Author: kyoka

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コロナが緩和されれば、反グローバリゼーションの傾向は変わるのか?ー清華大学・汪暉教授

COVID-19の影響による反グローバリゼーションの傾向をどのようにお考えですか?清華大学中国語学科、歴史学科の汪暉教授がハイエンド対話プログラム「文化相対論」に出演した際にこのように回答されました。

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斉白石がダ・ヴィンチに出会ったとしたら、中国の写意彫刻はどのように輝くのか

――中国・美術館館長、著名彫刻家の呉為山氏にインタビュー 2017年、「孔子」のブロンズ像は正式にブラジルのクリチバ市の「中国広場」に「設置」された。2019年には彫刻『時空を超えた対話-――ダ・ヴィンチと斉白石』がイタリア芸術研究院で除幕、2021年、彫刻「神遇――孔子とソクラテスの対話」はギリシャ・アテネの古市跡に、彫刻「隠元禅師像」は日本の長崎・興福寺に永久安置された…  現在、中国美術館の館長、中国美術家協会の副主席を務める著名な彫刻家の呉為山氏は、この30年間で600以上の彫像を制作し、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ギリシャ、シンガポール、日本、韓国、デンマーク、ベルギーなどの国々で彼の作品が建てられている。いかに彫刻芸術と中華の美学精神を融合させ、世界に中華の「美」を伝えるか。呉為山氏はこのほど、中国新聞社の「東西問」の独占インタビューに応じた。 ここにインタビューの実録の要約を以下に示す: 中国新聞社記者:世界各地にあなたの彫刻作品があります。東西文化交流の観点から言えば、「ダ・ヴィンチと斉白石」、「孔子とソクラテス」が最も代表的です。この2組の彫刻作品はどのようなもので、何を伝えようとしているのでしょうか。 呉為山:彫刻『時空を超えた対話――ダ・ヴィンチと斉白石』のインスピレーションは、10数年前にイタリアのベネチアを訪れ、霧雨の中で船に乗っていた時、時空を超えた東西文化の代表者が人類文明の長い河の中で一緒に船に乗っているというアイデアが浮かんだとがきっかけで生まれました。この作品は、ヨーロッパ・ルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチと近現代中国画の巨匠斉白石の「出会い」を表現している。ダ・ヴィンチの写実と斉白石の写意は、それぞれ西洋と東洋の美的追求を表しており、中伊両国の時空を超えた文化芸術交流を意味しています。  彫刻ダ・ヴィンチの長い髪は滝のようで、指は空のようで、科学と理性への敬意を表現しています。斉白石は顔がやつれ、手が節杖をつき、控え目で自然体ですが、その杖は9万里を揺れ動く勢いがある。私の目には、杖は天と地を結ぶ1本の線であり、中国文化の宇宙観や芸術観を象徴し、東と西を結ぶシルクロードのように映る。ダ・ヴィンチと斉白石が生きた年代は数百年離れており、彼らの「対話」は時空を超えた交流です。  彫刻『神遇――孔子とソクラテスの対話』がギリシャ・アテネの古市に建てられた。ソクラテスは孔子と肩を並べて、堂々と意気軒昂と雄弁に語っている様子である。一方、孔子は温厚で、春の光を浴び、交手磬折の礼(古代中国の礼儀作法の一つ、へりくだって尊敬の意を表す。――訳者注)をしています。  ギリシャの文学巨匠・カザンツァキスの名言に、「ソクラテスと孔子は人間の二つの仮面であり、その下には人間の理性という同じ顔がある」という言葉がある。2体の彫像は東西文明発祥の地である古い国、中国とギリシャ間の偉大な思想の対話が春の風雨に似ていることを示しており、東西文化の交流・融合が新たな段階、新たなモデルに入ったことを象徴しています。 中国新聞社記者:秦の兵馬俑や敦煌・莫高窟などを代表とする中国の彫刻と、ダビデやビーナスを代表とする西洋の彫刻との類似点と相違点をどのように考えていますか。また、どのような文化的、芸術的差異を現わしているのでしょうか。 呉為山:原始期、中国の紅山、磁山文化などはすべて高度な写意性を体現して、この写意は生命の自然状態に対する直感的な表現;先秦三代期、商周の青銅器と四川広漢の三星堆青銅雕刻を代表とする写意は、東方式神秘主義の色彩の魅惑と抽象性に満ちあふれています;漢代の雕刻イメージは中国古代雕刻の中で最も強烈で鮮明な芸術言語を代表し、西洋の写実的な雕刻体系と呼応するもう一つの審美体系、創作体系と価値体系です。  漢代に仏教が中国に伝わり、石像を彫ることが重要な芸術となりました。当時の仏教芸術はインドのガンダーラ芸術の影響を受け、ガンダーラ芸術はギリシャ芸術の影響を受けていました。仏教と中国文化の融合の過程で、中国の仏教芸術は次第に中国らしい様相を呈してきました。例えば、敦煌の壁画の中の飛天、龍門、雲岡石窟の中の菩薩、天王、力士の造像などは、形式、イメージ、題材、表現手法を問わず、文明の交わりを十分に現わしています。  全体的に言えば、東洋芸術はイメージ性、写意性を持っており、それは「意」を出発点として芸術イメージを形成する。西洋芸術、特に西洋古典芸術は明らかな理性的特質と科学的態度を持っている。例えば、ダビデの彫刻は、ミケランジェロがダビデを石から解放しようとしているような感じで、人文主義的な意識の強さが作品によく表れています。  中国の彫刻の発展を振り返ると、その精神的な内包は政治、宗教、哲学の影響を受け、その造形は絵画の影響を受け、そして、イメージ、抽象、写意、写実の諸方面で道、慧、美を示し、西洋の伝統と全く異なる独特な価値を持っています。私たちは中国の雕刻が博物館、石窟、墓道だけに存在していることに満足することはできません。現在と未来に影響を与える絶倫の極意、超越の意志、高尚な領域として抽出しなければなりません。これは中華独特の趣を保ち、民族の伝統を発揚するだけでなく、人類の文化生態の多様な発展を促進するためでもあります。 中国新聞社記者:写意は中国人の伝統的な美的感覚であり、彫刻はこれまで写実的で有名だったが、両者はどうすればこの二つが融合して素晴らしい芸術を生み出すことができるのだろうか。中西文化の精神を、どのように作品づくりに取り入れ、活かしていますか。 呉為山:私の家族は文化的な雰囲気が強くて、目で見て、耳で聞いて、影響を受けてきました。わたしの祖先に詩文、書道を研究する優れた学者がいて、私は小さい時から書道と縁があり、大人になってからも書道と雕刻を類推して、共通点を見つけて互いにも融和させてきました。書道は文字をもとにして、それ自体が抽象的な絵画であり、彫刻が外にイメージを持ち、内に構造を持つように、文字が具象から抽象へと発展していくものです。  グローバル化の時代背景の下で、中国の美術家は支点を見つけてこそ、世界の芸術史の図の中で文化的座標を立てることができます。私は中華の美学精神、中国の伝統的な彫刻芸術を研究した上で、写意彫刻の概念を提唱し、長年にわたり写意彫刻を創作、伝播、提唱してきました。写意雕刻の「意」は、中華文化の「意」であり、形によって「神」を書き、形と神を兼ね備えています。写意彫刻も西洋写実主義の精華を吸収し、20世紀以来の西洋視覚芸術革命の中で確立された芸術の新しい様式を参考にしています。古今東西を融和し、芸術ジャンルの壁を打ち破ることを意図しており、世界に進出するだけでなく、世界と対話する開放的かつ内包的な文化概念です。 中国新聞社記者:孔子、老子、李白から費孝通、季羨林、楊振寧などまで、「中華歴史文化有名人」シリーズの彫刻の探求に力を注いでいる。中国の歴史的文化的著名人を彫刻刀で生み出すことは、中国文化の「海外進出」をどのように後押ししているのでしょうか。 呉為山:1995年に私は費孝通先生のために1体の頭像を作りました。費先生は私に一幅の題字を書いてくださいました。「その精神を得ることはその容貌を得ることに勝る」と。「彫刻というものはね、精神を捕まえるんだ」と教えてくださり、これは私に大きな啓示を与え、目に見えない、本に書かれ、口承で伝えられてきた民族の歴史を目に見えるイメージで示し、一つ一つの彫刻が時代の精神を反映できるようにするという理想を確固たるものにしてくださいました。  実際、孔子や老子がどのような顔をしているかについては、これまで実際の画像や文献資料は発見されておらず、伝えられている画像も後世の人々の想像にすぎません。これらの聖哲像制作のための最良の方法は「精神」から手をつけることです。「精神」とは、世代の精神的な姿を指す。孔子、蘇東坡、魯迅はすべて私たちのこの時代の知識人と異なる特徴があって、これは時代の精神が具体的な個人の上に反映されたものです。文化的伝統の中から彼らの「神」を見つけることは、近道であると同時に必要な道でもあります。しかし、中国の精神は単純に長袍や馬褂(長袍や馬褂は清末・民国初期によく着用された男性の私服である。――訳者注)のような彫刻を作るのではなく、彫刻者自身が伝統文化の教養を身につけなければならない。心の奥底からの文化的な自信こそが、より民族的で個性的で風采のある芸術を創造することができます。  中国文化の「海外進出」には、芸術の具体的な形式と文化の媒体を通じて伝播し、世界に中国文化を伝播する効果的なルートを模索しなければなりません。2018年、中国美術館はBRICS諸国美術館連盟、シルクロード国際美術館連盟を相次いで設立し、メカニズムの面から文化交流の確保に努めています。  同時に、中国文化の「海外進出」は伝統文化だけに限られてはならず、時代との同期を堅持し、文化上の革新がなければなりません。古典の評定作業をしっかりと行い、中国の5千年以上の歴史を真に代表する古典を選出しなければなりません。「中国の精神、中国の気風、時代の風格、国際的視野」という文字は、今の芸術関係者が創作上求めていることに合致しています。 中国新聞社:「美」を伝えるという観点から、東洋文明と西洋文明の交流をどのように見ていますか。 呉為山:感情の融和、思想の相互作用、価値の共感、すべて文化交流が必要で、文化交流の本質は心と心の交流です。「美」で世界に中国の声を伝え、相互尊重の中で対話方式で中国文化の「海外進出」を中国文化に「来てもらう」ようにし、その独特な価値を世界に共有し、運命共同体を構築する過程で中国文化の影響力を生成しなければなりません。  新型コロナウイルスによる肺炎の流行期間中、中国美術館は世界の多くの博物館や美術館にお見舞いのメッセージを送ったが、返ってきた返事も同様に温かったです。この世界的な感染症の中で、すべての人が一葉の小舟に身を寄せ、互いに理解し、協力し合う義務があることを、皆は申し合わせたように認識しています。  文明間の対話は、さまざまな視聴者の文化的伝統、価値観の方向性、異なる聴衆の受容心理を深く研究し、地域に応じて適切に対応し、他力本願で適切に対応しなければなりません。これは双方向の価値観の交流であり、人類文明の進歩と世界の平和的発展を推進する重要な原動力でもあります。私は文化交流の本質は、1つの顔、1つの心、1つの魂にあると思います。1つの顔とは、民族、国家の文化的特徴をいう;一つの心は、お互いに素直で真摯で温厚な心;一つの魂は、共に世界平和を大切にし、守る魂です。私たちが顔を突き合わせ、心を一つにすれば、魂が寄り添い、脈がつながり、人類運命共同体を構築する過程の中で互いに助け合い、手を携えて前進することができます。(完) プロフィール  呉為山は、全国政治協商会議常務委員、中国美術館館長、国際的に有名な彫刻家、フランス芸術院通信院士。文系二級教授、清華大学、南京大学、中国芸術研究院博士課程指導教官、北京大学-中国美術館ポストドクター科学研究ワークステーション主任指導教官であり、国務院(日本の内閣に相当。――訳者注)の政府特殊手当を受けている。「写意彫刻論」の生みの親で、10冊以上の専門書を出版し、多くの言語に翻訳されている。600点近くの作品を創作し、世界の多くの国々の博物館や広場に展示されている。彫刻の個展は中国国家博物館、国連本部、イタリア国立博物館、英国王立美術院、フランス、日本、韓国など国内外の重要な博物館、美術館を巡回・展示されてきた。南京博物院に「呉為山彫刻館」、韓国に「呉為山彫刻公園」が設置されている。 (翻訳:華僑大学外国語学院 胡連成)

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中国民間説唱芸術の「生きた文化」に心動かされて―大阪音楽大学教授・井口淳子氏インタビュー

中国と諸外国との交流のなかでは、経済・社会の全面的な発展が人々の幅広い関心を呼ぶのみならず、豊かで多元的な中華の伝統文化もますます注目を集めている。日本の民族音楽学者・大阪音楽大学教授の井口淳子氏は、中国の民間説唱芸術に長期にわたって関心を注いでいる外国人研究者である。 記者:中国の民間説唱〔語り物〕芸術という「ニッチ」な分野に、どんなきっかけで興味を持ったのですか? 井口:1987年、大阪大学の民族音楽学専攻の大学院生だったとき、中国には300種以上の地方大衆演芸のジャンルがあるのに、日本ではたった数種類の古典説唱芸術しかないことを知りました。こうした多くのジャンルはどのように発展してきたのか? それぞれどんな特徴と共通点があるのか? 私はたちまち多くの疑問を持ちました。  中国の民間説唱芸術の研究のため、1988~95年の間に中国で通算5回のフィールドワークをおこないました。河北省の楽亭県・灤南県に伝わる「楽亭大鼓」〔「大鼓」は演者がカスタネットと小太鼓を打ち、三弦の演奏に合わせて歌う演芸〕という説唱ジャンルを研究対象とし、説唱を含む農村の口承文化を探求しました。1993~94年にかけては、北京を本拠地として9カ月の文献資料調査をおこないました。  私は『中国北方農村の口承文化 ―― 語り物の書・テキスト・パフォーマンス』〔日本語版は1999年、風響社〕のなかで、楽亭大鼓の長篇歌詞「淌水」に詳細な分析をおこないました。「生きた芸術」という点でいえば、この「淌水」とよばれる、演唱者の自由なアレンジを取り入れたテキストには、固定的な部分と流動的な部分の区別が明確にあります。 記者:中国の民間説唱文化の「生きた」面とはどういったことを指すのでしょうか? 井口:上演の場は都会的な雰囲気のある演芸場か農村の広場か、公演は1日限りか何日も続くのか、聴衆はどのような人々か、現場の反応はどうか。こういった様々な要素に応じて、語り手の最終的な表現が大きく変わる、という部分です。 記者:長年の中国でのフィールドワークを通して、もっとも心に残ったのはどんなことですか? 井口:中国の農村には、生活経験が豊富で極めて才能や情感が豊かな「作家」が数多くいて、それぞれの人の経歴が力強い表現をもたらします。たとえば私がフィールドワークの期間に出会った張建国(ジャン・ジエングオ)さん(1939~2018年)は、楽亭県の影絵芝居・大鼓・評劇〔華北や東北地方で行われる地方劇〕という3つの民間芸術に精通するのみならず、自ら脚本を創作していました。  また、中国農村で調査研究をはじめた当初は修士課程の大学院生だったため、手元にあまり資金がなく、取材先の人々に対して何か具体的な謝礼をするというまでには至りませんでした。ところが現地の農民の皆さんは、私たちのために一切を整えて下さったのです。日本に戻ってから、自分が当時調査をした河北省東部地域は、戦争中に日本からの深刻な被害を受けたことを知りました。 記者:中国と日本の民間口承文化には、どんな違いがありますか。 井口:日本の口承文化と比べて、中国各地には方言によって様々な大衆演芸のジャンルがあり、言葉と音楽が強く結びついています。中国の民間説唱の題目も常に新しく創作されています。日本では古典作品を尊重しすぎる雰囲気が社会にあるため、新たな脚本が生まれにくいのです。 記者:歴史上の中日両国の音楽交流と、それが文化の往来に与えた影響をどう評価されますか。 井口:中日間の文化交流は、まず中華文化が日本に伝わり、日本では影響を受けると同時に本土化が進みました。古琴の楽譜を例に取ると、日本はまるで中国文物の保管倉庫のようなものです。古い楽譜や正倉院の楽器などをいまでも見ることができ、伝統音楽の交流は両国の往来の重要な一部となっています。今後、より多くの中国人が日本の音楽を、より多くの日本人が中国の音楽を研究することを心から期待しています。 記者:2022年は、中日国交正常化50周年です。 ご自身の研究を出発点として、両国の民間文化交流について感じておられることをお話いただけますか? 井口:民間交流レベルで、「等身大」の相手を知ることがとても重要だと思います。私の新刊『送別の餃子――中国・都市と農村の肖像画』(2021年、京都・灯光舎)では、中国での30年にわたる フィールドワークで出会った忘れがたい人々のことを書き、河北・寧波・厦門・湖南など各地の人々との出会いと別れについて綴りました。 民間交流の強化、相互理解の深化を続けていくことは、両国が人と人との友情を深め、より良い未来に向かう助けになると考えています。 【プロフィール】 井口淳子(いぐちじゅんこ)大阪音楽大学音楽学部教授(音楽学・民族音楽学 )、文学博士、大阪大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。主な研究テーマに「中国音楽・芸能研究」「近代アジア洋楽史」がある。主要著作:『中国北方農村の口承文化――語り物の書・テキスト・パフォーマン ス 』(1999年 、 風響社)、『上海租界与蘭心大戯院――東西芸術融合交匯的劇場空間』(2015年、上海人民出版社)『亡命者たちの上海楽 団――租界の音楽とバレエ』(2019年、音楽之友社)、『送別の餃子――中国・都市と農村の肖像画』(2021年、京都・灯光舎)。 中国新聞社・記者/高凱 翻訳/舩山明音

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東西の文化に学んで医学の発展を追求する―初の西洋医学・中国医学のダブル博士マリ出身の中医師ディアッラ氏に聞く

外国人として、中国医学とその中に秘められた中国文化に魅せられて中国に留学。博士課程まで進んだのみならず、中国にとどまって医者になった。行く手を阻んだのは、方言を聞き取り医学書の古文を学ぶ難しさだけではない。最大の悩みは、自分の診察を受けに来る人がいるのだろうか?ということだった。  ディアッラ氏は現在、成都のある中国医学の病院で診察をおこなっている。黒い肌が際立つ白衣、その内側には中国風の青いシャツ。眼差しには力がこもり生き生きとしている。患者が中国医学の診療を受けるさいの恐れを払拭しようと、なめらかな四川方言で巧みに冗談を飛ばしてみせる。その医徳〔医師としての道徳〕と技術が信頼され、病院の狭い廊下には、その名を慕ってやってきた患者たちが列をなしている。  文化と国の境を飛び越え、ディアッラは自らの「中国医学の夢」を叶えただけでなく、中医学が世界に広がる手助けもしている。このほど、初の西洋医学・中国医学のダブル博士であるこの医師が独占インタビューに応じてくれた。ディアッラからみれば、中医薬は中華民族の文化の一部であり、優れた伝統文化は世界の財産として、全世界で共有し享受する価値がある。そして唐代の医薬学者・孫思邈(そんしばく)が『大医精誠』(中国医学の典籍の中で医徳を論ずる重要な文献)で述べているように、医者たる者は洋の東西を問わず、患者に「分け隔てなく、みな自分の身内を思うように接する」べきだと考えている。 記者:マリでは医者の家系に生まれたそうですね。1984年に中国に来て西洋医学を学んだ後、なぜ中国医学に進路変更を? ディアッラ:その年、ヨーロッパへの留学の機会を捨て、西洋医学を学ぶため中国に来て一般外科を専門にしました。ところが間もなく、中国に来たのに、なぜ本場の中国医学を勉強しないのかと思い至ったのです。いきなり考えを変えたので、多くの人に反対されました。第1に当時の私は中国医学のことをよく知らなかったし、第2に私を含めて多くの外国人は、中国のことも理解していませんでした。でもある出来事によって、私は中国医学に夢中になったのです。  あるクラスメイトがサッカーで足を捻挫し、 とても痛がっていました。学校の医師が鍼灸をすると、すぐに立ち上がれるようになり、一緒に寮に戻りました。そのとき、これぞ中国医学だ!と大いに神秘的な感覚に打たれました。  その後、まず広州中医学院〔現在の広州中医薬大学〕の本科・修士課程で学び、続いて成都中医薬大学で博士課程に進みました。そのまま1997年に博士課程を修了し、中国医学の博士号を取得した最初の外国人となりました。 記者:西洋医学と中国医学は、どこが違いますか? ディアッラ:私が幸運だったのは、西洋医学を学んでから中国医学も学んだことです。この2つの医学はどちらも人類の健康のために貢献しており、それは不滅のものです。 「中国医学はいいのか、信じられるのか」と聞く人がいます。答えは簡単で、もし中国医学がだめなものなら、中華民族5000年の歴史はどうやっていままで続いてきたのでしょうか。西洋医学が中国に伝わって200年にもなりません。マリの人々が、ヨーロッパの人間が来るまでマリの伝統医学だけを信じていたのとよく似ています。  自然界で生きる古人は病気との闘いを通じて一連の予防・治療法を導きだしました。中国医学はその上に築かれたものです。人体は1つの有機的な全体であって部分ではなく、さらに自然界の天地・陰陽と結びついたものだと考えられています。一方、西洋医学はこれと違って別々に考えます。例えばなぜ発熱するかを考えるなら、細菌なのかウイルスなのか、A型なのかC型なのかと具体的な原因を探ってから排除するのです。中国医学が治すのは人であり、全体です。西洋医学が治すのは人に起こった病気です。両者は学び合い、長所を補い合って、お互いに強め合うべきです。 記者:中国医学を勉強するなかで、どんな困難を克服しましたか? ディアッラ:1人の外国人として、当時の最大の困難は言葉でした。まず中国語を1年半学び、すぐに中国のクラスメイトたちと一緒に授業を受けたので、その難しさは相当なものでした。当時、クラスには8人の留学生がいましたが、言葉のハードルを越えられず、学年が進むと2人しか残っていませんでした。  方言の聞き取りと医古文の学習はさらに難しいことでした。まず北京で普通話を勉強してから広州で授業を受けましたが、先生はみな広東人で、広東語で外国人に『黄帝内経』を教えるので、1年目は全く聞き取れません。それから『古代漢語詞典』と『新華字典』を手元に置き、調べながら暗誦して、さらにクラスメイトや先生の助けも得て、どうにか乗り越えたのです。  このほか、中国の患者とのコミュニケーションの問題もありました。黒い肌の外国人が中国医学を勉強していても、患者はやって来るでしょうか? 私が患者の信頼を得るためには、他の人より努力を重ね、広東語や四川語などの方言を理解し、なんとか患者と意思の疎通をはからなければなりません。これは至難のことでした。 記者:中国医学は陰陽五行を理論的基礎として、人体を「気・形・神」の統一体だと考えています。中国医学の背後に隠された中国文化をどのようにみていますか? ディアッラ:中医薬の文化は、中国人が生命・健康・病気に対して独自に持っている知恵の結晶と実践がまとまったものです。認知・思考の方法、死生観、健康の理念、医者と患者の関係、診察方法、養生の方法、生活様式、薬物の処方・運用システムなどの知識体系と、医療 サービス体系が含まれます。それは「天地一体、天人合一、天地人知、和して同ぜず」の思想を基礎とし、無数の人々を担い手とする臨床治療経験を数千年にわたって積み重ねることで発展してきた医療科学です。例えば神農〔医薬と農業を司る神〕は百草を試して、自らの体を数百の薬草の実験台としたからこそ、これらの薬の作用を知ることができたのであって、動物で実験してから人間に用いたのではありません。 このように、中国医学は中華民族の認識方法と価値観の方向性を深く体現し、その豊かな文化的エッセンスを含んでいるのです。  中国医学は中華民族の文化的精神を豊かにしており、中華文化の一部分であり、中華民族の生命・健康・病気に対する考え方を表しています。中国医学を理解すれば、中華民族の文化をよりよく理解でき、この両者は相互に通じ合うものです。 記者:現在、地球規模でコロナ禍にある中で、中国医学は独自の役割を果たしています。中国医学によるコロナ対策は、西側世界で具体的にどのように実践されていますか? ディアッラ:世界的なコロナ流行は突然現れたため、我々はコロナのことをよく知らず、経験もありませんでした。コロナが流行し始めたばかりのころ、マリの駐中国大使館から私に電話があり、中国医学を非常に信頼しているので、何か手立てはないかと尋ねられました。  私はこう答えました。この病気の原因はわかりませんが、中国医学は病人でなく現象を、すなわち臨床像に注目するので、相応しい弁証論治(中国医学の疾病認識・治療の基本原則)の方法を探り当てて治療できます。歴史上の伝染病には治療に成功した非常に多くのケースがあるのと同様に、私は中国医学には手立てがあると信じています、と。このほか、私の博士課程修了後のテーマは中医薬による鳥インフルエンザA(H7N9)の治療です。中医薬は扶正袪邪〔正気を養い、邪気を除くこと〕ができ、人間の体がウイルスを含む外来の邪気に抵抗する助けとなります。  後に我々が確かに目にしてきたように、中医薬はコロナの治療に介入した後、非常に優れた役割を果たし、高い総有効率〔中医薬臨床研究における複合的効果指標〕を表しています。また中医薬の介入後は、症状を効果的に和らげ、重症化を減らし、治癒率を高め、死亡率を低下させることが可能です。  中国はすでに世界保健機関〔WHO〕に対し、中医薬がコロナ対策において果たす役割について報告しています。我々はまた、世界中医薬学会聯合会のリードのもと、世界中の医師とビデオ会議を頻繁に開催し、中医薬のコロナ予防効果について紹介しています。  中国医学に携わる者は、西側の人々にこういった成果について理解を求めるべきです。必ずしも同意は得られないかもしれませんが、中医薬のコロナ対策における実例は否定できないものです。 記者:初めての外国籍の中国医学博士として、現在中国で医療現場に立つと同時に、中国医学が世界に広がる手助けもされています。医療に国境はなく、東西を分ける必要もないと考えますか? ディアッラ:『大医精誠』に次のような言葉があります。およそ大医〔第一級の医者〕が病を治療するには、精神を安らかにして志を定め、何事も欲したり求めたりせず、まず大いなる慈悲惻隠の心を持って、あまねく人類の苦しみを救うことを誓うべきである。もし病に苦しんで助けを求めて来る者があれば、その貴賤や貧富、長幼や美醜、敵味方や親疎、華夷や愚智を問わず、分け隔てなく、みな自分の身内を思うように接するべきである、と。  中国の古人が数百年前に早くもこのような理念を持っていたのは、非常に尊いことです。それぞれの医者はみな『大医精誠』に述べられているように、患者に「分け隔てなく、みな自分の身内を思うように接するべき」です。1人の医者として、自らの存在価値を社会に示すことができるとしたら、それは学んだことを使って人々に奉仕するということです。わたしはこれを自身の当然の責務としなければなりません。 【プロフィール】 ディアッラ(Diarra Boubacar...

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中国が開発に注力するハイブリッドイネとはどのようなものか―国際的普及についても解説

2021年5月に他界した袁隆平氏は、中国で極めて尊敬されている農学者だ。袁氏が中国や世界の食糧問題を解決するために開発と普及に心血を注いだハイブリッドイネとは、どのようなものだろうか。

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東西文明と科学技術の発展は、SF作品の価値観にどのように影響を与えるのか

近年、中国本土のSF作品の創作が盛んになるにつれ、ますます多くの中国文化独自の価値観が表現されるようになった。歴史的角度から見れば、文明と科学技術の発展は、確実に東洋・西洋双方でのSF創作に深く、かつそれぞれ異なる影響を与えたといえる。