Author: aptpress

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今年で開催4年目となる「東京タワー レッドライトアップ」開催!1月31日に1夜限りで東京タワーを赤くライトアップ日中国交正常化50周年を迎える2022年の春節に東京タワー展望台に「未来」の2文字が灯る

【オンライン配信による点灯式・ライトアップのご案内】 東京タワー レッドライトアップ実行委員会 民間団体・企業の複合体である東京タワーレッドライトアップ実行委員会は、新型コロナウイルス感染症の早期終息を祈るとともに更なる日中友好関係の促進を目指し、さらに2月4日に開催される北京冬季五輪への日本からのエールとして、中国における旧暦の大晦日にあたる1月31日に「東京タワー レッドライトアップ」を実施します。点灯を記念して、点灯式や点灯の模様を下記のアカウントにて生配信を行います。点灯式配信URL:https://youtu.be/pkQmxBuL2a8  中国旧暦新年の東京タワーライトアップ2022は昨年に続き4回目の実施となり、今回は展望台メインデッキの窓にLEDで「未来」の2文字を投影します。「未来」には、より一層の日中友好、新型コロナウイルス感染症の早期終息への祈りを込めています。なお、展望台メインデッキの窓に漢字2文字以上が投影されるのは、昨年の東京タワーレッドライトアップで「希望」を投影して以来、東京タワー開業以来2回目の試みとなります。  また、日本と中国は2022年に日中国交正常化50周年を迎えます。東京タワーを中国の旧正月に使用をされている赤色でライトアップすることによって更なる日中友好関係の促進を図ります。さらに2月4日から開催される北京冬季五輪へのエールでもあります。本年の点灯式は、東京タワー南側の特設ステージにて無観客で実施します。点灯式では、ボディアーティストのビックスモールンによるカウントダウン演出、DRUM TAOによる和太鼓パフォーマンスや、北京冬季五輪へのエール等の演目が予定されており、元卓球選手の福原愛さんによる東京上空からのレポートや六本木ヒルズや増上寺からのライトアップ映像を結び、さらに「東アジア文化都市」に選ばれた大分県からも中継いたします。 <基本情報> ・タイトル    :東京タワー レッドライトアップ 2022・主催      :東京タワー レッドライトアップ実行委員会・共催      :央視頻、CGTN、TOKYO MX TV(東京メトロポリタンテレビジョン)・後援      :外務省、東京都、佐賀県、大分県、中華人民共和国駐日本国大使館・特別協力    :株式会社TOKYO TOWER・協力      :中国国際文化交流中心、中国康復技術転化及発展促進会、中華文化交流興合作促進会、          黄檗文化促進会、西蔵経済文化交流協会、日本華文教育協会、日中文化教育事業協会、          「⼀帶⼀路」⽂化伝播合作中⼼、「人民日報海外版」日本月刊、萬福寺(京都市)・ライトアップ時間:2022年1月31日(月)18:30点灯 〜 24:00消灯・点灯式時間   :2022年1月31日(月)18:00 〜 19:00・点灯式会場   :東京タワー南側 特設ステージ     (〒105-0011 東京都港区芝公園4-2-8)・企画意図    :新型コロナウイルス感染症「終息宣言」への期待とともに、2022年「日中国交正常化」           50周年記念の年。この50年を再認識し、より一層の日中友好を築くために企画。 ・出演者     :ビックスモールン、DRUM TAO、Limeism、MeiMei、          日本華文教育協会少年少女合唱団・大分県中継   :ヴァイオリン:朝来桂⼀、フルート:⼩野未希、ピアノ:⼩町美佳 ・ヘリレポーター :福原愛・司会      :松田亜有子(日本)・ 奥薩卓瑪(中国)・ご参加⽅法   :https://youtu.be/pkQmxBuL2a8

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香港の新しい選挙制度に3組の「真」あり

2021年12月19日、香港特別行政区第7期立法会の選挙が成功裏に行われた。実践が証明しているように、新しい選挙制度は香港の実情にかなった良い制度であり、3組の「真」を用いて今回の選挙の特徴を詳しく説明することができる。

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日本発「今年の漢字」が各国に広まった理由とその背景は? 中国辞書学会会長が状況を解説 

日本で「今年の漢字」の発表が始まったのは1995年だった。現在では、その年の漢字を選出する動きは東アジアや東南アジアだけでなく欧米にも広まり始めた。中国辞書学会の会長などを務める李宇明氏はこのほど中国メディアの中国新聞社の取材に応じ、「今年の漢字」が広がる状況や各国における漢字文化や中国語の受け入れについて解説した。

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関東の人気台湾料理店5選とPinkoiがコラボレーション!美味しい台湾料理と紅包で、旧正月を楽しもう

「優れたデザインを通して、自分らしいライフスタイルへ」をビジョンに掲げる、台湾発アジア最大級のグローバル通販サイト「Pinkoi」を運営するピンコイ株式会社(本社:台湾、日本支社:東京都渋谷区、代表取締役社長:ピーター・イェン)は、2022年1月28日(金)〜2月28日(月)、「Pinkoi 旧正月 2022」と題し、関東の5つの人気台湾料理店とのコラボレーションイベントを開催します。台湾で最も縁起の良い数字と言われる「8」にちなんで、店頭にて888円以上のご利用で台湾タイルマグネットのプレゼントや、Instagram投稿で5,888円分のPinkoiギフトカードが当たるなど、台湾のお年玉「紅包」をイメージしたキャンペーンを実施。美味しい台湾料理を味わいながら、日本で台湾の旧正月を楽しんでみてはいかがでしょう。 美味しい台湾料理と台湾のお年玉「紅包」で旧正月気分を 台湾発の通販サイトPinkoiは、2月1日に中華圏の旧正月(春節)を迎えるにあたり、「今年は日本で台湾の旧正月を楽しんでほしい」という想いを込め、関東を代表する台湾料理の人気店の各店頭にてコラボレーションイベントを開催します。旧正月といえば、日本のお正月と同じように、家族や大切な人と美味しい料理を囲んで、新しい一年も健康に幸せに過ごせますように、と願う大切な行事。日本にいながら本場の台湾料理に舌鼓を打ち、台湾のおめでたい気分を味わってみてください。 そして台湾の旧正月でも日本のようにお年玉にあたる「紅包(ホンバオ)」を渡す風習があります。美味しい台湾料理を堪能したら、「紅包」をイメージしたPinkoiキャンペーンにもぜひご参加ください。 なぜ「8」が縁起がいい?「8」にちなんだ紅包キャンペーン 今回のキャンペーンでは、台湾で縁起の良い数字「8」にちなんだ、ふたつのプレゼントをご用意しています。そもそもなぜ「8」は縁起がいいのでしょうか?それは中国語の発音の「8(ba)」が「発(fa)」に似ていると言われているからです。「発」は「発財」というお金が入ってくる、お金が儲かるという単語に使われており、人々のラッキーナンバーとして「8」がよく用いられるのです。 概要 イベント名:Pinkoi 旧正月 2022期間:2022年1月28日(金)〜2月28日(月) ※新型コロナウイルス感染症対策を徹底し、開催いたします。ご来店の際は、お客様ご自身でのマスクの着用や手指消毒にご協力をお願いいたします。 ※営業時間は各店舗にお問い合わせください。 ※諸般の事情によりイベントが中止・変更となる場合がございます。 参加店舗: 東京台湾(東京・中目黒) 台湾人の友人と出逢い、彼が帰郷する際に共に台湾へ。その時触れた様々な歴史や文化、料理、人の温かさに魅了され台湾の虜に。以来、時間を作っては台湾を訪れ、ついに小さなビストロを改装し、彼のおばあちゃんの手料理をベースに、東京的にアレンジした台湾料理店として誕生したのが、東京的美味創作台湾食堂【東京台湾】。 写真:名物水餃子 Instagram:@tokyo_taiwan 住所:東京都目黒区上目黒2-14-1 1F  帆帆魯肉飯(東京・三軒茶屋) 台湾で出会った魯肉飯の味が忘れられず、独自に研究を重ね、ついに台湾で食べたあの味を作り出す。2017年より間借り営業の魯肉飯店としてスタートし、2020年11月に三軒茶屋に魯肉飯専門店としてお店をオープン。魯肉飯を通じて台湾を思いっきり感じられる空間を目指して日々奮闘中。 写真:魯肉飯セット Instagram:@funfunluroufan 住所:東京都世田谷区三軒茶屋1丁目5-17 大浪漫商店(東京・下北沢) 音楽レーベルBIG ROMANTIC RECORDSが運営するレーベルショップ。魯肉飯と台湾クラフトビールの専門スタンドとしての営業、そしてレーベルグッズやレコードなどの展示販売も。衣食酒を通じて台湾のカルチャーを紹介する。 写真:スタンダード魯肉飯 Instagram:@bigromanticstore 住所:東京都世田谷区代田2丁目36番14号...

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【東西文明比較互鑑】秦漢とローマ(3)中華道統の礎を築いた前漢王朝

一体多元の「大一統」 中国の前漢王朝と共和政ローマは同時代に存在した。新王朝の初期、文帝・景帝と続いたわずか40年の間に、漢朝は「皇帝が同じ毛色の馬を4頭揃えられない〔皇帝用の四頭立て馬車を用意できないという意味、それほど困窮していたということ〕」(7)状態から食糧があり余っている状態になった。これだけ急速に豊かになったのはなぜか。朝廷が同一の文字、貨幣、度量衡を利用して巨大な市場を創出し、商取引を通じて各地方の経済を全国的に結び付けたからだと司馬遷はいう。分業は商品交換を生み出し、この「交換価値」が社会全体の富を増やし、同時に農業生産性の飛躍的向上を促したのである。このプロセスを通じて土台となり前提となったのが天下の「大一統」だった(8)。 漢朝の体制が最終的に固まるのは武帝〔劉徹〕の時代である。武帝は二つの大事業で中国に貢献した。一つは、地方諸侯の勢力を弱体化させ中央権力を郡県に直通させたこと、そしてこれを土台に「大一統」の儒家政治を確立したことである。もう一つは、国家の版図の基礎を築いたことである。 儒家政治の主な基礎は魯の国の年代記に孔子が筆削した『春秋』である。後世に流布している多くの版のなかで、前漢の儒学者・董仲舒が高く評価した『春秋公羊伝』、すなわち公羊学派が最大の影響力をもっていた。 公羊学の核心は「大一統」である。その最もユニークなところは、皇帝の権力を完成させると同時にそれに制限を加えたことだろう。中国の「天に奉じて運を承る〔天の意に従い天命を受ける〕」は西洋の「王権神授」説とは違う。ローマの「皇帝神格化」は民意と無関係だった。しかし、古代中国では天の意思は民意を通じて体現されねばならなかった。人民にとって良き天子であってはじめて「天」は皇帝を「天子」と認める。人民にとって好ましくなければ天は皇位を別の人間に賦与する。こうして天子、天命、民意の三つは抑制と均衡の関係を形づくる。つまり、天子は天下を司り、その天子は天命に従うが、天命はすなわち民意ということだ。権力には責任がともない、責務を尽くさなければその権力は合法性を失うということがここで強調されている。 漢の武帝は董仲舒の政治理論を受け入れ、手始めに次のことを官衙に命じた。時勢に明るく孝〔父母への孝順〕であり廉〔清廉潔白〕である寒門〔身分の低い貧しい家柄〕の儒者を民間から探すこと、そしてこれを側近として皇帝に推挙することである。このため、武帝の時代には平民出身の名臣が数多く輩出した。また、これ以降、官途に入り栄達するには儒家倫理の修得が不可欠になった。 文官政治の察挙制度〔推薦を主とする官吏登用制度〕もこの時期に始まった。門閥富豪にだけ頼っていては天下を治めることはできず、むしろ道理をわきまえ、道徳心にあふれ、知識と責任感に秀でた下層の人物に権力を分与することではじめて民心を束ね政権基盤を拡充することができる―武帝にとってこれは自明のことだった。武帝は儒者に官吏を兼ねさせることで「統治」と「教化」の抱合を実現した。このときから地方官吏は行政に責任を負うだけでなく、教育にも責任を負わなければならなくなった。 さらに、武帝は文官を統制するために「刺史制度」を設けた。中下級官吏の一定数を刺史とし、不定期に地方行政の督察にあたらせたのである(9)。地方豪族の大土地所有をけん制することと、地方官吏の職業的モラルを維持することが目的だった。これは歴代中央監察制度の端緒である。 劉徹〔武帝〕の「百家を罷黜し、独り儒術のみを尊ぶ〔諸子百家を排斥して儒家思想だけを尊ぶ〕」は実際には間違って理解されている。武帝は董仲舒だけではなく、法家の張湯、商人の桑弘羊、牧畜業主の卜式、ひいては匈奴の太子・金日磾をも登用している(10)。みな『春秋』を読んでいたとはいえ儒者ではない。前漢政治は思想から実践にいたるまですべてが多元的である。多元的だというのなら、なぜ儒家思想で縛りをかける必要があるのか。それは、一体性がなく多元的な勢力均衡論のみに頼っていると最後は必ず分裂するからだ。逆に「大一統」さえあれば、多元的な思想を一つの共同体内に共存させることができる。 多元一体の「大一統」こそ漢の精神なのである。 「天下人心」を映し出す鏡―史官制度 中華文明は「公権力」から「絶対的自由」を保った西洋型の知識人を生み出すことができなかったという説がある。その際、司馬遷が西洋型に近い唯一の例外だともいわれる。曰く、司馬遷は董仲舒を師と仰ぎ儒学を学んだが、むしろ道家の「無為をして治める〔人為によらず天下を治める〕に敬服しており、自由放任の商業社会のほうを好んだ。『史記』では刺客、侠客、商人に王侯将相と同じ「列伝」の待遇が与えられている。勇気をもって武帝を批判し(11)、自ら名乗り出て濡れ衣を着せられた大臣を擁護し、それが原因で刑罰に処せられた、と。 中国最初の紀伝体通史『史記』を書き上げた司馬遷(CNS Photo) しかし、結局のところ司馬遷は世俗を超越したギリシャの学者と同じではない。司馬遷は武帝の政治流儀を好まなかったけれども、地方勢力弱体化には賛辞を惜しまず、国家騒乱をなくす抜本的措置だと考えた(12)。生涯を通じて貧しかったが金持ちに不平不満を抱いたことがなく、商人の富はほとんどが経済法則を把握し懸命に働いたおかげで得たものだと考えた(13)。酷吏〔法に威をかりて人を罪に陥れ、容赦なく処罰した役人〕に痛めつけられても法家に遺恨を抱かず、それどころか法家の政策がうまく実行されれば社会の長期安定を維持できるとさえ考えた(14)。 司馬遷は体制に対して合理的な批判を展開したが、それらはすべて個人的苦痛から出たものではない。「個人の得失」は眼中になく、全体の利益だけを重視したからである。ことさらに自由を追い求めたが故に公権力を批判したのではなく、それが天下にとって有害と考えたから批判したのである。称賛もそうだ。公権力の暴威に屈したからではなく、それが天下にとって有益だと考えたから称賛したのである。個人の自由と集団の責任は司馬遷のなかで弁証法的に統一されていた。これは、中国知識人が西洋知識人と区別される際立った特徴である。 司馬遷は『史記』で武帝を批判しただけではなく、漢朝を開いた皇帝・劉邦の邪推や呂后による政治の乱れ、功臣名将の欠点も書き、漢朝成立を少しも神聖視するところがなかった。にもかかわらず、漢朝は『史記』を公式に集成した国史として後世に伝えていった。すべてを積極的に受け入れる意思と自己批判の精神がなければできないことである。漢朝は皇帝を評価する権限を史官に与えた。歴史は中国人の「宗教」に相当し、歴史の評価は宗教裁判に相当する。この原則は歴代の王朝に引き継がれていった。 華夏の正統は中華の道統〔本来、儒学の道を正統とする考え方を指すが、ここでは広く倫理的、政治的規範の意〕である。大規模政治体が長期にわたって安定するには、社会の各集団、各階層がこの道統を価値観として共有しなければならない。中華の道統の核心は中道、寛容、平和であり、それはある種の原則、境地、法則、価値を体現したものだ。皇帝から臣民にいたるまで、社会階層のすべてが各々の道に従わなければならない。「公」のためか「私」のためか、「大一統」の維持か分裂か、正しい道は高々と掲げられており、だれもその「道」というものから逃れることはできない。 (7)韓兆琦訳注『史記・平準書』中華書局、2010年、P2344。(8)前漢王朝が成立した年、中央が直接統治していたのは15の郡にすぎず、これは全国のわずか3分の1だった。他方、斉、楚、呉のような大諸侯は5~6の郡と数十の都市を擁していた。景帝の時代には呉楚七国の乱が起こり、武帝の時代にも淮南王、衡山王の乱があった。(9)「一条,強宗豪右,田宅踰制,以強凌弱,以衆暴寡。二条,二千石不奉詔書,遵承典制,倍公向私,旁詔守利,侵漁百姓,聚斂為姦。三条,二千石不恤疑獄,風厲殺人,怒則任刑,喜則任賞,煩擾苛暴,剥戮黎元,為百姓所疾,山崩石裂,妖祥訛言。四条,二千石選置不平,苟阿所愛,蔽賢寵頑。五条,二千石子弟恃怙栄勢,請託所監。六条,二千石違公下比,阿附豪強,通行貨賂,割損政令」顔師古注『漢書』中華書局、1999年、P623~P624。〔百官公卿表第七上「武帝元封五年初置部刺史,掌奉詔条察州」につけられた顔師古の注で、「六条問事」といわれる。一条で強宗豪右すなわち豪族の、二条以下は二千石すなわち郡太守の不法行為を列挙しており、これを監察対象とした〕(10)「卜式拔於芻牧,弘羊擢於賈豎,衛青奮於奴僕,日磾出於降虜,漢之得人,於茲為盛。儒雅則公孫弘、董仲舒、兒寬,篤行則石建、石慶。質直則汲黯、卜式。推賢則韓安國、鄭當時。定令則趙禹、張湯,文章則司馬遷、相如,滑稽則東方朔、枚皋,應對則嚴助、朱買臣,曆數則唐都、洛下閎,協律則李延年,運籌則桑弘羊,奉使則張騫、蘇武,將率則衛青、霍去病,受遺則霍光、金日磾,其餘不可勝紀」顔師古注『漢書』中華書局、1999年、P1998~P1999。〔公孫弘卜式兒寬伝第二十八からの引用、傍線は人物名でいずれも武帝が登用した官吏。それぞれの出自や業績が書かれている〕(11)韓兆琦訳注『史記・汲鄭列伝』中華書局、2010年、P7100。(12)韓兆琦訳注『史記・漢興以来諸侯王年表』中華書局、2010年、P1492。(13)韓兆琦訳注『史記・貨殖列伝』中華書局、2010年、P7662。(14)韓兆琦訳注『史記・秦楚之際月表』中華書局、2010年、P1437。 ※本記事は、「東西文明比較互鑑 秦―南北時代編」の「秦漢とローマ(3)中華道統の礎を築いた前漢王朝」から転載したものです。 ■筆者プロフィール:潘 岳 1960年4月、江蘇省南京生まれ。歴史学博士。国務院僑務弁公室主任(大臣クラス)。中国共産党第17、19回全国代表大会代表、中国共産党第19期中央委員会候補委員。 著書:東西文明比較互鑑 秦―南北時代編 購入はこちら

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「SENSAI」が中国でブランド導入発表会を開催 B2Cオンラインショッピングモール「天猫(Tmall)」に旗艦店オープンを記念

 カネボウ化粧品のスーパープレステージブランド「SENSAI」は、2021年9月7日、中国・上海の「上海上生新所 蔦屋書店」でブランド発表会を開催しました。この発表会は、9月9日、アリババグループが運営する中国最大のB2Cオンラインショッピングモール「天猫(Tmall)」での旗艦店オープンを記念したもので、日本の美意識や日中の文化交流についての講演会やブランドの提唱する美容法Sahoの哲学を伝える体験コンテンツを実施。日中国交正常化50周年を来年に控え、SENSAIは製品や美容を通じて日本の伝統的な美意識や文化を伝えながら、日中両国の文化交流と長期的な友好関係に貢献していきたいと考えています。 「天猫(Tmall)」旗艦店URL: https://sensai.world.tmall.com/ 日本の美意識や歴史、文化交流について講演   オープニングでは、在上海日本国総領事館副総領事の奥正史氏や復旦大学日本研究中心の徐静波教授が登壇し、奥正史氏から日本の美意識や文化交流についてお話いただきました。 徐静波教授からは日本の美意識について講演いただくなかで、「中国と日本は、文化的に切り離せない本質的なつながりがあり、日中国交正常化50周年を迎えるにあたり、このことを特に大切にすべき」と語られました。 日本の伝統的な美意識とSahoの哲学を、体験を通じて届ける   今回の発表会ではSENSAIのSahoや製品の核となる「小石丸シルク」についても丁寧に紹介。会場にはマンツーマンのハンド体験コーナーを設置し、洗練されたスキンケア体験を通じて、Sahoの美学を実感いただく場となりました。 また、日本の伝統的な茶道流派である裏千家から茶道の先生をお招きして、「茶道」のお点前を体験いただく時間も設け、ブランド独自の世界観をゲストに伝えています。   10月8日まで「上海上生新所 蔦屋書店」に「体験ルーム」をオープン   今回発表会を開催した「上海上生新所 蔦屋書店」にて10月8日までSENSAIブランドの「体験ルーム」をオープンしています。今後も定期的にポップアップイベントなどリアルな場でのお客様との接点を創出することで、SENSAIの思想や、商品価値を伝えるとともにブランドの世界観を五感で楽しんでいただくことを目指して参ります。 花王 化粧品事業部門 SENSAIブランドグループ長 山口聡一氏 「Tmall旗艦店オープンは、SENSAIブランドにとって大事な一歩です。成長著しい中国のプレステージ化粧品市場に向けては、国内EC、免税、インバウンドと、あらゆる方向からのアプローチを徹底強化していきます。2022年には、国内への実店舗出店も計画しています。」 ■「SENSAI」について 1983年に誕生して以来40年近い歳月を経て、ヨーロッパを中心に世界約40カ国で販売し続け、2019年より日本での展開を開始。スーパープレステージブランドとして位置付けられている「SENSAI」は、日本に古来より伝わる希少なシルク「小石丸シルク」の美にインスパイアされ、日本の繊細な美意識と科学技術を突き詰めた商品を取り揃える。海外に向けた越境ECサイトやアジアでの免税店の取り扱いもスタートし、中国「天猫(Tmall)」での旗艦店もオープン。  ■SEINSAIのSahoSENSAIでは、その方ならではの美しさを引き出すスキンケアステップとメソッドをSahoと伝えています。ダブルクレンジングとダブル保湿でシルクスキンを目指すお手入れを茶道の一期一会のおもてなしになぞらえて、Sahoという美のリチュアルへと昇華しました。 今宵は別れる夢寒し 卒業ソングとして親しまれる「送別歌」  今、中国では「送別(送別歌)」が卒業ソングとして広く歌われています。多くの人が子供のころを振り返りますと、この卒業ソングを思い出すかもしれません。あるネットユーザーは「小学校を卒業する時、音楽の先生が私たちにこの歌を教えてくれた。当時は歌詞の意味がよくわからなかったが、今は分かる。でも、学生時代の仲間たちとはなかなか会えなくなった」とコメントしました。  もしかしたら、友人と急いで別れを告げた時は抱き合うこともできなかったかもしれませんが、お互いの深い思いは、いつまでも心の中に大切に残されているのではないかと思います。  「送別(送別歌)」は1851年に誕生して以来、アメリカから海を渡って日本に伝わり、日本を経由して中国に伝わったため、アメリカ、日本、中国を問わず、現地の人々に愛された偉大な歌と言えます。中国の有名なミュージシャンであるプーシューは、「もし僕がこのような偉大な歌を作ることができたら、たとえ1曲であっても、死んでも悔いはないだろう」と話したことがあります。  偉大な音楽の魅力ははかり知れないものがありますね。

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1971年の決着、中国が国連安保常任理事国になった日(その三)

「中国人の知恵」  1972年初頭、周恩来からの指示が入った。「閉じこもってばかりで、情報不足になってはいけない」。以後、代表団は会議が終わったら即代表部に戻るという習慣を改めた。  黄華は、中国が寄贈した万里の長城の巨大タペストリーが飾られた代表団ラウンジに足を運び、他の国の代表らと大いに雑談を楽しむようになった。アフリカのある代表は「ここは国連の『第三世界』。中国人はやはりすぐにこの場所を摑んだ。当然ながら、ブッシュ氏やマリク氏がここでコーヒーを飲んでいる姿は見たことがない」と語った。  呉建民曰く、当初、国連に対する中国の認識は、中国の声を外部に伝えることのできる「演壇」であり、無意味なありふれた話ばかりを繰り返す「井戸端会議」であり、山のような文書を発布しながら強制力に欠ける「文書製造工場」だった。この頃、代表団は業務の重点を反覇権主義と途上国支援に置いており、他のことにはあまり関わろうとしなかった。当時のこうした姿勢を、代表団は耳当たりのよい言葉で「超脱」〔世俗の外に抜け出る〕と称していた。  国連のラウンジやカフェテリアは、さながら自由市場で、様々な情報が飛び交い、様々な議案が計画される場だった。呉建民は暇さえあればそこを訪れ、周囲の会話に聞き耳を立てたり、時にはさっと一周したりしていたが、得られる情報は少なくなかった。  国連にはもう1つ、格好の情報収集場所がある。それはダイニングルーム。国連のダイニングルームはいくつかのランクに分かれている。大使向けダイニングルームはやや高級で、事前予約制だ。ここは時に様々な交渉のテーブルにもなる。一般職員向けダイニングルームは比較的リーズナブルで、一般来訪者も利用できる。代表団のミドルクラスのメンバーも大体ここで食事をとっていた。職員向けダイニングルームでは、メイン料理、スープ、デザートがついたセットメニューを4ドルほどで食べることができた。中国代表団の食費は1日25ドルと定められていたが、これは当時の事情を鑑みればかなり高額な部類だった。  最初の2年間、中国国連代表団は、中米間の秘密の連絡ルートという特殊任務も担っていた。  1971年7月のキッシンジャー訪中以降、双方は中国駐フランス大使・とアメリカ駐フランス大使ウォルターズが直接連絡を取り合う「パリルート」を開設したが、いかんせんパリは遠すぎた。中国代表団が国連復帰すると、キッシンジャーは黄華との間に秘密連絡のためのニューヨークルートを開設しようともちかけ(黄華が不在の場合は代表団のナンバー2・陳楚が代理)、中国政府はこれに同意した。  当時、キッシンジャーはソ連駐米大使アナトリー・ドブルイニンとの間にも同様の直接連絡ルートを有していた。これは相手の動向を探り、深刻な膠着状態を避けるための手段であるとキッシンジャーは考えており、1回目の訪中時に、アメリカは引き続きソ連と接触を保つが、達する可能のある合意のうち中国の利益にもかかわるものは中国側にも詳細に報告すると周恩来に約束していた。  アメリカとの秘密会談の最初の数回は唐聞生が通訳を担当した。唐聞生が喬冠華と共に帰国してしまうと、施燕華が後を引き継ぎ、連絡員としてウィンストン・ロードと直接やり取りするようにもなった。ウィンストン・ロードはキッシンジャーの特別補佐官であり、腹心にして親友でもあった。  代表団の電話が盗聴されないよう、施燕華はいつも街中や国連の公衆電話を使った。アメリカ側は彼女にKayというコードネームをつけた。その理由は、施燕華が電話してきたとき、まず秘書が名前を聞き取りにくいということ。そして、常に特定の中国人から連絡があることで余計な注目を浴びないようにするためもあった。呉建民は後年、当時のことを振り返り、時々施燕華の姿が見えなくなることがあったが、何をしに行っているのかは聞けなかったし、彼女も話せなかったと語っている。  中国代表団の車はすべて黒のリンカーンのセダンで、CYで始まる外交官ナンバーをつけており、非常に目立った。そのため、密会するときはいつもCIAが普通の自家用車で迎えに来た。  車はひっそり静まりかえったマンハッタンのイースト43番街に滑り込み、2階建ての小さな建物の前で止まる。ここは誰も住んでいない空き家で、2階の小さな応接間には、ソファーとテーブルのほかは何もなかった。時間は毎回かなり正確に手配され、両者の到着時間は1、2分の差しかなかった。  秘密の会談の通訳者はいつも施燕華1人だった。これは彼女にとって初めての政治会談の通訳だった。党中央指導部はこの会談を極めて重視しており、外交部は彼女に対し、通訳するだけでなく、一字一句記録をとって報告するよう命じた。施燕華はプレッシャーのあまり、訳すスピードも知らず知らずのうちにゆっくりになった。  施燕華の記憶の中にあるキッシンジャーは、背は高くなく、大ぶりのメガネをかけ、自信に満ちた様子で、とらえどころのない微笑みを浮かべる人物だった。喉の奥から発する音を多用するドイツ語訛りの英語を話し、哲学博士だけに長文と大概念を好み、時折ラテン語を混ぜ込んだ。しかも、テーブルに置かれたお菓子を食べながら。ビスケット粉末にまみれた口蓋垂音〔口の中の物が実によく飛び出す〕を向けられるのだから、施燕華にとってはある意味災難だ。それでも燕京大学出身の黄華がいたため、心強かった。黄華は英語がよくでき、延安にいたときは毛沢東とエドガー・スノーとの通訳を担当していた。何か問題が起こったら、代わりに何とかしてくれるはずだ。  連絡員である施燕華には、伝言を伝える任務もあった。時にはキッシンジャー自身ではなく、ウィンストン・ロードが伝言を持って来た。中国側も伝えたいことがあるとき、ロードにご足労願うことがあった。  ロードが来るのはいつも遅い時間で、時に深夜になることもあった。ロードが来る前、施燕華は当直の職員に呼び鈴に留意するよう伝えておき、到着したら、上質の茶を出してもてなした。アメリカ人はみなジャスミン茶を好んだ。  1972年4月に入ると、ベトナム情勢が悪化した。この間、中国とアメリカは頻繁に接触し、激しくも複雑な外交ゲームを繰り広げた。  4月3日、キッシンジャーはロードをNYに送り、「各大国はこの問題を緩和させるべく影響力を発揮する責任があり、情勢を悪化させてはならない」と中国側に伝えた。伝言の名目はアメリカ艦船の西沙諸島〔パラセル諸島〕海域侵入に中国側が抗議してきたことに対する回答だったが、真の目的は、中国政府に対し、アメリカにとってのベトナム問題の重要性を伝えることだった。中国側は4月12日これに返答し、ベトナム人民を応援する旨を伝え、また、アメリカが泥沼にはまり込んでいる旨を警告した。ただ、最後に、中国はアメリカと協力して関係正常化の実現を望むと繰り返した。  5月8日の夜9時、ニクソンは全国ネットでテレビ演説をおこない、北ベトナムのすべての港湾に機雷を仕掛けると宣言した。談話発表の1時間前、キッシンジャーはニクソンが周恩来に当てて書いた手紙を黄華に届けるため、ピーター・W・ロッドマンをNYに送った。手紙の様式は毎回同じで、署名も差出機関の名前もなく、便箋には透かしすら入っていなかった。手紙は周恩来に対し「インドシナ半島に長期駐留を望んでいるのはアメリカではない」(ソ連を暗示)と伝え、「過去3年間、中華人民共和国とアメリカは、両国の深い利益の上に立った新たな関係を辛抱強く構築してきた」と振り返り、「一時的な感情の高ぶりが治まれば、長期的利益に精力を集中させることができるだろう」と締めくくった。黄華は沈鬱な表情で手紙を読み終えると、何も言わずロッドマンにジャスミン茶を勧めた。  周恩来はこの手紙と同時に、ソビエト連邦閣僚会議議長〔首相〕のコスイギンからの手紙も受け取っていた。コスイギンはソ連の救援物資を中国の陸路経由で運ばせるよう求めていた。中国側は、ベトナムに共鳴し、アメリカ帝国主義を糾弾する政府声明を発表したが、同時にコスイギンの手紙も「却下」していた。中国はさらにこの間、パリルートを通じ、アメリカ下院で力を持っていたヘイル・ボッグスとジェラルド・R・フォードの訪中に関する段取りについてアメリカ側に問い合わせてもいた。事実、訪中は6月末におこなうことで決定しており、まだ時間はあった。  キッシンジャーは後に、当時を振り返ってこう語っていた。それまで、中国政府は民間レベルの往来を除く両国間の一切の関係を凍結するだろうとの予測が専門家の間で出ており、CIAも、中国は1968年以前に援軍を派遣したとき同様、ベトナムに直接支援をおこない、ソ連からの救援物資も中国の陸路経由で輸送することに同意する可能性が高いと分析していた。アメリカ側はここにきてようやく、米中関係正常化のプロセスがなおも継続中であることを理解したのだった。「中国人のすることに偶然はない。事ここに至り、我々はそのことをようやく痛感した」  「勢力均衡」により、アメリカが長年求めて止まなかった「名誉ある平和」、つまり1973年1月23日に締結された「ベトナムにおける戦争終結と平和回復に関する協定〔パリ和平協定〕」がようやく現実のものとなった。それより重要なのは、戦後の二極化世界がようやく終わりを迎えたことだ。  ベトナム問題が解決した1973年2月、キッシンジャーは再び中国を訪問した。その際に双方が発表した共同コミュニケでは、いまこそが関係正常化を加速させる絶好のチャンスであるとし、「双方は、アメリカと中華人民共和国との関係正常化は、アジアひいては世界全体の緊張緩和に貢献し得るとの認識で一致した」と述べられている。  1973年5月、双方は互いの首都に連絡事務所を開設した。中国側の内部通達には次のように記されている。「双方が開設予定の連絡事務所は在外公館ではないが、暗黙の了解として互いに外交特権を与える」  キッシンジャーは後にこう語っている。米中間には、何年もかけて丹精込めて育まれた「助け合い」の関係が存在する。それは、地政学的利益の上に成立した極めて稀なパートナーシップであり、正式に明文化された規定がないからこそ、より有効に働く。  こうして、中国国連代表団は秘密連絡ルートとしての使命を終えた。しかし、国連における中国代表団の使命や、中国の国際社会への仲間入り、それに中国に対する国際社会の理解は、まだ始まったばかりだった。(翻訳編集/月刊中国ニュース)

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AirX、中国の「空飛ぶクルマ」メーカーEHang(イーハン)社と販売パートナー契約を締結

空のモビリティプラットフォームを開発する株式会社AirX(本社:東京都新宿区、代表取締役:手塚 究、以下「AirX」)は、EHang Holdings Limited (本社:中華人民共和国 広東省 広州市、以下「EHang」)と事業提携し、EHangが開発するEH216 seriesのAAV(自律飛行型航空機)に関する日本国内における販売代理契約を締結した

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中国の伝統思想が現代社会に教えてくれるものとは―中国の専門家が具体的に紹介

一神教が思想を支配した西洋やイスラム圏、極度に抽象的な哲学が発達したインドなどと異なり、中国の文化文明には「現実の人と社会」を中心に考える発想が強かったとされる。中国国家イノベーションと発展戦略研究会の下部組織である「中国文明と中国の道研究センター」の謝茂松主任はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中国文化を理解するキーワードは「民本と天下」などと説明した。以下は、謝主任の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。 【その他の写真】 ■西洋中世とは異なり、中国では社会階層に流動性が存在した 文明史の観点からは、中国は孔子の出現以来、平民の時代に入ったと言える。唐代(618-907年)までは名家一族、すなわち貴族と称することができる家柄があったが、宋代(960-1279年)にはほぼ消滅した。社会は士大夫及び農・工・商で構成されるようになった。士大夫は科挙に合格することで社会の支配層に加われた。そして農・工・商、特に農民が生産を担った。しかし、エリート層だった士大夫も元をたどれば農民の家の出身であることが大多数だった。2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展 そして中国では「民をもって本位となす」との考えが出現した。この考えかたには二つの意味が込められている。まず士大夫には、国を治め管理し「社会を優先」することが望まれた。そして一般大衆は、「道徳を自覚する」ことが求められた。 「道徳」は本来、士大夫に求められたものだったが、明代(1368-1644年)ごろからは民衆にも強く求められるようになった。例えば、王陽明(1472-1529年)が樹立した心学は、人として「良知に至る」ことを主張した。そしてだれでも「良知に至る」ことは可能であり、それができた人は「聖賢」と説いた。 西洋では中世と呼ばれる時代、国王、領主、騎士といった身分はすべて世襲制だった。そして文化面は全てキリスト教の神職者が担った。庶民である農民や農奴は社会の最下層だった。中国のように、庶民の家から「聖賢」が出現する可能性が残される社会とは、本質的に異なっていた。2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展 ■「運命共同体」構想は西洋式の「勝者が総取り」を超越する試み 士大夫は順列がある官僚組織に組み込まれたわけだが、その上にはさらに天・君・臣・民という順列があった。君すなわち皇帝は「民を本位」に政治を行わねばならないが、君も臣も民も「天」の制約を受ける。そこで「天命」や「天の理」といった概念が重視されるようになった。「天下」という言葉で分かるように、天という上位の存在があって、全ての存在は天の摂理に従うという考え方だ。 現代中国社会において、かつての「天」と同様なのが、人や自然による「運命共同体」の考えだ。中国が世界に向けて提唱している「人類運命共同体」は、中国の伝統的な天下観と見事に合致している。また、社会主義国家である中国が人民全体の利益を優先することも、儒家などが説いてきた中華文明の特徴に合致する。 現在の「一帯一路」イニシアティブや「人と自然の共同体」は、中華の伝統精神の延長線にある。我々は「共同富裕(皆が共に裕福になる)」を目指し、それを全世界に拡大しようと考えている。これは西洋文化にある「勝者が総取り」の発想を最終的に超越しようとする試みでもある。2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展。 ■中国の伝統的発想で「国際関係のあるべき姿」が見えてくる 中国では世界で唯一の、「原初の文明」が現在まで連続して発展した国だ。中国文明の普遍性は極めて強い。西洋文明にも普遍性はあるが、中国文明には西洋文明をさらに内包できる普遍性がある。 中国文明の普遍性を知ることができる言葉として、例えば論語の「君子は人の美をなさしむ(君子は他人の美点に着目し、それを達成させる)」という、大きな器量を求めるとする言葉がある。同じ論語には「己の欲せざるところを、人に施すことなかれ」という言葉もある。これは、「他者と平等につき合い、謙虚さを忘れるな」との考え方による主張と理解できる。2020年、遼寧博物館で開催された唐宋八大家文物展 一方で、「君子は自ら強めてやまず」や「己が達せんと欲して人を達す」、つまり「自分自身は努力を怠らない」と同時に「自分が達成したいと願っていることは、他人も達成したいと願っているのだから協力の手を差し伸べよ」という言葉もある。これらの考えかたは、現在の国際関係を認識する上でも、極めて有益であるはずだ。(翻訳/ RecordChina)