Author: aptpress

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声優 山口勝平が1人全役に挑戦!?中国で人気の縦型ショートアニメ『破裂蛋蛋君(はれつたんたんくん)』、日本での配信を開始!

株式会社Minto(本社:東京都港区、代表取締役:水野和寛、以下当社)は、当社がキャラクター原案を手掛ける縦型ショートアニメ『破裂蛋蛋君(はれつたんたんくん)』が、日本での配信を開始したことをお知らせいたします。 『破裂蛋蛋君(はれつたんたんくん)』は、WeChatのステッカーで2億ダウンロードを達成したタマゴのキャラクターを元に制作された、スマートフォン向け縦型ショートアニメです。本作品は、中国のみで配信されておりましたが、この度日本での配信を開始いたします。日本語吹き替えを担当する声優 山口勝平さんには、様々な性格のタマゴ「蛋蛋君」たち、高根の花のヒロインのトマト、ちょっと強面のチャーシューさん、ナルシストなチーズ、そして子供や犬まで、99の役を1人で担当頂きました。 ショートアニメ「破裂蛋蛋君(はれつたんたんくん)」について タイトル:「破裂蛋蛋君(はれつたんたんくん)」配信開始:2022年3月25日配信先:YouTube、TikTok話数:各話(15秒~1分)全24話予定キャラクター原案:株式会社Mintoアニメ制作:株式会社ファンワークス企画:株式会社ADKエモーションズ 内容冷蔵庫を舞台に、ちょっぴりネガティブで傷みやすいタマゴの蛋蛋君(たんたんくん)と、一心同体でありながら、蛋蛋君の(たんたんくん)中から飛び出て本心を呟くヒヨコリアンが、冷蔵庫にいる仲間たちと繰り広げるシチュエーションアニメです。 リンク集YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCrz85PMDzPQD1CXt1QrlWtQTikTok:https://www.tiktok.com/@poliedandanjun_mreggTwitter: https://twitter.com/poliedandanjun LINEクリエイターズスタンプの配信を開始日本語版配信開始と共に、LINEクリエイターズスタンプにも全24種類の「破裂蛋蛋君」(日本語版/繁体字版)が登場いたします。 株式会社Mintoについて アニメ・漫画を活用したSNSマーケティングでNo.1の実績を持つ株式会社wwwaapと、キャラクタースタンプのダウンロード世界No.1の実績を持ち、NFT/メタバース領域でのIPプロデュースを行う株式会社クオンが経営統合し、2022年1月4日に生まれた企業です。今後は、2社の強みを活かし、漫画・アニメクリエイターのためのクリエイターエコノミーを創り、世界に届くコンテンツを増やし続けます。※詳細は、以下プレスリリースをご覧ください。 クオン、漫画×SNSでNo.1のwwwaapと経営統合。日本発クリエイターエコノミー企業へhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000055.000031241.html 会社概要会社名:株式会社Minto設立年月:2022年1月所在地:〒107-0061 東京都港区北青山2-14-4 WeWork the ARGYLE aoyama 6F資本金:15億7,270円(資本準備金含む) 役員:代表取締役 水野和寛、取締役 中川元太、取締役 高橋伸幸、取締役 ⼩川淳事業内容:コンテンツソリューション事業、IPプロデュース事業、新規領域(Web3)事業HP:https://minto-inc.jp/問い合わせ先:https://minto-inc.jp/6ed06a7cd3d04b719ddda332f6acec32

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【東西文明比較互鑑】秦漢とローマ(6)宗教と国家

「神の国」と「地の国」 西ローマ帝国最後の150年間、国教はキリスト教だった。 中東パレスチナで生まれた原始キリスト教は「漁夫と農民」の素朴な宗教だった。こうした最下層の貧民は、はじめからローマ各属州の眼中になかった層であり、多くのキリスト教徒にとってもローマは意識の外だった。彼らは「神の国」に属する同胞であって、「俗世の国」に属する公民ではなかった。したがって、兵役も公職に就くことも拒否した。決してローマの神々をまつらず、皇帝像に跪くこともなかった。 ローマ固有の多神教は厳格な道徳律をもっておらず(22)、ローマ社会の堕落に歯止めをかけることができなかった。国家は最下層の貧民をまったく顧みず、孤老の世話にしても、貧困者の苦しみを聞くにしても、疫病で亡くなった人の埋葬にしても、全身全霊で取り組んだのはキリスト教徒だけだった。やがて平民のみならず、追い求める理想が多少なりともあったエリート層もキリストを信じるようになった。 規律が厳格ではっきりしていたキリスト教は、辺境の都市と蛮族の支配地域で定着し、軍隊と宮廷のなかでも大量の信者を獲得していった。こうして日ごとに強大な存在となる「無形の国家」をローマ体内で徐々に形成していったのである。 ローマの執政官は当初、こうした強力な組織力と思想的求心力に恐怖を感じ、300年にわたって信徒を虐殺、迫害し続けた。しかし、コンスタンティヌス帝が懐柔策に転じ、313年にキリスト教を公認した。そして392年、テオドシウス1世が正式にキリスト教を国教にしたのである。 「国教」にした理由について、下層民と兵士の支持を得るためという説がある。一神教は皇帝権力の絶対化に有利だったという説もある。しかし、いずれにしてもローマ皇帝の期待は現実のものにはならなかった。 コンスタンティヌスのキリスト教の公認から40年後(354年)、あるローマ官僚の家庭に1人の子供が生まれた。この子供はローマのエリート養成モデルに沿って教育された(23)。彼は最初に『聖書』を読んだとき、文体の貧弱さを理由に「キケロの優美な筆致と比べると、まったく足元にもおよばない」(24)といって批判した。 30歳になると彼は宮廷スポークスマンとして皇帝を称揚し、政策の宣伝につとめ、周囲からは「ギリシャ・ローマ古典文明の火を受け継ぐ者」とみられた。ところが、主君の覚えめでたい人生も、自由な思想も、そして何不自由ない境遇や放埓な私生活も、心の奥底の空洞を埋めることはできなかった。こうして再び『聖書』を手にしたとき、彼は言葉では言い表せない「神の啓示の瞬間」を経験することになる。このとき「彼」はもっとも偉大なキリスト教神学者アウグスティヌスになった。アウグスティヌスはキリスト教の原始的な教義を壮大な神学体系へと発展させた。原罪論、教会の恩寵論、予定論、自由意志論といった思想はキリスト教哲学を集大成するものである。 410年、西ゴート人がローマを侵攻・陥落させた。これは外来のキリスト教を信仰した「報い」ではないか―そういう声がローマでおこった。アウグスティヌスは激怒にかられて『神の国』を書き、これに反論すると同時にローマ文明を徹底的に否定した。彼はローマを指弾して次のようにいう。ローマは一度も正義を実現したことがなく、「人民のもの」(25)であったこともない、したがって共和国ではなく「大きな盗賊団」(26)に過ぎなかった、と。彼は「愛国とはすなわち栄誉である」という創成期ローマ戦士の精神さえも否定し、あらゆる栄誉は神に帰すべきだと考えた(27)。 アウグスティヌスは最後にこう締めくくっている。ローマの陥落は自業自得であり、キリスト教徒の最後の望みは神の国である。 「国家の悪」と「国家の善」 中国人の考え方からすると次のような疑問が出てくる。いくら駄目だといってもローマは母国である。その腐敗を憎むなら、制度を改革し精神を刷新すべきではないのか。異民族の侵入に際しては率先して祖国を守るべきではないのか。どうして改革の責務を果たす前から母国をあっさりと捨て、踏みにじることができるのか、と。結局のところ、ローマによって国教の地位に押し上げられたとはいえ、キリスト教にとってローマ国家の命運は常に他人事だったのである。 この点もまた、漢とローマとの違いである。一方で漢朝儒家政治の倫理道徳は「鰥寡〔頼る人がいないやもめ〕孤独〔孤独者〕は誰もがその身を養う所がある」を為政者本来の義務とした。もう一方で、漢朝法家の末端統治もまた「国家は正義のない盗賊団」などという認識をもったことがなかった。 一神教がローマのように発展するのは中国では難しい。儒家思想は天理〔客観的道徳規範〕と人倫〔人の行動規範〕をカバーしている。したがって、儒家は「鬼神を敬してこれを遠ざく〔神霊を決して蔑ろにはしないが遠ざける。『論語』〕」態度をとり、人文と理性を立国の基本とし、中華文明を「宗教を基盤としない古代文明」にしたのである。あらゆる外来宗教は、中国伝来後に狂信性と排他性を脱ぎ捨て、国家の秩序と協調し共存しなければならなかった。ローマにキリスト教が入ってきたのと同じ時期、仏教が中国に伝来した。しかし、中国は仏教に対して、ローマがキリスト教に対してとったような軽はずみな態度―虐殺と弾圧で応えるかと思えば一転して全面的に受け入れる―をとらず、逆に「禅宗」を生み出したのである。 キリスト教の神の国は現世を離れても存在することができる。しかし、中国の天道〔天地自然の道理〕は現世において実現しなければ存在しないに等しい。儒家思想と国家意識は早くから一つに融合していたのである。儒家思想の浸透がベースにあって、中国化した宗教は例外なく「国家の価値」に深い共感を抱いた。道教には「天下太平に致る」という理想があった。仏教もまた、国家統治に優れた為政者の業績は高僧の功徳に勝るとも劣らないと考えた。哲学の分野ではどうだろうか。キリスト教以前のギリシャ哲学には個体の概念と同時に全体〔個体を超越して存在する普遍的な真〕の概念もあった。しかし、神の権威が一切を抑え込んだ中世の1000年間を経て、西洋哲学は「個人主義」と「反全体主義」に固執するようになった。中華文明はこのような「神の権威の抑圧」を経験したことがない。したがって、中国哲学には個への執着がなく、それよりも全体の秩序に多くの関心を注いだ。 西洋近代の政治思想に「国家を悪とみなす消極的自由」というものがある。遡れば、これは「神の国」と「地の国」を分離するキリスト教の考えに端を発する。キリスト教は「ローマ国家」を悪とみなした。しかし、宗教改革ではカトリック教会もまた悪とみなされ攻撃された。神以外は「衆生みな罪人」の俗世にあって、どんな組織であれそれが「人」の手によってつくられた以上、他者を導く資格をもたない。ロックは私有財産保護のための「小さな政府」を、ルソーは公共意識に基づく「社会契約政府」を、そしてアダム・スミスは「夜警」政府〔夜警国家〕を主張した。これらはすべて「国家の悪」に対する警戒から出たものだ。 他方、中華文明は「国家の善」を信用した。儒家は人間の本質は善でもあり悪でもあると信じたが、「賢を見ては斉しからんことを思い〔優れた人をみれば同じようになろうと思う。『論語』〕」さえすれば、いつでも自己変革を通じてよりよい国家をつくりあげることができると考えた。儒法並立を確立して以降の漢朝の隆盛は、当時の人々の記憶と憧憬を通じて「すばらしい国」をつくるという信念に変わり、歴代王朝によって後世へと引き継がれていったのである。 (脇屋克仁訳) (22)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P53。 (23)アウグスティヌス著、周士良訳『懺悔録』商務印書館、1996年、P40。 (24)アウグスティヌス著、周士良訳『懺悔録』商務印書館、1996年、P41。 (25)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P76~P77。 (26)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P144。 (27)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P201。 ※本記事は、「東西文明比較互鑑 秦―南北時代編」の「秦漢とローマ(6)宗教と国家」から転載したものです。 ■筆者プロフィール:潘 岳 1960年4月、江蘇省南京生まれ。歴史学博士。国務院僑務弁公室主任(大臣クラス)。中国共産党第17、19回全国代表大会代表、中国共産党第19期中央委員会候補委員。 著書:東西文明比較互鑑 秦―南北時代編 購入はこちら

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<日中100人 生の声>心の窓―李年古 日中ビジネスコンサルタント

「目が覚めたとき、朝と意外なことのどちらが先に来るのかは分からない」 このややウィットに富んだ言い方が非常に現実味を帯びることになったコロナ時代。1年以上の自粛生活をこなしてきた僕は、人生の生き方から細かい日常生活の営みまで、心理と行動の両面から思いもよらぬ変化を余儀なくされていた。 明日たとえコロナに感染したと告げられても悔いのないように、今日1日をどう生きていくべきか、繰り返し自分に問いかけた。その結果、意外にも心の余裕と迅速な行動が同時に身に付くという変化が生まれた。 かつては仕事に夢中で、燃え尽き症候群の一歩手前までいっていた。一息つくのも無駄だと思っていたのに、コロナのお陰で今では嘘のように暇な日々が続く。そこで書斎の本棚に何年も眠り続けている本を1冊ずつ読み始めた。滅多にない外出時には、体を引っ張るように足が勝手に図書館へ向かう。1年間溜まった図書館の貸出票を重ねると、買い物や外食の伝票よりも分厚かった。 また、ずっと書きたかった本や小説に、あえてパソコンを使わず手書きで取り組み始めた。しかも得意とする純文学系ではなく、ミステリー小説にチャレンジしてみた。と同時に、まったく新しいテーマの『育児と経営』という教育領域の本も書き上げた。 これまで、創作意欲が湧くたびに自分でそれを押し殺した。そんな贅沢なことを考える余裕があるなら、もっとまともに仕事しろと自分に命じてきた。しかし、コロナ禍のお陰で、自分を説得するハードルが一気に下がった――今やりたいことにチャレンジしないと、もう二度とこんな余裕のある日々は来ないぞ、と。また、ウイルスがこの世を狂わせた結果、人生の時間が圧縮され、「今ここで、すぐに始めよう」という考え方しか通用しなくなった。コロナの足音がドアの向こうに近づいてきたからには、「来年からスタートしよう」という甘い考え方は、もはや自分を騙すセリフにしかならない。 一方、デニス・メドウズ博士の言う「成長の限界」(1972年に発表した報告書による)が来たことを、大自然がウイルスを使って人類に警鐘を鳴らしていることに思い至り、僕も立ち止まって心の貧しさを反省する余裕が生まれた。世界が遮断され、人間の行動範囲が狭くなると、視野に入る数少ない物事の価値がかえって貴重な資源と見なされる。それをじっくり観察しながら、想像力を自由奔放に働かせて新しい意味を見つけ、それを自分の心を豊かにする栄養剤にしたいと思い始める。そうすると、日常生活の細やかなことが万華鏡のように光を放つことに初めて気づかされた。 このような体験は特に今年、日本から帰国した際の14日間に及ぶホテルでの「隔離」生活によって記憶に強く刻まれた。広州市内から少し離れたあるホテルでの生活を余儀なくされた僕にとって、外の世界は部屋の窓と同じサイズになった。1日24時間、その窓ガラス越しの日々の風景が僕の最大の楽しみだった。広州で隔離生活中に窓から見えた光景 繁華街とは無縁の裏道の一角で3棟の無造作に建つ雑居ビルは、いずれも長い歳月にさらされて錆び付いている。人影は少なく、窓際に立つたびに目に入ってくるものといえばせいぜい2、3の人と犬1匹。変化を求めて視点を変え、陽の光に注がれる洗濯物の数々を眺め始める。想像を膨らませると、これまでに気づかなかった色々な発見が僕を楽しませてくれる。 たとえば、朝早く起きて窓の外に洗濯物が万国旗のように高く掲げられた光景を目にすると、今日は1日快晴だと確信する。雨が降っても洗濯物が風に舞ったまま、夜更けまで誰にも相手にされないでいれば、家の主人は独身だろうと推測する。服の色やデザイン、サイズや性別、着古し具合などでそれぞれの家族構成がわかり、さらに目を凝らせば生活の情緒に満ち溢れていることが感じられる。 夕方になると、いつものように窓からスパイスのきいた牛肉の匂いが漂ってくる。僕の目は自然に窓の右下にいく。そこには中年の婦人と10代の子供が、屋台に乗せたかまどで鉄板焼きの牛肉を調理してから、ゆっくりと人力車を押して僕の見えない遠くへ消え去っていく。きっと、どこかのにぎやかな夜市で、幼い子供の呼び声にあわせてお母さんが熱々の串焼きを差し出し、夜市をぶらつく若いカップルに渡すのだろう。そして、僕は寝る前に窓の外のかすかな明かりで母子を乗せた人力車が帰ってきたかどうか確かめてから、安らかな眠りに落ちていく。 隔離生活が終わろうとしたある日、窓の傍に立つ僕の目は、友人が送ってきた記事に釘付けになった。8割を超える日本人が「中国が嫌い」だという調査結果を取り上げたものだった。 読むに耐えず僕は窓から外を眺めた。ある民家のベランダには、この日を境に洗濯物が一変し、突然ベビー服が干されるようになった。きっと新しい生命の誕生が告げられたのだろうと、この小さい発見に僕は抑えきれないほどの感動を覚えた。 一瞬、知識経営の生みの親・野中郁次郎氏の言葉が頭をよぎった。「現象学のキーポイントの一つは、『相互主観性』です。例えば、われわれは同じ絵を見ていても、1人ひとりが主観的に見るので、まったく同じものを捉えているわけではありません…」 ふと、僕は思った。もしも自粛中の日本人の「8割」が今ここで、僕と同じように窓に切り取られたこの風景、庶民の日常の営みを眺めたら、僕への共感が期待できるのではないだろうか。 ※本記事は、『和華』第31号「日中100人 生の声」から転載したものです。また掲載内容は発刊当時のものとなります。 ■筆者プロフィール:李年古(りねんこ) 日中ナレッジセンター(株)代表取締役。日中ビジネス研修の第一人者。23年間にわたり各大手企業で中国ビジネス研修を実施。著書に『中国人との交渉術』、『中国人の価値観』。『月刊中国ニュース』にて「中国人と信頼関係を構築するためのコミュニケーション技法」を4年間連載。作家として小説等を多数発表。中国の大型文芸雑誌『収穫』に中篇小説「東京時間」、文芸雑誌『作品』に短編小説「星のない夜に、爬行する蝸牛の姿しか見えない」など。

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PROJECT ATAMI、まち歩きがアート体験になる音声ガイドリリース。なんでもないものがアートに見えてくる、という試み。<ON THE TRIP>

株式会社ON THE TRIPは、PROJECT ATAMIと連携した熱海のまち歩き公式オーディオガイドを2022年2月にリリースしました。ON THE TRIPでは、「まち歩き」をまるで美術館、博物館をめぐるような、新しい観光が体験できるデジタルガイドを制作しています。なんでもないものがアートに見えてくる、という試み  熱海の街には「これなんですか?」と聞きたくなる不思議な物がたくさんある。雅なる物も俗なる物も。政治家から流れ者まで、色々な人たちが集まり、混ざりあってきた熱海には、その物語もまた色濃く残されているのだ。 そして、熱海には PROJECT ATAMI という、熱海の魅力をアートで再発見して目に見える形にしようという試みがある。アートの定義は人それぞれであるが、ぼくたち ON THE TRIP は熱海にすでにある物、しかし、その物語を知ることで「なんでもない物がアートに見えてくる」という体験をガイドしたいと思う。 ぼくたちが集めた物語はあくまで街の人たちから聞いた風説ならびに噂話。事実であるかは別にして、あなたが熱海の街を再発見する新たな手がかりとしてほしい。 熱海の全体像を俯瞰する 熱海を旅する前に、まずは熱海を一望してほしい。たとえば、ACAO SPA & RESORT から。すると、熱海の街が視界におさまるサイズ感であることがわかるはずだ。それから、熱海市観光協会のある道を地図上で川に沿ってさかのぼってみてほしい。スナック、旅館、ラブホテル、ラーメン屋、専門学校、見番、病院、スーパーと並び、多彩というより混濁をきわめた熱海らしい街並みが感じられる。 「熱海」の由来をさかのぼってみると、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、魚が焼け死ぬほどの熱湯になったことから。その真偽はさておき、古くから温泉地として発展してきた熱海には、江戸の徳川家や明治の政治家などの権力者、当時のアーティストである文人墨客が訪れるリゾート地であった。その後、日本が発展するにつれて一般人も押し寄せるようになった熱海だが、1923年、関東大震災による津波で壊滅的な被害を受ける。それから27年後には熱海大火によって再び被害を受けるも驚くべき速さで復興を遂げ、現在の街並みができあがる。 そんな熱海の街の性格として「金持ちのシムシティである」と表現した人がいる。明治になって西洋では牛肉を食べるらしいと聞けば牛鍋屋を作ったり、お忍びで訪れる人が多いからとこっそりホテルに行けるお忍び坂を作ったり。そうして、お金持ちの道楽ともいうべき要望に沿って街が作られていった側面がある。同時に、ワケありの人も熱海に行けば仕事が見つかるからと集まってアンダーグラウンドな文化を作りあげていく。そうして、さまざまな人が小さなエリアで密に混じりあい、しっちゃかめっちゃかになりながら走り続けてきたのが熱海の街なのだ。 下駄の音と喧嘩の音で夜も寝られないといわれるほど賑わっていた熱海だから、旅館も商店も儲かってしかたがない。かといって、狭い街で高級車を乗りまわしていたら「アイツは羽振りがいいぞ」と噂される。それを避けるために熱海の人は家の中に置けるアートにこっそりとお金を使う人が多かった。売れない画家が季節労働に来ることも多く、熱海は昔からアートの町だったと言えるのかもしれない。 たとえば、こんなエピソードがある──熱海のとある場所に犬の石像があるのだが、いつ誰が作ったのかわからなかった。そこで、本格的に調べてみようと腕まくりをしたところ、近所のおばちゃんから衝撃の一言。「うちのワンちゃんが可愛いから作ったの」。完全にプライベートに作ったものが、パブリックアート化していたのだ。 そして、現在。「熱海といえば花火大会」と人々は口をそろえる。フィナーレの「大空中ナイアガラ」は会場全体で打ち上げるスターマイン。それが、すり鉢のような熱海の地形とあわさって、スタジアムのような反響が生まれる。音の振動に打ち震えるのは全身だけではない。街中の高級車が揺れて防犯のイモビライザーが鳴り響くほど。 熱海を俯瞰できる場所というのは花火の特等席でもあるはずだ。もしかすると、今日も花火大会があるかもしれない。夜を待つあいだ、花火というクライマックスを迎える前に熱海の街を歩いてみよう。 オーディオガイドを作りたい施設や自治体を募集 ガイド制作を手がけたのは、国内の寺社や美術館、芸術祭などの公式オーディオガイドを手掛ける株式会社ONTHE TRIP( https://on-the-trip.com/ )。地図にマッピングされたスポットを、音声ガイドを聴きながら巡ることのできる、オーディオガイドアプリを制作しています。 日本語のほか、訪日観光客向けに英語、中国語にも対応しています。また今回のプロジェクトのように、街をアートに見立てる取り組みや、美術館との相性もよく、全国でガイドの取り組みを展開しています。 丹念に取材してつくられるガイドは、まるで映画や小説のように人の心を動かす作品。文化財やまちの歴史、その土地が持つ物語を楽しむことができます。ガイドを聴くことにより、訪れた場所への理解が深まり、旅の体験がふくらみます。 無料でオーディオガイドを制作する取り組みも実施中...

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日中文化交流公演 歌い語り「スーホの白い馬」 こころ…揺れる…開催のお知らせ

歌い語りとは、物語を歌と語り、ときにはお芝居も加えてお届けする舞台です。

今回は、モンゴルの民族楽器「馬頭琴」の由来にまつわる物語「スーホの白い馬」を元に、子供から大人まで楽しめる作品として脚本化し、主人公である羊飼いスーホと、彼が拾い育てた白い馬との、こころの交流を描きます。

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テーブル設置のハイボールタワーでセルフ飲み放題と町中華が楽しめる!大衆食堂「あまつ」 3月8日に大阪・お初天神にオープン

株式会社第一興商は、ハイボールのセルフ飲み放題と町中華が楽しめる新業態「あまつ」を大阪・お初天神に2022年3月8日にオープンします。 「あまつ」は、町中華と大衆食堂メニューが全卓設置のセルフで注ぐハイボールとともに楽しめるお店です。各テーブルに設置したセルフハイボールタワーは、60分550円からの価格設定で、お好きな量を存分に楽しめます。* 餃子をモチーフとした雲を形取った店舗のロゴマークは、 “天つ(あまつ)”にも登るおいしさを追求した証です。その自慢の“自家製焼き餃子”の餡は 、豚の粗挽き肉とキャベツ、白菜、長ネギ、ニラ、にんにく、しょうがを絶妙なバランスで配合、食材の食感を残しながらもジューシーな味わいを実現しました。最高品質の専用粉を使用した皮は、薄くてパリッと軽い食感で何個でも食べられます。餡にしっかりとした味が付いているので、まずはそのまま何も付けずにお召し上がり頂くことをおすすめいたします。そのほか、”四川青山椒香る中華そば”、“手作り焼売”、“黒酢の酢豚”など町中華ならではのメニューや、“タルタルポテサラ”、“焼売メンチ”、“ハムカツ”、“鶏刺し”など、大衆酒場で人気の小皿料理を取りそろえました。 また、土・日限定のランチでは、餃子、焼売メンチカツ、油淋鶏、麻婆豆冨をメインとしたボリューム満点のお得な定食をご用意しています。 エントランスは大きな暖簾で大衆感を出すことで、誰でも入りやすい雰囲気を作り上げました。食堂として、酒場として、飲む人も飲まない人も、昼から夜まで気軽にお立ち寄りください。 当社は、今後も顧客ニーズや立地特性に応じた魅力ある店舗づくりやサービスを展開し、顧客満足度を追求することで集客向上を目指します。 * 税込み/30分延長ごとに363円* お一人様につき、料理2品以上のご注文をお願いいたします。 ■メニュー一例 * 価格は全て税込【通常メニュー】 自家製焼き餃子(7個)495円香り髙いにんにくと野菜、挽き肉のバランスにこだわった餃子 四川青山椒香る中華そば 979円ほど良い四川青山椒がスープのうま味を引き出した、本格中華そば 手作り焼売 495円粗挽き肉に、筍、椎茸、キクラゲなどゴロゴロと具材感を残した手作り焼売 タルタルポテサラ 473円北海道産男爵の自然な甘さのポテトサラダに、ゆで玉子たっぷりのタルタルソースをプラス 黒酢の酢豚 759円タレには中国のたまりじょうゆを加えた特製酢豚 【土・日限定ランチメニュー】(11:30~15:00/LO.14:30) 餃子定食 650円ダブル餃子定食 990円* 写真はダブル餃子定食です 焼売メンチ定食(餃子付き) 900円自家製の焼売に生パン粉を付けて、サクサクでジューシーなメンチカツに 油淋鶏定食(餃子付き) 900円にんにくとしょうがが効いた特製の香味ダレをかけたスタミナ満点の油淋鶏 麻婆豆冨(餃子付き) 990円花椒と味わい深い豆鼓を使用辛みの中にもうま味を感じられる一品 ■あまつ 店舗概要 所在地  :大阪府大阪市北区曾根崎2-8-15電話番号 :06-6360-7300アクセス :地下鉄谷町線東梅田駅 徒歩2分/             ...

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ビクトリーブーケが東西文明の交流と融合を表現、北京冬季五輪の担当者語る

花は大自然が人類に与えた最も美しいものの一つであり、人類の生活と密接に関係し、独特の情感的機能を持って人類と共に発展してきた。花と五輪競技の組み合わせは、栄光の瞬間を見届けるだけでなく、平和へのあこがれも伝えている。