日本と中国はとにかく対話を ~大平正芳氏の孫・渡辺満子さんと「二つの45周年」を振り返る~
2023年7月23日、中日交流論壇でスピーチをする渡辺満子さん(主催側提供写真)
7月23日に北京の民間団体「中日交流論壇」が主催した交流会に、落ち着いた日本語で訴える小柄な女性がいました。
「映画は映像を通じた総合芸術です。その国の文化を一番凝縮して表現できるメディアとして、人々の心をつなぐ役割に期待しています」
そう話したのは、日本のNPO法人・日中映画祭実行委員会の渡辺満子副理事長です。
満子さんと中国との付き合いの原点には、祖父・大平正芳氏の影響があります。インタビューは、2018年末に北京で行われた大平正芳氏の表彰式の話題から始まりました。
■ハトの着物は祖母のもの〜祖父・大平正芳の「中国改革友誼賞章」表彰式に出席
2019年1月、CRI東京支局の取材を受ける渡辺満子さん。
手にしているのは中国改革友誼賞章のの徽章と賞状(写真:李軼豪)
2018年12月18日、北京人民大会堂で開かれた改革開放政策40周年記念大会の集合写真に、着物姿の満子さんの姿がありました。
満子さんの母方の祖父・大平正芳氏が、「中日国交正常化を進め、改革開放を支持した政治家」として中国政府から「中国改革友誼賞章」を授与される外国人10人の1人に選ばれ、満子さんが家族代表として出席したのでした。
受賞の第一報が舞い込んだ時のことについて、満子さんは「家族たちは驚きましたが、とてもうれしかった」と振り返りました。満子さんの母親は、彼女に祖母・志げ子さん(大平氏の妻)が大事にしていた白いハトの模様の着物を着ていくようにと言いました。「一人でも上手に着られるように、着付け教室に8回通いました」と、満子さんは授賞式出席までの「秘話」を明かしてくれました。
大平正芳氏に授与された中国改革友誼賞章(写真:新華社)
大平志げ子さんは、1979年12月に首相だった夫と共に訪中し、日本に贈られる2代目パンダ「ホアンホアン」の贈呈式に立ち会い、大平氏が死去した後の1982年にも、一家を率いて北京や西安を訪ねるなど、中国とゆかりのある方でした。
「祖母が平和への願いを込めて作った着物。それを着られて、とてもうれしかったです」と満子さんは言います。
■日本と中国は大みそかと元旦ほど違う〜大平正芳の「贖罪意識」と「楕円の哲学」
満子さんの祖父・大平正芳氏は、中国各界で高く評価されています。
特に、1972年9月の両国の国交正常化交渉においては、時の外相だった大平氏が誠意ある姿勢で根気よく交渉に臨んだことが知られています。政治学者の劉江永氏は「中日共同声明が発出された背景には、大平外相の知恵が凝集されていた」と評価しています。
1972年9月28日、万里の長城を訪れた田中角栄首相と大平正芳外相(資料写真)
1979年9月、大平正芳首相は所信表明演説で、「アジア地域の安定は日本にとって極めて重要」との認識を踏まえ、「そのため、中国との平和友好関係の増進に引き続き努力し、中国の経済建設にできる限り協力する」との意思を明確に示しました。そして、同年12月の中国訪問で、「より豊かな中国の出現が、よりよき世界につながる」という期待を述べました。これらの発言は、多くの中国人の記憶に残っています。
祖父の対中外交について、満子さんは、原点には「贖罪意識」があり、背後には「楕円の哲学」という政治思想があったと分析しています。
「大平がまだ20代の大蔵官僚だった頃、日中戦争(中国側の呼称は抗日戦争)の最中に、中国の張家口に派遣され、1年半ほど単身赴任をしました。その時に垣間見た日本の軍部の横暴ぶりについて、クリスチャンだった大平には『大変申し訳なかった』という気持ちが残っていて、何かお返しをしたいという贖罪意識が芽生えたと思います」
満子さんはさらに、「大平は、まん丸の一つの円よりも、二つの中心がバランスを取り合う楕円の状態を良しとしていました。例えば、日本と中国がバランスを取り合って、アジアの発展に尽力するというような思想です」と付け加えました。
1979年12月9日、訪問先の西安で陝西省博物館を見学する大平正芳首相(資料写真)
満子さんが持つ祖父の印象は「無類の読書好き」です。大平氏は書や漢詩に関する素養もあり、国交正常化交渉の時は漢詩を作ってコミュニケーションをしていたという記録も残っています。そんな大平氏は、「隣国同士だからといって、努力せずに理解し合えると考えるのは危うい」という指摘をしていたそうです。
満子さんは、大平氏が語ったという次のような言葉を教えてくれました。
「大陸国家である中国と海洋国家である日本は、隣同士でも大みそかと元旦ほど違うが、永遠に離れられない関係だ。だからこそ両国には、仲良くするには相当の努力が不断に求められる」
■祖父の教えに導かれて〜渡辺満子さんの努力とこれから
1972年9月、国交正常化交渉のために大平外相が訪中した時、満子さんは10歳でした。当時の日本国内では反対の声も大きく、「事実、命を狙うという脅迫状が届き、連日、右翼の街宣車が大平の自宅まで来て、スピーカーから大音量で罵声を浴びせていた」と記憶している満子さんは、窓の隙間から外の騒ぎを覗いた時の様子が忘れられないと言います。
1980年4月、大平氏が首相在任中に殉職した時、満子さんは17歳でした。
祖父が遺した、「国と国の間にはうまくいく時もあるが、そうでない時の方が多い。そんな中で、一番大切なのは、人と人の厚い信頼関係と文化交流だ」という言葉が、彼女の行動指針になっています。
満子さんは大学卒業後に日本テレビに入社し、『女たちの中国』と題したドキュメンタリーシリーズなどを制作しました。現在は、日中映画祭実行委員会や孫中山文化基金会などの非営利団体の活動や、日中学生会議の交流プログラムに熱心に携わっています。また、著書の『祖父・大平正芳』が2018年に、『平成皇后美智子』が2022年に、中国で翻訳・出版されています。
2023年7月21日、北京市内で開かれた『平成皇后美智子』出版会の様子(写真提供:社会科学文献出版社)
満子さんは『祖父・大平正芳』について、「政治家と、政治家を支える家族の”愛と哀しみ”を、孫娘である自身が”女性の視点”で描いた本」として、「特に中国の女性に読んでほしい」と紹介しました。また、過去25年にわたる皇室取材経験に基づいて書いたという『平成皇后美智子』については、「美智子皇后様ご本人も全部お目通しいただいており、資料としてはほかにない完璧なものだという自負を持っている。中国人読者の日本理解につながれば」と期待を寄せました。
7月21日に北京で行われた出版交流会では、同書に収録された美智子皇后の和歌40首あまりが、優雅な中国語の詩文に翻訳された点が関係者の目に留まりました。俳句・漢俳交流に長年携わってきた、日本語月刊誌『人民中国』の王衆一前編集長が「両国の詩歌交流の面でも意義がある本」と指摘すると、満子さんは「言葉の壁を乗り越えた」と笑顔を見せました。
満子さんはまた映画交流における新企画も明らかになりました。福建省から日本に渡って禅の思想を広めた隠元禅師(1592~1673)を取り上げる日中共同制作映画の企画案が進められているということです。「ぜひ良い映画に仕上げて、両国の人々にたくさん見てもらって、拍手をいただきたい」と語りました。
■日本と中国はとにかく対話を
1979年12月、訪中した大平正芳首相は中国の指導者・鄧小平氏と対談しました。
大平氏からの「中国の現代化の目標は」という質問に対する回答の中で、鄧小平氏は「小康社会(いくらかゆとりのある社会)や中国式現代化の実現」という理念を初めて表明しました。
その13年後の1992年は、中日国交正常化20周年に当たる年です。その時、中国はすでに二桁の経済成長が続く時期に入り、満子さんはその年に初めて中国の土を踏みました。当時、料理番組を担当していた彼女は、その時に見聞きしたことを今でもはっきり覚えていると言います。
2023年7月23日、中日交流論壇主催の中日映画交流座談会で
中国の参加者と交流する渡辺満子さん(主催側提供写真)
「北京出身の料理研究家ウーウェイさんの実家を訪ねました。お母様と一緒に自由市場で野菜を買ったりして、手作りの水餃子がごちそうになったことが素敵な思い出です」
その後、満子さんは毎年のように中国を訪れ、改革開放で目まぐるしく変わっていく中国の様子を目の当たりにしました。
「鄧小平氏は『小康社会』を掲げました。大平もまた、小康的で安定的な社会を良しとしていました。でも、たぶん中国はそれ以上に目覚ましい発展をしていると思います。今の北京では、自由市場はなかなか見かけないし、外食の方が増えているようです」
都市の発展を評価しながらも、消えてしまったものを懐かしむように振り返った満子さん。「中国の方たちはエネルギッシュだから、これからもどんどん発展すると思う」と話すと、祖父が唱えた「田園都市国家構想」と重ねるように、「物質的な豊かさの次は、一人ひとりの内面の充実を伴った発展をしてほしい」と語りました。
2023年7月23日、中日交流論壇主催の映画交流座談会で参加者との記念撮影
前列右から4人目が渡辺満子さん(主催側提供写真)
取材の最後に満子さんは、ぎくしゃくした中日関係の現状について以下の言葉で締めくくりました。
「目先のことではなく、もう少しお互いに冷静になって、未来を築こうという気持ちが大事だと思います。環境問題など、グローバルな社会においては地球規模で考えないと間に合いません。お互いに理解しあって、とにかく対話をたくさんするべきです」
その言葉には、かつて「日中関係を、アジアひいては世界の平和と安定に貢献するものとしなければならぬ」と唱えた大平正芳氏の思いが息づいているように感じられました。
(聞き手・記事:王小燕、校正:梅田謙)
【プロフィール】
渡辺満子さん
メディアプロデューサー
1962年東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業後、日本テレビ放送網株式会社入社。『キユーピー3分クッキング』、皇室特別番組などのプロデューサーを20年余り担当。
主な著書:『祖父大平正芳』『平成皇后美智子』