雲南キンシコウ保護の道(その3)

雲南キンシコウの家族の群れ。 撮影/奚志農

代替生計手段を求めて

褚学仙は2017年から出稼ぎを始め、月に4000~5000元稼ぐようになった。利苴村では毎年、300人から400人ほどが外部に出稼ぎにいき、3分の2ほどの住民が村に残る。和傑山によると、2000年以後、県林草局は利苴村に対し、クルミや梅などの経済作物を栽培するよう提案してきた。「利苴村には野生のクルミがありますが、最終的に選んだ品種が合わず、村民の収益は思わしくありません」。梅の苗を提供したのは麗江の食品加工会社で、実がなったら引き取る約束だった。相場が好調なときは1キロ6元ほどで買い取ってくれたが、価格が落ち込んだときは、実がなりすぎて地面に積み上げられている状態でも見向きもされなかった。

利苴村村民委員会書記の和栄華(ホー・ロンホワ)氏は、住民の暮らしがなかなか改善されない最大の原因は、村の森林面積が広すぎて、耕作地が少なすぎるからだと考えている。「漢方薬の原材料を植えましょうと提唱しようにも、1ムーやそこらではスケールメリットが形成できません」。必然的に収益も限られてくる。現地では伝統的に重楼〔ジュウロウ〕という漢方薬が栽培されており、価格が高いときには1キロ600~700元で売れるが、重楼の成長には7年もかかる。和学高の家では山椒と木香〔モッコウ〕を5ムーずつ植えている。モッコウは漢方薬の一種で2年で成長するため、1年分だけでも5000元ほどの収入になる。

NGOも、現地の人々を豊かにするための取り組みをしている。2013年前後、阿拉善SEE生態協会から資金援助を受けたNGOが利苴村にやってきて、村で2つのプロジェクトを始めた。1つは漢方薬材のテンマの栽培、もう1つは養蜂だったが、どちらも成功したとは言い難かった。

2015年には、ザ・ネイチャー・コンサーバンシー(TNC)が利苴村住民のために「弥司子生態農業発展専業合作社」を設立した。「弥司子」とはリス語で「山の神木」という意味で、住民の野生動物および生態環境保護の意識を高める狙いがあった。合作社創設の目的は、梅の果汁、白インゲン豆、乾燥マツタケチップ、蜂蜜、手作りの羊毛絨毯など、村民が育てた農産物や手工芸品の販売をサポートすることだった。合作社は村民の自主運営に任された。当初4世帯ほどでスタートした合作社は、最終的に12世帯が加入した。加入の際は1世帯あたり2000元の出資金を支払う必要があった。TNCはまた、麗江古城に羊毛絨毯を販売するための店舗も借り、合作社に加入した褚学仙と他の住民2人が交代で店番をした。

最初の頃、合作社のメンバーは積極的で団結していた。農産物の売上も好調で、羊毛絨毯の販売を始めたこともあり、合作社の年収は20万元を超えた。TNCの雲南保護プロジェクトマネージャーの廖灝泓(リアオ・ハオホン)氏は当初、まず一部のメンバーで合作社を軌道に乗せ、その後徐々に利苴村の住民全体を加えていくことを想定していた。しかしその後、「労力は割けないが、分け前は欲しい」と言い出すメンバーが現れ、利益分配が不公平になっていった。加えて、販売ルートや注文数も安定していなかったことから、売上は減少していった。

農産物は結局「大衆商品」で利益が薄く、蜂蜜などですら標準化製品ではないため、大きな市場は見込めないと廖灝泓は吐露する。2019年、利苴村合作社の農産物および羊毛絨毯の生産ラインが相次ぎ操業停止した。NGOはビジネスのプロではないため、生産を伴う業務は、やはり企業に介入を要請するべきだったと廖灝泓は反省する。このようなやり方で村民の生計手段の代替を図るのはあまり現実的ではなく、たとえ政府が取り組んだとしても、成果を上げるのは難しいだろうと語る。

これまでの生態系保護の取り組みは目立った成果があげられておらず、人間活動の影響で雲南キンシコウの生活エリアは細切れに断片化されてしまっている。将来的にさらに広範囲の雲南キンシコウを保護するためには、大規模な雲南キンシコウ国立公園の設置を検討すべきだと楊宇明は考えている。

(張家揚と実習生・田然の協力に感謝する)

You may also like...

Leave a Reply

Your email address will not be published.