ベトナムは第二の中国になれるか
2020年、東南アジア国家であるベトナムは3%近くのGDP増加率で世界経済成長が最も速い国の一つに輝いた。この数か月間ベトナムの株式市場では大きな変動があったが、ベトナムは比較的に政局が安定し、積極的に開放を取り込み、人件費が安い、かつ民衆が成功を求めがちであるといった要素から、次の国際産業移転先としての潜在能力があると思われている。
19世紀以来、グローバル産業移転はいくつかの段階を経てきた。世界で最も早く工業化を成し遂げたイギリスは最初の「世界工場」であり、後に相対的な優勢の変化を伴い、「世界工場」はアメリカ、日本及び「アジア四小龍」(韓国、中国香港、中国台湾、シンガポール)の国々や地域の間に相次ぎ移転した。21世紀以降、中国は「世界工場」となった。今、中国産業の移転を部分的に受け継いだベトナムは、新たな「世界工場」に成り得るか。
外交学院世界政治研究センター主任施展氏は近日、中国新聞社の「東西問」という独占取材を受けた時にこう語った。製造業の移転は、予知可能な未来においては中国が終着地になるだろう。換言すれば、中国の世界工場としての地位が最終的なものとなるということだ。これは大量の中・低次レベルの製造業が中国に移転した後、企業組織形態上に重大な変化が生じたことで、中国の供給チェーンに効率と柔軟性が備わるようにしてくれたからだ。これは過剰経済時代においては最も重要なことだ。
施展氏は、ベトナムが中国に取って代わって「世界工場」になることはない、かえってベトナムは中国の供給チェーンと互いに入れ子関係になると考えている。
中国供給チェーン特有の優位性
中国新聞社記者:歴史上国際産業移転が何度も発生しました。「世界工場」の名は次々にその主が変りました。先生のご著書《枢纽》の中で、中国の「世界工場」としての地位は最終的なものとなる、と書かれていますが、それはなぜでしょうか。
施展氏:最も重要な理由は、大量の中・低次レベルの製造業がアメリカ、ヨーロッパ、日本などから中国へ移転した後、企業組織形態上ではいくつかの重大な変化が生じたことです。適切な例ではないが、以前一つの複雑な部品を作るには、100個の工程が必要であるとして、そのうち70個の工程が一つの工場内にある70個の作業場で生産するかもしれません。しかし、中国に移転してから、この70個の作業場はそれぞれ独立して70個の工場に生まれ変わって、つまり生産のプロセスに変化をもたらしたということです。
独立した企業は極度に専業化します。東南沿海部をリサーチした時、多くの企業が想像できないほど専業化が進んで、「隠れたチャンピオン」が多く誕生しました。たとえば、ある企業は釣り竿の釣り針のみを生産します。
プロフェッショナル化と同時に、多くの企業が互いに協力関係となり、動態的な再構築を絶えず行いました。このようにして、膨大な供給チェーンのネットワークができたのです。これに基づいて、効率と柔軟性が備えられました。これは過去の企業生産組織体制の下では実現不可能です。企業組織形態に重大な変化が起きたからこそ、効率と柔軟性両方の実現が確保できたのです。
もう一つ重要な変動要因は供給チェーンネットワークの規模のことです。ネットワークの規模が大きければ大きいほど、集約中継機能を果たす中小企業の数が多くなります。彼らの分業の程度も深くなります。こうやって専業化が更に高度に達せられます。効率も上がります。と同時に、中小企業数が多いほうが、互いに協力しあう可能性が高くなり、柔軟性も向上します。
中国新聞社記者:なぜ供給チェーンにとって効率と柔軟性両方を兼ね備えることがそんなに重要なのですか?
施展氏:これは時代背景に関係があります。経済が貧しい時代、人々はものさえあれば満足しました。よって市場需要が均質化された大量生産商品に集中しています。これらの商品を生産するには、効率があれば十分です。過去において欧米から日本へ、それからアジアへと産業移転が発生した時も、世界が大まかにこのような経済が貧しい時代であったと言えるでしょう。
しかし、今はもはや過剰経済の時代となり、商品の十分な個性化が求められています。市場需要の多様化や効率的な技術革新に対する要求が高まる際に、新たな需要に応えるため、逆に生産過程の供給チェーンの柔軟性と効率化が求められるようになります。
そのほか、供給チェーンの規模がある程度拡大して、ある基準を超えることがあれば、生産プロセスにおける総合コストの制御点が変化します。実際、中国はすでにこの基準を超えました。
以前、コストの制御といえば主に労働力、土地、資本金の3つの生産要素を指しました。しかし、供給チェーンネットワーク自身の運営効率も、一種の取引コストだと言えます。これはコスト制御の中で割合が比較的に少ないほうです。ただ、供給チェーンネットワークの規模がある程度拡大すると、この取引コストは総合コストに占める割合が大幅に増加します。コスト制御の仕組みが変われば、産業移転はそれほど容易ではなくなるでしょう。
故に、製造業が中国から脱出するか否かを考える時には、企業が抱えている一連の制約を考慮に入れなければなりません。これらの条件がすべて変わったので、過去と同じような歴史が繰り返すとは限りません。
「精神分裂」したグローバル化
中国新聞社記者:グローバル化が今転換点を迎えているという意見がありますが、今後グローバル化はどのように進んでいくとお考えでしょうか。
施展氏:目下のグローバル化は歪んだものだと思います。一方、各国が経済面で互いに依存する状態では実質的な変化が起きません。
新型コロナウィルス感染症が発生してから、確かに安全に関わる生産拠点を国内に撤退しようと試みる欧米の国々がありますが、しかし、これは製造業全体の中で比較的少なく、大部分の企業は移転しないでしょう。欧米諸国はできないというのではなくて、得がないからです。
このように、中国は欧米諸国と経済生産面において依然として深い相互依存関係を有しています。以前、我々は「米国でイノベーションし、中国で生産し、世界で販売する」ということを言いましたが、未来においてもこのフレームワークは変わらないと思います。
他方、中国とアメリカは政治においては互いに信頼していません。経済では相互に依存し、政治では相互の信頼を得ず、「精神分裂」の状態が現れたのです。これは昔の米ソ対抗と全然違います。
長期的に見ると、この精神分裂の状態は持続不可能です。どちらかの一方は必ず変化が起きます。歴史に鑑みると、最終的に変化を起こすのは必ず政治面です。人類のグローバル化はいつの時代でも、経済という最も基本的な原動力によって、他の領域のグローバル化が導かれました。今の時代もこの方向において歴史と異なる気配が見られません。
中国新聞社記者:未来にグローバル貿易の「ダブル循環」の傾向があるというご意見を示されたのですが、それについて詳しく説明していただけませんか。
施展氏:「ダブル循環」は二つの側面から理解できます。一つは実体経済から、中・低次レベルの製造業が大量に中国に移転して、欧米諸国では脱工業化の傾向があります。国内に留まる事業は多数が広い意味での第三次産業です。アフリカをはじめ経済発展の遅い国では、比較的優勢な産業は原材料産業に集中しています。
中国とアフリカとが第一、第二次産業の循環をなして、欧米諸国と中国とが第二、第三次産業の循環をなしています。この中で、欧米諸国とアフリカは直接循環することがありません。グローバルの貿易循環が回転するには中国という媒介が必要です。こうして、アラビア数字8のような循環構造ができます。中国はダブル循環の架け橋として、ある種の特殊的な、構造的なパワーを持つようになります。
これは中国が世界の中心になるという意味ではありません。実体経済のほかに、もっと大きな世界資本循環が存在します。資本循環はアメリカによって支配されています。実体経済の回転も資本循環の中にあります。世界の資本循環の中で、中国はまだ従属的な地位にあることを認めざるを得ないのが現実です。
“移転”ではなく“溢出”だ
中国新聞社記者:今、中・低次レベルの産業が中国からベトナム等の国へ移転することをどのように考えていますか。
施展氏:数年前からベトナムが中国に取って代わって次の世界工場になるんじゃないかと心配する人がいます。このため、私は2019年に中米貿易摩擦がエスカレートした時、ベトナムへ行って深くリサーチを行いました。その結論は産業の移転ではなく、ある種の溢出だと考えるべきでしょう。
産業移転の話をすると、我々はどのプロセスがベトナムへ移転したかを問わなければなりません。実際、移転が行われたのは最終的な組みたてのプロセスです。理由は簡単です。組み立てプロセスが終わると、最終製品となります。最終製品は直接消費者に販売して、その多くはアメリカに輸出するため、関税の壁に直面します。よって、その部分をベトナムにまわせば、貿易条件がぐっとよくなります。
しかし、中間製品は供給チェーンプロセスで生産するため、直に輸出するわけではありません。よってベトナムに移転する必要はありません。以前、中間製品は武漢から東莞あるいは恵州に渡り、そこで組み立てて輸出します。今は工場が東莞あるいは恵州からベトナムに移転し、中間製品は武漢からベトナムに渡り、ベトナムで組立を行い輸出します。移転とは、基本的にこの意味を指します。
この移転は人々の注目を集めます。なぜなら移転されたのは最終プロセスであり、いわゆる「to C(消費者向け)」のため、メーカーの名が消費者に知られます。残る中間プロセスは「toB(企業向け)」で、そもそも名は知られていません。その上、マスコミの宣伝効果により人々に認識のズレを生じさせたわけです。
これらの供給チェーンプロセスの東南アジアへの溢出は、ある意味で中国を中心とした供給チェーンネットワークの規模がさらに拡大したことを意味します。と同時に、東アジア全体の供給チェーンネットワークの生産効率と柔軟性がさらに高まります。故に、実質的な技術飛躍が現れないかぎり、中・低次レベルの製造業はやはり最終的に中国に移転するのだと思います。
ベトナムは第二の中国になれない
中国新聞社記者:ベトナムはなぜ第二の中国になれないのですか。
施展氏:一つ目の理由はベトナムの経済規模が小さいことです。ベトナム全国のGDP総量は中国の都市GDPランキングの中で第八位にあたり、蘇州と成都の間のぐらいです。蘇州は中国に取って代わることができますか。当然できないでしょう。
2019年のベトナムの人口が9600万を超え、その数は広東省とほぼ同じです。しかし、ベトナムは第二の広東省になれますか。私には、それは難しいように思われます。なぜなら中国に取って代わって世界工場になる場合、独自の完備した工業体制を整えなければなりません。その中でもっとも重要なのは独自の重化学工業を持つことです。
ただし、重化学工業の産業特徴は後発国の強みとは正反対です。重化学工業は資本密集型ですが、後発国は資本が乏しいです。また、後発国は労働力が豊富ですが、重化学工業の求人率が低いという弱点を持ちます。重化学工業の投資規模と、それによって作られる就職規模との間に不均衡が生じます。
従って、後発国は独自の重化学工業を造り上げるには、単に市場プロセスによるだけでは無理があります。国家が惜しまずに大量の資本投入を行い、全力でサポートしなければなりません。東アジアの韓国、日本、中国などはいずれもこうやって重化学工業を発展させてきたのです。
だが、ベトナムはこの方式で重化学工業をサポートすることが難しいのです。ベトナムの都市ハノイにある国家歴史博物館を見学した時に気付いたのですが、ベトナムは歴史上自国のアイデンティティに対する認識や定義は中国を相手にした上でのものとなります。つまり、ベトナムの国民意識の中で、国の規模の巨大差異によって、北方からの威嚇に対する安全面での不安が常に存在し、もう一つの大国と同盟を結ばなければなりません。
早期の同盟国はソ連であり、今はアメリカとなります。しかし、ベトナムはアメリカと同盟国になりたいならば、自由市場経済の中で行われなければなりません。これが国家の力で重化学工業の支援と矛盾することになります。
韓国も当時アメリカと同盟国になり、国家の資本主義、財閥の力で重化学工業が発展したという人がいるかもしれません。しかし、時代が違います。韓国が発展を成し遂げたのは冷戦時代で、政治的価値観が最も重要です。今はポスト冷戦時代、経済上の選択は政治上の選択をも意味します。
もちろん、ベトナムは発展できないわけではありません。ベトナムはまだチャンスがあります。その前提はベトナムの経済がもう一つの重化学工業を有する国家との間に相互連携の関係を結ぶことです。その国家はまさに中国です。だから、予知可能な未来において、ベトナムは中国とは供給や産業チェーンにおいて依然として互いに入れ子関係だと考えます。
(訳者 馬 紹華 華僑大学講師)