「関羽信仰」の研究に取り組む外国人研究者―ドイツ人教授が経緯と思いを語る 
それぞれの国の文化を研究するのに最も有利なのは、その国の状態に問題さえなければ自国の研究者だろう。しかし外国の研究者が果たしうる役割りも大きい。その国で生まれ育った人は見落としがちな文化の「特異性」にも気付きやすく、新たな手法も導入しやすいからだ。自国の研究者と外国の研究者が成果の紹介や意見交換を活発に行うことが理想であるはずだ。また交流を重ねれば学術分野を超えた相互理解や相互信頼も深まるだろう。独ハンブルグ大学のバレント・テア・ハール教授は、中国の民間にある関羽信仰などを研究してきた。教授は中国メディアの中国新聞社の取材を受け、関羽信仰の経緯や中国人との交流についての思いを語った。以下はハール教授言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
■関羽信仰は「三国志演義」の影響で出現したのではなかった
私が中国では関羽信仰が盛んであることに注目したのは1980年代だった。当時の西洋では、関連する研究がとても少なかった。私は中国、特に宋代以降の社会構造とその変化を理解したいと思っていた。そのためには祭祀や先祖崇拝を知ることが重要だ。関羽信仰もその一例と考えてよい。
私は当時、日本に留学していた。そして関羽を祭る関公廟や関帝廟の分布に興味を持った。廟の分布は客観的な情報であり、関羽信仰がいつどこで発達したかを分析できる。関羽を有名にしたのは、明代(1368-1644年)の小説である「三国志演義」と考えられがちだ。しかし私は研究を通じて、「三国志演義」が成立する前に関羽信仰が存在していたことに気付いた。
さまざまな事情があり、私の関羽信仰についての研究は中断した。しかし2010年には研究を再開した。すでに中国や日本で、関羽に関する良い研究が多く発表されていた。私はそれらの研究を参考にしながら、学生時代に集めた資料を整理をし始めた。
識字率が高い社会では、「三国志演義」のような歴史小説などを読める人が多い。しかしかつての中国で、文字を読める人は少なかった。その場合、彼らの価値観は何からどのように影響を受けるのか。私はそう考えて、口承文芸を重点に研究することにした。
話し言葉は考えを伝える最も基本的で効果的な手段だと思う。文字や絵でも意思を伝えることはできるが、少なくとも感情については、目の前の人に声や表情を通じて伝えるのが本来の姿だ。口承文芸の研究には大量の資料が必要だ。だが関羽信仰については資料も豊富だ。だから口承文芸が中国の歴史にどのように影響しているかを分析することがしやすい。
■関羽信仰の拡大を後押しした、お告げを伝える“こっくりさん”
関羽信仰、つまり関羽の「神格化」には偶然の要素が大きく影響した。つまり関羽の出身地は塩湖の近くで、製塩や塩の取引を行う商工業や交通が発達していた。このことで、情報は「口コミ」によって拡散しやすかった。民衆の心情としては、義兄弟の契りを交わした劉備、関羽、張飛が漢王朝の再興という理想を抱いたことを信じたかった。だから関羽にまつわる話も広がった。実は張飛もさまざまな物語を持つ人物だったが、張飛の出身地には商業や交通という条件がなかった。劉備は「皇帝になるべき」人だった。中国で皇帝が「神」になることは、歴史を通じて通常はなかった。関羽については「信仰」が発生しやすい下地があったわけだ。
そして成功者よりも失敗した者に強い関心を持つことは、多くの文化で見られる現象だ。中国の「水滸伝」、「三国志演義」、「紅楼梦」などの小説には失敗した人の物語があり、彼らがなぜ失敗したのか、本来ならば成功するはずなったのかなどが説かれている。また、失敗者は一般にはっきり分かる子孫が少ない。だから、史実を下敷きにしている物語で時代の経過とともにいろいろな「版」が出現しても、自分は子孫だとして反論する人が出て来ることも少ない。関羽についても同様だ。
関羽信仰は、まず地方的な現象として出発した。出身地である山西省付近で発生し、その後中国北部に広がった。私は、中国の南北で関羽信仰の状況が違うことに気付いた。中国北部では一般に、村や都市、軍隊が関羽を崇拝とした。皆で関羽を信仰することが共同体としての結束のシンボルになった。中国南部でも関羽を崇拝した人はいたが、比較すれば限定的で、共同体としての崇拝は明代になってから発生した。
中国には「玉皇大帝」に対する信仰がある。玉皇大帝は天界や地上、地底などあらゆる存在の支配者と考えられてきた。つまり事実上の最高神だ。そして、玉皇大帝は「代替わり」をするという考え方がある。清朝末期には、「関羽が新たな玉皇大帝に即位した」との考えが発生した。玉皇大帝は扶箕(フーチー、日本の「こっくりさん」に類似)を通じて人々にお告げをもたらす。この扶箕と結びついた関羽信仰は台湾にも伝わった。台湾ではそれまで、関羽を崇拝する人は限定的だったが、台湾でも関羽に対する民間信仰が盛んになった。
■中国と西洋の違いと共通点を知り、さまざまな階層の交流を進める
西洋のキリスト教は、イエス・キリストや神という完全に別格の存在を強調する点が中国の文化背景とは大きく異なる。しかしカトリックなども、普通の人が聖人になった奇跡を認めてきた。その点は、中国で関羽が崇拝されるようになった状況に似ている。人類社会では説明が難しい偶然の現象が数多く発生してきた。宗教はその現象を説明するのに「奇跡」という考え方を使って人々の心を落ち着かせた。人類は奇跡を必要としてきたとも言える。関羽信仰の存在と聖人崇拝の存在は、中国文化と西洋文化には近い面があることを示すと考える。
新型コロナウイルスの感染症の流行は、ドイツと中国の交流に影響を与えた。相手を深く知り、文化交流を強化するには、やはり文字や動画などのコミュニケーションだけでは不十分で、実際に相手の国に行く必要がある。特に意見や見方が異なる場合は、コミュニケーションを通じて相手を理解し、文化交流を通じて関係を改善していくべきだ。
文化交流においては人と人との関係が重要だ。欧州からの観光客が中国を観光し、中国人観光客が欧州を訪れるのは良いことだ。また、学術交流やメディアの仕事も大切だ。学術研究はその性質上、簡単そうに思える問題を複雑化して思索することが多い。メディアは大衆が容易に理解できるように工夫して、思想を伝えねばならない場合がある。
具体的に言えば、例えばドイツの中国学者は基本的な中国語を話す能力があり、ドイツと中国のより良いコミュニケーションを実現するのを助けることができる。西洋の歴史や文化を研究する中国の学者もドイツを訪れて交流することができる。また、両国が相手国の作品の翻訳作業を強化することは、相手国をよりよく理解するために有効だ。このように、さまざまな分野と階層における交流や相互理解が必要と考える。
(構成 / 如月隼人)