共和国駐大阪総領事館/兵庫県・神戸市 /(公財)兵庫県芸術文化協会/(公財) 神戸市民文化振興財団 /(株)アジア太平洋観光社他 近年注目を集めている中国音楽のコンクールです。当コンクールは中国音楽の海外普及をめざしています。入賞者は中国に於いて交流演奏会に参加でき、日中文化の親睦を図ります。多くの賞を設置しており、各国の方の参加をお持ちしております。 「中国音楽コンクール」では、参加者は、中国人作曲家の中国音楽作品で、声楽・ピアノの他、楽器も西洋楽器・民族楽器などで腕を競いました。演奏形態、国籍、年齢も全て不問とし、毎回多くの方にご参加いただいています。初回より日本各地、時には海外からの応募があり、4歳から80代の方まで幅広い方が中国音楽に挑み、音楽を通じての交流を展開しています。 中国音楽コンクールは、今年で22回目を迎えます。 写真は5歳の子どもから80代のシニアまで、中国人や日本人、音楽のプロやアマチュアなど問わず全国各地からの参加者です。 詳しい応募要件は下記をご覧ください↓↓ 特定非営利活動法人国際音楽協会についてはこちらをご覧ください↓↓http://www.zhonghua-huiguan.com/music/

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日中文化交流公演 歌い語り「スーホの白い馬」 こころ…揺れる…開催のお知らせ

歌い語りとは、物語を歌と語り、ときにはお芝居も加えてお届けする舞台です。

今回は、モンゴルの民族楽器「馬頭琴」の由来にまつわる物語「スーホの白い馬」を元に、子供から大人まで楽しめる作品として脚本化し、主人公である羊飼いスーホと、彼が拾い育てた白い馬との、こころの交流を描きます。

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【東西文明比較互鑑】秦漢とローマ(4)商業道徳の東西比較

仁政の負担 2017年の夏、モンゴル・ハンガイ山脈。中国とモンゴルの合同考古学チームはある赤褐色の石壁で摩崖石刻〔懸崖に彫刻した文字や仏像〕を発見した。専門家の考証を通じて、これが数多くの古い書物に登場する「燕然山の銘」―漢が匈奴に大勝したあと〔班固の言葉が〕刻まれた碑文―だと確認された。 この碑文はローマ帝国にとっても重要である。燕然山の役が200年におよぶ漢と匈奴の一進一退の戦いに終止符を打ち、その結果、北匈奴は西に逃れ、これが中央アジア草原民族西進の連鎖反応を引き起こしたからにほかならない。 匈奴が西に向かったのはなぜか。2013年、米国の古気候学専門家エドワード・クックが気候変動との直接的関係を指摘している(15)。2世紀から3世紀、モンゴル高原と中央アジア草原は100年におよぶ深刻な干害を経験し、生きていけない遊牧民族は中国に南下するか、欧州に西進するかしかなかった。そして、漢との戦争でついぞ勝利を手にすることができなかった匈奴には西進以外の選択肢がなかった。匈奴は中央アジア草原の遊牧民族とともに農業文明の中心―ローマを目指し、最終的に西ローマ帝国を瓦解させることになる。 漢朝が匈奴の南下に抵抗し続けなかったら、東アジアと世界の歴史は書き換えられていただろう。漢の武帝は即位から7年後(133年)、いつまでも続く匈奴の侵犯に我慢がならず、以降12年続く匈奴との戦争にふみきった。霍去病が遠征し、最後は河西地方〔今の甘粛省〕に諸郡が置かれる契機となった決戦のさなか、匈奴の渾邪王が4万の部衆を率いて投降した。そして、投降した彼らを武帝は辺境の地に安住させることにしたのである。悪事の限りをつくした匈奴を今は官費で養わなければならない、漢の民がその面倒をみなければならない、これは中国の根幹を傷つけることになる、家臣たちはそう諫めた(16)。武帝は熟慮の後、皇室で費用を負担して匈奴部衆の平穏な暮らしを保証することにした。 戦争で負けた者たちを奴隷にするどころか自腹を切ってまで扶養するのは何のためか、疑問をもつ人もいるだろう。答えはこうである。儒家「仁政」思想が支配的だった当時、漢朝が必要としたのは人心の帰順だったからである。匈奴部衆の帰順に嘘がなければ、それだけで十分彼らは中国の民であり、仁義と財貨をもって遇する必要があるということだ。 しかし、仁政の負担は非常に重かった。中原と草原が同時に天災にみまわれると大量の小農民が困窮し、土地と家屋を豪商に売らなければ生きていけないところにまで追い詰められた。その一方で、これに乗じて利益を手にした投機的商人や大地主は一貫して国家の利益に無関心だった。朝廷が動乱平定資金の援助を要求しても、あろうことか「勝算が見込めない」のを口実に断ることもあった(17)。 こういう状況に対して官も民も、農業と商業の矛盾を解決する方法を探し続けた。法家思想を前面に出す人々は「重農抑商」を提起した。しかし、商業は漢朝繁栄の礎だった。一方、儒家は農業税の減税を主張した。しかし、税収が減ったら中央はどこから災害対策費、戦費を調達するのか。 武帝の時代になってようやく、桑弘羊という商人がこの問題に有効な解決を与えることになった。 国家に尽くす儒家商人 商人出身の桑弘羊は13歳のときに宮廷に仕え、当時16歳だった劉徹〔武帝〕の伴読〔勉強のお供〕を務めた。20年後、商人がまたもや資金援助を拒否したとき、業を煮やした劉徹は桑弘羊の立案で全国の製塩業と鋳鉄業を全面的に政府管理下におく〔専売制〕命令を出した。紀元前120年のことである。塩と鉄は古代社会最大の消費物資であり、政府はこの最大の財源を独占したのである。 桑弘羊はほかにも「均輸法」と「平準法」をあみ出した。 各地方は余剰産品を朝廷に献上し、朝廷は官のネットワーク経由でこれを不足地域に配分するというのが均輸法である。このおかげで政府は農業税を増税しなくても巨大な財力を得ることができた。一方、平準法は同じく官のネットワークを通じて価格変動を解消するものである。ある商品の価格が高騰した場合、国家は市場に該当商品を廉価で放出し、逆に暴落した場合は買い入れる。こうすることで物価が安定するというものだ。 桑弘羊はさらに貨幣も統一し、分散していた鋳造権を朝廷に一元化した。まさにこうした一連のマクロコントロール政策と、中央財政が体制的に確立したおかげで、漢朝は天災による農業被害と匈奴の侵犯を克服する力を得ることができた。そればかりか、この経済力のおかげで漢朝は数々の業績を残すことができたのである。 桑弘羊は商人の気質をそなえていたが、同時に儒家の考え方もしっかり身につけていた。個人で蓄えた富を屯田〔辺境の兵士が耕す土地〕の開拓や水害対策に投じ、国家のために「天下を切り盛りした」。商人たるもの、いかなる規制にも縛られない「個人商業帝国」の建設を追求するべきなのか、それとも「独り其の身を善くする」にとどまらず「天下を兼く済う〔世の民の幸福のために尽くす〕」のか、商道の使命はいかに―この永遠のテーマを桑弘羊は後世の中国商人に残したのである。 西洋の商業観 桑弘羊と同時期のローマ帝国で、最大の豪商といえば「ローマ一の金持ち」クラッススである。クラッススはローマに消防隊がないのをいいことに、以下の方法で富を築いた。まず500人の私有奴隷で自前の消防隊をつくる。そして、火事がおこるとその家に向かい、家を安価で自分に売るよう要求する。家主が承諾すれば消火をはじめるが、拒否すればそのまま焼けるにまかせる。家主は仕方なく廉価で売らざるを得ないわけだが、そのあとクラッススは修築して当の「家主」を住まわせ、高額の家賃を搾り取る。このようにして彼は「火事場泥棒」よろしくローマ市内の大半の家屋を買い占めた。また、クラッススはローマ最大の奴隷斡旋業も営んでいた。彼の遺産はローマの国庫収入1年分に相当したという。 クラッススはパルティア遠征中に亡くなったが、彼が従軍したのは国家のためではなく自分のためだった。新たな属州を征服した者はその地の富を優先的に収奪する権利があるという暗黙のルールがローマにはあったからだ。クラッススのような商人兼政治家がもし中国にいればどうなるか。身代を築いたそのやり方は商業界全体から軽蔑されただろう。政治のリーダーになるなど論外である。しかし、ローマでは違う。その人物の財力が強力な軍隊を賄うのに十分であれば、あるいは大量の票と交換するのに十分であれば、それだけで政界トップの座に居座ることができたのである。 中国の商業精神は儒家農業文明から枝分かれした傍系である―これは近代以降にみられる考えだが事実ではない。商業精神はまぎれもなく儒家農業文明に内在する重要な構成要素だった。儒家思想を受動的に受け入れたのではなく、それに実質的な修正を加えたのである。 すでに戦国時代には、斉の宰相・管仲が市場による富の調整、貨幣による価格形成、利益システムによる社会的行為の誘発を提起し、行政権力の強制的な規制に反対していた。これは非常に近代的な考え方である。資本主義経済の成長発展はなくとも商工業文明の種は当時からすでに中国にあったということがわかる。 中国の商工業文明は生まれてすぐに儒家のモラルに、後には「家国責任〔国のために尽くすことを責務とする〕」にも縛られたが、これこそまさに二重の束縛であり、その結果、西洋タイプの企業家が中国では遅々として生まれなかったという人がいる。しかし、モラルと「家国責任」の問題に答えなければならないのはむしろ今日の西洋企業家のほうである。自己の利益を純粋に追い求めていけば自ずと社会共通の利益に到達するのか。国家の利益と個人の利益をどうやって明確に線引きするのか。国家主権から離れたところに自由経済は存立し得るのか。中国は2000年の昔からすでにこれらの問題を考え始めていたのである。 (15)エドワード・クックは気候システムに関するある仮説を提起、4世紀に中央アジアで干害が発生したのとほとんど同時にフン族(the Huns)がはじめて西に移動しローマ帝国に侵入したとした。Nicola Di Cosmo、Neil Pederson、 Edward R. Cook「Environmental Stress and Steppe Nomads:Rethinking the...

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2022年馬頭琴コンサート

モンゴ儿族若手馬頭琴奏者が池袋に集い馬頭琴の名曲を奏でます。まるでモンゴルの大草原を馬に乘って駆け回っているような感覚になること間違いなし。馬頭琴の音色を聴きながら、素敵な週末を共に過ごしましょう。 【会場】:としま区民センター 多目的ホール【日程】:2022/4/1(金)開場: 18:30 / 開演: 19:00【入場料】:3000円

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座りっぱなしで運動効果が大幅に低下―中国メディア

運動が体にいいことは誰もが理解しているが、日々の運動の目標さえクリアしていれば、それで問題ないのかというとそういう訳ではない。なぜなら「じっとしていること」が運動効果を大幅に低下させてしまうからだ。北京市疾病予防コントロールセンターの専門家は、「こまめに動くこととじっとしている時間を減らすことは、どちらも同じくらい重要」と人々に注意を呼びかけている。北京青年報が伝えた。 運動が体にいいことは誰もが理解しているが、日々の運動の目標さえクリアしていれば、それで問題ないのかというとそういう訳ではない。なぜなら「じっとしていること」が運動効果を大幅に低下させてしまうからだ。 ■万人共通の「運動公式」 成人について、身体的条件が許せば、どのような種類でも運動は行うべきとしている。世界保健機関(WHO)は、「中程度の有酸素運動を週に最低150分から300分間、あるいは高強度の有酸素運動を週に最低75分から150分間、あるいは中強度と高強度の有酸素運動を組み合わせ、同じ時間行うこと」を推奨している。 週に2日以上、あるいは隔日、高強度以上のレジスタンス運動をすると、筋肉が強化され、あらゆる主要な筋肉群を鍛えることができる。 ■12時間、運動せず座りっぱなしだと、運動効果は全て消滅 1日24時間のうち、睡眠時間を除くと、私たちには約16時間の活動時間があり、毎日30分間の中程度あるいは高強度の運動を行うとする。そして、残った15時間半の間、リラックスして動かず座って過ごしていると、身体にどんなことが起こるのだろうか? 中程度あるいは高強度の運動によってもたらされる健康効果は、長い間動かない状態による影響を受けることが、研究から判明している。極端な場合、1日のうち座っている時間が11、12時間に及んだ場合、中程度あるいは高強度の運動による健康効果は、弱まるもしくは完全に相殺される恐れもあるという。 このことから北京市疾病予防コントロールセンターの専門家は、「『規則的に運動するかどうか』と『長時間動かず座り続けるかどうか』は、両方とも等しく重要であり、日々の行動プランを練る上で、いずれも検討すべき重要事項である」と市民に注意を呼びかけている。(提供/人民網日本語版・編集/KM)

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中国時代劇ドラマの衣装やセットの「再現度」、こだわり抜いた精度も大きな魅力に

中国時代劇ドラマではセットや衣装、小道具の再現度の高さもファンを引き付ける魅力となっているが、中でも特に精度の高い作品を台湾メディアが紹介している。 現在配信中の「尚食」は、明朝の宮廷を舞台にした作品。女優ウー・ジンイエン(呉謹言)の演じるヒロインは、宮中の食事を作る「尚食局」の宮女という設定のため、ドラマに登場する数々の美食も話題に。明代の随筆「陶庵夢憶」をはじめ、「烏青鎮志」「閱世編」といった書籍にある明代の飲食文化を再現している。 また、プロデューサーのユー・ジョン(于正)は衣装にもこだわり、書籍や絵画から当時の官服を忠実に再現。クランクイン当初には、登場人物の衣装が「韓服」のパクリではないかと韓国のネットで批判され、中国のネットではこの批判が嘲笑されたことも話題になった。 同じユー・ジョンのドラマでは、2018年のヒット作「瓔珞<エイラク>〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜」は「文化財レベル」「博物館レベル」と称賛されるほど衣装や小道具にこだわり、伝統工芸の職人が丹精を込めた品々が登場。皇后の衣装1着だけで制作費は40万元(約730万円)と報じられた。同年、同じく清朝が舞台の宮廷ドラマ「如懿伝(にょいでん)〜紫禁城に散る宿命の王妃〜」もこれに肩を並べ、衣装や小道具はじめ宮殿の装飾やスケールの再現度が高いことが、北京の故宮(紫禁城)から認定されている。 19年のヒット作「長安二十四時」は唐の長安が舞台だが、当時の長安城108坊をそっくりに再現。作り物ではなく、人々の息遣いまで聞こえるようなリアル感のある町並みが話題になった。衣装や女性の化粧は、絵画や壁画を参考に再現し、制作費6億元(約109億円)のうち、セットや衣装の費用が70%を占めている。 同じ19年にヒットした「明蘭〜才媛の春〜」は北宋を舞台にした作品。当時の都・汴京(現在の開封)の町並みは、そのにぎわいを描いた当時の絵画「清明上河図」を忠実に再現。登場する高官たちの官服や女性の衣装だけでなく、商人や庶民の衣装も当時の風俗を記した「東京夢華録」を参考に、正確さを追求したことで知られる。(Mathilda)

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春節は家で何をしていた?スマホでショート動画視聴が最多―中国

春節(旧正月、今年は2月1日)期間中、家でスマホをいじりショート動画を見ていた人が多かったようだ。統計によると、同期間中、動画とSNS、スマホゲームが、人々の71.8%の時間を占めていた。中でもショート動画を見ている時間が最も多かった。また、情報やショッピング、外出、生活サービスなどが占める割合も全体的に増加した。このようにデジタル化ライフが人々の休暇にも一層深く影響を与えるようになっている。北京青年報が伝えた。 データエージェンシーのQuestMobileが実施した今年の春節期間中のスマホ使用状況に関する調査によると、ネットのアクティブユーザー数は安定した中で小幅に増加し、8億7200万人に達した。また、さまざまな要素が重なって、今いるところで春節を過ごした人が多かったこともあり、同期間中、一、二線都市のアクティブユーザーが目に見えて増加した。 ネットユーザーのアクティブな時間帯を見ると、春節期間中は夜更かしする人が減り、日中にネットを利用する人が多くなったことが分かる。午前9時から、アクティブユーザーの割合がぐっと増加した。 春節に加えて、北京冬季五輪が開催され、各ブランドがその大きな波に乗るというのが新たなトレンドとなった。具体的に見ると、各大手ECプラットフォームは、中国中央テレビ局(CCTV)の春晩(春節を祝う中国の国民的年越し番組)とコラボしたり、新春お年玉キャンペーンを展開したりするなど、例年通り春節に合わせたマーケティングを展開した。また、冬季五輪観戦も人々の春節の娯楽に加わり、一線都市や五線以下の都市の若者が最もアクティブだった。フリースタイルスキーの谷愛凌(アイリーン・グー)選手や大会マスコットのビンドゥンドゥンも大人気となり、ブランドオファーや関連商品も急増し、五輪の波に乗って大々的な宣伝が行われた。 また、新型コロナの影響で「今いるところで年越し」が呼びかけられたのを背景に、春節期間中、都市では娯楽消費ニーズが非常にアクティブになり、春節前は買いだめをする人が目に見えて増加し、春節後は市内に出かけて娯楽を楽しんだり、映画を鑑賞したり、観光スポットをぶらぶらしたりする人も目に見えて増加した。 映画鑑賞が人々のレクリエーション・娯楽の主な方法となり、春節当日に封切られた映画が大人気となったことは注目に値する。市内観光のニーズも旺盛で、都市観光に出かけた人は春節当日の2月1日と4日が最も多かった。 冬季五輪開催が注目を集め、中国の動画アプリ・咪咕視頻やCCTVのアプリなどが五輪を生中継する主なアプリとなり、開会式の時から視聴者が大幅に増加した。冬季五輪開催により、人々の運動や健康に対する注目も高まり、KeepやHealth、咕咚といった関連業界の人気アプリのダウンロード数が春節期間中増加した。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

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「文明の衝突」を唱えるのは愚かなことだ―インド人哲学者が鋭く喝破

「文明の衝突」という言い方がある。米国人政治学者のハンティントン氏が提唱した言葉で、現在の世界にとっての最大の脅威は「さまざまな文明の衝突」と主張する説だ。全インド哲学連合会会長などを務めるS.R.バット氏は、「文明の衝突」式の世界観を「理知が欠落」などと鋭く批判する。バット氏はこのほど中国メディアの中国新聞社の取材を受け、自らの主張を披露した。以下はバット氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。 【その他の写真】 ■世界の多様な文化には相違点もあれば類似点もある 人類の思考は無から生じるものではなく、特定の文化に根差すものだ。従って世界各地でさまざまな思想体系が発達したことは、時代と文化環境の違いによる必然の結果だ。しかし、それぞれの思想体系が普遍性を持たないということではない。なぜなら人が抱く願いとは、おおむね同じだからだ。だから、人類の思想は地域性を持つと同時に世界性を有し、個別であると同時に普遍的だ。人はそれぞれが多様な現実体験を持ち、そのことについての多様な表現方式を持つ。従って我々の思考方式や生活方式を一方的に統一すべきではない。 真の思想は必ず、地元文化の制約を受けた具体的な生活の経験から出現する。従って「思想の民主」を方針にせねばならない。創造力を持つ人でも、意見が一致するとは限らない。従って弁論や交流、対話の余地を保たねばならない。そのことによって、真理を得ることができる。 ■現実は「一」でもあり「多」でもあるという哲学的考察 現実は極めて豊富で複雑なので「あれかこれか」という排他的な態度では理解できない。二分法や排他的な方法では、多様性や動的変化、開放性、さらには無限の展開性を理解することが難しくなる。 現実の本質とは統一だ。現実は一方で、多様的という現れ方をする。「一」は「多」の中に存在し、「多」は「一」の中に存在する。まさに華厳経が説く「一即一切、多即一(小さな「一」が宇宙全体と同等の存在)」ということだ。 「一」は本質の面でも存在の面でも「多」に先行する。まずは「一」が存在してこそ「多」が成立するからだ。しかしそのことは、「一」の価値の方が「多」より上ということを意味しない。「一」と「多」は現実の両面であり、「一」と「多」は互いに補いあう。 世界に存在する文化は驚くほど多様だ。しかし異なるだけでなく、共通点や類似点もある。だからこそ私たちは互いに理解し平和に共存し、互いを強め合うことができる。それぞれの文化の内部でも、いくつかの異なる思潮が発展してきた。同時に新たな思想がそれぞれの文化に外部から流入した。こうして、それぞれの文化が統一性を保つと同時に多様性が加わることになった。 人類文明とはオーケストラのようなものだ。それぞれの楽器が奏でる音が、感動的な音楽をつくる。もちろん、時折は調子を外した音が鳴らされる場合もある。しかしそのような現象を「常態」と見なしてはならない。あくまでも「不正常」なのだ。 ■排他的発想が基本にある「文明の衝突」観は理知が欠落している 人類はすでに多元文化主義を手にしている。文化を共有することはそれぞれの文化にとって有益だ。だから私は「文明の衝突」の考え方には理知が欠落していると主張する。全ての文化文明には同等の価値と効能があり、互いに補う性質がある。今の時代に必要なのは文化の対話と親睦と調和だ。文化の優越や文化の覇権争いを主張すれば必ず、平和共存と全世界の調和を損ねることになる。 多元文化主義は平等や博愛、正義、非暴力を提唱する崇高な理想だ。その寛容と共存、一致、調和の哲学は、今の時代が強く必要とする柔軟な適応の実現や対立を解消して和解に至る道をもたらすために有効だ。 「科学の奇跡」により、人類の苦痛や労苦が軽減され、生活の質が向上していく時代が到来した。しかし現代は一方で、恐怖と暴力、さらに低級な衝動が全世界範囲で勢いづき、理性的な思考による対応が難しくなりつつある時代でもある。従って人類文化をより深くより高く探求し、さまざまな方式で文明を前進させていかねばならない。 グローバル化が進み高速交通網が発達した現代において、世界はぐっと小さくなった。移住や移民という現象は、人類文化が始まって以来、常に存在したが、現在はその流れが加速している。そのために、異なる文化を持つ人が互いに隣人になるという現象も飛躍的に増加した。複数の文化が共存する世界を、より健全に発達させねばならない。そんな状況にあって、真に歓迎すべきことは「文明の衝突」を論じることではい。多元文化主義こそが、人類の文明全体をさらに豊かにする力なのだ。(構成/ レコードチャイナ 如月隼人)