【大阪万博見学の一日】 福井県立大学名誉教授 凌星光
大阪万博に行ってみたいと思っていたが、上海万博時の経験から、92歳の老人にはとても無理だと思っていた。だが、9月29日、見学は実現した。
1.特別配慮で入場スムーズ
大阪万博の評判がますます高まった8月に入って、何となく大阪総領事薛剣氏に願望を漏らしたところ、「中国館については特別配慮できる、涼しくなってからどうぞ」という言葉を頂いた。そこで9月28日岡山に出張する帰りに立ち寄ることとした。
ところが、9月24日の日経の報道には、「万博入場券、130万枚未使用、予約枠ほぼ満杯」とあった。これでは望みなしと諦めていたが、薛総領事が「何とかする、大丈夫」と励ましてくれたので、行くこととした。朝、岡山から新幹線で大阪へ向かい、地下鉄で大阪夢洲に着いた。駅から東門まで大変混雑していたが、中国館長鄔勝榮氏の手配とスタッフの協力の下、並ぶことなくスムースに入場することができた。
多くの人が並んで待っているのに、私だけが特別コースで通過、悪いなと心苦しくも思ったが、超高齢者への「寛恕」と思って、自らを慰めた。

夢洲駅での参観者
2.山西省ウイーク活動開幕式に参加
中国は国土が広く、人口は14億、省レベル行政区は34ある。各地方の特色を紹介するために、各省のウイーク活動が展開されるよう工夫されていた。この日は丁度、山西省ウイーク活動開幕式の日であった。事前にそのことは知らず、吞気に構えていた。が、私のために席を設けてくれるということで、10時半開始に間に合うよう足を速めた。
先ず録画放映による山西省出身の著名人、名所、産業の紹介がなされ、お土産も頂いた。茅台酒と紹興酒に並び有名な汾酒は山西省の名物であることを改めて知った。また中国の旧正月春節に飾る年画は「平陽木版画」が有名で、2019年に「国家レベル非物質文化遺産」に指定されていた。会場では山西省を代表する文化遺産として実演体験もできる。
また山西省は中華民族発祥の地とも言われ、夏墟など古代王朝の遺跡が多く、中国戯曲の発祥の地でもあることが強調されていた。



平陽木版画を体験
3.総領事と館長が「特別案内役」
開幕式を終えた後、館内見学に移ったが、説明者以外に、総領事と館長が私に付き添っていろいろ説明して下さった。全く恐縮の至りである。お蔭様で木版画の実演を体験し、「月の裏側の砂」を並ぶこともなく覗くことができた。
アメリカはアポロ計画で50年前に月面着陸に成功している。中国は昨年6月に初めて打ち上げたが、月の裏側のサンプルを地球に持ち帰ったということで、その技術の高さが注目された。私はそれを顕微鏡で実際に見ることができたのである。聞きなれ見慣れている「十五夜お月様」が身近に感じられて感無量であった。
なお、中国パビリオンは建物全体が漢字文化を突出させると共に、グリーン先端技術が
展示され、その建設プロセスも伺い知ることができた。未来像を描いたグリーンエネルギー社会の模型図には、すでに実験成功の空間太陽光発電がセットされていた。

総領事及び館長と共に

身近な月と対峙
4.秦の時代にすでに「環境保護法」
紙がなかった古代においては竹簡に漢字が書かれた。今、その竹簡の発掘と文字の研究が進んでいて、古代文化の実態がますます明らかになりつつある。そうした中、展示されている「田律」の竹簡に心を惹かれた。
田律とは2200年前の秦の始皇帝時代に制定された環境保護法とも言われ、農田、山林、河川などの自然を保護するために、農業、林業、牧畜業、漁業などに規制を加えられていた。と同時に、降雨量や自然災害などを報告させる制度を整えられていたというのだ。
展示された竹簡には「春二月、母敢伐材木山林――」(春二月には山林にて樹木を伐採するな)「夏月、母敢夜草為灰――」(夏には、草を灰にするな)などが書かれている。
5.趙僕初氏と森本孝順長老の壁画像
パビリオンの回廊には著名な詩が書かれていると同時に、日中友好に貢献された人たちの壁画像が掲げられていた。その中に趙僕初先生と森本孝順長老の像が鑑真和上像と共に並んであった。自然と1980年の国宝鑑真和上像の里帰りを想い出した。
鄧小平氏の特別配慮の下、唐招提寺森本長老の念願が叶えられ、鑑真和上像が揚州大明寺に運ばれ、多くの中国の人々が拝顔した。中国仏教協会会長の趙僕初先生がそのお供をし、私の妻陳寛が通訳に当たったという経緯があった。
1963年、仏教の大家趙僕初先生は中日友好協会会長廖承志氏に鑑真和上逝去1200年を記念して、北京で一大行事を行うよう提案し、日本の仏教界のリーダー達をお呼びした。以来、中日両国仏教界の交流が盛んになり、日中友好関係の発展に大きく貢献してきた。

趙僕初先生と森本長老(鄧小平氏が森本長老と面談―陳寛が通訳)
6.親切な中国人ボランティア
万博開幕当初は、いくつかの不備があると批判されたこともあったが、その日私が体験した印象はきわめて満足のいくものだった。昼食のあと、自分の行動力を試してみようと思い、一人で動くことにした。すると、思いがけず非常に親切な中国人ボランティアに出会った。
私は男性のボランティアのそばに行き、東門への行き方を尋ねようとした。そのとき、ちょうど五、六十代くらいの日本人女性が彼に質問していたので、私は黙って待つことにした。だが、会話はなかなか終わらない。その女性は、ボランティアの発音に少し外国のなまりがあるのに気づいたらしく、「あなたは外国の方ですか?」と尋ねた。彼は「はい、そうです」と答えた。さらに「どこの国の方ですか?」と聞くと、「中国人です」と答えた。女性は「まあ、日本語がとてもお上手ですね!」と笑顔で言い、さらに会話を続けた。
私はさすがに待ちきれず、別のボランティアを探すことにしたが、心の中は敬意で満たされていた――この三十歳前後の中国人ボランティアは日本語が非常に上手で、態度は穏やかで、応対も丁寧であった。国際的な対立が深まる今日、このような国際協力の温かな光景を自分の目で見ることができ、心から嬉しく、励まされる思いであった。
7.ここ数年の最高記録1万5000歩!
中国館を見学した後、日本の和牛弁当の昼食会に参加させていただいた。それは西ゲートに近く、中国館からはかなりの距離があった。皆と同じ速度で歩いたため、私にとってはきつかった。昼食後は一人でのんびり歩こうと思って、付き添いは結構ですと断った。
ところで、場内は電動車がなく、車いす以外は徒歩のみが頼りである。地下鉄に乗るには東ゲートまで行く必要があり、20-30分歩くという。そこで西ゲートから東ゲート行きのバスに乗ることとした。30分くらい待たされたが、お陰様で大阪湾を眺めることができ、万博の別の一面を体験できた。
岡山から新大阪へ、地下鉄で夢洲に向かい、東ゲートから中国館へ、中国館から和牛食堂店へ、少し会場内を巡ってバス停留場へ、再度地下鉄で新大阪へ、そして新幹線で東京に向かい、夜9時頃に我が家についた。スマートフォンを見ると1万5000歩を超えていた。ここ五年間の最高記録1万歩を遥かに超えていた。

和牛弁当の昼食会




