東西問|傅柒生 「人類最古のインテリア工事」とは

2022年11月22日 出典:中国新聞網

中新社記者 龍敏

北に周口店、南に万寿岩がある。 北京市房山区にある周口店は、北京原人遺跡の発見で世界的に有名で、人類化石の宝庫であり、世界文化遺産となっている。万寿岩は「南の周口店」と呼ばれている。福建省三明市に位置し、現在までに中国南部で発見された最古の旧石器時代の洞窟型遺跡である。

万寿岩遺跡で発見された人工の石畳が「人類最古のインテリア工事」である理由は何なのか。先ごろ中新社の「東西問」は、福建省文化観光庁副庁長、福建省文化財局長、福建省博物院院長で研究者の傅柒生氏に独占インタビューを行い、解説してもらった。

インタビューの概要は以下のとおり

中新社記者:万寿岩遺跡とはどのような先史時代の人類文化遺跡ですか。

傅柒生:万寿岩遺跡は、三明市中心部から30キロ離れた、三明市三元区岩前鎮岩前村にあり、現在は国の重要文化財保護単位になっています。これは、20万年前から2万年以上前までの前期、中期、後期旧石器時代を網羅する先史時代の洞窟遺跡で、複数の年代の洞窟遺跡があり、出土した4つの時代の文化層は、いずれも典型的な南方の礫岩文化の伝統に属しています。

万寿岩遺跡は、福建省および中国南部で発見された最古で、最も重要な先史時代の洞窟遺跡の一つです。保存状態は良好で、はるか昔の人類の生活に関する重要な情報が大量に含まれています。

万寿岩遺跡の霊峰洞を見学する人たち=鐘欣撮影

中新社記者:万寿岩遺跡は、どのように発見され、保存されたのですか。その発見の重要な価値とは何ですか。

傅柒生:万寿岩はもともと三明製鉄所の石灰石採掘場で、石灰石の埋蔵量が豊富なだけでなく、品質も優れた露天掘りの鉱山でした。しかし、岩前村の人々にとって万寿岩ははるか昔のふるさとです。万寿岩には霊峰洞と呼ばれる洞窟があり、宋代まで遡れる観音堂の跡が残されています。1999年以降、後に「岩前の五老」と呼ばれた岩前村の5人の老人が連名で、当局に万寿岩の保護を求めました。

当時は文化財保存の意識も今ほどは浸透していませんでした。万寿岩は鉱物資源が豊富で、現地の大企業が生産するためには、大量の鉱石を採掘する必要がありました。万寿岩遺跡の「開発か保存か」をめぐる論争の中で、2000年1月、当時福建省の代理省長であった習近平国家主席は、科学的保存のために2つの重要な指示を出しました。この決断が、万寿岩遺跡のタイムリーな救出と全体的な保護につながったのです。

国家文物局の認可を受けて、福建省博物館を中心とする共同考古学チームが1999年から緊急考古学調査と発掘調査を開始し、万寿岩遺跡の科学的価値がまず明らかにされることになりました。その後すぐに、関連する省・市当局は、文化財の保護と経済発展の両方を考慮して、採掘作業を停止し、三鋼集団の生産に必要な鉱石の移行供給を調整する一連の保護措置を講じました。4段階の緊急保存プログラムを作成し実施することにより、万寿岩遺跡の危険な岩石と洪水の初期管理を可能にしました。遺跡保護計画および遺跡公園計画の作成により、計画通りに遺跡保存作業を行うことができました。遺跡保存活動の推進を強化することにより、万寿岩遺跡の知名度と影響力を拡大させました。

1999年から2004年にかけて3回の発掘調査が行われました。多数の石器や動物化石が出土し、人工の石畳や排水溝などの重要な遺構が発見されました。万寿岩遺跡は、2000年度の全国十大考古学新発見に選ばれ、重要文化財保護単位に指定されました。2006年には、福建省初の旧石器時代をテーマとした博物館が建設されました。

20年以上にわたって保存プロジェクトを実施してきた結果、万寿岩遺跡では、石畳のカビや微生物の繁殖、船帆洞の水の染み出しや滴り、地滑りや落石などの安全上の問題が基本的に解消されました。万寿岩遺跡は、2017年12月に国家文物局から第3弾国家考古遺跡公園として選ばれた福建省初の国家考古遺跡公園であり、2021年には、「百年考古百大発見遺跡保護計画プロジェクト」に選ばれました。

福建省三明市岩前鎮にある万寿岩遺跡博物館を見学する人々=鐘欣撮影

万寿岩遺跡の発見と保存過程は、貴重な歴史文化遺産の保存という意味でも、その典型的な模範的効果という意味でも、非常に大きな意義があるのです。

第一に、万寿岩遺跡は、福建省の人類活動の歴史を20万年近くも遡り、学術的価値と重要な意義を持っています。船帆洞の下の文化層にある約4万年前の人工の石畳は、世界的にも珍しいです。人類が洞窟の居住環境を改造したこれまでの発見の中では、最古の建設プロジェクトであり、人類の最古の建設例として知られています。ここで出土した剥片石器の制作工程と種類が、台湾の長浜八仙洞遺跡で出土されたものと似ており、福建省と台湾は同じルーツと祖先を持つ文化的な関係があることが裏づけられました。

第二に、発掘された遺跡や遺物を保管庫から出して一般公開し、訪れたすべての人々に向け遺跡のすばらしい物語をどのように伝えるかという万寿岩遺跡の活性化利用実践がモデルを提示しています。

第三に、万寿岩遺跡の保存は、人々に満足感や幸福感をもたらしました。福建省唯一の国家級遺跡公園として、長年にわたって建設された万寿岩遺跡公園は、万寿岩遺跡の文化的意味合いを農村振興計画に組み込み、周辺の生態系農業やアグリツーリズムと相乗的に発展し、年々増加する観光客によりその効果が顕著になっています。万寿岩考古遺跡公園は、地域の人々の文化財保護に対する意識を高めると同時に、青い空、澄んだ水、美しい景色を身近に感じることができる場所でもあるのです。

福建省三明市岩前鎮の万寿岩国家考古遺跡公園を訪れた観光客=鐘欣撮影

中新社記者:万寿岩遺跡で発見された人工の石畳が、なぜ「人類最古のインテリア工事」と呼ばれているのですか。

傅柒生:万寿岩遺跡の考古学的発掘調査の最も重要な成果の1つは、船帆洞の文化層の底で、約4万年前の人工の石畳が発見されたことです。

船帆洞窟の考古学調査の過程で、考古学者たちは、南北の長さ22メートル、東西の幅4.8メートルから8メートル、面積約120平方メートルのほぼ「凸」型の石畳を発見しました。これらの石畳はほとんどが石灰岩で、大きさはさまざまで、最大のもので縦5.5センチメートル、横3.8センチメートル、小さいものでは縦2センチメートル、横2.6センチメートルのです。 石畳は単層で、表面はやや起伏があるが概ね平坦であり、旧石器時代後期の破壊部分に見られるように、ほとんどの石畳が本来の洞窟底部にある石灰質の層に直接敷かれています。これは、古人類が防湿のために敷いた石製の人工床であることが、権威ある専門家によって確認されています。

万寿岩遺跡の船帆洞を見学する観光客=鐘欣撮影

船帆洞内では、人工の石畳のほか、排水溝や踏面が発見されました。この溝は長さ約8メートルで、地形に沿って洞内の漏水が集められます。これは、石畳が水によって直接浸食されないように、古人類が掘ったもののはずです。一方、踏面は、船帆洞に住んでいた人たちが定期的に活動していた場所であったはずです。

船帆洞窟遺跡の石畳の発見は、早期人類が自然に適応し、生活環境を変化させる能力を研究する上で、極めて貴重な実物資料を提供してくれました。中国の文化財保存と古代建築の専門家である羅哲文氏は「人類最古の建築物」と賞賛し、「わが国で大規模な人工の石畳が発見されたのは初めてで、世界でも珍しい」と話しました。

2019年12月に行われた万寿岩遺跡の国際学術交流会では、韓国先史時代の専門家である李隆助(イ・ユンジョ)教授が「ほかに類をみない考古学的発見と展示で、夢のような遺跡である」と語りました。ポーランドのウッチ大学考古学研究所のルジナ・ドマンスカ教授は、石畳の地面を指差し「こんな作品、今まで見たことがない」と言いました。マレーシアのグローバル考古学研究センターの研究者であるモフド・サイディン氏は、人類の活動が20万年近く前までさかのぼることができ、この遺跡により中国が全世界に貢献していると称賛しました。

万寿岩遺跡船帆洞内の人工の石畳=鐘欣撮影

中新社記者:万寿岩遺跡が「海峡両岸の故郷」と呼ばれるのはなぜですか。

傅柒生:1986年、台湾の考古学者が台東県長浜郷の八仙洞で、3万年から1万5千年前の剥片石器や石核石器を大量に発見しました。万寿岩遺跡の霊峰洞で出土した剥片石器は18万5000年前のもの、船帆洞で出土した石核石器や剥片石器は3万年前のもので、台湾で出土した剥片石器や石核石器と技術や種類において似ており、いずれも典型的な南方礫石文化の伝統に属することが確認されました。

万寿岩遺跡霊峰洞の外観=鐘欣撮影

福建省と台湾は地縁的に似ています。2万5千年から1万5千年前の氷河期の末期には、海面の大幅な低下により台湾海峡のほとんどが陸地として露出し、台湾島と大陸がつながっていたため、古動物群や古人類が台湾と大陸を自由に行き来でき、古人類の移動とその文化の伝播に好条件を与えていたのです。万寿岩遺跡の発見は、台湾の先史文化が大陸から時間的・空間的に移動してきたことを示しており、福建省と台湾の先史文化が同じルーツを持つことを示す有力な証拠となり、大陸の先史文化が台湾に移動した経路をより明確に説明するのに役立っています。

中新社記者:現在、対外交流と協力を強化し、考古学的成果の発掘、研究、普及を深め、万寿岩遺跡の保護を促進するにはどうすればよいでしょうか。

傅柒生:万寿岩遺跡は中国の先史文化の重要な遺跡であります。都市と農村の建設における歴史文化の保護と継承を強化するためのサンプルとなり、考古学的成果の研究、保護、普及を引き続き深めていく必要があります。

福建省三明市岩前鎮の万寿岩遺跡博物館に展示されている石器=鐘欣撮影

1つ目は、学術研究を強化し、ブランドの影響力を拡大することです。中国科学院古脊椎動物古人類学研究所の万寿岩科学研究・科学普及基地を拠点として、科学研究を強化し、新たに『万寿岩遺跡考古学作業計画』を策定します。中国科学院脊椎動物古人類研究所と省の考古研究所とが協力して、共同考古学チームを立ち上げて龍井洞などの洞窟で発掘調査を行い、古人類の化石の探索、洞窟文化遺跡の埋蔵状況と年代・性質をさらに明らかにします。

二つ目は、保護計画を見直し、文化財の保護を強化することです。時代の変化に対応し、事実に即して問題を解決するという姿勢に従って、『三明万寿岩旧石器遺跡保存計画』が改定されました。遺跡保護と遺跡公園建設が科学的かつ正確に整理され、短期、中期および長期の計画目標とタスクが明確になり、その後の保護とプロジェクト申請の重要な根拠が提供されました。

三つ目は、関連する資源を統合し、統合的な開発を推進することです。万寿岩を主な空間媒体として、古人類の生産・生活風景を創造的に再現し、良質な山林環境を利用して、先史文化の学習・体験・遊びを特色とする良質な文化体験・レジャー観光区を構築します。『万寿岩文化観光融合発展マスタープラン』を作成・実施することにより、考古・文化資源を地元の民俗文化と結びつけ、さらに遺跡保護と農村の活性化を結びつけて、文化的信頼と文明交流と相互学習を継続的に促進します。 (完)

傅柒生氏プロフィール

研究者、現在、福建省文化観光庁副庁長、福建省文化財局長、福建省博物院院長。アモイ大学、中国共産党福建省委員会党校等の高等教育機関の兼任教授。中国博物館協会副理事長、中国作家協会会員。長期にわたり紅色文化、中国共産党史および文化遺産の研究と宣伝に従事する。2つの世界文化遺産の登録申請におけるメンバーとして参加し登録に成功。『人民日報』『光明日報』に100篇以上の記事を執筆。『軍魂』『八閩物語』など20冊以上の著作を出版している。

【編集 于暁】

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