周恩来の東京足跡考をテーマにしたワークショップを開催

ダニエル・ボツマン(Daniel Botsman)・米国イェール大学(Yale University)教授の研究チームの来日を機に、周恩来の東京足跡考に関する日中米ワークショップが2023年6月26日に開催された。近代日本の社会史や法制史などを専門とするボツマン教授は、東京の隠れた史跡や歴史的穴場スポットを、英語圏に紹介するガイドブックの編纂・出版をするために、この度、共同研究のチームを率いて日本を訪問した。

企画中の「大東京ガイドブック」は日本の文化や史跡だけでなく、日中関係の情報も紹介する予定である。その中で、中国最初の首相として戦後の日中関係の平和構築に多大な貢献をした周恩来を取り上げることになっている。周恩来は1917年秋から1919年春の2年未満、東亜高等予備校で学んでいる間の足跡を日記に残した。これらを考察するため、周恩来と日本の関係を緻密に研究されている王敏先生(法政大学名誉教授、周恩来平和研究所所長)の協力を得た。

拓殖大学で行われたワークショップで王敏先生は手作りのパワーポイント・プレゼンテーションを通して、近代日中交流史において中国人の日本留学生が果たした「三つの革命」の種火的役割を説き起こし、その後の中国の発展を導いた歴史に対する系統的な解説を行った。

周恩来の東京足跡考をテーマにしたワークショップ

拓殖大学におけるワークショップの会場

続いて中国人の留日学生と縁がある東京都内のスポットの現地調査を行った。一つ目は教育の森公園(文京区大塚3-29)に隣接する、東京高等師範学校(現・筑波大学教育学部)の跡地にある占春園(旧守山藩邸の庭園)である。1896年、中国から派遣された第一期の留学生を受け入れた「宏文学院」を設立した東京高等師範学校校長、嘉納治五郎の立像がシンボルである。近代日本における中国人留学生教育が始まった歴史的「穴場」であると言えよう。

占春園内の嘉納治五郎立像

次は菊富士旅館跡(文京区本郷5-5-17)に移る。1914年に創業されたこの旅館は、宇野浩二、谷崎潤一郎、セルゲイ・エリセーエフなど多くの文化人が愛用したことで知られる。周恩来と留学生たちの語らいの場でもある。建物自体は終戦前の東京大空襲により焼失しており、現在は記念石碑が往時を物語っている。

菊富士旅館跡の石碑

現地調査コースの三つ目は神田神保町である。現在の愛全公園(千代田区神田神保町2-20-3)が、1914年に創設された東亜高等予備校の跡地という。19歳の周恩来が日本語を学び、大学受験の準備をした。「周恩来ここに学ぶ」という石碑が、若き日の周恩来の東京をよみがえらせてくれる。

神保町・愛全公園内にある東亜高等予備校跡の石碑

神保町には、周恩来が通ったと言われる中華料理店「漢陽楼」(千代田区神田小川町3-14-2)もある。また、近くの東京堂書店(千代田区神田神保町1-17)も周恩来と縁があり、ロシア革命など揺れ動く世界情勢に読書を通して触れた場である。

このほか、日比谷公園が周恩来の日記に紹介されている。1903年に開園した日本最初の洋式公園には、レストラン松本楼がある。日比谷松本楼の現社長・小坂文乃の曽祖父にあたる梅屋庄吉は、孫文の革命を物心両面で支えた。

日比谷公会堂の前で

松本楼で周恩来平和研究所顧問の小倉和夫氏(『パリの周恩来―中国革命家の西欧体験』の作者)および同研究所最高顧問の福田康夫元首相と、最近の日中米三国間の平和的関係について話し合う機会に恵まれた。

日比谷松本楼のロビーにて

今年・2023年は日中平和友好条約締結45周年、周恩来生誕125周年という節目の年でもある。日中米の相互理解と平和促進に、三国共催のワークショップが新たな一歩となることを心より祈念する。

 

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