雲南キンシコウ保護の道(その2)
放牧と採取
雲南キンシコウは季節的垂直移動〔季節により同じ山の中で居住する場所を変える〕という特徴を示し、厳密な意味での樹上性動物ではない。サルオガセも彼らにとって唯一の食べ物ではない。2005年頃、中国科学院昆明動物研究所所属の著名な霊長類学者・趙其昆(ジャオ・チークン)氏は、雲南キンシコウがタケノコを食べることを発見した。趙其昆は、雲南省林業・草原科学院教授として竹の研究に従事し国家瀕危物種〔絶滅危惧種〕科学委員会委員も務める楊宇明(ヤン・ユーミン)氏を訪ね、調査を依頼した。その結果、雲南キンシコウは地上に下りてきて活動する他、タケノコを主食としていることも分かった。
楊宇明によると、タケノコは植物の中で栄養分が最も高く、サルオガセと比較しても5倍の栄養がある。また張志明によると、樹木が発芽を迎える春とタケノコが生えてくる6月から8月にかけての夏、雲南キンシコウはよりよい食べ物を求めて標高3800m以上の場所から3200m付近まで下りてくる。これが、現地住民の放牧とぶつかってしまう。
放牧は現地および周辺の村の住民にとって、生計を維持するための重要な手段だ。龍勇誠は1980年代に雲南キンシコウを探して龍馬山に登った際、主峰は山頂から100m下まで森林が分布せず、草のみの「はげ山」となっていることに気づいた。現地の住民が放牧場をつくるため、山を焼き払ったことが原因だった。山頂から火を放つと火勢のコントロールがしやすいのだ。これは雲南省北西部における高山草原の形成原因にもなっている。1950年代末から2000年前後にかけて、雲南キンシコウに適した生息環境の面積は31%、即ち1887㎢も減少したのに対し、放牧場の面積は204%、即ち1291㎢も増加している。
これについて、崔亮偉は次のように分析する。人口が増加したのにもかかわらず、既存の耕作技術や条件が根本的に改善されない状態では、耕地面積を拡大するしか農産物を増産させる方法はない。収入を増やし生活を守るためには、家畜の数も増やさなければならない。こうして、耕作地が下から上に、山の放牧場が上から下に森を侵食していったため、サルの生息環境はどんどん狭まっていった。2000年に天然林保護プロジェクトが正式に実施されて以降は、放牧場の新規開拓および拡大が禁止されたが、現地の放牧数は減少するどころか増加し、高山放牧場の過放牧と砂漠化を招いてしまった。地元民は家畜のえさを求めて、林間放牧に切り替えた。
家畜の「牛」と雲南キンシコウのタケノコの奪い合い
しかし、地元民の放牧した牛は、森や林の中に入って、雲南キンシコウとタケノコを奪い合う。牛は歩行能力が高く、1日に数キロも歩ける。牛や羊が森林に入ると林床植生を踏み荒らし食べ尽くしてしまう。一旦そうなると、植生の回復は容易ではなく、林床の生態系破壊につながってしまう。利苴村で放牧を営む家は2、3世帯あり、放牧数は数十頭から100頭以上に上る。飼っているのは黄牛やヤクなどで、ヤクは草原にいることが多いが、黄牛は林下を好む。また、放牧を営む家は利苴村だけではなく、老君山は4県の境界に位置することから、付近の蘭坪県からも利苴村以上の家畜がやってくる。数年前、蘭坪県魯甸郷羅古箐風景区から蘭坪河西郷大羊場風景区まで南北20キロあまりの遊歩道が開通した。大羊場風景区は金糸廠エリアに隣接しており、風景区の南門は金糸廠と直線距離でわずか400mという近さだった。遊歩道を大声で歩く観光客に雲南キンシコウは怯え、遊歩道ができたことで、さらに多くの遊牧民もやってくるようになった。外からやってくる遊牧民は100頭規模の群れを連れてくる。彼らはクマを追い払うため森で爆竹を鳴らすが、これも雲南キンシコウをさらに不安がらせてしまった。
張志明によると、ここ2、3年、国は畜産業の発展に力を入れているため、周辺の蘭坪県、維西県で牛を飼う人が増え、いまやほぼ全ての家で飼っている状態だ。ヤクは首に鈴をつけられており、雲南キンシコウはその音も嫌う。最近では冬にヤクが山に入る際の標高も徐々に上がっており、3800m級の林もヤクの放牧の場となっている。ここは雲南キンシコウの生息エリアと重なっているが、この状態で翌年5月まで過ごさなければならない。
崔亮偉は次のように指摘する。放牧が雲南キンシコウに与える影響についてはさらなる研究を待たなければならないが、現在明らかになっている潜在的リスクは、家畜の糞の中には寄生虫がいる可能性があり、森林で放牧される場合、雲南キンシコウが地上に下りてくることで、家畜と雲南キンシコウとの間で疾病の交差感染が起こり得るということだ。現時点ではまだこれに関する研究結果が発表されていないものの、「普遍的法則であることから、感染は必ず起こると考えています」と楊宇明は言う。
雲南キンシコウとタケノコ争奪戦を繰り広げる相手は、なにも動物に限らない。魏行智(ウェイ・シンジー)は玉龍県野生動植物保護協会雲南キンシコウ保護プロジェクトのボランティアをしている。2020年は新型コロナウイルスによる感染症拡大の影響で、現地周辺の住民は村外に出稼ぎに行けず、収入が絶たれ、山からタケノコを採ってきて売ることでしのいでいた。「山には1日あたり50~60人はいました」。1979年生まれの褚学仙(ジュー・シュエシエン)は利苴村の住民で、以前は村の婦女主任をしていた。褚学仙曰く、5、6年前はタケノコ1キロ260元ほどで売れた。一家全員で出動すれば、1日600元ほどのタケノコが採れ、これだけで月の収入は2万元になった。しかしここ2、3年は、1キロあたり100元前後に落ち込んでいる。利苴村および周辺の村の住民は他にも、雲南キンシコウの生息地のクモスギやモミの林に生える竹を、白インゲン豆のつるを這わせる竿に使うため持ち帰っており、これも雲南キンシコウの生息環境破壊につながっている。
住人の収入源「マツタケ」は雲南キンシコウの食べ物でもある
住民のもう1つの重要な収入源がマツタケ採りだが、マツタケもまた、雲南キンシコウの食べ物の1つである。マツタケは雨季に生えてくる。「どんなに大雨が降っても採りに行きます。生活のためなら命がけです」と褚学仙。8月下旬、彼女の弟嫁と母親は毎日山へ登る。朝の5時半頃に家を出て、3、4時間ほど山道を歩き、マツタケスポットに着いたら一心不乱に採って、午後5時前に帰宅する。マツタケの相場も不安定で、高いときは1キロ1000元を超えるが、去年は1キロ150元ほどにしかならなかった。マツタケ採りをする住民は皆、自分だけの秘密の「基地」があり、他人に「横取り」されないように、こっそり素早く、人より先に採る必要がある。マツタケ採りをする住民は7月から9月にかけて月に3000元前後の収入を得ることができる。この3カ月分の収入が、家計の年間収入の40%ほどを占める。
老君山ではマツタケ採りに何の制限も設けていない。白馬雪山自然保護区では、直径4センチ以下のマツタケは市場に出荷できず、マツタケ採取も「2日採ったら3日休む」ようにしなければならないことになっている。和傑山も崔亮偉も、村の住民が生活のためにマツタケを採るのはやむを得ないことで、責めるべきではなく、雲南キンシコウへの影響も限定的で軽微なものだと考えている。しかし、「雲南キンシコウ保護グリーンブック」編集責任者で、阿拉善SEE西南プロジェクトセンター事務局長の蕭今(シアオ・ジン)氏は、マツタケ採りの商業化が進んでいることから懸念を抱いている。「以前は山に入ること自体が極めて難しく、マツタケ採りをするのはハンターくらいでしたが、いまは一般人もオフロードバイクで山に入れるようになり、一家総出でマツタケ採りに繰り出しているのです」