端午の節句、屈原精神の中核的内包をどのように理解するのか
王杰氏 中国共産党中央党校(国家行政学院)教授兼中国実学研究会会長 仲夏の候、ちまき笹の香る5月5日、端午の節句である。 「節句の端午はだれが言い始めたのか、とこしえの言い伝えでは屈原のためである」屈原は、中国の偉大な愛国詩人であり、ロマン主義文学の基礎を確立した人物であり、中国の詩の魂、国の魂、民族の魂である。1953年、屈原は世界四大文化著名人となり、世界平和評議会と全世界の人々から厳かに祝福をうけた。これほど盛大な詩人の祭りは世界でもまれであり、2000年以上経た今なお国内外で盛大に記念されている。これほど後世の深い精神と文化に影響をあたえ、中華民族を子々孫々育て、仁愛のある正義の人々を励ます詩人は世界でもまれである。だからこそ、数千年続く中国の伝統的な祭りである端午の節句には、極めて深い中国文明な原理と知恵が含まれている。端午の節句に際しては、屈原精神の中核的内包から栄養を得ることが必要だ。 屈原の美しい政治思想 屈原は賓客を応接する左徒大臣として、早くから楚の懐王の深い信任を得て、国を治める戦略である美しい政治思想を提唱し、『離騒』に表している。 一つ目は、仁政で国を治めることだ。屈原は、歴史の盛衰存亡の経験をまとめ、「善」と「義」の国を治める理念を打ち出した。『離騒』には、「前をみて後ろを顧み、民の計極を相観するに、それたれか義に非ずして用うべけん。たれか善に非ずして服すべけん」とある。つまり、過去を振り返り、未来を展望し、成功と失敗を総括し、人々の生活をくわしく観察することが重要な国を治める道だということだ。「賢を挙げて能を授け、縄墨に循いて頗ならず」は政治的に有能な官吏を登用し、法の原則に従い逸脱してはならないという意味だ。「先攻を奉じて以て下を照らし、法度の嫌疑を明らかにす。国は富強にして法は立ち、貞臣に属して日々をたのしむ」が示すのは、先代の業績を民衆にはっきり示し、法を遵守することだ。国が強くなり綱紀が糺され、賢者が政を行うことにより天下泰平になるのだ。一言でいえば、内政において有能な人物を任命し、法を明確にするということです。ここに言及されている「義」と「善」はすべて美しい政治により表されるものだ。 二つ目は、人々を大切にすることである。『尚書』には、「民は惟れ邦の本なり、本固ければ邦寧し」と書かれている。人々を大切にする思想は、中国の三代以来、先賢たちの国を治める共通認識である。屈原もこの先進的な思想を受け入れ、自身の美しい政治の思想の重要な要素とした。「長太息して以て涕を掩い、民生の多艱なるを哀しむ」、「怨むらくは霊脩の浩蕩として、終に夫の民心を察せざるを」、「民生各々楽しむ所有り。余独り脩を好んで以て常と為す」これらはすべて屈原の心の中での「人」の地位を体現している。 屈原の思想は中国の歴史において先進的であり、世界の歴史においても先進的である。国を平和に治めるという強い気持ちを楚王に託したが、それは現実に相反しており、結局揺籃の中で殺されてしまった。 屈原の節操を守る心 美しい政治の思想は、屈原が朝廷に仕えていたときの治政の理念であり、節操を守ることは屈原の生涯の思想の昇華と凝縮であったのである。さらに重要なことは、流刑の困難な経験を経て、天下の世事や自己認識に対してより深い洞察と再認識を行うことで、屈原の精神世界を新たな高みへと導いたことである。 『史記 屈原賈生列伝』の中で、屈原は「博聞彊志にして、治乱に明らかに、辞令に嫺えり。入りては則ち王と国事を図議して、以て号令を出だす。出でては則ち賓客に接遇し、諸侯に応対す」と述べ、祖国の左徒を司る重臣になった。楚の国を強くするために、法律を変え、美しい政治を行おうとした。当時秦が天下を統一しようとしているとき、屈原は斉に同盟を求めた。秦は楚と斉の同盟を懸念し、張儀を楚へ派遣し、上層部の役人に賄賂を渡して屈原を誹謗中傷させました。屈原は、祖国の命運のために、死ぬまで一心不乱に信念を貫いた。 屈原が若い頃書いた有名な詩『橘頌』は、抒情性と擬人法により、ミカンの木が節操を守る美しい姿を描いた。「后皇の嘉樹、橘徠り服す。命を受けて遷らず、南国に生ず。深固にして徏し難く、更に志を壹にす」「独立して遷らず、豈喜ぶ可ざらんや。深固にして徏し難く、廓として其れ求むる無し。世に蘇して独立し、横にして流れず」。ミカンの木の姿は、まさに屈原の自画像であり自身への励ましであり、これが屈原精神の発展である。 『離騒』の「体解すと雖も吾猶未だ変せず」という精神と一致し、屈原は一連の作品の中で愚昧な朝廷の闇と腐敗を鋭く批判し、祖国の人々の対する無限の忠節を表現し、政治の理想が実現できない憂愁と苦悶を表現し、さらに自らの清廉潔白な忠節を表現した。 『漁父』は屈原の崇高な節操と心を体現する典型的な作品である。漁父は世を避けて身を隠し川辺で釣りをする隠遁者で、屈原に世俗と同調して、独り世捨て人となって高潔な行動をする必要はないと忠告したが、詩人は「寧ろ湘流に赴きて、江魚の腹中に葬らるるとも」を強調し、自分の清廉潔白な節操を変えずに、問答の形式を通じて、屈原と漁父の対立する人生観や全く異なる思想と性格を表現した。その中で「物に凝滞せずして、能く世と推移す」という思想は後世に大きな影響を与えた。 屈原の愛国心 「愛国心」は屈原精神の中核であり基盤である。屈原の『九歌』の中の一首『国殤』は、当時国のために命を捧げた戦士たちの崇高な志、英雄的な気概、愛国心への賛辞の挽歌だ。屈原の精神の本質は、国を憂い、志を変えることなく、情が庶民を牽引し、勇敢に探索し、邪悪を恐れないことだ。『離騒』と『九章』にある多くの詩から屈原の祖国に対する深い感情を感じることができて、苦難を経ても、祖国に対する忠誠は変わらず、人々に対する深く愛する誠実な心は変わらない。「亦余が心の善とする所、九死すと雖も其れ猶未だ悔いず」は屈原の高潔な本質を表現し、国の繁栄と強さを追求する初心の夢のために、幾多の困難や危険を恐れず、死んでも後悔しないという忠節な気持ちを表現した。これらの詩は、屈原の祖国や人々への深い愛情を十分に表している。 しかし、屈原の愛国と憂国憂民は、一般的な信念と文章だけでなく、屈原の「九死に悔いなし」の献身的な精神に結びついている。屈原の作品と生涯は、中華民族の繋がりと礎となる愛国主義的な伝統精神を形成している。愛国心は国魂として、国や民族の力の源です。このような国家への気持ちが、中華民族を何度もの苦難を経て生まれ変わらせ、新たな栄光を書き続けさせ、しばしば民族の危急存亡の瀬戸際で知識人たちに追われたのだ。 中華民族の古い歴史の流れの中で、無数の優れた精神文明が育まれ、それらが融合して偉大な民族精神を形成し、国内外の中華民族の子どもたちを励まし結びつけている。屈原精神は民族精神の一部として、崇高な愛国心、遠大な政治的理想と無私無欲の闘争精神を世間の人々に示し、これらはより多くの人々により発揚伝承される価値がある。現在、屈原と端午の節句および「ドラゴンボートレース」「ちまき包み」などの風習が一体化して、すべての中国の子どもたちと海外の中国文化圏を感化し影響を与えている。端午の節句には、屈原精神を大いに発揚し、世界の人々でこの貴重な精神的財産を享受すべきである。(完) 王杰氏略歴 哲学博士、歴史学博士、中国共産党中央党校(国家行政学院)教授、博士課程指導教員、中国実学研究会会長、指導幹部学国学組織委員会主任、尼山世界儒学センター理事、全国儒学団体連合会議秘書長、中国母の日推進会副会長を務める。中国共産党中央委員会宣伝部中核的価値観百の演壇講師、中国中央テレビ百家演壇特別番組『平「語」近人−習近平総書記辞典』のメインゲストコメンテーター。主な著書『中国哲学十八講』、『先秦儒教政治思想論稿』、主な編著『指導幹部国学大講堂』、『指導幹部国学公開講座』、『指導幹部政治倫理公開講座』、『実学文化叢書』等。 【編集 房家梁】