多種多彩な中国ドラマと 多種多彩な「お楽しみの流儀」
一口に「中国ドラマ」と言っても多種多彩だ。そして、日本人としての「お楽しみの流儀」も多種多彩であるようだ。ドラマの世界にどっぷり浸って満足する人もいれば、歴史を調べたり、さらに「ドラマの世界をもっとよく理解したい」と思って中国語の勉強に力を入れ始めた人もいる。それぞれが「自分流」で楽しんでいる状況だ。
似ているけどやっぱり違う 日本人と中国人を実感
エッセイストの真島久美子さんにとっては、台湾に行くようになってホテルのテレビで見たことが中国ドラマとの「運命的な出会い」だった。言葉は分からないが面白さを感じたという。その後、日本で『武則天秘史』を見て、中国ドラマの虜になった。武則天とは唐代に権力を握った女性で、日本では則天武后と呼ばれることが多い。真島さんは歴史が好きなので、関連書籍に目を通してどの部分が史実でどの部分がドラマの脚色かを調べることも楽しんでいる。 また、中国人と日本人の考え方の違いも、とても興味深いという。例えば、日本人は家庭内の揉めごとを他人に話すことをはばかるが、中国人は、特に歴史ドラマだと往来に出て周囲の人々に、自分がどれだけ理不尽な仕打ちを受けたかを大声で訴えることが珍しくない。真島さんは、日本人は泣く時に下を向いて涙を流すが、中国人は上を向いて号泣することにも気づいた。 日本人と中国人の外観はさほど違いがない。日本が歴史上、中国から多くの文化を導入した関係で、日常生活にも類似点が多い。しかしやはり、違う部分は少なくない。制作側が意図していない場合でも、中国ドラマを見ていると「中国人の日本人とは違うふるまい」を感じることが多い。「なるほどなあ、中国人ってそうなのか」という気づきがあることも、中国ドラマの魅力の一つであるようだ。 真島さんによると、『琅琊榜(ろうやぼう)~麒麟の才子、風雲起こす~』というドラマでは、皇帝の前に引き出された誉王と靖王のやり取りが興味深かったという。明らかに事実とは違う主張でも、相手が納得すれば「それでよし」となるのも面白かったという。 中国人はよく「話し合いによる合意」を極めて重視すると言われる。決まり事などにはあまりとらわれず、双方が合意すればそれで「一件落着」とする傾向が強いと言う。その際には、多少強引な主張をしてもかまわない。相手がそれを認めればよい。こちら側が相手側に判断を強要したわけではないとする考え方が強いわけだ。中国ドラマをしっかり見ると、ビジネスなどでの中国人の交渉術を知るヒントを得られるかもしれない。
情報収集のカジュアル化 ドラマを通じて友達の輪も拡大
冒頭の「華流の軌跡」の記事でもご紹介した沢井メグさんによると、SNSや定額制動画サービスなどの発達に伴い、中国ドラマの情報収集が容易になったと感じるという。例えばタイムラインで見かけて「面白そう」、「この俳優さんがかっこいい」などと、情報に“カジュアル”に出会えるようになった。それがきっかけで中国の文化や言語に興味を広げる人も多いという。 また、個人として中国ドラマ情報を投稿している人も珍しくない。そんな人を「フォロー」して、情報を収集することもよい方法であるようだ。ツイッターやフェイスブックで「中国ドラマ」で検索すれば、関連情報を投稿しつづけている個人やグループが大量にヒットする。 真島さんは、ドラマの台詞の、翻訳だけではわからない微妙なニュアンスを知りたいと考えて、中国語を習い始めた。中国語教室の動画でもドラマファンは多く、ドラマを通じて中国語の言い回しを学んだり、文化に触れることを、多くの日本人が楽しみ始めているという。真島さんの周囲で特に人気が出たドラマは『陳情令』とのことだ。 沢井さんにとって、最近の作品で印象深かったのは『風起花抄~宮廷に咲く琉璃色の恋』(原題:風起霓裳)だったという。唐の2代皇帝・李世民の時代を描いた時代劇で、ヒロインが母の死の謎を解くために、宮廷に潜入し奮闘する物語だ。
厳しい中国人視聴者に「揉まれる」ことで レベルアップ
沢井さんによれば、ストーリーのよさ以外に「よくできている」と感じたのは、劇中の唐の文化の描き方だという。細部までこだわっており、例えば実際に当時流行していたファッションや髪型を再現した。また一瞬しか映らない通行人も漢民族だけでなく北方の騎馬民族、さらには中東系の人もいて長安の国際都市ぶりがさりげなく表現されるなど、私たちが歴史の教科書や小説を通して知った唐の姿が生き生きと描かれていたという。日本ではよく、「中国人は大雑把」と言われるが、そんな“常識”は過去の遺物になりつつあるようだ。ドラマのレベルが上がった最大の理由は中国人ドラマファンの目が肥えてきたことだ。中国のレビューサイトは実に辛口で、いい加減な作りでは見向きもされないという。 現在では日本以外の多くの国で中国ドラマが注目されている。沢井さんは、中国国内の視聴者の厳しい目にかなう質を目指してきたからこそ、海外の視聴者をも満足させる作品が誕生しているのではないかと考えている。 日中には学びと受け入れの長い歴史、 ドラマでも「学習」が可能 真島さんは、中国ドラマでは現代劇のレベルも非常に向上しており、しかも「今の中国」を知ることができる点にも注目している。『安家』は日本で2016年に放送されたドラマ『家売るオンナ』のリメイクだが、真島さんによると、『家売るオンナ』よりも深みのある作品と感じたという。 一方、日本ではほったゆみ原作で小畑健が作画した漫画作品の『ヒカルの碁』はアニメ作品化され、日本では2001年から2003年にかけて放送され、大評判になった。同作品は中国で実写版のドラマとしてリメイクされ、2020年にネット配信された。考えてみれば、囲碁は古代中国で生まれ、日本に伝わり定着した。この歴史が『ヒカルの碁』という作品が成立した大前提だった。その『ヒカルの碁』が中国でリメイクされた。同作品は日中の長い文化交流の象徴とも言える作品だ。真島さんも大いに「ハマった」という。 真島さんは、中国ドラマの魅力についてもう一つ、興味深い指摘をした。日本のドラマはコンプライアンスを意識しすぎて面白くなくなっていると感じる一方で、中国ドラマは「情け容赦なく見る人の心をえぐる」点がよいと感じるという。 もちろん法令の順守は必要だし、あまりに過激な表現は控えるべきだろう。しかし、制作側が「後のトラブル」を恐れるあまり萎縮してしまったのでは、作品の生命力は失われる。よって日本のドラマ制作関係者は、「何をやったらダメなのか」よりも「どこまでの表現なら許されるのか」と考えるべきなのかもしれない。 日本のドラマ制作関係者者にとってすれば、昨今の中国ドラマのように大量の資金を投入することは困難かもしれない。しかし、細かい情景づくりや「どこまで大胆に表現してよいか」など、参考に出来る部分は多いのではないか。中国ドラマは今や、一般視聴者を大いに楽しませてくれるだけでなく、日本のドラマ制作関係者にヒントを与えてくれる作品群にまで成長したのかもしれない。
如月 隼人
中国・アジア情勢ウオッチャー 東京都出身。主に数学を専攻して東京大学教養学部基礎科学科卒。塾講師などを経て中国に留学。北京市内にある中央音楽学院で民族音楽理論を学ぶ。帰国後は民族音楽のCD制作やレクチャーコンサートに携わり、国立歴史民俗博物館の日本民謡データベース制作にも参加する。その後、中国関連を専門とする記者になり、月刊誌『BAN★RAI』(東洋経済新報社)の編集やネット記事の執筆などを手掛ける。