鄭和からコロンブスまで、中西海洋観は何故異なるのか

15世紀には、世界各地で航海者が現れ人類を海洋に導いたが、そのうち東洋の鄭和と西洋のコロンブスは代表格といえる。大航海時代はグローバル化の幕開けとなった。現在、各国は海洋の開発・利用をめぐる衝突が増え続けており、海洋ガバナンス問題は国際社会の注目を集めている。北華大学准教授の劉景瑜氏はこのほど、中国新聞社(以下、中新社)「東西問」の単独インタビューに応じ、「鄭和の西洋下り」を皮切りに、中国と西側の海洋観について歓談した。
インタビューの主な内容は以下の通りである。

中新社記者:
鄭和による一連の大航海は、ヨーロッパでの大航海時代(地理大発見)以前になされた世界史上最大規模の海上探険でした。鄭和の航海はなぜコロンブスなど西洋の航海者に先んずることができたのでしょうか。


劉景瑜:
鄭和の大航海は明の永楽、宣徳年間(1405年-1433年)で行われた、古代中国史上最大規模の遠洋航海であり、中国の航海事業のありようを描き出した広大な素描とも言えるでしょう。史書によると、船隊は遥か西太平洋やインド洋へも渡り、それと前後して30余りの国と地域を訪れたとあります。

点击进入下一页
鄭和船隊の模型(撮影・劉冉陽)

1488年にポルトガル人ディアスがアフリカ最南端の喜望峰に到達し、1451年に生まれたイタリアのジェノバ人コロンブスが1492年に大西洋を横断しアメリカの新航路を開き、1519年―1522年にはポルトガル人マゼランが世界一周を成し遂げました。波乱万丈の大航海運動は、中国鄭和の大航海よりも一世紀ほど遅れましたが、それは以下のいくつかの原因がありました。


第一は、航海活動の目的の違いです。古代中国最大規模の遠洋航海は、より広い範囲をカバーする朝貢体制の確立及び整備のためであると同時に、平和と交流を前提に通航諸国との貿易を維持し、世界をより理解するという目的がありました。また、対内的に統治秩序を安定させるためでもあります。一方の西側、特にポルトガルとスペインによる海外航行は、ヨーロッパ植民地拡大の推進、黄金の探索やキリスト教の布教を目的としたものが多かったのです。


第二は、航海の経済的条件の違いです。中国古代造船業と海洋文化の発展は、明の朝廷の支持を受けたものであり、遠洋航行に必要な経済的条件が提供されていました。西側の海外植民地探険と新航路の開拓は、資本主義の勃興、資本の原始的蓄積及び宗教伝播の需要に伴い行われたもので、この点も中国の大規模な遠洋航行が西側に先行した理由です。


第三は、航海技術の発達の程度に差があったことです。鄭和の航海は、海図上の位置情報を現実の航行ルートに結びつけ、コロンブスは鄭和の航海技術を踏襲したのです。また、鄭和は「世界は『天円地方(天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観)』である」という認識を持っており、彼の思想観念上では航海は比較的容易なものとされていたのです。加えて、周辺国からの抵抗も少なかったという点もありました。西側の航海者の多くは、大地は球形で、挑戦と未知に満ちていると考えていました。そしてヨーロッパでは小国が林立していますから、大規模な遠洋探険と航海を組織することは難しかったのです。

点击进入下一页
米ニューヨーク「コロンブスの日」のパレード(撮影・李洋)

鄭和の七回の西洋遠征は中国の海上の力を世界に誇示することとなりました。しかし、時代がくだりアヘン戦争時には、中国人の海洋意識はすでに立ち後れてしまっていたのです。ですが、新中国成立以降、特に21世紀に入ったのちは、中国人の海洋意識は全面的に覚醒しました。

中新社記者:
中国の海岸線は長いですが、古代の人々は海洋をどのように開発し利用していたのでしょうか。そして、同じように海に面しているのに、なぜ中国と西側の海洋に対する態度はここまでかけ離れたものになっているのでしょうか。


劉景瑜:
2013年に浙江省で発掘された井頭山遺跡は長江デルタ地区初の貝塚(今から8300年−7800年前)で、河姆渡文化よりさらに1000年ほど古いです。これは古代中国の住民が早くから海洋を開発・利用していたことを示しています。


『漢書・地理志』には秦・漢時代の南中国海航路が描かれており、マラッカ海峡、南アジア、インドなどの地域まで渡っています。隋唐時代において、中国人による海洋の開発・利用は新たな高みへと到達し、明州(現在の寧波)、泉州、番禺(現在の広州管轄区)はいずれも船舶の出入りする港湾都市となりました。宋の王朝も海上貿易を奨励し、中でも宋高宗は「海上貿易の利は最も厚く、適切に行えば、ややもすれば百万以上に達する」と考えました。結果として、この時期の海洋活動はかつてないほど頻繁に行われ、海洋知識もかつてないほど豊かになったのです。


まとめると、明朝以前の中国王朝は積極的な海洋政策をとっており、政府や民間商人たちも続々と海洋を利用したことで、海上シルクロードが繁栄を迎えたということなのです。

点击进入下一页
泉州は10-14世紀の世界海洋貿易ネットワークにおいて大いに繁栄した商業貿易中心都市の一つであった。宋・元朝時代では中国と世界の対話の窓口として、中国の整った海洋貿易制度システムや発展した経済状況を、そして多元的かつ包容力に富む文化のありようを各国に示した。(撮影・陳英傑)

西側の海洋観の発展過程において、地理環境は重要な役割を果たしました。近代以前の西側諸国は大規模な農耕に適さない土地が多く、不足型経済であったこともあり、海洋貿易に依存していました。このような背景の下で進化してきた海洋観は、貿易と他者への征服を含み、最終的に西側による大規模な海外植民地化を促しました。


古代中国では農耕文明は一貫して主導的な地位を占めていました。農耕が人々に十分な食料をもたらしていたため、中国人は民力の養い、ひいては内政に目を向けるようになっていたのです。これは、中国が西側のような冒険心や領土拡大への願望を素地とした海洋観を形成していない理由です。

中新社記者:
「新中国成立以降、特に21世紀に入ってから、中国人の海洋意識は全面的に覚醒した」とのお話でしたが、この時期の中国と西側の海洋観にはどのような違いがありますか。


劉景瑜:
富への渇望は、人類が地理的大発見をし、史上初のグローバル化を切り開くための鬨の声であったと言えます。それと同時に、優位な側が海洋ルール制定者になるという規則をも確立しました。それ故、海洋権益の排他性は長い期間において西側の海洋観になっていました。


国連海洋法条約は新たな海洋秩序を構築し、沿岸国の海洋権益と責任を明確にしましたが、利用と開発を重視し、保護を軽視したため、海洋の持続可能性が深刻に破壊されました。このような状况下で、世界各国は海洋の維持と整備、海洋生態の修復、海洋政治システムの構築を含む新たな海洋秩序を模索し始めていますが、この現行の海洋観の前提も依然として西側主導のものなのです。


中国は典型的な陸と海が結合した国家であり、陸地も海洋も広大な面積を有しています。新時代の中国は、積極的に世界海洋ガバナンス体系の中に融合し、海洋秩序の構築を西側の海洋国家とともに推進し、海洋環境をともに改善し、海洋資源をともに開発するという海洋観を確立しました。


西側が主導する海洋ルールと秩序のもとで、私たちは西側の海洋国家と全面的に協力して海洋開発する努力をする一方、新時代の海洋大国としての責任も担っています。海洋運命共同体の構築に基づき、海洋文明の健全かつ良好な発展を守り、国際的な共通認識を増進し、世界規模の海洋開発利用における中国の発言権を推進し、海洋の平和を守っているのです。

点击进入下一页
2021年8月16日、3カ月半にわたる南中国海の伏期休漁期終了後。海南省などの地域の沿海上は「千帆競発」の様相を呈する。(撮影・駱雲飛)

中新社記者:
現代中国はブルーパートナーシップの発展を非常に重視していますが、新時代中国海洋観の最大の特徴は何だと思いますか。また、それは世界に何をもたらすのでしょうか。


劉景瑜:
現在、中国はより積極的かつ開放的に世界の海洋開発・利用に融合しています。最も顕著なのが「一帯一路」イニシアティブであり、これは「シルクロード経済ベルト」と「21世紀海上シルクロード」が含まれています。新時代中国海洋観の建設は「21世紀海上シルクロード」と海洋運命共同体の構築の具体的な実践でもあるのです。海上シルクロード建設の推進は、ユーラシア諸国との利益共同体の構築、そして更なる開発・開放に益することとなるのです。同時にグローバルな視野に立った海洋の共同開発・利用も推進し、人類の平和と繁栄にも貢献するのです。

点击进入下一页
福州で催された展示会では、海上シルクロード輸入商品展示エリアが見学者たちを引き付けた。(撮影・呂明)

中国が提唱する海洋観の主旨は、平和協力・共同開発を主としていますが、同時に海洋と国家安全を守る重要な力を構築しなければなりません。なぜなら、これは中国外交の平和的発展の道にそぐうからです。また、国家の隆盛・発展はおよそ海洋から切り離せないという、歴史の教訓があるためです。


概括すると、新時代における中国海洋観の際立った特徴は以下の数点が挙げられます。


第一は、平和的発展と共同開発を主旨とし、一方的な海洋覇権に反対することです。第二は、海洋運命共同体の構築に力を入れ、海洋文化の相互融合を推進することです。第三は、海洋の平和と安定を守ることです。


新時代中国海洋観は、世界規模の海洋開発パラダイム構築を更に一歩進めるため採るべき良い選択なのです。そして、世界規模の海洋グローバルガバナンス、共同開発、紛争解決などの面で、「中国の力」と「中国の方案」を役立てることができるのです。
(翻訳:華僑大学外国語学院)

You may also like...

Leave a Reply

Your email address will not be published.