中国には新植民地主義の意志も能力もない、「一帯一路」は無関係―中国の政治歴史学者が解説

中国が推進する「一帯一路」について、西側諸国から「新植民地主義ではないのか」との懸念が示されることがある。しかし歴史や政治を研究する中国法政大学の李筠教授は、「一帯一路」については中華文明の「遺伝子」から読み取らねばならないと主張する。李教授は中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中華文明の特色と「一帯一路」の関係を説いた。以下は李教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

中国法政大学の李筠教授は「中国の一帯一路は新植民地主義ではないのか?」との懸念に回答した。中国にはその意志も能力もないという。写真は成都博物館で開催されたシルクロード服装文化特別展。

■文化文明は民族の枠を超えて融合しつつ継承される

「中華文明は世界で唯一の数千年前から継承されてきた文明だ」という言い方があるが、正確ではない。まず、文化や文明は先祖から子孫へと単純に継承されていくものではない。ギリシャ人は理性の価値に気づいた。ローマ人は王制を打破して共和制という政治形態を打ち建てた。ギリシャの都市国家は消滅し、ローマは帝政に移行した。しかしギリシャやローマ文明の良い部分は人類の財産として残った。ギリシャ哲学はその後の思想に大きな影響を与えた。中世ヨーロッパで大いに栄えたベネチアはまさに共和制の国だった。

一つの文明が消滅したように見えても、その文明のすばらしい部分は他の文明に取り入れられる。文明とは互いに学び合い、融合して継承されるものだ。

中華文明も同様だ。自らが創出した成果だけで構築されたのではない。最初期の中華文明は、黄河中流域のいわゆる中原文明だった。しかし秦による統一で、中原文明に異質の要素が取り入れられた。隋や唐の時代になると、匈奴や鮮卑、羌などの民族の文化文明の要素が中華文明に入った。明代や清代には満州族やモンゴル族、チベット族、いわゆるイスラム系民族の文化文明も中華文明に溶け合うことになった。中華文明を化学用語で形容するならば、さまざまな元素で構成される「化合物」だ。

■中国には「新植民地主義」を推進する意志も能力もない

2013年には、古代シルクロードの現代版である「一帯一路」が提唱された。「一帯一路」は、力を蓄えた中国が打ち出した新たな海外進出の方式の一つだ。

しかしその海外進出の方式は「新植民地主義」ではない。中国には実は、ある種の「欠落」がある。中国には植民地支配の経験も技術も持ち合わせてないのだ。能力がない以上、実行するのは不可能だ。

中国は自らを開放し、外の世界にも進出することが必要と強く感じている。背景には歴史上の教訓もある。明朝と清朝時代の中国は一種の鎖国をしていた。鎖国がもたらすのは経済規模の制限だ。アダム・スミスの「国富論」によれば、市場経済の有効性はその規模に比例する。規模が大きくなるほど分業が細かくなり、労働力の生産性が高くなる。生産性が高くなれば競争力が強くなる。閉鎖的で大きさに限界のある市場で営まれる経済は、発展する上でのハンデがある。最初は優勢でも、いずれは追い越される。

清朝最盛期の経済規模は欧州諸国全体の経済規模より大きかったとされる。しかし欧州では産業革命により経済が飛躍的に発展した。閉鎖的な中国は産業革命を取り入れることがなかった。中国の国力は清朝末期までに、西洋よりもはるかに劣ることになった。

もう一つ重要な側面は、閉鎖によって精神的な閉塞、さらには想像力や知識の欠如がもたされ、そのために傲慢や頑固という精神状態になることだ。

茅海建先生が著した「天朝の崩壊」によれば、1840年に勃発したアヘン戦争に破れた清が英国に屈辱的な南京条約を結ばされた際に、道光帝は「英国とはどこにあるのか。何の蛮夷なのか」と尋ねたという。国のトップとして君臨する者が、戦争に負けても相手が誰だか分からなかったわけだ。これは明らかに、数百年間に渡って国を閉ざしてきた結果だ。

■「一帯一路」は中国で復活した「外部とのつながり重視」の文脈で理解すべき

中国が過去40年余り続けてきた開放は、長い歴史を通じての最も根底からの開放だ。歴史上の「開放現象」は多くの場合、無自覚で受動的なものだったが、現在の開放ははっきりと自覚的なものだ。すべての中国人が生活の実践の中で開放を理解し、感じて、大切にしている。

その結果として「中国は世界の中の中国であり、世界は中国を含む世界だ」という考え方が中国での共通認識になった。また中国人は世界のさまざまなことに関心を持ち、自らのことのように感じるようになった。例えば米国人の元プロのバスケットボール選手だったブライアントさんが2020年に事故死した際には、多くの中国人ファンが嘆いた。サッカーのメッシ選手が21年に自らの意志に反して長年に渡り所属したFCバルセロナを退団させられた時には、多くの中国人が憤った。

だから開放は中国人にとってすでに、慣れ親しんだ状態なのだ。難しい理論や哲学や政治学を説く必要はなく、中国人ひとり一人が馴染んでしまった状態だ。中華民族の文化的遺伝子だった「開放」が今や、増幅されて復活したのだ。「一帯一路」も、外部との連携を求める中国本来の姿を反映しているとの文脈で理解されねばならない。(翻訳:Record China)

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