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「遠くて近い新疆」 中国駐大阪総領事館オープンデーイベント実施

昨年12月、中国駐大阪総領事館が1ヶ月限定で募集を始めた中国新疆ツアー、1000人以上の募集を集めたが、コロナ禍の影響もあってか、いつ開催するのか期待が高まっている中、4月7日、中国駐大阪総領事館で本ツアー応募者限定の「遠くて近い新疆」中国駐大阪総領事館オープンデーが、中国駐大阪総領事館主催、新疆ウイグル自治区文化観光庁、中外文化交流センターの協力で実施された。 1000人以上の応募者の中から抽選で選ばれた11名の日本人、そして特別ゲストとして新疆ウイグル自治区政府顧問の小島康誉氏、在阪新疆出身華僑代表3名、中国駐大阪観光代表処、そして中国駐大阪総領事館の薛剣総領事を始めとする代表職員が本オープンデーに参加した。 冒頭に薛剣中国駐大阪総領事から歓迎の挨拶では、「日本、そして世界でも最近有名になった新疆ウイグル自治区だが、本物の新疆がどのようなものか、正確な情報が伝わらないこと悩みであるため、昨年12月に中国新疆ツアーの募集を行った。その結果、1000名以上の申込があり、本当の新疆を知りたいとする期待の現れだと感じている。現在コロナ禍の影響で本ツアーは実現できていないが、観光業界、航空業界などの関係団体とのやりとりを続けており、本ツアーが開催する際には新疆へのチャーター便を用意する準備を進めている。また行けない時期だからこそ、新疆を理解、実感してもらうイベントを開催するべく、今回のイベントを開催した。」と本イベントの開催趣旨と、新疆ウイグルツアーの現状を述べられた。 その後、一般参加者、総領事館関係者、在阪新疆出身華僑との混合グループに分かれ、新疆ウイグル自治区の歓迎映像を視聴、新疆に住む代表的な少数民族、ウイグル族やカザフスタン族、タジキスタン族などの伝統衣装を身に纏い、新疆ウイグル自治区文化観光庁が手配した特別講師がオンラインで同民族の伝統ダンスレッスンを行った。 ダンスレッスン終了後は、新疆の伝統壁画である亀茲などの伝統文化の紹介と亀茲模写体験キットや、ジグゾーパズルなどのプレゼントが行われた。新疆の伝統舞踊、衣装、美術などの文化を思う存分体験できるプログラム構成であった。 最後に、観光の醍醐味である美食を体験するべく、大阪に住む新疆人が作る本場の新疆美食を味わった。 初めて新疆料理を食べるという日本人参加者も多く、食を通しての新疆理解も深めることができた。 参加者からの感想では、民族衣装を着ることで、参加者一人一人の雰囲気が変わり、魅力が増す、民族衣装の持つ素敵な魅力を再発見することができた、新疆文化の特色が多く、中国という場所が如何に多様であることを再発見できた、など多くのコメントが寄せられた。 新型コロナウイルス感染症の関係により、日中両国の往来が制限される中、新疆文化を体験する機会は少なく、今回は新疆をPRするのに絶好の活動となったことだろう。 ただ日本人にとって未知数な地域は新疆ウイグル自治区に限ることでは無い。今後もこのような各省、自治区に特化したイベントを開催することにより、日本と中国の距離をより身近にし、日本人に対して本当の中国理解促進に貢献することになると感じる。

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若者が決める!第2回日本中国旅行ワークショップ大会視聴者(リスナー)募集✈

コロナ禍で事実上日本と中国に行けなくなってから早2年。今回、身近な「旅行」というテーマでイベントが開催されます!! 日中両国の青少年が4人1グループで、1か月程度オンライン上で理想の観光プランを作成した成果を発表します。日中の青少年が本気で考えた旅行プラン、一緒に見てませんか? そして、なんとなんと… 今回昨年のイベントでお越し頂いたドキュメンタリー監督の竹内亮 監督が審査員の1人に決定しました!!竹内亮監督を生で見たい方もぜひご参加ください♪ さらにリスナーのみなさんに豪華賞品が当たるプレゼント企画もあります!!沢山の参加お待ちしております♪★開催日時 3月13日(日)14時〜16時 ※日本時間 ★開催方法 オンライン ※Zoom使用予定、使用言語は日本語 こんな方にオススメ! ・中国語/日本語を勉強している方 ・日本や中国の有名観光スポットを知りたい方 ・旅行好きの方 などなど… ★参加条件・参加費 誰でも無料でご参加いただけます! ★リスナー特典 ◆得点1:リスナーのみなさん向けのWeChatグループにご招待! その中で中国人リスナー参加者や日本人リスナー参加者と交流ができますよ!! ◆特典2:豪華景品が当たるチャンス! リスナーの皆さんに豪華景品があたるチャンスがあります! 抽選結果はイベント当日に発表いたします♪ ★申し込み方法 下記お申込みフォームより申し込みください。 【日本在住の方】https://forms.gle/E61dtRqoks9CB6kr5 【中国在住の方】https://wj.qq.com/s2/9731213/fb48/ ※申し込みいただいた方にはメールでご連絡を差し上げますので、nicchu.ryokouws02@gmail.com のメールを受信できるように設定をお願いいたします。 申し込み期限:3月12日(土)日本時間18時 ★共催団体 日中学生交流団体freebird、認定NPO法人東京都日中友好協会青年委員会、中国駐東京観光代表処 ぜひお早めにお申し込みください~~!!

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日本一ウェルネスな観光協会を目指す!北中城村観光協会、ミッションステートメント構築と新就業規則。LGBTQパートナーシップ対応やペットの慶弔休暇も!(沖縄県)

スポーツとあらゆる産業の共創でビジネス創出を目指すアクセラレーショプログラムにて、成果発表会(DEMODAY)を開催! スポーツ庁とeiiconが運営するアクセラレーションプログラムに参加・採択された全国4か所、スポーツチーム・団体と採択パートナーによる12の共創プロジェクトが成果発表の場に登壇! 一  eiicon company(所在地:東京都港区南青山、代表:中村 亜由子)は、スポーツ庁より受託運営している、令和3年度スポーツ産業の成長促進事業「スポーツオープンイノベーション推進事業(地域版SOIPの先進事例形成)」において、全国4地域にて実施しているアクセラレーションプログラム「INNOVATION LEAGUE SPORTS BUSINESS BUILD」(以下、本プロジェクト)の成果を発表する「DEMODAY」を2022年2月28日(月)に実施いたします。 併せて、本日よりDEMODAYの参加者の募集を開始いたします。 【スポーツ庁 x eiicon company】『INNOVATION LEAGUE SPORTS BUSINESS BUILD DEMODAY』 日本最大級のオープンイノベーションプラットフォームAUBA(アウバ)を運営するeiicon companyは、本事業をスポーツ庁より受託。同庁や運営パートナーの皆様とともに、企画・設計・運用からPR戦略まで、本事業ならびに本プログラムの運営全般を強力にサポートしております。 ■当日は、スポーツチーム・団体と他産業の共創による事業アイデアの発表や、トークセッションを実施! 本プロジェクトは、「スポーツの成長産業化」、「スポーツを核とした地域活性化」を目的として、全国4地域(北海道・関西・中国・沖縄)のスポーツチーム・団体とタッグを組み、スポーツに関する新規事業の開発を目指すプロジェクトです。 DEMODAY当日、各スポーツチーム・団体は、本プロジェクトを通してブラッシュアップした事業アイデアをピッチ形式で発表。 スポーツチームと他産業の共創により生み出された事業アイデアが、インキュベーション期間を経てどのような成長を遂げたのか、事業アイデアを社会実装するまでには今後どのようなステップが必要なのか…各スポーツチーム・団体が約4ヵ月間取り組んだプロジェクトの成果発表をDEMODAYにて行います。 なお、スポーツに関する新規事業開発について、当日は特別セッションも実施予定です。スポーツ業界の「ナカ」と「ソト」から、スポーツを1つの産業として捉えた際の「現在の状況」や「課題」、「スポーツ産業の可能性」について、登壇者の経験・事例を交えながらご紹介いたします。 ■DEMODAY 実施概要・日時        :2022年2月28日(月)13:00~18:20(予定)・会場        :東京都渋谷区千駄ヶ谷五丁目24番55号 LUMINE 0 ※COVID-19等の状況により、オンラインでの開催の可能性もあります。・参加費   :無料 ・プログラム    : 13:00~13:05 オープニング 13:05~13:30 主催者挨拶 / 地域版SOIPの説明 13:30~14:15  セッション①『ナカからみるスポーツ業界のイマとミライ』  ・パネラー   鈴木 順(公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)社会連携部 部長)   前沢...

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中国で「山と人の関係」はどのように推移してきたのか―黄山の生態専門家が説明

昨今の中国では自然や生態系の保護が極めて強く意識されている。山岳についても観光資源などとして活用はするが、「持続可能」な範囲にとどめて環境の悪化を阻止することが大前提だ。南京大学黄山生態システム野外科学観測研究ステーションのステーション長も務める章錦河教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中国独自の山岳観や山岳の自然保護と利用の状況を紹介した。以下は、章教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。 【その他の写真】 ■中国は文明が発達しても山と信仰が結びついていた 国連は2002年を「国際山岳年」として、03年には毎年12月11日を「国際山岳デー」とした。実施されてきた活動は、山岳部の生態システムの重視、山岳部の自然保護の緊迫性、山岳部における経済発展の停滞、山岳部住民の幸せなどに関連するものだ。 人と山岳の関係は、さまざまな段階を経て変化してきた。まずは山岳崇拝や山岳信仰の段階だ。人々は自然の超越的な力に接して、自然現象を象徴するさまざまな神を作り出した。西洋の山岳地帯でも住人が自然の神霊を崇拝したことはあった。しかし中国では自然と宗教を結び付ける傾向がはるかに強く、山東省の泰山、湖南省の衡山、河南省の嵩山、陝西省の華山、山西省の恒山が「五岳」と呼ばれ聖地とされるなどの現象が発生した。 山岳5カ所が選ばれたのは、五行説という思想にも関係している。文化文明が酢相当に発達した段階になっても山岳が強く崇拝されていた点で、中国は西洋とは異なる。中国では現在でも「山岳」という言葉が人の独特な感情を刺激するが、欧州人にとっては単なる地理上の用語だ。 ■中国人にとって「自然との融合」は伝統の復興 次に山岳に美を見出した段階だ。中国がこの段階に入ったのは16世紀半ばで、欧州では18世紀末から19世紀初頭にかけてだった。次は山岳文明の段階だ。先進国がこの段階に入ったのは20世紀半ばで、背景には、極度な工業化に対する反省などがあった。スイスの世界遺産ユングフラウ ただし、先進国では山岳文化の新たな前進があまりなかった。中国には、伝統的な自然との付き合い方の知恵や、工業化が後発だったという強みがあり、「エコ文明」という新たな考え方が登場し、「人と自然の生命共同体」、「地球生命共同体」という新たな概念が提出された。 中国と西洋で、山岳に対する考え方が違うことには、文明における自然観全体が関係している。伝統的な西洋哲学は、思惟の主体である自分自身と他者を分離して対峙させる。人は自然を主導するとの考え方であり「山を征服」といった言葉も出現した。 中国では儒家が「天人合一(天と人との合一)」を主張したように、己と万物とが溶け合うことを求める。中国仏教も「衆生、皆仏性あり」などとして、万物の平等性を唱えた。中国人にとって、新たな時代に発生した「人と自然の調和ある共存」は、伝統的な文明の復興、すなわち古典に回帰するルネサンスだが、西洋人にとっては、ルネサンス以来進められてきた「物化文明」に対する反省だった。 ■黄山は姉妹山のスイス・ユングフラウなり、学習と協力を実施中 私は南京大学の黄山研究観測ステーションの責任者を務めているが、黄山は2002年に、スイスのユングフラウと「姉妹山」の協定を結んだ。また、ユングフラウ以外にも世界の多くの名山と提携してきた。それらを通じて、黄山側は多くのことを学ぶことができた。例えば地元経済を発展させる計画づくりや、施設建設にあたっての環境保護、自然が受ける負担を限度内に管理すること、経済活動の許可制、観光客に対する教育、地域としてのブランド戦略などだ。黄山 一方で、20年5月には黄山側がユングフラウに「感染防止の条件を満たすための観光スポット開放ガイドライン」という情報を提供する協力をした。また同年9月にはユングフラウ側と提携して、中国スイス国交樹立70周年を記念して実施された「スイス国家ブランドデー」の活動に参加した。 中華民国時代の1934年に設立された黄山建設委員会も、当初から「資源保護、名勝を輝かせる、旅人に奉仕、住民に利益をもたらす」とのスローガンを掲げていたと伝えられる。これらの理念に加えて2011年には国際的な「持続可能な観光目的地準則」の起草に参加して「観光体験の質を絶えず向上、資源と関係をより大切にする、観光産業の広範な融合、社会の幸せの増進に努力」などの提案をするなど、時代の流れに沿った取り組みを行っている。(構成 / 如月隼人)

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福建省随一の経済都市泉州が世界遺産登録①

昨今、福建省泉州にブームが訪れている。1300年の歴史を有する古都泉州は、同市のコアな愛好者たちの努力によりSNS上の文化好きな若者たちの人気スポットに浮上した。古の繁華街として知られた西街を散策し、こざっぱりとしたカフェやバーあるいは民宿を横切ると、その文化の息遣いに全身を覆われたような感覚に覆われる。 西街の北側から顔を出す開元寺の双塔は、正真正銘の文化都市である泉州の独自性を物語るようだ。この二つの石塔は宋代の建造で800年の歴史を持つ。昨年7月の世界遺産委員会にて、開元寺を含む泉州の宋元時代の遺跡21件が世界文化遺産に認定された。 実のところ古都泉州はきわめて特徴的なふたつの顔を持っている。 まず宋代以降の古い建造物がたくさん残っていることだ。「南音」と呼ばれる伝統音楽、人形劇、閩南語のなかには伝統的な生活様式が脈々と流れ、仏教、道教、イスラム教、ヒンズー教、マニ教といった宗教が共存した希有な状況を今でも推し量ることができる。もう1つの顔は、アントレプレナーシップにより経済繁栄を創り出したことだ。泉州の経済は22年連続で福建省トップを走り、2020年には全国で18番目となるGDP1兆元超え都市の仲間入りを果たした。アンタスポーツ〔安踏〕、エクステップ〔特歩〕、361°など中国の有名スポーツウェアブランドの半数がここ泉州に集中している。 郷土の伝統を守りつつ果敢に海外進出する気概は閩南人のDNAであり、中国でもまれな海洋文化でもある。1兆元時代に突入した世界遺産の街が今後どう急成長を維持していくのか。「ビジネスができる街」として名をあげた泉州はいま新しい発想を提起している。 ※「鯉城」の別称をもつ泉州は福建省の地級市であり、福建省人民政府が定めた海峡西岸経済区の中心都市また近代的工業・貿易港湾都市となっている。 生活と共にある世界遺産 昨年中頃、「泉州:宋朝・元朝における中国の世界の海洋貿易センター」が世界遺産リスト入りし、泉州全域に分布する22件の遺跡や建造物が登録され、20年にわたる世界遺産申請活動はついに報われることとなった。 「世界遺産委員会は審議時間わずか6分、全会一致で泉州の登録を可決した」。泉州市文化広電旅行局の党組書記で局長を務める李伯群氏によれば、泉州の申請項目は一連の複合遺産であり、こうしたケースは世界文化遺産のなかでも数少なく、第44回世界遺産登録決議では泉州が高く評価されたという。 22件の遺跡を一つの世界文化遺産としてまとめたことで、泉州にはいわば10~14世紀の繁栄を描く壮大な絵巻が描き出された。当時、泉州にはさまざまな肌色の外国人が街中を闊歩し、その様子は唐代の長安に匹敵するほどだった。夜になると古い渡し場には船舶が満ち一晩中明かりが絶えることはなく、中国の磁器、シルク、茶葉などの貨物が船で世界各地に運ばれた。また外国の香料や希少品を乗せた船が入港し、さらに都へと送られていった。 泉州は南宋末期に東洋随一の大型港となった。福建省海洋文化研究センターの特約研究員で中国人民政治協商会議泉州市委員会の副主席を務める李冀平氏によれば、当時は中国の大航海時代であり、自由な航海貿易のルートが創出された。泉州はきわめて独特かつ典型的な中華海洋文明を体現し、略奪とは対極にある平和と包容力を有しており、これは泉州が今日にもたらした教えである。 世界遺産申請の成功後、泉州の古迹はよりはっきりとした輪郭をもって人々に知られることとなった。この出来事は文化財保護の新たなスタートラインであるだけではなく、文化観光産業の発展の新たなチャンスともなった。泉州には山と海の両方があり、古都と近代都市の両面を持つ。宋代の寺院もあれば現代の劇場もあり、閩南グルメもあれば伝統音楽「南音」もある。福建省南部の片隅の古城でありながら、観光都市としての抜きんでた才能を生まれながらにして備え、蓄えてきたのだ。泉州市の現在の計画では、各遺産の見学施設を体系的にグレードアップさせ、22件の遺産関連建造物では閩南語、普通話、英語、日本語、韓国語の5言語での解説を提供予定だという。泉州海外交通史博物館を含む展示館15カ所はすべて無料開放するほか、考古遺跡公園の建設も複数計画されている。 泉州の世界遺産は数が多く、海辺、山林、古都、河川と広範囲に分布している。同市は今後、各遺産へのアクセスの利便性をさらに高めるべく努力をしていくとのことだ。また、「海のシルクロード博物館」の建設を進め、複数の博物館を改造し世界遺産展示センターとして一新するために国と福建省の支援をとりつけているところだ。 とはいえ、泉州独自の「生活の息づかい」を守り伝えていくことがまず肝心だと李氏は考える。「泉州にある遺産の多くがいまでも暮らしとともにある。7・62㎢の古都遺産区および緩衝地帯には先祖代々そこで生活する人々がおり、泉州の文化財とその保護は『生活の息づかい』に満ちている」。文化財保護が一般市民の日常生活に溶け込めば、遺産の保護条件が向上するほか、人々の居住環境の改善にもつながるという。 『中国新聞週刊』記者/倪偉 翻訳/神部明果 写真/CNSphoto

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江南文化の再構築①

伝統文化に対する中国人の郷愁は、 実際は「江南の夢」〔風光明媚な長江下流南岸の地に開花した文化への憧憬〕であって、 それは人文と山水が共存する「詩と遠くの地」に対するものだ。 そして、蘇州はまさにこの美意識が集大成した場所なのである。 『中国新聞週刊』記者/徐天 翻訳/吉田祥子 日はすでに暮れ、滄浪亭の外を流れる水路を一艘の小舟がゆったりと進んでいく。白い長衣を身にまとった書生が船首に立ち、月光が行く手を照らす。岸に上がると、書生は昆曲〔昆劇とも呼ばれる中国伝統劇〕のせりふを朗読しつつ、観客を滄浪亭の中へと誘導し、同時にとその妻・の物語の世界に引き込んだ。昆曲『浮生六記』〔清代の文人・沈復が亡き妻との思い出を綴った自叙伝〕が2018年に蘇州最古の園林〔中国庭園〕である滄浪亭で初演されて以来、「昆曲+園林」をコンセプトに制作されたこの園林版没入型昆曲は若い演劇ファンを中心に人気が広がった。  蘇州市が実景を舞台にしたこの昆曲をプロデュースできたのは、特に意外なことではない。2500年余りの歴史がある同市は、園林と大運河を含む2件の世界遺産と61カ所の全国重点文物保護単位〔国宝・重要文化財に相当〕、昆曲・刺繡・〔日本のに相当する文様織の一種〕を含む6項目のユネスコ無形文化遺産および33項目の国家級無形文化遺産など、実に多くの文化的IP〔知的財産権〕を所有している。  文化産業ブームが到来するなかで、これらのIPがどのように構成要素を拡大し、その現代性を創造し、蘇州市の中核的競争力となることができるかは、目下の重要な課題である。  2021年初めに発表された「『江南文化』ブランド構築3年行動計画」によると、同市は江南文化の発掘と研究、展示と発表、変革と発展、普及と拡大について尽力し、蘇州を「江南文化」の中心的な語り手・伝え手・導き手にすべく努めている。当時、江蘇省党委員会常任委員で蘇州市党委員会書記だった氏は「私たちにとって、『メイドイン蘇州』が『最も強固なコア』だとすれば、『江南文化』は『最も輝かしい名刺』です」と述べ、蘇州は「江南文化」ブランドを全面的に展開し、江南文化の核心的地位を再構築するだろうとみている。 郷愁と江南の夢  『浮生六記』の上演は、ナイトツアー主催者側に考えがあったからだ。外部からの観光客が蘇州に一泊だけ滞在できるとしたら、江南文化のどの側面を最も体験したいだろうか。彼らが出した答えは、世界遺産の園林と無形文化遺産の昆曲だった。  江南文化は確かに構成要素が豊富だが、ある程度はすでに中国人に対する「ステレオタイプ」になっている。それは、水辺に暮らす人々の家並みや白塗りの壁に青黒い瓦屋根が続く路地、横町から聞こえてくる昆曲やおじさんが何気なく口ずさんでいる〔日本の講談や浪曲にあたる伝統芸能〕、初夏の手作りの三蝦麺〔エビの卵と身とエビミソを絡めた麺〕や晩秋の肥えて柔らかな上海ガニといったものだ。  しかし、蘇州大学学術委員会の主任は、江南文化はいまだに明確に定義されていないと指摘する。蘇州市だけでなく、上海市・江蘇省南京市・浙江省杭州市も地元の立場から江南文化を解釈し、中心的な発言権を掌握したがっている。  復旦大学特別教授で上海社会科学院研究員の氏はこう説明する。「これら4つの都市は江南地域の歴史に相次いで存在した4つの文化的中心地で、南京と杭州は政治的地位の向上によって、蘇州と上海は主に経済的地位の向上によって、それぞれ文化的中心地になったのです」  一方、王堯主任は、南京と杭州はかつて歴史上の首都として政治的な影響を強く受けていたため、その江南文化は完全に純粋なものだとは言えず、上海は20世紀初めに発展し、国際化という特徴により、文化が上海スタイルに変化しているため、蘇州だけが古代から現在まで受け継がれてきた文脈を一貫して保持していると考えている。  だが実際には、蘇州の江南文化も徐々に構築されたものである。  西晋末期の衣冠南渡〔311年の永嘉の乱により漢族が長江を渡って南下し中原の文化や知識を江南にもたらした〕以前は、江南では武力が重んじられていた。世に残っている春秋戦国時代の名剣は、その多くが呉越の地〔呉と越の国があった地域、現代の江蘇省・浙江省のあたり〕で製造されたものである。『漢書』〔前漢の歴史を記した史書〕には「呉越の君主はいずれも勇猛で、それゆえその民もいまに至るまで剣をよく使い、軽々しく死にやすい」と記されている。権力の中心と門閥貴族が南に移動したのに伴い、呉越の地は国の政治・経済・文化の中心となり、江南の気風も徐々に文治と礼儀を重んじるように変化した。熊月之教授によると、六朝時代には江南の雰囲気は前漢のころとは大きく異なり、儒学者は往々にしてゆったりした衣に幅の広い帯を締め、文化的で優雅であることを重んじ、さらには衣に香を焚き、顔を剃り、おしろいを塗り、紅を差していたという。  蘇州の文脈は唐・宋においてさらに発展した。唐代の詩人、・・が相次いで蘇州〔地方官〕に任じられ、文化的影響を及ぼした。宋代の政治家で文学者のもかつて蘇州の知事を務め、蘇州府学を設立した。これは宋で最初の州府立学校で、以来、学生の往来が絶えず、明清時代に蘇州で「江南文化」が繁栄を極めるのを後押しした。  やら「呉門四家」〔明代の呉派文人画の四大家〕が一世を風靡し、編の短編小説集「三言」〔『喩世明言』『警世通言』『醒世恒言』の総称〕は中国古典短編白話小説の最高峰となった。蘇州の昆山一帯で誕生した昆曲は、明代に「水磨調」と呼ばれる節回しを生み出し、戯曲の主流となった。蘇州製の工芸品は康熙~雍正年間には50種類以上にのぼり、専門的で精巧である。故宮の180万点余りの収蔵品のうち、蘇州の伝統工芸品や製品に関するものが10分野にわたり約31万7000点にのぼり、北京以外では、蘇州が故宮との関係が最も緊密な都市である。  明清時代に、蘇州を中心都市とする「江南文化」は最盛期を迎えた。フィリップ・キューン〔ハーバード大学教授〕は著書『中国近世の霊魂泥棒〔原題:Soulstealers: The Chinese Sorcery Scare of 1768〕』でこう分析している。――清朝の統治者は江南の傲岸不遜な学界上層部に対する政治的支配をなんとか確立できないかと頭を痛めていた。学者たちがひたすら探究していたのは、科挙を首席で合格することや高官の手厚い報酬を得ることだけではない。満州族に無骨なよそ者だと自覚させることができれば、その人こそ江南の文人だとみなされたのである。  王堯主任は、伝統文化に対する中国人の郷愁は、実際は「江南の夢」であって、それは人文と山水が共存する「詩と遠くの地」に対するものだと説明する。そして、蘇州はまさにこの美意識が集大成した場所だという。