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日中共同制作・新型コロナとの戦いの歌『小さな祈り』

日本語版新型コロナとの戦いの歌「小さな祈り」 中国語版新型コロナとの戦いの歌「定能挺過去」 英語版新型コロナとの戦いの歌「Love Will Win Again」 https://www.youtube.com/watch?v=z3OXww6b4AY「小さな祈り」伴奏音频:00:00/04:26 『小さな祈り』は日中両国の民間人によって共同製作された、コロナに打ち勝つことを願う歌である。遠藤英湖氏は曲の監修者であり、その文章『海を越えて届け合う『小さな祈り』 ~コロナ禍における微信時代の日中交流』は『日本帰僑聯誼会二十年暦程(2001-2021)』に収録されている。 遠藤英湖氏は日本慶應義塾大学を卒業し、北京語言大学への留学を経て、中国語に精通し、現在は『東方時報』、『東方新報』などの記者を勤めている。『小さな祈り』の製作過程に於いては多くの仕事をこなし、上記の文章においては曲を世に出すにあたって、その前後の経過を細かく記している。同じ音楽であっても、中国語版の歌《定能挺過去》は写実に重きを置き、コロナ対策における具体的な事柄が表現された。一方で、『小さな祈り』は趣を大切にし、含みと美意識を持たせた描き方がなされている。遠藤氏のこの観点を私は度々講座の中で紹介してきた。 『小さな祈り』は日中の民間人が非常時において困難に打ち勝ち、共同で制作した芸術作品であり、また、日中の文化の差異を表す具体的な教材でもある。より多くの日本の読者、あるいは日本語を理解する中国の読者がこの文章を一読することを期待する。 遠藤英湖(えんどう えいこ) 海を越えて届け合う『小さな祈り』~コロナ禍における微信時代の日中交流 遠藤英湖 「創造的な活動によって、人は自分自身に新しい命を授ける」とはポーランドの音楽家・パデレフスキーの言葉である。生命を燃焼しながら生まれたそのような作品は、同時に人々の心を潤し、勇気づけるものであると信ずる。 それは、昨年2月、一本の電話から始まった。 「遠藤さん、今『小さな祈り』という日本語の新曲をやっているところですけど、発音を直して頂けませんか?」 十数年来の友人、日中両国で活躍する歌手のユウ燕(潘幽燕)さんからのお願いだった。 「もちろん、いいですよ。喜んで!」 気軽に引き受けたが、その後、いつの間にかどっぷりと浸かってしまったのである。 『小さな祈り』はコロナウイルスが中国で猛威を振るう中、西安交通大学日本語科教授の金中さんが作詞、同大学の人文学院博士課程で音楽哲学を研究する張珊さんが作曲し、音楽プロデューサーの蕭晨さんが編曲した『定能挺過去』(「きっと乗り越えられる」の意)がもととなっている。中国国民が新型コロナと戦う決意を歌ったこの歌は、発表後、中国教育テレビの特別番組にもなる等、国内外で高い評価を受けた。 この歌に深く共鳴した日本の著名な作詞家・青山紳一郎さんは同じメロディを用い、元の歌詞の「心」を汲み取り、日本人の感覚で新しく創作。そして生まれたのが日本語歌詞の『小さな祈り(中国語訳:小小的祈祷)』である。 現在上海で教鞭を執っているユウ燕さんは当時ニューヨークに滞在しており、英語版の歌い手・楊飛飛さんの協力を得て、深い思いを込め『小さな祈り』を録音。ユウ燕さんの友人たち――プロの写真家の丁信誠さんは北海道の風景を用いた音楽ビデオを制作、音響の専門家である張琦さんは調音処理、そして私は主に日本語の面からお手伝いをした。 上海に戻ったユウ燕さんは2週間の隔離を経てスタジオで正式に録音し、西安唐煌文化芸術創作有限公司の社長・厳河さんが日中両国の人々や風景を織り交ぜた新版の音楽ビデオを制作。このようにして、西安、上海、東京、ニューヨーク間で海を越え、毎日微信(WeChat)でのやりとりをしながら進めてきた日中両国芸術家の共同作品がついに完成。西安交通大学と中日詩歌研究所が出品する「日本語版・新型コロナとの戦いの歌『小さな祈り』」の音楽ビデオとして世に出たのである。このシリーズは中国語、日本語、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、スペイン語(コロンビア)、ヒンディー語、タイ語、ウズベク語の12言語版として完結した。 私は初版のビデオでは主に発音や字幕、新版では発音その他音響関係の監修に関わった。直接会えないため、ユウ燕さんから微信で送られてきた録音を聴き、微信の電話で口の形や日本語のリズム、イントネーションなどを説明しながら発音を直し、また録音するという作業を繰り返した。特に苦労したのは新版。コロナ禍の中、使えるスタジオは限られており、やっと借りることができた設備は古く、なぜか録音の度に直していない箇所がおかしくなってしまう。音程がずれたり、リズムが変わったり、雑音が入ったりで、モグラたたきのよう。一つ一つ根気よく修正していった。そのような事情で音源を600回以上聴き、数十回録音を重ねることとなったのである。テレサ・テンの遠縁であるユウ燕さんの柔らかな美声は人々の心を癒し大きな安心感を与える。日本人とわずかに違う発音のゆらぎが大きな魅力でもあるので、あえて100パーセントは直さないよう心がけた。 皆ボランティアで強い使命感から制作に携わったが、私自身、寝ても覚めても『小さな祈り』。いつ次の連絡が来てもすぐ作業にかかれるよう、片時もスマホを手放せない。微信でのやりとりのリレーをしながら四六時中メロディが頭の中でグルグルしていた。自分自身が感動してはじめて、人の心を動かすことができる。歌が度々心の琴線に触れ、時には涙しながら深夜に作業することもあった。歌唱部分の録音ができ、伴奏をつけ、映像を合わせ、最後に字幕などを入れて完成するという作業を目の当たりにするのは人生で初めて。まるで洋服を着重ねていくような感覚にワクワクした。日本語版の音楽ビデオが完成してしばらくは、安堵と達成感から燃え尽き症候群になった。ひと時でも、身近に迫ってくるコロナの不安を忘れられるほど没頭し、形に残るプロジェクトに参加できたこと――。思い出す度に感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。 今回、日中両国の感覚の違いを発見できたことも大きな収穫だった。たとえば、中国語版の方は「国民が一致団結して国難を皆で乗り越えていこう」という中華民族の強い意志を感じさせるもので、歌詞には「春節」「軍衣」「祖国」など中国らしさを感ずる言葉も多々あった。映像も、軍隊の出動、感染者数のデータ、火神山・雷神山医院を10日間で建設する様子、防護服の医療スタッフが患者さんを懸命に治療する姿など、コロナと直接関係のある具体的なものがほとんどだった。後世にこのビデオを見た人がコロナ禍の中国人の心情を中国人の立場から理解できる貴重な資料にもなるのではないだろうか。 一方で、日本語版の柔らかい歌詞は行間が多く、東洋画の余白のように自由に個人の想像や心情を重ね合わせることができる。たとえば、私の脳裏に浮かんできたのは、病気や仕事上の困難と闘う人、新しいことにチャレンジする人、そのような人を温かく応援する人、また、異なる国に住む友人たちの友情、日中友好、世界平和等等。コロナの時期に限定されない普遍性を感じた。さらに、自然は克服したり挑戦したりするものではなく「共生するもの」であるという日本人の自然観、災害や困難の状況を具体的には表現せず、しかし「言わなくても心の中ではわかっている」という日本文化の特質も感ずることができた。思えば、東日本大震災後につくられた『花は咲く』にも、地震や津波といった言葉はまったく出てこない。わざわざ言わなくても日本人は皆わかっているのである。 この日本的「察し」の文化について、金中さんと微信で深く意見交換し合ったことも印象深い思い出である。中国語版の映像は皆が頑張っている姿を最大限に映しており、それは事実ではあるが、日本人が見たらせっかくの歌も最後まで聴いてもらえないのではないだろうか。医療スタッフの命がけの姿は日々のニュースで知っているので、ビデオでさらに見せられたら辛くなり、それこそ「もういいです」となってしまうのではないか、ということである。実際私が初めて見た時、途中からしんどくなり、最後まで見るのがやっとだった。私の感想を聞いた金中さんは「中国人はこういう写実的な映像にこそ感動するんですよ」と驚き、それを聞いた私はまた逆にびっくりしてしまったのである。 完成した新版の『小さな祈り』ビデオには、軍人も病院も防護服も登場しない。横たわって病院の廊下を移動している患者さんの目線から、看護師さんの手と点滴バッグ、そして、動いて見える天井のライトが数秒間だけ映っていた。たったこれだけで、懸命に治療する姿が十分伝わり、静かな感動が沸いてくる。それ以外は、桜や海を渡る鳥、日中の長い交流の歴史を思い起こさせる空海記念碑やコロナ禍で話題となった「山川異域、風月同天(山河は違えど、同じ風が吹き、同じ月を見る)」の書、少女が祈りを捧げる映像など。日本人好みのビデオに仕上がっていたのである。 「日本語版の映像は遠藤さんの意見を反映してできたんですよ」 金中さんが私の提案を厳河さんに一生懸命伝えて下さったことを後から知った。日本人の感覚をしっかりと汲み取り、丁寧に真摯に具体化して下さったお二人の心がとても嬉しかった。 同じ曲でも、環境や国情が異なると、視聴者が感動する歌詞や映像はこれほど異なる。しかし、それぞれの文化に合う音楽ビデオの異なる特性は、互いを補完しあい、その素晴らしさを引き立て合っている。これは国と国との関係にも言えることではないだろうか。 このような私とのやりとりのエピソードを、比較文化の観点から金中さんが大学の授業や書店での市民講座で毎回話して下さっているとのこと。日中相互理解のヒントの一つとなったら幸いである。 文化や表現の仕方が異なっても、人を思う心、平穏を取り戻したい心は誰もが同じである。金中さんは「新型コロナが世界に蔓延する中、同じメロディによる多国語の歌声を通して世界の人々が一つになる…。この歌が人々を勇気づけ、心の癒しと希望になることを願っています」と語る。 青山さんも「いま世界中で多くの人達が、自分の身を守るのと同じように、側にいる人を想い、隣人を想い、遠くにいる大切な人を想っているに違いありません。このような強い想いはつながりあい、大きな力となり、やがて目に見えない敵を追いやると信じています」とコメントした。 「コロナが終わったら」とあいさつし合い、人との交流や活動が制限される中にあっても、微信という文明の利器を最大限に生かし、新しいやり方で創造的な作品と国境を越えた友情を生み出すことができた。人生の宝の思い出が、また一つ増えた。 私は常日頃「友情とは染める度に少しずつ色が深まっていく藍染めのようだ」と思っている。...