儒家も老子も重視した「民」、現代にどのように生かすべきか―中華孔子学会会長が答える
儒家などによる中国の伝統思想は「民意」、「民心」、「民本」などを強調してきた。そのような考えは現代にどのように生かすべきなのだろうか。中華孔子学会の会長も務める、北京大学哲学科の王中江教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて「民」の重視と政治理念の関係について語った。以下は、王教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
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■儒家の孟子も老子も「根本は民」と説いた
中国において「民本」や「民心」の概念は極めて早い時期に出現した。早い時期から儒教の最も大切な経典の一つとされた尚書(書経)には、君主の姿勢として「民に近づかねばならない。民を下の存在と見なしてはならない。民は国の根本である。根本がしっかりしていれば、国は安泰である」との記述がある。孟子も「民を貴(たっと)しとなす。社稷(しゃしょく、国家)は民に次ぐ。君主は軽い」と説いた。
儒家以外にも、例えば老子は「聖人は常に心無く、百姓の心を以って心と為す(聖人は自らの心、すなわち願望を持ち合わせていない。庶民の心を自らの心とする)」と説いている。
写真は孟子出身地の山東省鄒城市にある孟廟
■天意は民意を反映し、君主は天意に従う
中国では、天が君主を定めると考えられた。その目的は民衆の利益と幸せの向上だ。また、易経は「天地が存在して万物が生じる。万物が生じて男女が生じる。男女が生じて夫婦が生じる。夫婦が生じて親子が生じる。親子が生じて君臣が生じる。君臣が生じて上下が生じる」などと説いている。つまり「天と地」を人の世界の出発点とした。
中国では世界の統治者を「天子」とも呼んだ。すなわち、天の子として、天の意向を実現させる存在だ。その背景には、天意にかなうことは正義であるから、民意にもかなうとの考え方がある。さらには、天意は民意により生じるとの考え方がある。尚書には「民の欲するところ、天、かならずこれに従う」との記述もある。
写真は孟子出身地の山東省鄒城市にある孟廟
■考えの筋道は違っても「民意最優先」は古今東西の政治の大原則
西洋では18世紀、社会の起源についての重要な考え方として「契約論」が登場した。思想家により考え方は異なるが、一般には、人類は原初の「自然」の状態から離脱して国家を樹立したと考える。そして国家の樹立にともない、個人はある種の権利を獲得する一方で、別の種類の権利を手放し、国家に譲った。国家はそのようにして権力を獲得し、社会を統治するようになった、と考える。
中国の伝統思想と西洋の契約論には共通する点もある。それは、国家の目的を、民衆の願いと民衆自身の利益を満足させるためとする考え方だ。異なるのは、国家権力が発生する際のメカニズムについてだ。西洋の契約論では、人々は自ら、安全や平和、利益を確保するために、「暴力的手段」といった権利を国家に譲り渡したとされる。中国では、聖人が君主になると考え、君主は民衆の基本的な願望と必要を満たす存在と考えられた。
写真は孟子出身地の山東省鄒城市にある孟廟
現在の政治哲学では、国家や政府は目的ではなく「道具」と考えられる。国家や政府は民衆の願望や利益を満たすために樹立されたものであり、大衆の願望や利益をよりよく満たすために、発展し変化していくことが求められる。
中国の古典的な思想にある「民心」を重視する理念は、現代の政治にもあてはまる。政治とは、民衆の求めるところに向かっていかねばならない。政権は民意に応じて整備され、統治は民意に耳を傾けて改善され、制度は民意を受けて健全化されていかねばならない。民意や民心に従うことは、あらゆる政治統治の出発点であり、民意や民心に合致しているかどうかが、あらゆる政治統治を評価する上での基準であらねばならない。(翻訳・構成 /レコードチャイナ)