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期間限定!チャイナシャドー×グランドエクシブ軽井沢 中国料理 翆陽 2人の料理長の匠の技が光る、初の美食コラボレーションで高めあう中国料理のハーモニーに酔いしれて

​ストリングスホテル東京インターコンチネンタル、ザ・スコア・ダイニングより中国料理 チャイナシャドーは、グランドエクシブ軽井沢より中国料理 翆陽 料理長 石飛 憲一氏をお迎えして、スペシャルディナーイベントを実施いたします。20年の時を経て、タイムレスな想いを詰め込んだ、至極の饗宴。ふたりの料理長の匠の技が光る、期間限定の美食コラボレーションをお見逃しなく! 北京ダックはバケットにりんご、りんご味噌、りんごジャムとともにまさに信州りんごを愉しむカナッペスタイルと、ネギ、きゅうり、自家製いちご味噌をほのかに甘いもちっとしたクレープで包んだ2種をご用意、食感や広がる味わいの違いをご堪能いただけます。信州プレミアム牛肉フィレは、醤油豆の素晴らしさに魅了された料理長が、その情熱から創り上げたオリジナルソースで。軽井沢の野菜とトマトード農園の彩り豊かな赤、オレンジ、黄といったトマト3種を添えてお届けします。お食事の最後に花を飾るのは、話題の台湾スイーツ「トウファ」。わたがしの上から信州マスカットサイダーを注ぐと、まるで花が咲いたような可憐な装いに生まれ変わります。 医食同源、古来より親しまれている、食べて体に良い中国料理を味わえるチャイナシャドー。オーセンティックな広東料理をベースに、モダンなエッセンスを掛け合わせ旬の味覚を引き立てる、革新的かつ繊細な技で口福な体験を享受いただけます。地上26階のパノラマビューとともに優雅なひとときをお過ごしください。 「チャイナシャドー×翆陽 美食コラボレーション」期 間:2022年9月15日(木)~ 10月31日(月)時 間:11:30 ~ 15:00 (L.O. 14:30) | 18:00 ~ 22:00 (L.O. 21:00) ランチ ¥8,800・美味コラボレーションオードブル(コラボレーション)・佐久高原トマトード農園のホワイトコーンと鮑の煮込み(チャイナシャドー)・信州白馬豚の醤油豆炒め~軽井沢の野菜いろいろ~(翆陽)・南高梅のせ翡翠冷麺 (チャイナシャドー)・わたがし豆腐花 ~信州マスカットサイダーを注いで~(コラボレーション) ディナー ¥19,800・トマトード農園の甘酒入りトマトジュース・美味コラボレーションオードブル(コラボレーション)・新感覚北京ダックバケットスタイルとクレープダック ~二種の味わい~(チャイナシャドー)・コニッシュジャックと中国乾貨の極上スチームスープ(翆陽)・三陸産干し鮑の煮込み ~豪華食材を贅沢に~(チャイナシャドー)・信州プレミアム牛肉フィレの醤油豆炒め ~軽井沢の野菜いろいろ~(翆陽)・南高梅のせ翡翠冷麺 ~トマトード農園のホワイトコーンを添えて~(チャイナシャドー)・わたがし豆腐花 ~信州マスカットサイダーを注いで~(コラボレーション)...

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日本、アジアのアートマーケットの”今”が分かる アートフェアアジア福岡 2022 8月23日(火)前売りチケット発売開始!

一般社団法人アートフェアアジア福岡は、2022年9月30日(金)〜10月3日(月)の4日間、福岡国際会議場とホテルオークラ福岡の2会場で「アートフェアアジア福岡 2022」を開催致します。アートフェアアジア福岡 2022ならではの視点で選ばれた日本とアジアを牽引するアーティストの作品が多数出品されます。 (1) 8月23日(火)より一般前売りチケット販売開始!オンラインから購入できる前売りチケットは8月23日(火)に販売を開始致します。■発売日 :8月23日(火)〜■料金  :前売り:¥2,000/当日:¥2,500■購入サイト:https://teket.jp/4326/14887 (2) 宮津大輔氏キュレーションブース「Leading Asia」見どころアートフェアアジア福岡 2022のスペシャルアドバイザーである宮津大輔氏に「Leading Asia」の構成意図や魅力についてお聞きしました。 –  宮津氏コメント –「Leading Asia」ブースでは、時代の先端を走るアジア諸国ギャラリーから、注目アーティストによる話題作をご紹介いたします。 ブース・テーマである「Meditate⇄Act agilely(深く考えろ⇄機敏に動け)」に基づき、エネルギッシュなアジア・リーディング都心の断面を、多彩なアート作品によって提示します。参加ギャラリーは、東京からEUKARYOTE、韓国・ソウル、済州島からGALLERY2、カンボジア・プノンペンからSaSa Art Projects、中国・上海/シンガポールからShanghART Gallery、インドネシア・ジャカルタからROH Projects、ヴェトナム・ホーチミンからVin Gallery(アルファベット順)の6軒を予定しています。アジアン・アート・ビエンナーレ(台中)で展示された磯村暖+海野林太郎(日本)のインスタレーションや、釜山美術館での展覧会が記憶に新しいJeon Hyunsun(韓国)によるペインティング、多様性を問う作品でアジア・パシフィック・トリエンナーレをはじめとする国際展で活躍するLyno Vuth(カンボジア)の新作、そしてタイの歴史や社会問題を扱った作品で、ヴェネッィア・ビエンナーレやドクメンタでも注目を集めたArin Rungjang(タイ)によるインスタレーションなどを展示します。 Lyno Vuth作品参考画像:SaSa Art Projects「Mchas Teuk Mchas Dei(Master of Lands and Waters)」展(2022年1月) 展示風景 Courtesy...

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国連専門家が米国の人種差別問題を批判=外交部

国連の専門家らが米国の人種差別問題を批判したことについて、外交部の汪文斌報道官は16日の定例記者会見で、「米国は、『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約』の締約国として、他国の人種差別に関するうそやうわさをでっちあげ、覇権主義を広め、政治工作の道具に利用することに熱心だったが、米国自身の深刻な人種差別に向き合うことはなかった。今回、国連人種差別撤廃委員会の審議が、米政府に改めて警鐘を鳴らしたのは間違いない」と述べました。 報道によると、国連人種差別撤廃委員会はこのほど、米国の「あらゆる形態の人種差別撤廃国際条約」の実施状況について審議を行いました。公的記録では、国連の専門家らが審議の中で、米国の根深い人種差別問題を批判したことが明らかにされています。 汪報道官はまた、「審議の中で委員会の専門家は『アメリカ独立宣言』は全ての人間の平等を宣言しているが、現実には米国の法律や公共政策において、アフリカ系の人々に対する深刻な差別が存在すると指摘した。米国は世界的な人種差別撤廃の推進に尽力していると主張しているが、米国では『フロイトの悲劇』が起きている。米国側はまず自分自身の問題から、人種差別を根絶するための具体的な取り組みを始めるべきだ。国連人種差別撤廃委員会は9月、米国の『あらゆる形態の人種差別撤廃国際条約』の実施状況に関する報告書の最終見解を発表する予定だ。中国側はこれを待ち望んでいる」と述べました。(提供/CRI)

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アジア最大のメンタルヘルスケアスタートアップのIntellect(インテレクト)がIntellect Japan(インテレクト ジャパン)株式会社を設立

Intellect Company Pte. Ltd(本社:シンガポール、CEO:Theodoric Chew、以下「Intellect」)は、Tiger Global、JAFCO Asia、Headline Asia、DG Daiwa Ventures、Y Combinator、MS&AD Ventures、PERSOLホールディングスを引受先に、Intellectのアジア太平洋地域での事業拡大を目的に実施した「シリーズA」ラウンドにて調達した2,000万ドル(26.8億円※1)をもとに、Intellectの最重要市場である日本市場での展開を行うため、Intellect初の海外法人として2022年9月にIntellect Japan(インテレクト ジャパン)株式会社を設立することを発表致します。 また、日本法人設立に伴い、スタートアップのビジネスディベロップメントに精通し、産業カウンセラーでもある五角尚之及び、EYストラテジー&コンサルティングにて、M&Aの実行支援に手腕を発揮した加藤亜矢子の両名がIntellect Japanの共同代表に就任することを併せて発表させて頂きます。  Intellectは、2019年10月にシンガポールで創業以降、アジア人のメンタルヘルスに関するニーズやペインポイントをもとに、欧米とは異なるメンタルヘルスケアに関するアプローチをデジタルを活用して提供するアジア最大のメンタルヘルスケアスタートアップです。Intellectでは、世界中のメンタルヘルス研究機関と共同で実施しているプロジェクトで得た研究結果に基づいたサービス設計を行うことで、ストレスと総合的な健康レベルを測定・追跡するサービスの提供を行っております。 この度、設立されたIntellect Japan株式会社では、Intellectが20の国と地域で300万人以上の利用者に対して14言語で提供しているメンタルヘルスケア・ソリューションの日本語対応並びに、日本語でのコーチング機会の提供に加え、導入企業支援として、日本在住選任スタッフによる導入企業様の利用率向上を目的とした社内周知支援も併せて提供いたします。また、日本市場に適したサービスの開発並びに提供も予定しております。 ■   企業経営者に求められる人的資本経営の達成に向けたサポート メンタルヘルスを取り巻く課題として、他の疾患と比べて発症時期が曖昧であることに加え、職場の同僚や上司などの反応や職場内での評価を気にすることから積極的な治療が遅れ、症状が顕在化した時点で重症化しているケースが多い傾向にあります。これらの課題に対してIntellectでは、「ストレスチェック」よりも短い周期で症状把握を行い、症状の有無に関わらず適切なコーチング機会を提供する予防的アプローチにより、従業員のメンタルヘルスケアを行うとと共に、経営者の重要課題である人的資本経営、健康経営、ウェルビーング経営の達成をメンタルヘルスケア視点でサポートしてまいります。 <<Intellect Japan株式会社 共同代表のご紹介>>共同代表 五角 尚之 / 産業カウンセラー 2006年一橋大学経済学部卒業。2016年シンガポール経営大学MBA卒業。ドイツ証券株式会社、野村證券株式会社にて、地域金融機関向けポートフォリオコンサルティング業務、債券、デリバティブの機関投資家向け営業に従事。ビジネススクール留学後、公的機関にてファンド投資業務を経て、2020年、野村證券グローバルマーケッツ部門Executive Directorに昇格。その後、日米のスタートアップのビジネスディベロップメント業務経験。Intellect Japan株式会社設立に伴い、共同代表に就任。 共同代表 加藤亜矢子/米国公認会計士 2015年関西学院大学卒業。株式会社三井住友銀行の法人営業部にて金融商品の販売、金融ソリューションの提供業務を行う。2017年9月よりEYストラテジー&コンサルティング株式会社にてデューディリジェンス業務並びに、クロスボーダー合併・分離の実行支援に従事。Intellect Japan株式会社設立に伴い、共同代表に就任。 <<投資家からのコメント>>JAFCO Investment (Asia...

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〜富士山×花火×モータースポーツのエキサイティングな“劇場型花火”〜「FUJI MOTORSPORTS FOREST Fireworks by 富士山花火」開催

富士山花火実行委員会は、2022年秋より順次オープンする「富士モータースポーツフォレスト」と連携し、「FUJI MOTORSPORTS FOREST Fireworks by 富士山花火」を2022年11月5日(土)に初開催いたします。 キービジュアル 花火の打ち上げイメージ  「FUJI MOTORSPORTS FOREST Fireworks by 富士山花火」について  「FUJI MOTORSPORTS FOREST Fireworks by 富士山花火」は、富士スピードウェイを中心に様々なモビリティ体験を提供する複合施設「富士モータースポーツフォレスト」と連携した今秋の目玉イベントで、昨年12月に初開催して好評を博した「富士山花火」のスピンオフイベントです。富士山を背景に繰り広げられる花火とモータースポーツのドラマティックな共演が予定されており、他に類を見ないスピード感あふれる“劇場型花火”になります。 会場となるのは、国際サーキット「富士スピードウェイ」です。花火とモータースポーツを間近で楽しめる「グランドスタンド」、花火に囲まれる「エキサイティングエリア」、自家用車の中で富士山を背景に花火を鑑賞できる「ドライブインエリア」に加えて、個室で花火を堪能できる贅沢な「プラチナルーム」、花火と一緒にキャンプも満喫できる「デイキャンプVIPエリア」等を用意しています。 花火の製作を担うのは、静岡県が誇る国内屈指の花火企業イケブン、驚愕の演出で観客を魅了する片貝煙火工業、多数の優勝/受賞歴を持ち名実ともに国内最高峰の花火企業である野村花火工業です。音楽と共鳴するミュージック花火などが見どころです。 特に、世界でも有数の長さを誇る約1.5kmのホームストレート沿いに打ち上がる花火や、時速200kmを超えるスピードでコースを駆け抜けるクルマと並走する花火は、ここでしか味わえないエキサイティングな体験です。   実況は、花火の実況初挑戦の名アナウンサー・古舘伊知郎さん  「FUJI MOTORSPORTS FOREST Fireworks by 富士山花火」のMCを担うのは、卓越した話術でF1中継をはじめとした数々の名実況を生み出してきたアナウンサーの古舘伊知郎さんです。 古舘さんは花火の実況は初挑戦で、どんな実況で会場を盛り上げてくれるのか期待されます。   ■古舘伊知郎さんプロフィール1954年12月7日生まれ。77年立教大学を卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし「実況=古舘」のイメージを確立する。また3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。その後、テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。19年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。 ■古舘伊知郎さんコメント28年ぶりにサーキット場に戻って来ました! 久しぶりの轟音に酔いしれるのかと思いきや、聞こえてくるのはエキゾーストノートではなく、花火の轟音!上空には彩りのワンダーランド!音と光が交錯する世界に、古舘伊知郎が実況でチャレンジします。   観覧席/チケット  観覧席は全席有料です。※詳細は公式サイトをご覧ください。   [A]全ての演出をじっくり味わう特等席!●グランドスタンド(大人) 自由席|1名 ¥6,000...

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【学校法人呉学園】日本で注目を集めるイラストレーターやマンガ家、フォトグラファー総勢28名の作品展をマレーシアで開催!

マレーシア初の日本のカレッジである、⽇本デザイナー学院マレーシア校の開校とLEP(東方政策)40周年を記念して、姉妹校専門学校日本デザイナー学院、日本写真芸術専門学校、専門学校日本デザイナー学院九州校(福岡)の3校主催による作品展をマレーシアで開催。 展覧会の内容 マレーシア初の日本のカレッジである⽇本デザイナー学院マレーシア校の開校と「LOOK EAST POLICY(東方政策)」40周年を記念して、姉妹校である専門学校日本デザイナー学院、日本写真芸術専門学校、専門学校日本デザイナー学院九州校の3校主催による作品展をマレーシアで開催。出展作家は3校の卒業生を含む、現在日本で注目を集めているイラストレーターやマンガ家、フォトグラファー総勢28名。各作品は、B0サイズ(1030mm×1456mm)という特⼤サイズの⾼精細プリントで展⽰される。 展覧会情報 【展覧会名】「Japan moment by japanese creators/⽇本のアートに触れる瞬間」【開催場所】 Sunway Geo Avenue【サンウェイ・ジオ・アベニュー】       セランゴール州スバン・ジャヤ                   (HP/https://spfm.com.my/GEOAvenue2/contact_us.html?menu_id=9&pid=1)【開催⽇時】2022年8⽉25⽇(⽊)8⽉29⽇(⽉)まで常設展⽰(初日は14:00より) 【⼊場料】   無料 ​ 日本デザイナー学院マレーシア校(NIPPON DESIGNERS SCHOOL MALAYSIA COLLEGE)概要 マレーシア初の日本のカレッジである日本デザイナー学院マレーシア校のコンセプトは<+JAPAN> 両国のアートを融合させ、新しい文化・芸術の芽を育てます。 今年の6⽉に正式開校し、7⽉4⽇の開校セレモニーには同国元首相であるマハティール氏や在マレーシア⽇本国⼤使の髙橋克彦氏も参加し国内外で注目された。...

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経産省、厚労省、女性起業家、産婦人科医らが語る「フェムテック推進EXPO Vol.2」事前セミナーを9月12日より配信

合同会社DMM.com(東京都港区、会長兼CEO 亀山敬司 以下、「DMM」)が展開するDMMオンライン展示会では2022年10月6日(木)〜13日(木)に開催する「フェムテック推進EXPO vol.2」に先立ち、9月12日(月)から女性にまつわる幅広いテーマを有識者にお話しいただく全30セッション以上の先行配信が決定いたしましたのでお知らせいたします。 ▼フェムテック推進EXPO Vol.2 特設サイトhttps://online-event.dmm.com/lp/femtech2210/special/※動画視聴には上記よりオンライン来場登録(無料)が必要です※全動画アーカイブ配信・セミナー資料配布を予定しています 「フェムテック推進EXPO Vol.2」事前セミナー配信について 「フェムテック推進EXPO Vol.2」は、女性特有の健康課題の解決をサポートする最新のテクノロジーをはじめ、ヘルスケアからライフスタイルまで女性の生涯に寄り添う幅広い製品サービスに出会えるオンライン展示会です。 「女性活躍・男女共同参画の重点方針2022(女性版骨太の方針2022)」においても「フェムテック」に関する記述が2021年に引き続いて盛り込まれ、2025年までに5兆円規模の市場になると見込まれるなど、フェムテックは世界的にも注目を集めている領域のひとつです。 2022年2月にDMMオンライン展示会にて開催された『フェムテック推進 EXPO ONLINE』は出展登録数200社を超え、来場登録者数は1,600名超えと大盛況のうちに幕を閉じました。『フェムテック推進EXPO Vol.2』では、企業の方に加えて一般のお客様にもご来場いただくことで、さらなるフェムテック推進を目指してまいります。 女性特有の悩みを解決するフェムテックの健全な普及に向けて、最新のテクノロジーを持つ製品サービスとの出会いはもちろん、10月の『フェムテック推進EXPO Vol.2』にご参加いただく上で、生理・月経・PMS、更年期、妊活・不妊、子育て(妊娠期・産後)、仕事と育児の両立など、なかなか人には打ち明けづらいテーマについての課題意識を高めていただけるよう、約20名の有識者の方に事例や具体例を挙げて分かりやすく解説していただく動画コンテンツを9月12日(月)から先行配信にてお届けいたします。 経産省、厚労省、女性起業家、産婦人科医の皆さまをはじめ、実体験に基づいてお話しいただく動画など30以上の動画を配信する予定となります。皆さまの無料オンライン来場をお待ちしております。 ▼配信予定動画一覧・詳細はこちらhttps://online-event.dmm.com/lp/femtech2210/special/※動画視聴には上記よりオンライン来場登録(無料)が必要です※全動画アーカイブ配信・セミナー資料配布を予定しています <こんな人におすすめ>・フェムテックに関する行政の動向や法規制、国内・海外の企業や自治体の最新事例を知りたい方・女性活躍推進を社内で取り組む必要があり、具体的な事例や要諦を知りたい方・生理痛、PMS、更年期などの健康課題に悩んでいて、具体的な対処法を知りたい方・女性特有の健康課題に関する経験談、経験者の意見・アイデアに関心のある方 など <登壇者一覧> ※順不同■WEEK1 テーマ”フェムテック” 先行配信期間:9/12(月)〜9/19(月) ・一般社団法人Femtech Community Japan 代表理事 皆川 朋子 氏・経済産業省 経済産業政策局 経済社会政策室長 川村 美穂 氏・株式会社Kids Public(産婦人科オンライン) 産婦人科医 重見...

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THE GALLERY企画展松尾憲二郎/アフロスポーツ 報道写真展「エディトリアルライン」を開催

株式会社ニコンイメージングジャパン(社長:上村 公人、東京都港区)は、ニコンプラザ東京・大阪の写真展会場「THE GALLERY」にて、THE GALLERY企画展 松尾憲二郎/アフロスポーツ 報道写真展「エディトリアルライン」を2022年9月20日(火)より開催いたします。 ●作家のコメントスポーツ報道写真ばかりを撮っている。細かく言えば、報道のための素材を撮っている。一日、数千枚撮り、100枚アップロード。記事やテレビ、各メディアのディレクターがえがくストーリー。それに合う絵柄がダウンロードされる。現場での動きはだいたいこうだ。視野を広く、細かくし、撮るべきものを見落としていないか意識して動く。五感を働かせる。時間とチャンスの限りありとあらゆる絵柄を狙う。そうしていくとアスリートの俊敏な動きが見えてくる。 競技場での線のような動き。関節を支点とした筋の動き。それに操られた道具の動き。 現場で私が感じたままにアスリートの軌跡を追う。 【プロフィール】松尾憲二郎(まつお けんじろう) スキー スノーボードの撮影にあけくれ雪山を登ってきた。2014年より「アフロスポーツ」所属。現在は様々なスポーツを撮影している。国際スポーツプレス協会 (AIPS) 会員日本スポーツプレス協会 (AJPS) 会員 〈主な取材歴〉2015 冬季ユニバーシアード (スペイン/グラナダ)、EAFF 東アジアカップ (中国/武漢)、世界柔道 (カザフスタン/アスタナ)2016 リオデジャネイロ・パラリンピック2017 冬季ユニバーシアード (カザフスタン)、冬季アジア大会 (札幌)、ユニバーシアード (台湾/台北)2018 平昌オリンピック、アジア大会 (インドネシア/ジャカルタ)、世界体操 (カタール/ドーハ)2019 世界陸上 (カタール/ドーハ)2021 東京オリンピック聖火リレー、東京オリンピック・パラリンピック2022 北京オリンピック ●THE GALLERY 企画展 松尾憲二郎/アフロスポーツ 報道写真展「エディトリアルライン」会  場:ニコンプラザ東京THE GALLERY、ニコンプラザ大阪THE GALLERY展示期間: 東京...

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1945年8月15日「終戦の日」の想い出

――敵国劣等国民から戦勝国国民へーー                福井県立大学名誉教授 凌星光  毎年8月中旬になると、「終戦(敗戦)」の想い出話が新聞紙上を賑わせる。1933年生まれで12歳の私は、高等小学校一年生であった。当時の事をそろそろ書き残しておかねば先がないと思いながらも、時は過ぎ今日に至ってしまった。  敗戦のニュースを知ったのは、二俣の山奥から浜名郡北浜村貴布祢(現在浜松市浜北区)に帰る途中であった。艦砲射撃や空襲で浜松市は殆ど壊滅的な被害に遭い、当時はまだ田舎であった貴布祢も安全ではなかった。そこで父凌秀明が中心となって故郷青田県出身の華僑数人が協力して、二俣の山奥に土地を買い、疎開用の家を建設中だったのだ。その手伝いのために、二俣に向かった。その帰路、叔父徐志軒(父の義弟)の引っ張るリヤカーを後ろから押す役目を担った。  途中一休みした時にこの終戦ニュースを聞き、初めはちょっと信じられなかったが、間違いないことを知って、これで「一億玉砕」はなくなり、竹やりで敵前上陸する米兵と戦うこともなくなった、死ななくて済むと安堵の胸を下ろしたことを記憶している。その後、自分が戦勝国民になったという気分を味わうのであるが、その時点では戦争の恐怖、対敵国民の侮蔑から逃れられると先ずは一安心した。  浜松には三方ヶ原軍用飛行場があった。そこは静岡県内では最も工業が発達していた地域でもあり、軍需工場もたくさんあった。そのため、アメリカ空軍の重要な爆撃目標とされていたようで、何回かB29の空襲に遭っている。中でもひどいのは二回あり、一回目は1945年4月30日の工場が密集していた浜松市中心部への爆撃で、約1000名の死者を出した。二回目は6月18日の大空襲で、約1800名の死者を出した。多くの市民が焼夷弾で火傷を負い、私の通っていた北浜村小学校は負傷者の収容所と化した。また浜松市は艦砲射撃にも遭い、合計死者は2947名に達し、全国でも単位面積当たり被害は最も大きな都市に属すると言われる。数日後に貴布祢から出向き、焼け野原となった浜松市を目にしたが、実に悲惨なものであった。  浜松市の海に面した地域は遠州灘と言い、砂浜が続いている。米軍の敵前上陸に適しているところと予想し、終戦末期に三方ヶ原の斜面に陣地を構築する作業が行われた。そのために一般民家への労役が割り当てられ、私が病身の父に代わって作業に服した。指定地についてみると、横穴の土を掘る仕事で、そこに大砲を置くようになるとのことだった。満12歳の私は最年少者で、モッコを担いで土を運んだ。嫌々ながら無理にやらされていたこのような「戦争への協力」から解放されることも嬉しい限りであった。   思えば、1937年、盧溝橋事件をきっかけとして起こった日中戦争によって、中国と日本は敵対関係となった。当時は、兄と弟、そして私の三人が幼稚園に通っていた。今でも目に焼き付いているのは、兄弟三人が幼稚園演芸場の片隅に追いやられ、日本人児童から「チャンコロ、支那人をやっつけろ」と罵られ、兄が必死になって二人の弟を庇って闘う姿である。平和な現在から見れば実に不可解なことだが、園長も先生も児童の暴力での苛めを止めようとしなかった。幼心にも、どうして自分はみなと違う中国人として生まれたのかと恨んだことを覚えている。 1941年12月、小学校3年生の時、太平洋戦争が勃発した。特高(特別高等警察)による在日華僑への取り締まりは、ますます厳しくなり、県外への移動は報告が義務付けられるようになった。静岡県特高警察の山本豊雄氏は我が家を見張る担当警察であった。父は、表向きは日本当局及び汪兆銘(精衛)傀儡政権への忠誠心を示し、法順守の華僑として周囲の信頼を得た。ところが、その父が戦争末期で空襲が激しくなった頃、自宅の防空壕で身を潜めていた時、「日本は負ける、中国が勝利する」と本音を語った時はびっくりした。日本敗戦のニュースは、父のこの言葉を思い出させた。 ところで、後に母楊蘊玉の証言によってわかったことだが、父と母及び叔父徐志軒は、孫文と蒋介石を崇拝する国民党の古参党員であった。1930年代の初め、東京深川で中国人労働者を相手に飲食店を開いていた頃、国民党員が盛んに宣伝工作を展開し、三人とも国民党員になったとのことだ。戦時中、その国民党証を天井の上に隠しておいたとのことだから、政治意識がかなり強かったことが分かる。道理で、戦後間もなく浜松市に進出した父が、東京の中華民国政府駐日代表団と連絡を取り、「中国国民党浜松支部」と書かれた看板を掲げた。 もう一つの記憶として、戦時中、多くの在日華僑は日本名を持ったが、わが家は中国姓一本で通してきた。そのため、中国人だということがすぐわかり、よくいじめられたものだが、それが故に、中国人としての民族意識、対抗心が強く育まれることとなった。それは、後れた中国をそのうちに立派な国にして見せる、外国から辱められた祖国を尊敬される誇り高い国にしてみせる、と生涯における「愛国精神」の源泉となった。そして日本の敗戦は、自分をして劣等感から自尊心に大きな転換を見せるきっかけとなったのである。 但し、「有頂天」への反省もある。戦後一時期、戦勝国中国の国民として、特配など多くの特権を享受することができるようになった。更には、電車も国民党のバッジを胸につけて、「俺は中国人だ」と言ってただで乗り回すことができた。父が戦前行商で知己となった地主が、土地改革での財産喪失を免れようとして、父に名義変更のお願いをするようなこともあった。1945年10月6日、特高は解体され、目付け役だった山本豊雄氏は失業し、父の居候として生計を立てるようになった。地位の逆転による逆差別を体験したのである。戦勝国気取りは当然日本人の反感を買うし、あってはならないことだった。  敗戦によって、新しい日中関係の取り組みが始まった。それは77年後の今も続いている。              2022年8月14日

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   90歳にして大動脈弁置換術を受ける 

 ――ニューハート・ワタナベ国際病院での体験記――  福井県立大学名誉教授 凌星光  今年5月27日から6月4日迄の8日間、ニューハート・ワタナベ国際病院に入院し、精密検査を経て、6月28日に再入院。7月1日午後、「大動脈弁閉鎖不全症」治療のため、「小切開」による「大動脈弁置換術」を受けた。わが一命に係る大手術であり、一抹の不安は消えていなかったが、幸い手術は成功し、7月15日無事退院することができた。下記は私のニューハート・ワタナベ国際病院への感謝状でもある。  一、 浮間中央病院への急診  5月に入ってから上が200mmHg前後の高血圧が続いたが、自覚症状は普段通りであったため、余り重視しなかった。だが、5月6日呼吸困難になり始め、身体に異常を感じるようになった。翌7日からは横になると呼吸が苦しく、上体を起こして仮眠を取らざるを得なくなった。これ以上放置するわけにはいかぬと思い、9日午後、タクシーを呼んで通院先の浮間中央病院に向かい受診すると、鬱血性心不全と診断され即入院となった。薬物療法を経たお蔭で、約一週間後に諸数値は正常となり、21 日には退院できた。だが、副院長の中山清和医師からは、私の場合心不全の原因は「大動脈弁閉鎖不全症」にあり、それを根治せねば再発するのは時間の問題、心臓血管外科のある大病院か専門病院で診て貰うようにと勧められた。そして、高齢者にはこのような手術は難しいので一般には施術しないが、私は元気だから手術を受けられるかもしれないと言われ、紹介状を書いてくれることとなった。  二、心臓大手術の是非:自然死か寿命延長か  統計によれば、一度心不全を患った者は その半分が5 年以内に亡くなっているという。つまり私の寿命は残り2、3 年ということになる。常日頃、妻とは自然死について話し合っている。私は現在満89 歳、妻82 歳。この年まで生きてこられたのだから、延命策など取らずに自然死でいこうと言うことだ。私はまだ呆けては居らず、視力、聴力、言語力及び思考力等全てが正常範囲にあり、大動脈弁だけが病巣だとすれば、置換術を受けて寿命を10 年(?)延ばすことも重要な選択の一つだ。更には、近年来、心臓手術の技術進歩は目覚ましく、平均成功率は98%に達すると聞く。妻や身内の者と話し合って、手術をすることに決めた。「人生百年」を目指して、病魔と闘う決心をしたのである。「大動脈弁置換術」と言った一命に関わる大手術を受けるには、少なからぬ覚悟を要したが、決心した以上は動揺することなく突き進むのみである。 三、ニューハート・ワタナベ国際病院の選択   入院先を決めるに当たり、総合病院か専門病院かを考えた。総合病院は併発病が起きた際に対応し易いというメリットがある。専門病院中、特にニューハート・ワタナベ国際病院は心臓病治療のための専門病院で、病院の建設、各施設の配置など全てが理想的に組み合わされている。その上、成功率99.5%という世界一のレベルが魅力的だ。渡辺剛院長の素晴らしい業績、パイオニア精神、患者の反応などを妻はじめ身内の者がいろいろと資料を集めてくれた。私自身も調べてみて、渡辺院長が金沢大学医学部出身であることに親近感を覚え、一命をこの病院に託すこととした。私は1990年から92年にかけて、金沢大学経済学部の教授を担ったことがあり、渡辺院長が2014年に東京に進出した意気込みに感銘を受けた。また、妻が、私がまだ浮間中央病院に入院中の5月19日21時過ぎ、PCで該病院の受診要望欄を見つけて早速私の病状と受診要望を書き込んでメールを送信したところ、翌午前11時、院長から「渡辺剛です。メールありがとうございます。了解いたしました。ぜひ拝見させていただきたいと思います。・・・」という丁寧なお返事が即座に届いたことに私も妻も大いに感動し、勇気づけられた。  四、瀬口主治医による手術可能の知らせ  私の担当医療チームは渡辺剛院長、瀬口龍太(血管外科)副部長、小圷徹医3名で構成され、瀬口医師が主治医を務められた。瀬口医師も院長と同じく金沢大学医学部出身であり、院長の愛弟子である。今年38歳の若さだが、年間執刀回数は300回余にも及ぶという。検査結果後「小切開」による手術を行うことができると瀬口医師から知らされた時は「あゝ、よかった!」と心底安堵した。引き受けてくれる以上成功させる自信があるからで、患者としては一安心だ。「しかし」と瀬口医師は続ける。渡辺院長の日程が詰まっており、手術は早くて7月1日、でなければそれ以降になるという。では、最速の7月1日でお願いしますと伝えて手術日が決まった。病名は「大動脈弁閉鎖不全症」で、「胸腔鏡下大動脈弁置換術」を7月1日に行うこととなった。因みに、置換するのは牛制生体弁である。  五、心臓大手術の実体験  7月1日13時過ぎに妻に見送られて病室を離れ、13時10分頃手術室に運ばれた。間もなく全身麻酔で眠りに着く。―――――「無事終了しました、体の血を拭いてから集中治療室に運ばれるので、今から20分後に会いに行って下さい」と、待ち受けていた妻に瀬口医師が伝えたのは18時20分頃だと言う。瀬口医師は赤ら顔で疲れ切った様子だったそうだ。翌朝7時半ごろ、集中治療室で麻酔が解けて、意識が戻り、手術の成功を実感した。そして自力で数分間息をした後、7時50分、人工呼吸器が外された。だが、集中治療室での2日間と病室に移ってからの数日間は「悪戦苦闘」の日々であった。咳をして痰を出す都度傷口が痛んだ。またどうしたことか全身に蕁麻疹のような症状が出て痒くてたまらず、眠れぬ日が続いた。だが病状は着実に快方に向かっており、蛸の足のように張り巡らされたチューブは一本一本外されていき、7月7日に最後の管ドレインが瀬口医師によって取り外された。この時、彼は看護師の手を借りることなく、実に動作素早く一人で処理し終えた。それを目にした私は、彼は渡辺院長に次ぐ神業医師ではと思うに至った。後日、私の手術は、心臓膜が老化により切れ切れになっていたため、3時間の手術予定が1時間延びて、結局4時間も要したことを知らされた。手術室での瀬口医師の神業ぶりが想像できる。術後一週間の苦闘とチューブ外しの中で、私の手術が大掛りな大手術であったことを改めて実感した。  六、世界一流のニューハート・ワタナベ国際病院  ニューハート・ワタナベ国際病院では、精密検査の8日間、心臓手術の18日間、計26日間の入院生活を送った。そこでは、確かに世界一流の病院であることを体験することができた。優れた心臓外科医師と必需の先端設備、施設を擁しており、病棟はすべて個室である。更に各医療技師の責任感や看護師の患者への思いやりは身にしみて感じられた。全身の皮膚が赤くなった時には、看護師がすぐに気が付き、アイスノンを持ってきて痒みを抑えてくれた。また尿道管を外した時には出血するかも知れないと事前に教えてくれ、常に患者の精神的負担を軽くするよう心掛けてくれた。私が今回当院でお世話になった看護師達は、全部で30数名に達する。総体で感じたことは、スタッフ各々が渡辺院長の求めている「自覚と誇り」に応えていることだ。一つの病院を経営するのは並大抵なことではないと言われる。渡辺院長の医療技術と病院経営両面での才能の発揮に敬意と賛辞を捧げたい。  人生の終わりに近づいた今日、世界一流のニューハート・ワタナベ国際病院で心臓の大手術を受けられたこと、日中両国の友人に見舞われて大手術を受けられたこと、身内の者に見守られて大手術を受けられたことは、何と幸せであったことだろう!今後10年(?)、自分の立ち位置を十分にわきまえ、余生を静かに且つ有意義に送りたいと思っている。  渡辺剛院長はじめ瀬口龍太医師、小圷徹医師ほか病院スタッフの皆様に心からの感謝の念を伝えたい。同時に 日中両国の友人各位の友情と励ましに深謝すると共に、妻はじめ身内の皆が我儘な私を愛情をもって支えてくれたことに心から感謝したい。  (7月29日執筆8月19日脱稿)