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未来へのメッセージ 『人民中国』の誌面で綴る国交正常化前史

(王衆一=文) 69年前に創刊された『人民中国』日本語版は、民間から政府レベルに至るまでの中日国交正常化実現の全過程を見届けてきた。今年は中日国交正常化50周年であり、『人民中国』の創刊から中日国交正常化実現までの誌面からなる「点と線」を通して国交正常化前史をまとめて見れば、中ソ関係、中米関係、日本の各政権、日本の民間の動きなどの諸要素が中日関係へ与えた影響、そして中国側が原則を守りながらも積極的かつ柔軟にタイミングを把握し、対日活動を展開し、ついに国交正常化にたどり着いた流れの一部始終を確認できる。これらの貴重な史料に反映された「国交正常化前史」を整理することは、50年前の大きな歴史の転換点を記念すると同時に、『人民中国』創刊当初の初心を改めて確認することでもあり、今後「新時代の要求に合致する中日関係を構築」する上で、「温故知新」的な示唆を与えてくれるだろう。  『人民中国』日本語版は、『人民中国』英語版をベースに発展したものだ。世界各国の人々により良く新中国について知ってもらおうと、50年1月に英語版『人民中国』は創刊された。毛沢東主席がソ連訪問の前に書いた「中国人民の友、スターリン」という文章が掲載された。それは『人民中国』一族の濫觴(起源)となった。その翌年の1月にロシア語版も創刊されたが、英語版とともに57年まで運営して廃刊となった。  『人民中国』英語版が創刊して間もなく、50年6月25日に朝鮮戦争が勃発、10月25日に中国人民志願軍が朝鮮へ支援に赴き、「抗美援朝」戦争に加わった。冷戦体制の中、対立する二つの陣営が朝鮮半島で局地的に熱戦を展開した。51年9月8日、日本と欧米諸国は一方的にサンフランシスコ講和条約に調印したが、中国政府はこれを承認しなかった。そして52年4月28日、日本は台湾地区を割拠する蒋介石らと「日台条約」(日華平和条約)を交わす。これに対し中国政府は強く非難した。このような背景から、日本に対する集中的かつ意義深い広報活動が提起された。 そんな『人民中国』日本語版発行の準備期間中、53年3月、スターリンの死去によって東側の陣営内部に新たな変化が起こり、朝鮮戦争も休戦に向かい始めた。そして同年6月、『人民中国』の日本語版が創刊された。 『人民中国』一族の3番目のメンバーである。創刊号の表紙には、英語版とは異なり、天安門広場で少年先鋒隊員から花束を受け取る毛沢東主席をはじめとする指導グループの写真が使われ、読者にとっての親しみやすさがぐっと増した。このタイミングで日本語版を創刊したのは、東洋に焦点を当て、新しい情勢の下で対日広報に力を入れていくという戦略的な考えの表れでもあった。日本の友好団体や友好書店の協力を得て、『人民中国』は日本で正式に発行され、各界の読者を得て、中国と日本の民間交流のプラットフォームとなり、日本の民間に中国の声を届けるという重要な役割を担い始めた。  『人民中国』日本語版創刊の趣旨や雑誌の役割は、創刊号で「中国人民が世界平和を守る大会」の会長を務める郭沫若氏が書いた「創刊のことば」のいくつかの表現から垣間見ることができる。  「『人民中国』の日本語版は、日本語の文章が読める読者、主として日本の人民に、今日の中国の国家建設事業――政治・経済・文化・教育・社会活動など各分野にわたる事業の実際の姿をつたえ、これによって、読者が正確に迅速に不断に、また事業の発展に即して、比較的に全面的な理解を得られるようにすることを趣旨としている。これは中日両国人民の友誼を促進するためにも、また極東の平和と世界の平和を擁護するためにも必要なことである」  「各国人民の友好合作こそ、国際間の恒久平和を擁護するための確固たる基礎であるということを、われわれはよく知っている。だが、各国人民の友好合作を実現するためには、まず相互の理解を促進することに全力をそそがなければならない。相互に理解しあってこそ、はじめて互いに尊敬しあい、学びあい、助けあうことができ、真の友好合作の段階に到達することができるのである」  「中日両国人民は、歴史上の久しい交わりと地理上の隣接から、密接な関係におかれている。日本では、漢字をやはり日本文学を構成する一つの要素として使っている。また日本人民の生活様式と生活感情には伝統的に中国人民のそれと似かよったものがある。こうした事情のもとでは両国人民の相互の理解は比較的容易に行われるはずである」  「人と人との間柄がいたって親密な場合、これを『知己』という言葉であらわしている。この言葉は、日本でもつかわれている。国と国との関係においても、われわれは『知己』といえるほどの関係を結びたいものである。われわれは、日本の人民が日本の支配層とはおのずからことなっていることをよく知っている。日本の人民は、中国の実際の姿を知りたがっており、また貿易の上でも文化の上でも、われわれと深い交わりをむすぶことをのぞんでいる。こうした要求は、実際のところ本誌の刊行にとっても力強い激励となっているのである」 50年代の創刊初期、『人民中国』日本語版には政治記事が多く、そのほとんどが英文記事から翻訳されたもので、翻訳調と英文的思考が目立っていた。『人民中国』の創刊に携わった文化部元副部長の劉徳有氏は、創刊直後から、英語版やロシア語版と区別した編集方針が築かれるようになったと振り返る。63年に誌面のリニューアルが行われた後、日本読者への対象感が一層明確になり、一部の記事では編集と翻訳を一人の担当者が受け持つ方法へと移行した。同時に、中国人(廖承志氏やその姉の廖夢醒氏など)が直接日本語で書いた記事や、日本人が書いた記事も載せた。最初は中国語に訳して内容を検討することもあったが、徐々に日本語で直接校正して定稿とするようになった。これにより、日本語版記事は独創性が高まり、読みやすさも上がり、読者から好評を博した。『人民中国』日本語版は創刊以来、新中国を日本国民に紹介し、民間の力によって中日関係の正常化を促進することを使命としてきた。  54年末、対中・対ソ接近を主張する鳩山一郎民主党内閣(54年12月~56年12月)が発足し、中国とソ連も日本との関係正常化を図るよう呼び掛け始めた。  55年、荘濤氏が執筆した「中日両国の正常関係を回復しなければならない」と題した文章は、雑誌に掲載された国交正常化を呼び掛ける最初の文章となった。その中で、中国政府が最初に中日国交正常化を呼び掛けたのは、54年12月に周恩来総理が中国人民政治協商会議第2期全国委員会第1回全体会議で述べた言葉だと明らかにされている。「わが国は日本と正常関係を打ち立てたいと望んでいます。もし日本政府のほうにも同じような望みがあり、またそれに応じた措置が取られるならば、中国政府は、中国と日本との関係を正常化させるために方法を講じる用意があります。中国政府は、日本との間に平等互恵の原則に基づいて広く貿易関係を発展させるとともに、日本との間に文化の上の密接なつながりを打ち立てることを主張するものであります」  鳩山一郎氏は中国との関係を特に重視していた。当時の政治情勢もあって国交正常化には至らなかったが、第1次鳩山一郎内閣(54年12月~55年3月)の期間中、部下の石橋湛山氏の努力を通じて、中日間では民間貿易の発展に関する協定が結ばれ、中日関係の発展のために重要な礎を築き上げた。  55年から、『人民中国』は、中国政府の立場を反映する声明や政府活動報告、対外政策を読み解くパンフレットを付録の形で読者に送っていた。その内容は日本と関係のあるものが多く、例えば徳田球一氏の追悼会や中日貿易協定、日本記者団の質問に対する周総理の回答、中国外交部の中日関係正常化に関する提案などが含まれていた。  57年2月、石橋湛山内閣(56年12月~57年2月)に取って代わった岸信介内閣(57年2月~60年7月)が中国敵視と親米政策を取ったため、国交正常化の議題は棚上げになった。それでも、「民をもって官を促す」の力はさらに強くなり、それは『人民中国』の誌面にも十分に反映されていた。  58年、中国人民志願軍が帰国し、中国国内では建設に拍車をかける機運が高まった。中国の発展の道への模索をさらに発信していくために、英語版の『北京週報』が同年上半期に創刊。また、インドネシア語版やフランス語版の『人民中国』も同年の年初と年末にそれぞれ創刊され、前者は紆余曲折な発展を経てインドネシア共産党と民衆の中で中国の存在感を高めた。フランス語版は『人民中国』一族の中で一番遅く発足し、63年に廃刊となった。それに代わって創刊した『北京週報』フランス語版はフランスで存在感を保ちつつ、ゴダールの映画『中国女』にも登場している。フランス語版『人民中国』が廃刊となった63年に、中ソ論争がエスカレートしたことを受け、中国は日本に対し政治評論関連の報道の強化を決め、『北京週報』日本語版が創刊され、付録や社説の掲載はほとんど『北京週報』に移された。  池田勇人内閣(60年7月~64年11月)の時、日本は急速な経済成長を遂げ、中日間の民間貿易も再開され、「半官半民」のLT貿易が国交正常化のためにさらなる礎を固めた。58年から65年にかけて『人民中国』に掲載された中国物産の広告からも、当時の中日貿易の盛り上がりが伝わる。65年には、そのような広告が過去最多となった。  LT貿易に伴う民間交流の拡大を受けて、63年2月、廖承志氏は『人民中国』日本語版に対し、「『北京週報』が日本語版を出したら、『人民中国』の内容構成はより大胆に行い、中間層かやや右よりの保守的な日本人にも読んでもらうようにしなければならない……」と指示した。(『廖承志文集』436ページ、1963年2月22日、「『人民中国』日本語版は真の総合月刊誌に向けて発展するべく」より)  同年6月4日、外文出版社(現在の外文局に相当)の羅俊社長を団長とする訪問団が広州・香港を経由し、6月14日に東京に到着。1カ月半にわたる日本訪問中、代表団は東京で創刊10周年の記念イベント(日本会場)に参加し、さらに広島や宇部、北九州、福岡、雲仙、熊本、松山、大阪、神戸、和歌山、京都、名古屋、熱海、箱根、山形、仙台、青森、札幌、旭川、函館、小樽、泊村など30以上の地を歴訪し、7月29日に東京から帰国した。滞在期間中、代表団は100回以上の座談会を開き、『人民中国』の読者や各界の関係者と踏み込んだ交流を行い、広く意見を求めた。  帰国後、代表団は『人民中国』の編集方針を大きく調整した。総合誌という位置付けが明確になり、社会・文化・歴史・少数民族の生活など読者が気楽に楽しめる柔らかい内容が増え、趙朴初氏訪日など中日の仏教界の友好交流を反映する記事や、中国の名優・監督の趙丹さんと日本の女優の高峰秀子さんなどの映画人の座談会に関する記事、また中国の一般市民の日常生活を反映する社会面の報道も多くなった。メディアのパイプがまだ不十分だった当時、そのように中国の魅力を発信していくことで、『人民中国』は日本国民が新中国を知るための最も良い窓口となり、日本社会各界の中で知名度を上げ、発行部数も過去最高を記録した。  同年6月、外文社代表団の訪日期間中、北京の人民政協ホールで、『人民中国』日本語版創刊10周年とインドネシア語版創刊5周年の記念レセプションが行われた。周恩来総理や陳毅副総理が出席し、両誌の成果を高く評価し、期待を寄せた。 65年は対日報道のピークの年だった。それまでの対日活動は、民をもって官を促すというしっかりした基礎を積み重ねており、人民友好を通して国交正常化を進めることが再び日程に上がってきた。同年8月号の『人民中国』は「中日戦後20年」特集を企画し、座談会のゲストとして張香山氏や趙安博氏、張化東氏、王暁雲氏、林林氏などの対日活動の重鎮を北京の東安市場に出来た料亭「和風」に迎え、とてもリラックスした雰囲気の中で、日本側に過去を終わらせ未来を切り開こうという前向きなシグナルと中日関係を改善する前提条件を伝えた。また裁判官の梅汝璈氏は、その論文で国交正常化のネックについて論じ、特に歴史問題と台湾問題に言及した。 65年の重要な民間の交流活動は、中日青年友好大交流だった。『人民中国』は、この1カ月にわたる大イベントの全行程を報道した。日本から来た20を超す代表団の300人以上は、北京で1週間の活動後、三つのコースに分かれ、工業化の進展を代表する東北部と延安を中心とする西北部の革命聖地、さらに毛主席の古里の湖南省・韶山を中心とする南部を見学した。  この時の青年交流のテーマは、記念切手にあるスローガン通り「中日両国人民は団結し、共通の敵であるアメリカ帝国主義に反対しよう」「中日青年は団結しよう」だった。その記念切手の一つは、中日青年がそれぞれ中国語のスローガン「一定要解放台湾」(必ず台湾を解放する)や日本語のスローガン「沖縄を返せ」(還我沖縄)をもって共通の敵と戦う決心を示す絵画作品を採用している。日本のかな文字が中国の切手に現れたのはこれが唯一だ。このイベントは日本に大きな影響を与え、両国の国交正常化に広範な民衆レベルの土台を築いた。多くのイベント参加者は、人民の友好を推進し、国交正常化を促進する中核となった。  66年に文化大革命が勃発し、対日活動を行う中堅幹部の多くが打撃を受けた。この混乱は国交正常化の勢いを弱め、佐藤栄作内閣(64年11月~72年7月)の反中・反共・「台湾独立」支持などの立場と相まって、国交正常化は、別のより適切な時期を探るしかなかった。  69年3月に黒龍江省の珍宝島(ダマンスキー島)、同年8月には新疆ウイグル自治区のテレクチと、二度も深刻な中ソ国境での武力衝突が発生し、中ソ関係は戦争の瀬戸際まで落ち込んだ。『人民中国』はこの1年、中国政府の抗議と事実報道、評論記事を数多く掲載した。中ソ衝突の激化により、中米関係と中日関係は急速な調整を余儀なくされた。  70年代に入り中国外交は大きな飛躍を遂げた。中国は国連での合法的地位を回復し、毛主席の「三つの世界」区分の理論も、中米接近と中日国交正常化の推進に自然な条件を創り出した。  この間、『人民中国』は引き続き日米の結託に反対する日本の市民運動に深く関心を寄せた。中国が国連に復帰する直前、日米は『沖縄返還協定』を締結し、釣魚島問題を人為的に作りだした。71年9月号の『人民中国』に掲載された記事『沖縄「返還」はペテンだ』では、以下のように指摘した。「…佐藤反動政府(の行為は)沖縄『返還』のペテンを利用し、機を見てわが国の領土釣魚島などの島々を侵略・併呑し、わが国に近い浅海海域を不法占拠しようとする日本反動派の大それに野望をさらけ出している。中国の主権を侵犯する米日反動派のこのような罪悪行為を中国政府と中国人民は絶対に許さない。われわれはもういちど米日の反動派に警告する。きみたちがどうのような手口をもてあそぼうと、釣魚島などの島々が中国の神聖な領土の不可分の一部であるという事実を変えることはできない」  72年、中米接近により当時のニクソン大統領の訪中が実現し、世界の構図を変える大国外交が幕を開けた。同年2月の『人民中国』は、これについてタイムリーかつ全面的に報道した。中米接近が中米人民の友好を反映していることを強調するため、『人民中国』は写真記事『中国人民の友 エドガー・スノー』も掲載した。  そして72年の1月号では、65年の「中日戦後20年」の座談会に呼応するかのように、日本の友好人士の呼び掛けで開かれた座談会「日中友好運動の新たな高まりを迎えよう」が紙面に登場。72年が中日関係史上、必ず特別な一年になることを示唆していた。  『バレエで結ぶ友情』『三たび中国を訪れた松山バレエ団』など、バレエ外交の展開を予告する記事が大きく取り上げられた。7月号では上海舞劇団を大きく取り上げ、すでに日本訪問に出発した同訪日団の背景を紹介した。 同時に、佐藤政権の「台湾独立」を支持する動きおよび、岸信介が会長を務める「満州回顧録発行会」などに代表される日本の右翼が侵略の歴史について抱く「郷愁」に対し、『人民中国』は評論記事『佐藤らの「台湾独立」の陰謀をあばく』『戦犯の「郷愁」を評す』を掲載。改めて台湾問題と歴史問題で中国の声をはっきりと伝えた。 ...

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中国のNEV販売、新興勢力に従来型自動車メーカーが追い上げ

中国の新エネルギー自動車(NEV)の9月の納車実績が発表された。蔚来汽車(NIO)や小鵬汽車(Xpeng Motors)、零跑汽車(Leap Motor)といったNEVで先発してきた新興勢力は納車実績の増減の振れ幅が大きくなっている。一方、NEVでは後発となっている広州汽車や東風汽車といった従来の自動車メーカー傘下のNEVメーカーの納車実績は増加傾向にある。NEV市場の競争が激化する中、従来の自動車メーカーの追い上げが徐々に加速している。 ■新興勢力、9月の納車台数トップは哪吒汽車 まず新興企業をみると、9月の納車台数トップは哪吒汽車(Neta)で、1万8,005台。前月比で12.4%増、前年同月比では134%増を記録した。前年同月比でのプラスは27カ月連続。新モデルの「哪吒S」の受注台数は既に1万5,000台を突破しており、同社の月間の納車台数は2万台の大台を突破する可能性があるとの見方も出ている。 2位は理想汽車(Li Auto)。理想汽車はモデルチェンジによる販売低迷から脱し、8月から大幅に回復している。同社の9月の納車台数1万1,531台。前月比で152.3%増、前年同月比で62.5%増と、大幅な伸びを示した。うち「理想L9」の納車台数は1万123台だった。 3位は零跑汽車(Leap Motor)。9月29日に香港株式市場に上場した同社は、上場前の数カ月は納車台数の増勢が加速していたが、9月はやや反落した。9月の納車台数は1万1,039台で、前年同月比で200%超増加したが、前月比では11.4%減少している。 同社は香港上場を翌日に控えた9月28日に新車種「零跑C01」を発売。受注台数は既に10万台を超えたと明らかにしている。 4位は蔚来汽車(NIO)。新興勢力の自動車メーカーの中で車種価格が最も高いNIOは9月の納車台数は1万878台。前月比1.8%増、前年同月比29.3%増となった。新車「ET5」は9月30日に納車が始まっており、国慶節連休の初日の10月1日には広州市や重慶市などの都市にあるNIOの体験センターには多くの客が来店し、注文があったという。 NIOは海外市場の開拓も積極化。10月8日にはベルリンでイベントを開催する予定で、欧州市場の開拓ペースを加速する。 5位は小鵬汽車(Xpeng Motors)。9月の納車台数は8,468台で、前月比で11.6%減、前年同月比でも18.7%減と、さえない結果。主流の新興勢力の中で前月比、前年同月比ともに減少したのは同社のみとなっている。 ■従来型自動車メーカー傘下のNEVは販売拡大、広州汽車傘下のAIONは9月は3万台突破 新勢力各社の納車台数がやや不安定に推移する一方、従来型自動車メーカーをバックグランドに持つEV各社は販売を着実に伸ばしている。 中でも伸びが著しいのは、広州汽車傘下のNEVメーカーである広汽埃安(AION)。9月のNEV販売台数は3万16台で、前年同期比121%増、前月比でも11.0%増。初めて月間販売台数が3万台を突破し、NIO、小鵬、理想の3社の9月の納車台数の合算数に匹敵する。 同社は、生産能力を拡大しており、2022年初めの10万台/年から22年末には40万台/年に拡大する予定。第二工場の稼働後は、月次販売台数5万台を目指すと意気込んでいる。 吉利汽車傘下の極氪(Zeekr)も販売を拡大。9月の販売台数は8,276台で、前月比で15.5%増加。累計販売台数は4万5,000台を突破している。 東風汽車傘下の嵐図汽車は、2,519台で、前年同月比で177%増、前月比で3.7%増。上海汽車傘下の智己汽車は1,019台で、前月比で1.1%増だった。 このほか、賽力斯集団(社名変更前は小康工業集団)と華為技術(ファーウェイ)が共同で立ち上げたAITOブランド問界シリーズの9月の納車台数は1万142台。今年3月から納車を始めた同社は、3月の納車台数が3,000台程度だったが、8月に1万台を突破。9月は前月比で0.97%増と、伸びは小幅にとどまったが、2カ月連続で1万台を上回る水準を維持した。 同社は9月6日に初の純電気の「問界M5 EV」を発表した。問界シリーズとしては3車種目のNEVで、新車発表当日、受注台数が3万台を超えた明らかにしている。 中国のNEV市場では、NIOなどの新興勢力が先発組となり、先行優位性を享受している。一方、従来型自動車メーカーは後発だが、大手グループ企業がバックグランドとなっているだけに、研究開発や生産、販売などの面でリソースがある。 今後のNEV市場の勢力図の変化とともに、先発の新興企業と後発の従来型自動車メーカーの間で競争が激化することで、中国全体のNEV市場の底上げにつなげることができるのか、今後の動向が注目される。

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【10月は食品ロス削減月間】Oisix×Z世代 未来の食プロジェクト 中学生が開発したアップサイクル商品「地球よろこーんぶそうめん」ら3商品が販売開始(10/6~)

食品のサブスクリプションサービスを提供するオイシックス・ラ・大地株式会社(本社:東京都品川区、代表取締役社長:高島 宏平)は、2022年10月6日(木)より、青稜中学校(本部所在地:東京都品川区、校長:青田 泰明)の2年生と3年生の有志が参加するSDGsゼミナールが開発したアップサイクル商品※の販売を開始します。

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複数の世界一!中国が世界最大の物品貿易大国に―中国メディア

中国の物品貿易輸出入量はこの10年、過去最高を更新し続け、中国はすでに世界最大の物品貿易大国となっている。港の処理能力は、港の輸送能力を測る重要な指標だ。2021年、山東省港口集団の貨物処理能力は15億トンを超え、世界上位に入った。 この10年、中国の物品貿易輸出入総額は、2012年の24兆4000億元から2021年の39兆1000億元にまで拡大した。貿易量が増加の一途をたどると、港の各部分にはより高い運営効率が求められることになる。山東省港口集団は現在、輸入コンテナの荷渡し指図書及び機器受け渡し証の電子化が実現し、通関からコンテナ引き渡しまでの全ての手続きをオンラインで済ませることができるようになっている。 山東省港口集団の処理能力は年間15億トン以上、コンテナ数は3400万TEU(20フィート標準コンテナ換算)以上に達している。航路は320路線以上あり、中国北方地域の港では首位をキープし、北東アジアの国際船舶輸送ターミナルの地位をさらに固めている。 この10年、急速に成長した山東省港口集団は、中国が推進する港の質の高い発展の縮図となっている。この10年、中国の港の規模は拡大の一途をたどった。2021年末の時点で、中国には作業埠頭の係留施設が計2万867カ所あり、1万トン級以上の係留施設が2659カ所に達している。水運のインフラ規模は世界一をキープし、中国は100カ国・地域以上の主な港と海運路線で繋がっており、世界で海上輸送の接続が最もよい国だ。2021年、中国の港の貨物処理能力、コンテナ処理能力はいずれも世界一だった。(提供/ 人民網日本版 ・編集/KN)

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中国の「パンダ外交」、唐の時代に日本へ贈呈説、サッカーW杯開催国カタールへも―仏メディア

仏紙ラ・クロワ(電子版)はこのほど、「唐の時代からカタールワールドカップまでの中国の『 パンダ外交 』」とする記事を掲載した。中国メディアの参考消息が1日、その内容を要約して次のように伝えている。 中国は2012年に2頭のジャイアントパンダ「円仔(ユアンザイ)」と「歓歓(フアンフアン)」をフランスに貸し出した。この豪華な贈り物は「パンダ外交」と呼ばれるほど、中国では一般的な慣行だ。 中国は先月27日、11月から12月にかけてカタールで開催されるサッカーのワールドカップを祝うため、2頭のジャイアントパンダが間もなくカタールに到着すると発表した。カタールはパンダ外交の新たな受益者となる。 セント・メアリーズ・カレッジ・オブ・カリフォルニアのエレナ・ソングスター教授は、著書「The Nation of the Panda」で、パンダ外交について、ソフトパワーにおける中国の最大の「成功」の一つと指摘している。中国は、パンダ外交を通じて20世紀に世界の舞台の中心に戻り、より親しげな「新たな顔」を見せた。 この手法は古くからあるようで、唐の時代に女帝の武則天(624~705)が日本に2頭のジャイアントパンダを贈呈したという説がある。 新中国成立後には、1957年から1982年までに23頭のジャイアントパンダが9つの異なる国に贈呈されたが、そのピークは1972年のニクソン米大統領の訪中だ。「玲玲(リンリン)」と「興興(シンシン)」がワシントン動物園に贈られ、米国はその返礼としてジャコウウシのつがいを贈った。 米国の大衆を狙った中国のパンダ外交は大成功を収めた。ワシントン動物園には公開初日に約2万人が駆けつけ、翌年には100万人を超えた。 中国政府は1984年にジャイアントパンダの贈呈政策を中止し、その代わりに長期間の貸し出しを始めた。 研究者が述べているように、中国政府が外国とのパートナーシップを拡大しようとしている時、パンダ外交には「明るい未来がある」ことをすべてが示唆している。(翻訳・編集/柳川)

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日本と台湾の架け橋となる若者を育成 「第19回日台文化交流 青少年スカラシップ」作品募集

産経新聞社は、日本と台湾の青少年による文化交流促進を目指す「第19回日台文化交流 青少年スカラシップ」を実施します。作文とスピーチの2部門で作品を募集。大賞および優秀賞の入賞者には、台湾旅行をプレゼントします。また、オンライン交流会を開催し、日本と台湾の相互理解と交流を深めます。 応募項目は、作文部門(言語:日本語)とスピーチ部門(言語:中国語、台湾語)で、テーマはいずれも台湾に関すること。スピーチ部門は、論文審査を経て本審査を行います。審査委員長の渡辺利夫氏(拓殖大学顧問)らが、作品の選考にあたります。各賞に賞品を用意し、作品応募者には台湾関連グッズの参加賞と、抽選でJTBオンラインイベント「願いを天とうに書いて大空に上げる」にご招待します。詳細・応募は、公式HP( https://adv.sankei.com/scholarship/ )をご覧ください。 【各賞】大賞:2名(作品部門1名、スピーチ部門1名)/ 賞状と台湾旅行券(10万円分)、オンライン交流会ご招待優秀賞:10~12名程度 / 賞状と台湾旅行券(5万円分)、オンライン交流会ご招待奨励賞:20名程度 / 賞状と台湾関連グッズ佳作:数名程度(優秀賞以下、両部門から選出)/ 賞状と台湾関連グッズ※作品応募者には、参加賞と抽選でJTBオンラインイベントご招待 【締め切り】2023年1月13日(金)必着【発表】2023年3月、産経新聞ほか公式サイトで発表【交流会】2023年3月下旬、オンラインで実施予定 【主催】産経新聞社【共催】台北駐日経済文化代表処【協賛】JR東海、三井物産、台湾新聞社 【お問い合わせ】日台スカラシップ事務局(産経新聞社メディア営業局内)電話:03-3275-8675(平日10時~18時)メール: scholarship@sankei.co.jp

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中国、異業種によるコーヒービジネス参入相次ぐ~スポーツ用品の特歩も

中国で異業種によるコーヒービジネスへの参入の動きが相次いでいる。足元では、スポーツ用品の特歩がコーヒービジネスへの参入を計画していると伝えられる。 ■拡大する中国のコーヒー市場 中国のコーヒー市場は、ここ10年ほどで大きく変化している。元々はお茶の文化が強い中国だが、コーヒー文化も若年層を中心に根付きつつある。2020年末時点のコーヒー小売店舗数は10万8,000店で、うち75%が「一線都市」、「二線都市」といった都市部に集中している。コーヒーチェーンの店舗数では、ラッキンコーヒーが約7,000店、スターバックスが約6,000店。中国のラッキンコーヒーがスターバックスを上回り、中国勢の勢いが増している。 ■異業種参入も さらに、ここにきて異業種もコーヒービジネスに参入している。中国石油化工、中国石油天然気といった国有石油大手が傘下のガソリンスタンド内のコンビニのネットワークを活用してコーヒービジネスに参入。中国郵政は郵便局のネットワークを活用し、コーヒーショップの運営に乗り出している。 こうした国有大手に加え、スポーツ用品もコーヒービジネスに参入している。先陣を切ったのは李寧で、「李珈琲」のブランドでコーヒー市場に参入した。さらに李寧に続いて特歩もコーヒー市場に参入する計画で、中国メディアによると、特歩は「特珈琲」という商標を申請している段階という。 ■スポーツ用品のコーヒービジネス参入の背景 スポーツ用品ブランドが相次いでコーヒービジネスに参入する背景の一つには、体験型消費を提供することにある。店舗数は、特歩が国内外で約6,000店、李寧が約7,000店。両社は、この店舗網を活用して単純にコーヒーを売るだけでなく、来客者にコーヒーを提供し体験型消費を提供する狙いだ。実際、先行する李寧は、スポーツ用品ショップ内に、おしゃれでゆとりのあるコーヒーショップを併設。SNS上では、コーヒーショップに来たその体験を拡散している顧客もみられる。 李寧に続いて参入する特歩も、李寧と同様に体験型消費を提供するとみられる。ただ、懸念されている点もある。大都市に店舗が多い李寧に比べて、特歩の店舗は地方都市が多いためだ。前述の通り、コーヒーショップは主に、「一線都市」、「二線都市」に集中している。こうした中で、特歩が、ファッションの一つとしてコーヒーショップを利用する顧客層をどれだけ取り込むことができるのか、その戦略が問われそうだ。

転職・求人情報サイト「Daijob.com」を展開するヒューマングローバルタレント株式会社は、同サイトの登録者を対象に「IT系外国籍人材の国内ニーズ」について独自調査を行いました。 0

IT系外国籍人材の国内ニーズを調査 ~コロナやDX推進を経て中国のIT人材ニーズが増加中~

コロナやDX推進を経て中国のIT人材ニーズが増加中。「Daijob.com」を展開するヒューマングローバルタレント株式会社は、同サイトの登録者を対象に「IT系外国籍人材の国内ニーズ」について独自調査を行いました。

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中国当局、景気安定化へ新型インフラ建設投資加速~外部環境不透明で内需拡大がカギ

中国当局が景気下支え策としてインフラ投資を拡大する方針を示している。中でもデジタル経済を支えるための新型インフラ建設投資を加速する方針だ。外部環境が不透明な中で中国当局が外需をコントロールするのが難しい中、内需拡大が景気安定化の重要な手段とされている。 ■国家発展改革委員会、新型インフラ投資への社会資本の参画を促進 新型インフラは、従来の鉄道や空港、港湾などの交通インフラ整備を主力とするインフラと異なり、デジタル経済を支えるためのインフラで、5G、超高圧(UHV)送電、都市間高速鉄道、ビッグデータセンター、人口知能(AI)などの分野を含む。新型インフラは、社会全体のデジタルフォーメーションへの転換を通じた経済・産業の高度化を促すと同時に、内需拡大を促進する側面もある。 景気の下押し圧力が強まる足元では、中国政府は景気下支え策の一環として、新型インフラ整備の加速を強調しており、今後、新型インフラ建設への投資誘導を強化する方針。国家発展改革委員会は9月26日の記者会見で、中長期融資や専項債(地方債の一種で収益性のあるプロジェクトの資金調達用)などの手段を有効に活用し、新型インフラ建設への資金支援を強化すると同時に、社会資本が積極的に投資参画できるよう誘導するとの方針を表明。特に、新型インフラ建設は、実体経済を牽引する役割が大きいだけに優先的に支援するとの見解を示した。 また、重大科学技術インフラ建設などの建設計画を着実に実行。同時に、中西部地域や中小都市のインフラ整備を加速するとともに、5Gや人工知能(AI)、ビッグデータなどの新技術が国民生活に密接に関連する民生インフラ施設に応用できるようサポートを強化する方針を明示している。 国家統計局によると、8月のインフラ投資は前年同月比14.2%増で、伸び率は7月を5.1ポイント上回った。1~8月の累計では前年同期比8.3%増。4カ月続けてのプラス成長となっている。 ■官制メディア、「内需拡大が優先事項」 国営メディアでも景気下支えのための内需拡大の必要性を強調している。新華社傘下の経済参考報は、地方経済の安定こそが、国の景気の下支えに重要であることを主旨とする文章を掲載。その中で、「多くの地域では景気が回復傾向にある」としながらも、「目下、国内外の経済情勢は複雑で厳しく、景気が持続的に回復、好転する基盤は引き続き強化しなければならない」と指摘。「中でも消費需要を喚起するとともに、有効な投資を拡大することが最優先事項である」と、内需の重要性を訴えている。 中でも投資の拡大は景気の安定においてカギを握るとし、河南省や江西省で重要なプロジェクトを展開し、景気安定化に投資の役割が拡大している点を強調している。 ■中長期も投資拡大へ~今5カ年計画期間のエネルギー投資は2割以上増加と当局見通し 中期的にも投資拡大は有効な経済運営手段の一つとされる。国家エネルギー局は同じく9月26日の記者会見で、第14次5カ年(2021~25年)計画期間中のエネルギー分野の重点投資について、第13次5カ年(16~20年)計画期間に比べて2割以上増加するとの予想を示した。国家エネルギー局計画司の宋雯副司長は、「発展改革委員会とエネルギー局は第14次5カ年計画の重要プロジェクトの完成・稼働を加速しており、効果的な投資の余地を積極的に開拓している」と指摘。「効果的な投資を拡大し、経済の安定的な運営を促進するために力強い原動力を提供する」との見解を示している。

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タグ・ホイヤー、中国の新ブランドアンバサダーにツァイ・シュークンが就任!

北京、中国 – 2022年9月:スイスの高級時計ブランド タグ・ホイヤーは、ツァイ・シュークンを中国のブランドアンバサダーに迎えました。ユニークな才能とクリエイティブなスタイルで活躍する歌手兼音楽プロデューサーのKUNことツァイ・シュークンは中国で最も人気のある音楽アーティストの一人です。ツァイ・シュークンとのパートナーシップは、タグ・ホイヤーの中国におけるエキサイティングな新しい章の幕開けです。 アーティストであるツァイ・シュークンは既成の枠にとらわれず、常に新しい表現方法で情熱を伝えられるように取り組んでいます。彼の意欲は、タグ・ホイヤーが時計製造において業界のルールブックを書き替え、固定観念を覆してきた長い歴史と完璧にマッチしています。KUNは今回初のキャンペーンで、タグ・ホイヤーの最も大胆でユニークなコレクションである「タグ・ホイヤー モナコ」を腕に纏いました。 「ツァイ・シュークンを、中国のタグ・ホイヤーのブランドアンバサダーとして迎えられることをうれしく思います。彼は、作曲やパフォーマンスで素晴らしい才能を発揮し、信じられないほどの運動能力を持ち、実に大胆で限界に挑戦し続けます。これは、タグ・ホイヤーと共通する考え方です。中国はタグ・ホイヤーにとって戦略的な市場であり、KUNとのコラボレーションは、中国におけるブランドの発展を加速させると確信しています。」とタグ・ホイヤーのCEO フレデリック・アルノーは語っています。 「タグ・ホイヤーのアヴァンギャルドな精神とユニークなスタイルには、抗い難い魅力があります。タグ・ホイヤーは時計製造の豊かな伝統を持つブランドであり、革新的な取り組みも行っています。卓越した性能を追求する彼らの姿勢は、私が共感し目指すところです。このコラボレーションはエキサイティングな機会であり、タグ・ホイヤーとともに大胆不敵な旅を始めることを楽しみにしています」とツァイ・シュークンは語っています。 KUNは、自身のフィールドであらゆる可能性を追求しています。創造的で型破りなステージを披露し、完璧を求め実現させることの重要性を知っています。常に限界を超え革新的であり続け、あらゆる可能性と機会を探求するツァイ・シュークンは、挑戦し続ける勇ましい姿勢で多くのファンから愛されています。彼は間違いなく、タグ・ホイヤーのモットーである“Don’t Crack Under Pressure”(プレッシャーに負けるな)を体現しています。 タグ・ホイヤー モナコ タグ・ホイヤー モナコ クロノグラフは1969年の発売以来、イノベーションを大胆に用いながら伝統的なウォッチメイキングに挑んできました。例えば、ホイヤー モナコが発表された頃ほぼすべてのクロノグラフがラウンド型であった中、ホイヤー モナコはスクエア型で、さらに初めて防水ケースを採用したモデルでした。 2022年5月、革新的な時計ブランド タグ・ホイヤーは、タグ・ホイヤー モナコの輝かしい歴史、モーターレースとの不朽の絆、そして伝説のF1グランプリであるモナコGPを称え、「タグ・ホイヤー モナコ スペシャルエディション」を発表しました。この新しいタイムピースは、1970年代の伝説的なホイヤー モナコにインスパイアされ、DLCコーティングを施したチタンを採用したドラマティックな作品です。タグ・ホイヤー モナコの大胆な革新性を示すこの特別なクロノグラフは、ブランドの最も象徴的な存在の1つであるモナコ コレクションの神秘性を表現しています。 「私はタグ・ホイヤー モナコが表現する大胆不敵さに感銘を受け、このコレクションの伝説に魅了されています。モナコは当時、『角型ケース』と『左リューズ』で異彩を放つ存在でした。新しいモデルにもモナコのDNAは継承され、アヴァンギャルドで在り続けています。」とツァイ・シュークンは語りました。 共通の価値観と個性という強固で確かな基盤のもと、ツァイ・シュークンとタグ・ホイヤーは、中国におけるブランドの新しいチャプターを共に歩み始めます。このスリリングで新しいパートナーシップは、大胆なクリエイティブキャンペーンで幕を開け、間もなく壮大なプロジェクトで命を吹き込むことでしょう。 <タグ・ホイヤー モナコ スペシャルエディション>...