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日中韓の青少年映画作品を放映 多元文化映画祭@池袋

3月22日、としま区民センター多目的ホールで「多元文化映画祭@池袋」が株式会社アジア太平洋観光社、アジア国際青少年映画祭日本、豊島区日中友好協会の共催で開催された。 本映画祭では、「第11回〜14回アジア国際青少年映画祭(AIYFF)」で入賞した作品の中から「家族」、「恋愛」のテーマに沿った厳選作品を8本放映した。 映画祭冒頭では、第14回アジア国際青少年映画祭(AIYFF)日本実行委員長の高橋克三氏から映画祭の開幕宣言が行われ、前半1部は「家族」、2部は「恋愛」に関する日中韓青少年の作品を放映した。 当日は平日の昼間にも関わらず、日中の映画祭関係者及び映画愛好家が会場に集った。青少年たちの作品はいずれもクオリティが高く、また現代の若者から見た家族観や恋愛観を通して、日中韓の異文化理解が促進されることになった。 当日の上映ラインナップはこちら 第1部「家族」 「かぞくの作り方」 第12回優秀賞(日本)「別れ」第14回優秀賞(中国)「日曜に会い、月曜にさようなら 」第11回金賞(中国)「ウォンイエの話」 第14回最優秀脚本賞(韓国) 第2部「恋愛」 「トカトントン」 第14回グランプリ(日本)「男を嗅ぐ」 第12回最優秀脚本賞 (中国)「手紙」 第14回高校生グランプリ(韓国)「Get it beauty」 第12回最優秀監督賞(韓国) スクリーンを通した新たな多元文化交流の形が継続していくことを願うばかりだ。 ※アジア国際青少年映画祭(Asia International Youth Film Festibal, AIYFF)は2004年の韓国での開催から続く、日中韓の学生作品を対象とした国際映画祭です。AIYFFは、映像を介したアジアの青少年たちの交流の場であり、文化と情緒を共有する青少年文化祭としての役割を目指してきた。昨年に開催された第14回は東京・池袋およびオンラインにて開催。日中韓の青少 年により制作された映画の上映と交流が行われた。

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『花束みたいな恋をした』中国で1万スクリーンの大規模公開 菅田将暉&有村架純がコメント

菅田将暉と有村架純がダブル主演した映画『花束みたいな恋をした』(土井裕泰監督)が、2月22日より中国で公開がはじまり、その公開規模は32省で上映館3700館、1万スクリーン以上という近年の日本の実写映画としては異例のスケールで展開されていることがわかった。菅田・有村からそれぞれコメントが届いている。 【動画】映画『花束みたいな恋をした』予告編  同映画は、東京・京王線の明大前駅で終電を逃し偶然出会った大学生の男女ふたりの忘れられない5年間を描いたラブストーリーで、『東京ラブストーリー』『Mother』『カルテット』など、時代を超えて多くの名作ドラマを生み出してきた脚本家・坂元裕二のオリジナル作品。  2021年1月29日に日本で公開され、共感度100%の映画としてSNS中心に口コミが広がり、全国映画動員ランキング(興行通信社調べ)6週連続1位、15週連続トップ10にランクイン、興行収入は38億円を突破し、日本中に“はな恋”ブームを巻き起こした。  香港(21年6月10日公開)、シンガポール(21年6月17日公開)、韓国(21年7月14日公開)、台湾(21年7月16日公開)でも公開され、各地で大きな反響を呼んでいた。  本作の脚本を務めた坂元のこれまでのテレビドラマが中国でも人気を集めており、坂元の映画初オリジナルラブストーリーであるということ、さらにキャスト人気の高さから、中国のソーシャル・カルチャー・サイト「Douban」では、2021年の日本映画で年間1位を獲得するなど、期待が高まる中での封切りとなった。公開と同時に多くのファンが劇場に駆け付け、初日のみで興行収入は1028万元(約1億8400万円)の好スタートを記録。日本同様に中国でも”はな恋“旋風を起こせるか注目が集まる。  中国での公開を受けて菅田は「1年前、映画館にさまざまな制約がかかった日本でなんとか公開された、そんな作品がこんなに大きなスケールで中国の方々のもとに届けられることになるなんて、感謝の気持ちでいっぱいです。坂元さんの散りばめた素敵なせりふが言葉や文化の垣根を越えてどんな風に受けとめてもらえるのか、興味深いです。『花束みたいな恋をした』に関わった全ての方の思いがちゃんと伝わりますように」。  有村は「昨今は海外へ行くこともままならない中、この作品が日本を離れ、より多くの方へ届けることのできる機会をいただけたこと、心から感謝致します。この度は中国にて公開ということですが、大切な人と心と体でつながり合える愛おしい時間を、思い出を、抱きしめながらご覧になっていただけたら幸せに思います」と、それぞれコメントを寄せている。

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『COME&GO カム・アンド・ゴー』リム・カーワイ監督インタビュー

大阪を中心に活動を続けている、旅する映画作家リム・カーワイ監督。現在、2012年の『新世界の夜明け』、2013年の『Fly Me To Minami 恋するミナミ』に次ぐ大阪3部作の最終章『COME&GO カム・アンド・ゴー』が絶賛公開中だ。9カ国・地域に及ぶ国籍も言語も異なる人々が紡ぎ出す 複雑な物語を見事に捌き分け、日本と世界の関係性を描き出す。 ©cinemadrifters リム・カーワイ  Lim Kah Wai マレーシア生まれ。大阪大学卒業後、通信業界で働いた後、北京電影学院に進学。卒業後、北京にて『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』(2010年)を自主制作し、長編デビュー。監督作品は『マジック&ロス』(香港)、『新世界の夜明け』(日本)、『恋するミナミ』(日本)、2016年には中国全土で一般公開された商業映画『愛在深秋』(日本未公開)のメガホンをとり、最新作はバルカン半島で自主制作した『いつか、どこかで』など、数多くの作品を手がけている。 マレーシア出身のリム・カーワイ監督は、2010年、北京で『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』を自主制作し長編デビュー。香港で撮影した『マジック&ロス』や大阪二部作の他、バルカン半島で撮影した『いつか、どこかで』を自主制作するなど、まさにタイトルさながら世界を「COME&GO」(行ったり来たり)して映画をつくっている。  北京を引き上げて日本の大阪に拠点を移した2012年に公開された『新世界の夜明け』では大阪の新世界を舞台にした。大阪市は、梅田あたりの北(キタ)と心斎橋や難波などの南(ミナミ)に大きく分かれる。心斎橋から難波はおしゃれで賑やかなエリアだが、2キロと離れていない所にある天王寺エリアはいまでこそアベノハルカスができて観光客も来るようになったものの、10年前は見捨てられたようなさびれた場所だったという。『新世界の夜明け』はそのような場所で撮影された。そのときにリム監督は正反対のおしゃれなエリアでも映画が撮れるのではと思い、『Fly Me To Minami 恋するミナミ』では難波に舞台を移した。「新世界」のときにはすでに自らが住むキタでも撮れると確信し、大阪のそれぞれのエリアの面白さを描く大阪3部作の構想が生まれていたのだ。  監督が住むのはキタの中崎町。梅田からは10分もかからない。『COME&GO』は中崎町を中心に「3キロ以内で起こる話」だ。中国、台湾、韓国の観光客、マレーシアのビジネスマン、ネパール難民、ミャンマー人留学生、ベトナム人技能実習生などの外国人たちと、彼らとの日常を共有する日本人たちの3日間に起きた小さな出来事の断片を描いた物語。9カ国・地域に及ぶ総勢14人の主人公が織りなす複雑なストーリーを見事に捌き、日本が抱える様々な側面も監督特有のユーモアと皮肉を利かせた軽妙なスケッチでひとつに集約させていく。  技能実習生の現実や学費に悩む留学生、出張中のビジネスマンなどの日常がリアルに描かれるが、ひとりひとりの個性がきわだち、強い印象を残す。それもそのはず、出演者は各国で有名な人物ばかりなのだ。台湾映画の巨匠ツァイ・ミンリャン監督の作品で日本でもおなじみのリー・カーションをはじめマレーシア、韓国、香港で活躍する有名俳優、そしてベトナム映画を代表するスターやネパールで絶大な人気を誇る民謡歌手、ミャンマーやアメリカで活躍する女優・俳優、日本からは千原せいじや桂雀々、渡辺真起子、尚玄、兎丸愛美が中崎町に住む個性豊かな面々を演じている。  今回特に貴重な映像となったのが、北京で舞台演出家・脚本家として知られているゴウジーとリー・カーションのからむシーンだ。中国から来た観光客を台湾からたびたびAVグッズを買いに来る大阪通が案内する。一緒に温泉につかったり、居酒屋で向かい合ったり。監督にとって、この2人を共演させることはひとつの夢でもあった。台湾映画が好きな人ならよく知るリー・カーションと、北京のアングラやアート界の知る人ぞ知るゴウジー。2人だけで1本の映画が撮れるほど、味わい深い映像になっている。「この2人の映画を撮ったら、カンヌにいけるかも……」(監督談)  これだけの人数での撮影はさぞや大変だっただろうと水を向けると、次々飛び出したのが「少ない予算でどうやって出演者を呼ぶか、撮影スケジュールをどう組むか、どこに宿泊してもらうか、店とどう交渉するか、予算をどう振り分けるか…」といった撮影や演出以外のあらゆるマネジメント作業の苦労話。通常なら全員が揃って準備やリハーサルをし、さらに撮影まで3週間は必要だが、今回は衣装合わせから撮影まで5日ほどですべておこなわなければならなかった。俳優陣の来日日程もバラバラ。それらすべてを「大変だけど楽しかった」と語る監督は、他の映画監督のイメージとは様々な面で違っている。  まずは筋書きだけでセリフの台本がない即興の演出方法。最初からこのスタイルと決めていたわけではない。初の長編作品では脚本を書いていたが、現場では様々な状況に合わせて変更していかなければならない。脚本があってもどんどん変わっていくし、かと思えば2作目の『マジック&ロス』は難しい内容にも関わらず脚本無しでできた。それなら最初から脚本はいらないのでは……? と脚本の必要性に疑問を持ち、これまで8本の長編を撮った中できちんと台本があったのは2本だけだったという。  そして最初にイメージがあるのではなく、現場で決めていく撮影スタイル。ある場所で撮影するとして、まずは「撮らせてくれる場所」を探す。見つかったら現場に足を運び、どのように撮るかを考える。場所に合わせて脚本を作っていくのだ。最初にイメージがあってそれに合う場所を探す場合と比べ、手間も予算もかからない。役者にも同じことが言える。イメージに合う役者を探すのではなく、まずは出演してくれるかどうかの交渉……。  コロナ禍を経て「ますます運命というものを感じるようになった」という監督。多くの人が大変な時期を過ごし、いまも苦しんでいるなかで、こうして苦難を乗り越えて生活できている私たちは幸運だ、それに感謝しなければならない。監督は何度もそう繰り返した。