雲南キンシコウ保護の道(その1)

雲南キンシコウと雲南省の白馬雪山。 撮影/奚志農

雲南キンシコウ〔金絲猴。ウンナンシシバナザル、ビエモンキーとも〕は最も絶滅の危機に瀕している種の1つで、1年を通じて標高3000m以上の氷河・雪線付近の高山針葉樹林で生活している。雲南キンシコウの分布エリアは、1つの例外もなくかつて国家級貧困県だった。雲南キンシコウの保護は、実質的には人類がいかに自然と調和しながら共存していくかという究極のテーマなのだ。

狩りから保護へ

40歳の和学高(ホー・シュエガオ)はリス族出身で、雲南省麗江市玉龍県老君山雲南キンシコウ巡視隊の隊長をしている。和学高の家は、玉龍県石頭ペー族郷利苴村の妹沢乾集落にある。老君山ザルの群れは、主に利苴村管轄の森林に生息している。

老君山は麗江市から南西100キロのところにある、金沙江、瀾滄江、怒江〔サルウィン川〕の3本の川が並行して流れる世界自然遺産「三江併流」の中心部に位置する。最も高い場所は金糸廠エリアの金糸玉峰で、標高4513mある。和学高が観察する雲南キンシコウの群れは金糸玉峰周辺の原生林に生息しており、金糸廠サル群と呼ばれている。

和学高は代々老君山で放牧を営む貧しい家庭に育った。1学期あたり40元の教科書代が払えず小学3年生で学校を辞めた和学高は、12歳頃から父親らについて放牧の手伝いをするようになった。ある日、同じ村出身の張志明(ジャン・ジーミン)という雲南キンシコウ巡視員が、雲南キンシコウの捜索のため中国科学院昆明動物研究所研究員の龍勇誠(ロン・ヨンチョン)に随行し、途中、自分たちの放牧地を通過していたことを知り、張志明のように雲南キンシコウの保護員になりたいという希望を抱く。2019年、玉龍県林草局、石頭郷林工站、利苴村委員会が社会組織・阿拉善SEE生態協会西南プロジェクトセンターと提携し、新しい雲南キンシコウ巡視員を募集した。和学高は志願し、見事、採用された。

雲南キンシコウは1897年、フランスの動物学者ミルヌ=エドワールが、雲南省とチベット自治区の境界あたりで捕獲された7頭のサルの標本を目にしたことから命名したものだ。その後1960年代初頭に、中国科学院昆明動物所の動物学者・彭鴻授(ポン・ホンショウ)氏が雲南省徳欽県で偶然、雲南キンシコウの毛皮8枚を入手し、数十年の間目撃情報がなかったこの動物が実は絶滅していなかったことを確認した。龍勇誠は1987年から8年かけて、中国全土の雲南キンシコウの分布と群れの数を慎重に調査し、老君山雲南キンシコウの群れには100~150頭の個体が存在することを確認した。

雲南キンシコウは1970年代には国家一類保護動物に指定されていたが、1989年に中国野生動物保護法が正式施行されるまで、猟はほぼ野放し状態だった。

張志明は50年前を振り返って言う。当時は、狩猟がそれほど多くなかったことから、雲南キンシコウはもっと標高の低いところで暮らしており、付近の住民は彼らの姿を日常的に目にしていた。それが1980年代に入ると金目当てにキンシコウを獲る者が増えた。利苴村では300世帯あまりのうち、少なくとも10世帯が猟をおこなっており、1、2カ月に一度山に入り、多いときは一度に10匹ほどを仕留めていた。その頃、雲南キンシコウ1頭分の骨は30元ほどで売れ、米100キロと交換できた。羊1頭の売値が10元ほどの時代だ。サルの皮はおむつとして使用することもでき、子供3人を育てても少しも破れないほど丈夫だった。

張志明は1991年から県の林業局の要請で、雲南キンシコウの保護を主目的とする野生動物宣伝員に任命され、月に10日は山を監視するために巡回し、10日は村で宣伝教育活動に従事していた。密猟者は銃を持っているため、通常、正面からやり合うことはせず、彼らが立ち去った後、彼らの通り道に宣伝スローガンを書いておいた。2006年頃のことだが、張志明は山を巡回中、猟銃を持ち犬を2匹連れた外部の密猟者3人組に遭遇したことがある。張志明はとっさに、自分のビデオカメラにはGPS機能がついており、リアルタイムで映像を送信し警察に通報することもできると嘘をついたところ、彼らは慌てて逃げていった。密猟者は時に報復してくることもあり、張志明は山を巡回する際に必ず通らなければならない道で、尖った竹槍やトラバサミに「お出迎え」されたこともある。2009年には、老君山でわな380個とトラバサミ1000個あまりを没収した。2011年頃まで、山中では時折、密猟者と雲南キンシコウを追いかける猟犬の姿を見かけることがあった。しかし20年前に比べると、密猟行為はかなり減っていた。

2000年以降、雲南キンシコウ巡視隊の規模はどんどん拡大し、隊員数は1人から3人、6人と増え、最も多いときは12人になった。2009年、玉龍県林草局は世界的な自然保護団体ザ・ネイチャー・コンサーバンシー(TNC)と業務提携を結び、巡視隊員への給与は後者がまかなうようになった。しかしTNCの資金源が不安定で巡視隊員への給与が遅れがちになり、巡視隊の人数は常に増減を繰り返す状態になった。玉龍県林草局には雲南キンシコウ巡視隊に割り当てられた予算はなかったため、TNCからの資金援助がなくなった後、巡視隊員への給与は自腹となり、巡視隊の規模を縮小するしか選択肢はなかった。玉龍県林草局野生動物保護管理弁公室主任の和傑山氏は市や県の政府に対し、雲南キンシコウの巡視・保護費用を財政予算に計上してほしいと申請した。和学高によれば、ここ数年は巡視を強化したことと動物保護の概念が普及したことにより、密猟はもはや老君山雲南キンシコウの生存を脅かす主要因ではなくなっているという。

和学高(左)と雲南キンシコウ巡視隊のメンバー。 写真/本人提供

「木材財政」から薪拾いへ

利苴村ではどの家の前にも、きれいに並べられた薪や柴が1mほど積み上げられている。冬に入る前でも、冷え込む雨季にはこれらを燃やして暖を取ることが多い。1998年の大洪水後、国は長江上流、黄河上・中流の天然林の商業伐採を全面的に禁止した。

利苴村では1世帯あたり年間約2tの薪や柴を消費する。村には340世帯が暮らす。毎年、年越しの季節になると、村が定めた基準と範囲内で、1世帯あたり軽トラック3~5台分の薪や柴を採ってくることができる。この時期は枯れ木が多く、枯れ木であれば、国有林、集体林〔集団所有の林〕のどちらから伐採してもよい。しかしそれでも国有林の生木をこっそり伐採する者が後を絶たない。しかも利苴村付近の国有林は、雲南キンシコウの主要生息エリアになっているのである。

森林植生を完璧に保護することは、雲南キンシコウが安住の地を持ち、他の林間動物も快適に暮らせる場所を獲得することにつながる。

雲南キンシコウは「アンブレラ種」や「象徴種」「指標生物」などとも呼ばれている。張志明は過去を振り返って指摘する。1980年代後期、全国各地で「木材財政」が盛んになり、老君山一帯の原生林もその波から逃れることはできなかった。「狩りをするのは金のため、木を切るのも金のため」。村で元々猟師をしていた者も、木を切るほうが金になると見るや、あっさり商売替えをした。「1つの集落に30世帯あれば、25世帯は国有林を切りに行っていました。1日あたり6元から10元ほど稼げましたから。米1斤〔500g〕がたったの0・13元の時代にですよ」。切った木は木材会社が買い取った。雲南キンシコウの生息地のモミやクモスギは1㎥あたり100元から200元ほどで売れた。1990年代末になると、これが1㎥あたり1000元にまで跳ね上がった。しかし、これらのモミやクモスギなどは高地・寒冷地針葉樹林で生長が遅く、新しい林ができるまでは何百年もかかる。原生林の大量破壊は、雲南キンシコウの生息環境が急激に縮小していくことを意味した。

玉龍県石頭ペー族郷林業作業所所長の和国虎(ホー・グオフー)氏によると、現在、地元の郷では年間100万元ほどの予算を組み、森林レンジャー100人体制で各村周辺の集体林の保護に当たっている。利苴村では13の集落から2人ずつ派遣している。これとは別に、現地の天然林保護所が国有林の監視に巡回している。複数の環境保護団体の話によると、林業関連部署の森林保護員の業務には野生動物の保護も含まれるが、メインは森林火災の防止や乱伐の阻止であり、雲南キンシコウにはそれほど関心を注いでいないという。

「三江併流」エリアが天然林伐採禁止区域に指定されてからというもの、それまで「木材財政」に頼っていた地方の財政収入は、禁止前に比べて60%~90%もダウンした。その一方で、増え続ける人口により現地の自然環境と自然資源は圧迫され、人間の居住地域の拡大と木材資源への過度な依存により、雲南キンシコウの生息環境はさらに断片化が進んでいった。

耕作地が限られていることから、現地の住民は暮らしていくため、次々と新しい生計手段を考え出した。2015年頃には、大企業の勧めでマカの栽培が広まった。これは南米原産の植物で、雲南省全体で栽培ブームが起こった。利苴村の住民も老君山をあちこち開墾し、数千ムー〔1ムーは666・67㎡〕を超える栽培エリアは、金糸廠および大坪子の2つのサルの群れの生息範囲にまで広がった。西南林業大学教授の崔亮偉(ツイ・リアンウェイ)氏らが2019年に発表した老君山南部の雲龍県龍馬山のサルの群れに関する研究結果によれば、雲南キンシコウの群れは、生息エリア内であっても耕作地に近いところには近寄らず、耕作地から180m離れた地点から活動の痕跡が見え始め、2キロ以上離れたところでやっと本来の活動をするという習性がある。

雲南省麗江市、リゾート村の片隅に佇む群れから離れたオスの雲南キンシコウ。ここはかつて彼の生息地だった。 撮影/奚志農

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