中国の錠はいかに独特な文化を生み出したのか―― 古陶磁器収集家・鑑賞家の余学雲氏に聞く

福州で開催されていた「鎖出別様——歴代の錠傑作展」が閉幕した。 展示された 99個の錠は、唐・宋・元・明・清から近代のもので、中国の錠文化を映し出した。 中国古代の錠は、いかに独特な文化を生み出したのか。古陶磁器収集家・鑑賞家で、中国古陶瓷学会会員でもある祥雲軒将楽窯博物館・余学雲(ユー・シュエユン)館長が詳しく語ってくれた。

「鎖出別様——歴代の錠傑作展」で展示された錠に見入る参観者。撮影/記者 劉可耕

記者:錠はどのように発明されたのですか。中国の錠文化はどのような歴史をたどったの でしょうか。


余学雲:錠の歴史は人類の文明の物証です。遠い古代、聡明な人々は個人の貴重品を獣皮で包み、縄で縛って、最後のほどくところに特殊な結び方をしました。この結び目は「骨銼」と呼ばれる特殊な道具でなければ開けられませんでした。結び目と骨銼こそが、今日の錠と鍵の原型です。歴史が下るにつれ、錠は発展し、整備され、多くのカテゴリーに分かれました。


 見つかっている中で、錠としてある程度完成している最古のものは、五千年前の仰韶文化における木製の錠です。中国の錠の発展にはいくつかの段階があります。材質で言うと木製から金属製(鉄、銅)へ。構造から言うと、閂錠――バネ錠――レバータンブラー錠――ピンタンブラー錠へと移り変わりました。機 能の面では、実用性――美観――技術性(西洋からの導入)という特徴を示しています。


 最も古い仰韶文化の木製錠の後、周代には倉の木製錠と鍵についての記載が登場します。初期の木製錠は構造が簡単で大きく、鍵の多くは竹製で、簡単に開きました。木製のものは堅固ではないので、鉄や青銅などの金属で作られるようになりましたが、構造は簡単でした。


 漢代になって銅製のバネを使った通称「三枚バネ錠」「バネ錠」が登場しました。板状の銅片2~3枚の弾力を利用して施錠と解錠をおこなうもので、安全・保護性能は木製より格段に上がり、使用範囲も広がりました。春秋戦国時代には公輸班(魯班〔建築・木工の始祖〕)が改良を加えて、機能はさらに高まりました。

清代の福禄寿が刻まれた三星紋錠。撮影/記者 劉可耕

 バネ錠は唐代以降も改良が加えられて1950年代まで使われ続け、120種以上ものタイプがあります。隠し錠、定向錠〔鍵を特定の向きと手順で差し込まないと開かない錠〕、二重錠、鍵なし、文字合わせなどの特殊な技術を使い、さらに高性能になりました。


 漢代のバネ錠は、当時、世界でも先進的なものでしたが、残念ながらそれ以降、錠の技術は停滞しました。


 その一方、装飾化の傾向は顕著になっていきました。後漢の末頃には魚や霊獣の形の錠が出現し、後に「花旗錠」というカテゴリーになりました。さまざまな自然の造型、人工物の形をまねたもので、変化に富んでいます。


 清代になると西洋で発明されたレバータンブラー錠が普及するようになりました。1930年代になると、コストが安く、安全性が高いピンタンブラー錠が入ってきて、中国古代の錠は歴史上のものになりました。

記者:中国の錠文化は歴史が長く、内容も豊かです。錠は「福」の文化が凝縮されたものだというのはどういう意味でしょう。


余学雲:中国人の「福」に対する愛着は、新年だけでなく、ふだんの生活にも浸透しています。錠は古代の人々の日常生活に不可欠な道具ですから、自然に「福」の象徴となりました。


 中国の錠は千年にわたって、貴重なものを守るだけでなく、良い暮らしへの憧れと願いを担ってきました。錠によく施される模様は、科挙の合格、長寿と富貴、男児を運んでくる麒麟、縁起のいい龍と鳳凰などが多いですが、独特な造型もあります。たとえば「琴錠」は深い情愛が長く続くことを、「魚形錠」はいつでも余裕があって長く豊かであることを、「長命富貴錠」は女性のために子どもの命と健康をつなぎとめることを表しています。最近、観光地に、2人の心が離れないようにとの願いを込めて鍵をかけた錠が並ぶ「同心鎖海」という景観も見られます。

「百福日生」と刻まれた清代の錠。撮影/記者 劉可耕

記者:西洋の錠は、どのように生まれて、発展してきたのですか。


余学雲:8世紀に東ローマ人が最初のパッドロック錠、いわゆる南京錠を作りました。鍵の歯がそれと合う錠の中のパッドを動かして解錠します。 世紀に英国のデニク・ポッターが新しい錠を発明しました。 世紀にヨーロッパの業者が鍵の歯が1600種以上もある複雑なカムロック錠を発明し、さらに改良が進められて歯の形状は1万種以上になりました。


 レバータンブラー錠の鍵は造形が美しく、錠と鍵の代表と見られました。多くの国で大きな金の鍵を友人やゲストに送ることは、尊敬・平和・友情の証とされています。


 1848年、米国のイェールが円柱形のタンブラーを使ったピンタンブラー錠を発明しました。その後、これが世界で最も使われる錠となりました。


記者:歴史上、中国と西洋の錠は交流や参照しあうことがあったのでしょうか。


余学雲:中国と西洋の錠の発展は、双方の文化交流を生き生きと描写しています。仰韶に木製錠が生まれ、さらに青銅の錠が流行し、錠の文化が西洋に伝わりました。


 紀元前2世紀末、中国で生まれたバネ錠がシルクロードを通ってローマに到着しました。現在、オーストリアのグラーツ市立博物館に、漢代のバネ錠が収蔵されています。西洋の錠の発展は、実は古代中国の錠文化を継承したものです。

福州中華古鎖〔錠のこと〕博物館に展示されている歴代王朝の錠。撮影/記者 王東明

 漢代にバネ錠が生まれ、中国の錠文化は装飾性を強めました。一方、西洋は中国の錠をベースにレバータンブラー錠を発明し、清代の中国にそれを伝えました。さらに西洋が発明したピンタンブラー錠が、 世紀半ばに中国市場に入り、中国の伝統的な錠は歴史の舞台から消えました。


 中国古代の錠は最初の基本的機能から、実用と美観を兼ねたものになり、豊かな伝統文化が注入されました。西洋の錠は、ここ数百年で頭角を現したのです。中国古代の錠と違って西洋の錠は実用性を重んじ、「錠工業」となって、錠を技術的製品と見なしています。


 世界が共有する「中国の智慧」において、錠も重要な一部分です。錠は中国で生まれ、シルクロードを通ってヨーロッパに入りました。ヨーロッパ人は東洋の錠を自国の技術や文化に導入し、次第に自身の錠工業体系を確立し、反対に中国の錠の現代化を助けました。千年にわたり、錠を通じて東西文明は交流を続けたのです。


記者:中国の錠文化を継承し、世界にその物語を伝え、中国と西洋の交流を推し進めていくにはどうしたらよいでしょう。


余学雲:小さな古い錠が、かつての「ゆっくりとした時間」を感じさせてくれます。精巧な作り、独特のデザインは琴線に触れるものです。しかし残念ながら、古代錠の文化は次第に薄れています。中国錠文化の断絶によって、現在の錠工業と従来の錠産業は基本的に縁遠くなりました。さらに国内の錠製品はもう長いことデザインの意識が弱く、中国市場の錠製品は西洋化が著しくなっています。


 中国はいま、優秀な伝統文化を創造的に商業化し、発展させようとしています。中国の錠に新たな未来を開き、個性的で市場のある新しい製品をデザインするために何に着眼したらいいかは、錠業界が直面する重要な課題の1つです。


 2021年に河南省の正月番組『唐宮夜宴』が話題となり、2022年にCCTVの正月番組では美しい舞踊『只此青緑』がそれに続きました。見たところ、後者は前者にヒントを得たもので、期せずして中国の優れた伝統文化に対する視聴者の誇りや、継承し革新する人への賛美をかき立てたのでしょう。現在の錠業界に対する考えは、これに刺激を受けたものです。


 中国古代の錠はすばらしい文化の担い手です。中国の古い錠のデザインを現代の錠のデザインと融合させ、百年、千年前の文物を生き返らせ、文化に対する自信を深めることは、現在の共通認識となっています。


 古代の錠は中国と西洋の文化交流の真実の記録でもあります。中国の優れた伝統文化を発掘して初めて、中国と西洋の文化交流に積極的な貢献ができるのです。(翻訳:月刊中国ニュース)

プロフィール:

余学雲(ユー・シュエユン)
福建省将楽出身、古陶磁器収集家・鑑賞家、中国古陶瓷学会会員、上海名家芸術研究協会会員、祥雲軒将楽窯博物館館長。少年時代から30年以上にわたって収集と鑑定研究を続ける。専門書『将楽窯古磁器鑑賞』『将楽窯宋代茶杯』を出版、『収蔵』などの雑誌に古陶磁器に関する論文10本以上を発表。1990年以降、各時期の古陶磁器1000点以上を多くの博物館に寄贈し、文化普及のため、全国各地において無償で展示会、講座、鑑定などの活動をおこなっている。

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