佐藤貴子:日本の中華料理ブームはなぜ衰えないか?

 日本の中華料理店は充実し、多様化している。 日中間の民間交流が盛んになるにつれ、中国に調理法を学びに来る日本人料理人が増えている。グルメで有名な成都や杭州などの大都市だけでなく、人里離れた山間部や少数民族の地域にも足を運んでニッチな料理を学んでいる。 料理評論家で日本有数の中国料理情報サイト「80C(ハウチー)」の編集長である佐藤貴子氏は、中国新聞社の「東西問」の独占取材に応じ、次のように話した。長い歳月にわたり、さまざまな食文化が溶け合い、互いに学び合い、それにより生み出された新しい料理や新しい味わいが、人々の食物への理解を新たにしている。これは、まさに食が人間にもたらした最高の享楽である。
 以下に、インタビューの実録を要約する。

 中国新聞社記者:中華料理と中国料理の違いは何でしょうか? 子供の時、人々は中華料理にどんな印象を持っていましたか?ここ数十年の間に印象は変わりましたか?

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佐藤貴子:日本の中華店では、「中国料理」と「中華料理」の2種類の看板を掲げていることが多いですね。 一般的に、中国料理店は中国本場の料理に重きを置いています。 かつては中国人駐在員が経営する高級広東料理専門店がほとんどでしたが、現在では、本格的な中華の味を求めるため、大金で中国人シェフを雇うこともあります。


 一方、中華料理店は、主に街角の小さな店舗で、日本人の口に合わせてある中華料理を提供しており、通常、中国各地の代表的な地方料理を一度に味わうことができます。1970年代生まれの私たちは、中華料理とともに育ってきた世代です。私の子供時代には、麻婆豆腐やエビチリなどの家庭料理が、日本人の心の中では中華料理の代名詞となっており、一般的に中華料理はコストパフォーマンスが良いとされていました。

 日本で中国料理と中華料理の2つのスタイルが生まれたのは、主に食材や歴史・文化の違いによるものです。中国の料理が日本に紹介された当初、本格的な中華調味料は日本ではなかなか手に入りませんでした。例えば、1957年、東京の名店「四川飯店」の創業者である陳建民氏が、日本のNHKの料理番組で「豚肉とキャベツの豆板醤かけ炒め」を紹介し、これを機に日本ではホイコーロウ(回鍋肉)という料理が知られるようになって、人気料理になったのです。しかし、当時の日本には豆板醤がなかったため、陳建民氏は「日本の八丁味噌」と呼ばれる深い発酵・熟成を経た豆味噌を味付けに加えました。その結果、四川の回鍋肉の塩辛さとは一線を画す、甘くまろやかな味わいに仕上がりました。

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また、同じ「回鍋肉」と言っても、日本では「豚肉を煮てから切るのは面倒だ」ということで、生の豚肉を直接甘味噌で炒めるのが一般的です。しかし、中国の民間伝承によると、四川の「回鍋(再び鍋に戻る)」肉は、中国の伝統的な祭祀文化において、祖先が生肉を好まないため、調理したものを供え、祭祀後に肉を再調理したことが由来だそうです。


 現在、日本の中華料理店は充実し、多様化しています。中国との民間交流が盛んになるにつれ、ますます多くの日本人料理人が中国を訪れ、グルメで有名な成都や杭州などの大都市だけでなく、人里離れた山間部や少数民族の地域にも足を運んでニッチな料理を学んでいます。近年、東京でも東北料理、雲南料理、広西料理など、地方名物料理の専門店が登場し、中華料理の地域性が出始めました。四川伝統料理の名店「松雲澤」で研鑽を積んだ「中国菜老四川飄香麻布十番本店」の井桁良樹シェフによって、旬の野菜を使った「時菜回鍋肉」が提供されるため、東京で本場の四川回鍋肉を味わうことができます。さらに、銀座の一部の中華料理店では、客単価が3万円から5万円に達するような高級志向の店もあります。


 中国新聞社記者:日本の市場調査によると、中華料理は家庭でも外食でも、日本人に最も人気のある料理の一つだそうです。小説家の芥川龍之介や小林愛雄が中国料理を高く評価し、『中華一番』『ドラえもん』『孤独のグルメ』など日本の有名なアニメにも数多くの中国料理が登場しています中国料理は、どのようにして日本人の味覚を一歩一歩攻略してきたのでしょうか。また、麻辣を特徴とした四川料理が日本で流行しはじめたのはいつ頃ですか?


 佐藤貴子:「好奇心」は日本人が中国料理に興味を持つ重要な原因です。日本の作家や著名人がエッセイで中国料理を詳しく紹介し、映画や漫画で中華料理の魅力を伝えることで、食欲をそそるものも多くあります。


 例えば、日本の映画やテレビ番組では麻婆豆腐がよく登場するし、バラエティ番組でもそれを工夫してアレンジしたことがあります。連載漫画『鉄鍋のジャン!R頂上作戦』は、当時の中華料理人に影響を与え、現在日本にいる40代の中華料理人の多くは、この漫画を読んで初めて中国料理に興味を持ったのです。


 一つの料理スタイルが受け入れられ、喜ばれるかどうかは、店だけでなく、さらにそれが家庭にまで深く入ることができるかどうかで決まります。中華料理が日本の多くの家庭で食べられるのは、日本の調味料会社によるところが非常に大きいです。家庭で簡単に中華料理が作れるように、日本企業は「中華調味料」を世に出し、時代に合わせて味付けを変えたりしています。スーパーやコンビニで買って、家で温めるだけで食べられる便利なインスタントに変わった料理もあります。


 四川料理の大流行が、日本における中華料理ブームの火付け役となり、今、広く普及した食文化として中華料理が日本に定着しています。ここに、「日本の四川料理の父」とされる陳建民氏の名を挙げなければなりません。陳建民氏は1950年代に来日し、「四川飯店」を精力的に経営していました。1960年代にはNHKの料理番組に出演し、四川料理の定番である回鍋肉や麻婆豆腐などの料理を家庭で作る秘訣を日本人に伝授しました。


 しかし、ここ数年来、日本人が次第に四川料理の麻辣を好むようになったのは、多忙な社会のスピードや、仕事のストレスや、少子化などにも関わっています。2013年、四川省成都に留学した日本の美食家・中川正道さんが四川料理を紹介するサイトを立ち上げ、その後「麻辣連盟」という団体を設立し、2017年から3年連続で東京で四川フェスティバルを開催しました。直近の四川フェスティバルでは、わずか2日間で10万人もの日本人が訪れ、300を超える日本のメディアにも取り上げられました。また、「麻辣連盟」では、日本の中国料理ファンに本場の四川料理を味わってもらうため、成都への特別便をしばしば企画しています。

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中国新聞社記者:中国料理は日本人の生活に溶け込んでおり、イチゴの麻婆豆腐、小籠包の中華スープ、タピオカミルクティー餃子、麻婆豆腐バーガーなど、中国料理を色々と工夫してアレンジしている人もいますね。これらの翻案について、どう思いますか?


 佐藤貴子:いちご麻婆豆腐や小籠包の中華スープしか聞いたことがないですが、注目されるために1、2軒のレストランや番組で改造したかもしれませんね。私はこういうやり方に反感を持っています。全ての中国料理の裏にはその独自の歴史と味わいがあって、麻婆豆腐の特色は麻辣で、イチゴを加えると風味が変わりますから。


 一口麻婆豆腐と言っても、四川では脳みそや脊髄の麻婆豆腐をよく食べますが、日本の料理人は、日本人が食べない脳みそや脊髄の代わりに白子を使って、白子麻婆豆腐に改造しました。この工夫は料理の特徴を保つだけでなく、日本人に受け入れてもらうことができ、革新に富んでいます。これこそが、優れた改新なのです。和風ハンバーグや、ホワイトクリームとカニカマを使ったカニ玉などは、洋食を日本風にアレンジしたもので、日本の洋食屋さんの定番メニューになっています。


 実は、日本人は外国の良いものを参考にし、地方の風土や文化と組み合わせて、日本独自のものを作り出すのが好きなんです。中国から日本にラーメンが伝わってきたとき、日本の料理人は職人気質で、豚骨の風味が強いもの、非常にあっさりしたものなど、店ごとに味が違うラーメンを作り出しました。こうして、料理は日本に伝わってくると、百家争鳴のように枝分かれしているのは、日本人の国民性と大いに関係があることが分かります。


 東京では、「和魂漢才」をコンセプトとした中国料理店「茶禅華」がミシュランの3つ星を獲得したばかりです。この店の看板メニューは、秋茄子とバラ肉を使った「雲白肉」です。こだわりの食材に加え、肉を蒸し、食器を温め、料理を提供するまでは秒単位で計算するのです。これは、日本が中国の食文化に深い敬意を払っていることの表れです。

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中国新聞社記者:日本食の象徴として、日本のラーメンは世界中で親しまれています。しかし、実は脂濃い、味濃い豚骨のスープは、かつて日本の伝統的な食文化の中では異端児とされていました。ラーメンは日本の郷土料理から発展してきたものではなく、中国のラーメンを参考にして生まれたものです。では、洋食は日本にどんな影響を与えたのでしょうか。交流と衝突の中で進化してきた食文化をどう考えていますか。


 佐藤貴子:中国の食文化は、作物や食材、調理法、食事のスタイルなど、さまざまな面で日本の食文化に影響を与えています。日本には2500年以上前に中国の揚子江以南の地域から米が伝わり、その後、隋、唐、宋、元、明、清の時代に中国の野菜や果物、調理法などが数多く伝わってきました。


 中国と日本の食文化の交流で最も重要な段階は、中国の唐の時代でしょう。当時、日本から派遣された「遣唐使」には、料理の調理を専門とする「留学生」がいました。また、鑑真和尚は、日本に渡る際に、多くの中国の食品も持ってきました。その頃、中国の食文化の書籍もどんどん日本に伝わりました。例えば陸羽の『茶経』は、その後の日本の茶道に重要な影響を及ぼし、現在の日本の懐石料理は、茶道から派生したものです。


 日本の食に対する欧米の影響も大きいです。675年に天武天皇が「肉食禁止令」を出し、その後、江戸幕府五代将軍の徳川綱吉が「生類憐みの令」を出して動物の殺生を禁止したため、それ以来日本人はほとんど牛肉を食べなくなりました。アメリカの黒船事件の後、横浜に住んでいる外国人が気軽に牛肉を食べられるように、日本初の牛鍋屋が横浜で開かれました。次第に西洋の食文化が日本に伝わり、日本人は牛肉や牛乳だけでなく、洋菓子やビール、コーヒー、ワインなどの飲み物も口にするようになりました。現在、日本料理店といえば、すき焼きや牛丼が代表的なものです。


 食に国境はありません。食文化の交流、衝突、融合は日本だけでなく、洋の東西を問わないのです。お茶は中国からイギリスに伝わったが、香り高い紅茶は、ベイクドビーンズ、目玉焼き、ベーコンと同様に、伝統的な英国式ブレックファストの一部であることは誰にも否定できません。四川省には脳みその寿司を作るレストランがあり、オフィスワーカーは朝食に日本のおにぎりとコーヒーのセットで済ませます。これらは、食がグローバル化した現在、東西の国々で日常的に起こっている光景です。


 長い歳月のあいだに、あらゆる種類の食文化が溶け合い、互いに学び合い、既成のレシピやリストから脱却して生まれた新しい料理、新しい味わいが食卓に乗って、人々の食に対する理解を新たにしてきました。これは、まさに食が人間にもたらした最高の享楽でしょう。

(訳者 郭惠珍 華僑大学准教授)
             
              

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